第19話 優秀な水の魔法使い
タクシーのドアが開き、あたしはミランダ様を引きずり出す。
「お、オープン、ザ、ドア……!」
ドアが開いた。おーし! 頑張れ! あたし! ミランダ様をベッドに運べばおしまいだー!
(なんて、大仕事……!)
「はー。疲れたー。ただいまー」
セーレムはオベロンから貰った猫用の家にさっさと帰っていく。あたしはふらつきながら――二階は無理だと判断し――あたしの部屋へ連れて行く。
ベッドにミランダ様を置いた。
「っしょーーー!」
「ふう……」
(ああ、重かった……。風の波使おうと思ったけど……あんなに難しいと思わなかったし……軽々と使ってるミランダ様すごいな。やっぱり)
「んー……。……。ルーチェ」
「え? あ、はい」
「どこ行くんだい……」
「お水を取りに行こうかと……」
「ああ、水ね。水……。……お前魔法使いだろ。来させな。魔法で」
「あ、確かに」
あたしは杖を構えて集中する。
「一番にお水。二番にグラス。三番と四番は愛と勇気。五番に希望を乗せて、走っておいで」
あたしが言うと、愛と勇気と希望を乗せた水がグラスに乗っかり、力持ちのグラスが空気を泳ぎだす。何としてでも、皆を運ぶまで俺は死ねない! 頑張って! グラスさん! 皆のためにも! うおおお! 俺は負けねえぞ! 絶対にくじけるもんか! 諦めるなぁぁああ! あ、ゴールが見えてきたわ! うおおおお! あたしの手に収まった。ゴーーーールゥ!
「ミランダ様」
「いらない……」
「飲んでください。明日、つ、辛くなりますよ」
「大丈夫だよ……」
「気前の良い先輩もいつもそう言うんです。でもラーメン屋でビールを飲んだら次の日絶対に気持ち悪そうな顔し、してるんです。飲んでください」
「いらないよ……」
「お願いします。ミランダ様」
「……はいはい……」
ミランダ様がだるそうに起き上がり水を飲んだ。まだ飲ませたほうがいいかな? この間も二日酔いで寝込んでたし。
「水よ、溢れろ」
「なんだい? 意地悪だねえ。こんなに飲めないよ。それともまたアンジェに嫉妬してるのかい?」
「ミランダ様の為です。飲んでください」
「ああ、良い気分。清々しい。ひっく。……ルーチェ、ここにおいで」
ミランダ様がベッドを叩く。その仕草がなんともまあ、可愛らしい。
「もう、ミランダ様」
あたしは言われた通りにベッドに座り、あたしの靴を脱がせるミランダ様にグラスを渡す。
「ミランダ様、お水……」
「はいはい」
ミランダ様がグラスを受け取り、棚に置いた。
「ミランダ様?」
――一緒にベッドに寝転がる。
「うわあ!」
ミランダ様があたしを抱きしめた。
「あの!?」
「おーよしよし。よしよし」
「ミランダ様!?」
「嫉妬は身を滅ぼすよ。いいかい? 嫉妬したらね、分析しな。なんで嫉妬してるんだって。人によって打開策は違うけどね、お前の場合はアンジェだろう? アンジェがチヤホヤされてるから嫉妬するんだろう? だったらお前が出来ることは一つだ。魔法で見せつけてやるんだよ。そのためにはどうしたらいいか。魔法をやるんだ。とにかくやるんだ。がむしゃらに、一生懸命やるんだよ。嫉妬を覆い尽くすくらい夢中になってやればこう思うはずだよ。「嫉妬してモヤモヤ悩んでる暇なんかない」ってね。結局暇なんだよ。暇だから思考を使うのさ。一つ思考が出来たら後は動きな。いいかい。動くんだよ。行動だよ。立て。歩け。働け。練習しな。勉強しな。嫉妬するから他の人の魔法なんか見たくないって言う奴がいれば、私だったらこう言うね。だからいざって時人に見せる魔法がわからなくなるんだよって。評価されてるものは盗んでなんぼ。自分色にアレンジしてなんぼ。そのまま真似をするのは違う。それはただの盗人だ。そうじゃなくて、自分の魔法として一工夫してしまえばこっちのものだって言ってんだよ。ルーチェ、アンジェに嫉妬して身動き取れなくなるなら、だからこそアンジェの魔法を盗み出してアレンジしてやりな。あいつはどんな水魔法を見せるんだい。どんな見せ方をするんだい。悔しいならあいつの技を盗み出してやりな。そして自分の魔力でコーテイングして学校中の皆に見せつけてやるんだよ。そしたら評価も上がるし、周りのお前を見る目も変わってくる。どうやったの? って訊かれたらこう答えてやりな。偉大なる魔法使いの元から巣立った優秀な青の魔法使いを参考にしたのってね」
「……」
あたしはスマートフォンをポケットから取り出し、メモアプリを起動させた。
「でも、ミランダ様、嫉妬は苦しいです」
「そうだねえ」
「気持ちがしんどくなります」
「嫉妬深い成功者はどうして成功してるか知ってるかい?」
「……努力してるから?」
「その手前。嫉妬を原動力に変えてるからだよ。車もガソリンがないと動かないだろう? ガソリンにしてるのさ。嫉妬心を」
「すごくわかりやすい例えです」
「絶対見返してやるって思って、嫉妬対象を分析するんだよ。何を考えてるか、何を思ってその魔法を使ったのか。あいつ何も考えてないよ、なんて言う知り合いの言葉なんて信じるんじゃないよ。人間は絶対に思考を持ってる生き物だよ。心がある以上思考だって持ってる。考えてないはずがない。だから見るんだよ。喋り方はどうだ。呪文の唱え方はどうだ。動画があればラッキー。テレビに映ってればもっとラッキー。観察して盗み出して真似してアレンジして自分のものにすれば、これでまた自分の力も腕も上がる」
「……ミランダ様もそうなんですか?」
「私は光の研究者だよ。盗めるもんなら盗み出してごらんってんだよ。ま、無理だろうけどね」
(確かにミランダ様の魔法は絶対に無理そう……。魔法使いモノマネ番組でも、ミランダ様の格好を真似する人はいても、その魔法を真似する人は見たこと無いもんな……)
「はあ。酔っ払うと口数が多くなるね。私の悪いところだ。そして非常に人間臭いところだ。愉快だ、愉快だ。ひっひっひっひっひっ!」
ミランダ様が夢中になってメモしているあたしの頭を撫でた。あたしの指が少しだけ止まった。ミランダ様の手があたしの頭を撫でた。あたしは後で良いやと思ってスマートフォンを閉じた。ミランダ様がため息を付いた。
「犬だね」
「ん? 何がですか?」
「アンジェは猫みたいだったけど、お前は犬だね」
「犬」
「雑種犬」
「雑種ですか……。雑種も最近可愛いの多いですよね」
あたしは検索してみた。雑種犬。まあ、可愛い。
「人懐っこいところが犬みたいだ。だから言葉巧みに騙される。ルーチェ、何か起きる前にホウレンソウ。わかるかい?」
「報告、連絡、相談です」
「忘れるんじゃないよ。お前には誰がついてるか」
ミランダ様が目を閉じた。
「誰の側にいるのか」
「……もちろんです」
あたしは微笑みながら体全体で感じる温もりを噛み締める。
「あたしの側には偉大な魔法使い様がいます」
アンジェちゃんのように優秀ではないけれど、とても不器用だけれど、それでも貴女の弟子となった今、あたしに出来ることは一つ。
偉大な光魔法使いとなって、生きていくこと。
それこそが、ミランダ様への最大の恩返し。
(嫉妬対象の真似をして盗んで色を変えて自分のものにする。……いい方法ですね。ミランダ様。あたしは嫉妬深いので覚えておきます。そしてまた成長します。もっともっと魔法を極めてみせます)
だから、
(お願いです)
もっと撫でてください。
(ミランダ様)
眠るミランダ様に近づく。
(あたし、すごく不器用ですけど、ここまで貴女を運びました)
(貴女の話もうんうん、その通りですって相槌もします)
(貴女のためにご飯も作ってます)
(もっと撫でてください)
(もっと褒めてください)
(もっと言葉をください)
(もっと行動をください)
(もっと、もっと……)
ミランダ様の唇に、触れるだけのキスをする。
(……もっと……してください……)
褒められたら褒められた分、撫でられたら撫でられた分、あたしは貴女の忠実な雑種犬となりましょう。奴隷にだってなりましょう。ミランダ様が求めることに答えられるようポンコツながら体を張って頑張りましょう。
でも、貴女はきっとそうしない。
あたしが立派に巣立つことだけを夢見られているから。
(あたしもそうしたい)
立派な姿をお見せして、ミランダ様のお陰ですと伝えたい。
(ミランダ様)
あたしが信じるのは貴女だけです。
だって貴女は、あたしの光ですから。
(ミランダ……さま……)
瞼を閉じれば眠り意識が飛んでいく。学校祭は終わりを迎える。また新たな課題がやってくる。あたしは日々を過ごす。壁にもぶち当たるだろう。でもミランダ様はきっとこう言うと思う。くじけるな。諦めるな。顔を上げろ。まだまだ、だ! って笑い飛ばしてやりな。貴女がそういうのであればそうしましょう。もっと来い。ぶつかってこい。あたしはあたしの魔法で、それを乗り越えていってやる。そして成長していく。そして、そして――。
必ず物語のスタート時点に行ってやるんだ。
――次の日、ミランダ様が脱水症状でトイレから出られなくなった。セーレムがトイレの前をうろうろする。
「ミランダはいつもそうだな。脱水症状になったらそうやって便器と仲良くするんだ。でも大丈夫。いずれ克服できるよ。俺も花火を克服出来たんだから、ミランダにも出来るよ。大丈夫!」
「うるさいよ……。今声かけるんじゃないよ……。うっ……」
「かの有名な悪役令嬢は10月14日にこう言った。水はいらない。あたしは! ワインがいい! ってな! どやぁ! ……あれ、それ違う作品?」
ミランダ様、お水飲まれます?
「そこに置いといてくれ……」
ジョッキで入れてきました。置いておきます。
「なんだい……。ウコン茶の効果はこんなもんかい……? 飲む前にちゃんと飲んだじゃないかい……。ウコンだよ。ウコン。全部ウコンが悪いんだよ……。んっ……おろろろろろ……」
(ああ、ミランダ様……。なんてお労しい……。代われるものなら代わって差し上げたい……)
ドアが叩かれる。
(はっ! 宅急便かな? お客様なんて珍しい)
「はーい」
あたしはドアを開けてみた。そこには鍋を持ったアンジェが立っていた。
「……あれ?」
「おはよう」
「どうしたの?」
「父さんが二日酔いに効くスープを作ったから暇なら届けてこいって言われて」
「わあ、ありがとう! そうなの。今すごく大変で、ミ、ミランダ様が、トイレから出られなくなっちゃって……」
「邪魔しますよ! 師匠!」
アンジェが鍋を持ったまま家の中に入ると、セーレムが新しい匂いを感じてこっちまでやってくる。
「おっと、誰かと思ったらアンジェか」
「こんにちは。セーレム」
「何持ってるの?」
「野菜鍋」
テーブルの上に置き、アンジェがトイレに大股で歩いていく。あたしはそれをリビングから見つめ、目頭にハンカチを当てた。
「ああ、ミランダ様、何度見てもお労しい……!」
「薬作ってきたんでさっさと便器と別れてください。それともまだ便器と愛を育みたいですか?」
「……寄越しな……」
「今ならルーチェが相手でも勝てそうね」
アンジェが調合薬を渡し、ミランダ様がそれを飲んだ。さん、に、いち。――ケロッとしたミランダ様は便器との愛に終わりを告げた。
(え!? 何飲ませたの!?)
「二日酔い用の薬を作り置きしておくかね……」
「ルーチェ、作れないの?」
「……何飲ませたの?」
「あー……、調合の授業ってどこまでやってる? レシピ本は?」
「……調合苦手で……あまり見たこと無くて……」
「ルーチェの部屋どこ?」
「あ、そっち……」
「うわっ!」
あたしの部屋を見たアンジェが悲鳴を上げた。
「何この部屋!」
「あ、大丈夫だよ。ふ、踏んづけていいから」
「ルーチェ、掃除してないの!?」
「してるよ。……その部屋以外は」
「靴下脱ぎっぱなし! 服しわしわ! ワンピースを椅子に置いて重ねない! 収納あるじゃん! なんで使わないの!? ほら、がら空きじゃん! 制服しか入ってないよ! ……ちょっと待って……今度はペットボトル!? これでドミノでも作るの!? 捨てる捨てる!」
「あ、わ、あたしの、宝物が……!」
「宝物じゃないよ! これはゴミ! 整理整頓する! 机の上のそれは何!?」
「プリントとととかなんかそこらへん……」
「二ヶ月前のプリントなんてどうするの!? 捨てる捨てる! ……なに、この絵」
「あっ!」
「……ルーチェが描いたの?」
「だ、駄目。アンジェちゃん。……恥ずかしいから……」
「……ダニエルも絵描くの。すごく綺麗な絵で……ルーチェも描くんだね」
「……趣味だけどね」
「小説の登場人物?」
「……うん」
「素敵。……これはファイリングして取っておきなよ」
「あ、うん。ファイルならあるんだけど……どこかに……」
「なんで消しゴムが五つもあるの?」
「あー! 失くしたと思ってたやつ! そそそんなところに!」
「ちょっと待って。ルーチェ、ゴミ袋持ってきて。調合のレシピ本の前に、この部屋の片付けが先決かも」
「あ、だったら魔法で……」
「魔法使ったら分別出来ないでしょ! こういう時は魔法に頼らない!」
「えー、そんなぁー!」
「ルーチェが悪いのよ! こんなに溜めておくから! ほら、手伝うからいらないものといるもので分ける! これは!?」
「いる……」
「空の箱なんて何に使うの!」
「いざって時のために……」
「いざって時は来ないから捨てる!」
「あっ……! 宝物が……!」
「これは!?」
「いる……」
「飲み終えた牛乳パックなんて何に使うの!」
「小説の参考に……」
「一ヶ月前のものなんか捨てる!」
「酷い!」
「これは着てるの!?」
「……これから着る……。多分……」
「リサイクル!」
「ひいん!」
「これは!?」
「んー……」
「捨てる!」
「あう!」
「これも! あれも! それも!」
「す、すごい……! 机の形が見えてきた……!」
調合も掃除も整理整頓も出来るなんて……!
「やっぱり……アンジェちゃんは優秀なんだね……」
「ルーチェ! 見てないで動く!! 思考の後は行動!」
「あ、はい!」
あたしがアンジェと部屋の掃除をしている間、二日酔いが治まったミランダ様が杖を持ち、くるくると回した。木の枝が窓から入ってきて額縁に組み立てられていく。今度はスマートフォンを弄りだす。『決定』をタップすると、屋敷に置かれたプリンターが動き出し、一枚出てくる。ミランダ様がそれを見て呟いた。
「兄さん達がいつか使うからって置いていったけど……役に立つもんだね」
セーレムがミランダ様の肩に登り、手に持つそれを眺めた。ミランダ様が呪文を唱える。
「思い出したい時は壁を見よ。さすれば過去を見れるだろう」
『それ』が誘われるように中に浮かび、額縁の中へと入っていく。ミランダ様がそれを持って廊下に行き、壁に貼り付けた。一歩下がって、セーレムに目を向ける。
「悪くないだろう?」
「ルーチェのご機嫌取り?」
「そうだね。これを見たら今晩はハンバーグにしてくれそうだ」
「ルーチューもくれるかな?」
「……棚にあったかね」
ミランダ様がルーチューを探しに歩き出した。
廊下には、リュックに入ったセーレムとミニミランダ様を抱える――あたしとの写真が飾られていた。
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