第16話 残った焼け跡


 保健室の支配人、『マザー』があたしの顔を覗いた。


「ストピド、お母さんが見える?」

 影なら。

「副作用ね。寝てたら回復するわ。ちょっと寝て、調子が良くなったら家に帰りなさい。泊まりでもいいけど、悪いわね。貴女が起きる頃にはお母さんは二日酔いになってるはずよ。デロンデロンにね」


 そう言ってマザーがベッドのカーテンを閉めた。


(……今寝たら……パフォーマンス間に合わないよな……)


 でも仕方ない。副作用が視力に来るとは思わなかった。コンタクトも外しちゃったし、眼鏡をかけたとしても見えないだろう。


(大人しく休むことにしよう。はあ……)

「あら、可愛い猫ちゃん。んー? こんな所でどうしたの?」

「にゃー」

「ん!」

「あら、おチビちゃんまでこんばんは。でもね、ここは保健室なの。遊び場所じゃないのよ」

「ん!」

「あら、もしかしてストピドの妹ちゃん? まあまあ、可愛いこと。こんなに小さいならこのお母さんが頭を撫でただけで潰してしまいそうだわ。お姉ちゃんはあのベッドよ。カーテンで隠れてるけど中に入れば会えるからね。感動の再会。涙が出るわ。ハンカチの用意をしておいて」

「ん!」

「にゃー」

「まあ、貴方は私についてくるの? おほほ! まあまあ。今夜は愉快な夜だわ。皆のマザーである私が、黒い殿方とデートだなんて。おほほ! 坊や、ミルクは好き?」


 マザーが去っていく足音と、こっちに近づいてくる足音が聞こえると思えば、カーテンが開けられた。


(ん?)


「起きてるかい?」


 ミランダ様の声がして、あたしはすぐに目を開けた。しかし、ぼやけて何も見えない。体を起こし、影がある方向を見つめる。


 ミランダ様。

「耳は聞こえるみたいだね」

 はい。ただ、一時的に視力が下がってるみたいで、何も見えないです。

「家に帰るかい? 花火が始まる前に」

 ……。

「お前はどうしたい?」

 ……見たいです……。

「努力をしたのに選ばれず、他の者達が選ばれて空に打ち上がる魔法の花火だよ? 本当に見たいのかい? 家に帰って休んでた方がいいんじゃないかい?」

 ……仰る通りです。……頑張ったのに選ばれませんでした。……頑張る人は……いらないって言われました。


(でも)


 ……選ばれた人には、やっぱり選ばれた理由があって、あたしはそれを受け入れて、次に進まないといけません。


(すごく悔しい。本音で言ったら見たくもない。あたしと同じくらいのレベルのくせに、ただ意識が強かっただけで選ばれて、目立つ立場にいられて、ステージに上がれて、美しい花火を見せて、人々にチヤホヤされる。選抜メンバーは今夜だけ学生ではない。立派な魔法使いだ。羨ましくて仕方ない。本当は見たくない。見たくないけど……)


「次に進むために、見たいです」

「……そうかい」

「……でも、……ミランダ様、本当に視力が下がってるんです。鞄にめが、め、眼鏡がありますが、こここれをつけても、見えるかどうか……」

「視力が戻れば、眼鏡をかけて見えるのかい?」

「それは……ええ。視力が元に戻れば、眼鏡をかければ見えると思います」

「つまり、副作用が治まればいいんだね?」


 ミランダ様がベッドに乗った。あたしははっと気付く。その距離の近さに。ミランダ様のお顔がすぐ目の前にあることに。目を見開き、慌てて下がる。


「ミ、ミランダ様!?」

「静かにしな。聞こえるよ。……それとも年増のババアは嫌かい?」

「まさか! 滅相もございません!」


 ミランダ様が寄ってきて――下がった視力の中でも、その美しい顔が見える距離まで近付いてきて、あたしは固唾を呑む。


「ですが、その、あの、さっきも……ミランダ様の魔力を頂いたのに……これ以上は……」

「たかがあの瓶に魔力を注いだだけで、私が副作用になるとでも思ってんのかい? いいから大人しくしてな」

「え、えっと」

「見たいんだろう?」

「で、でも、あの……わっ!」


 背中からベッドに倒れる。その上にミランダ様が被さって来る。顔が近付いてくる。


(あ、さ、さっきは……瓶だったのに……)


 唇が近付いてくる。


(す、するんですか……?)


 あたしは瞼を閉じる。


(キス……)


 唇が重なる。

 ミランダ様の髪の毛が降ってくる。くすぐったい。

 ミランダ様の唇を感じる。柔らかい。

 ミランダ様の唇が早々に離れた。ミランダ様に耳打ちされる。


「口開けな」

「あ……」


 ミランダ様の指があたしの唇をなぞった。


「……っ、す、みません……」

「ん。……そのままでいな」

「っ」


 ミランダ様が再び唇を重ねてきた。今度は――舌も入って来る。


(わ)


 舌が絡まる。


(んっ)


 熱い。


(ミランダ様の魔力が……入って来る)


 体の奥へと伝ってくる。


(温かい……)


 あたしの手がミランダ様のマントを握り締める。


(ミランダ様の魔力が……優しくて……温かい……)


「……はっ……」


 あたしの息が続かなくてミランダ様が口を離した。あたしが慌てて深呼吸すると、ミランダ様がぼそっと言った。


「鼻で呼吸すればいいだろ」

「み、ミランダ様に鼻、はな、鼻、息など、当てられません」

「倒れた時はしてたじゃないか」

「……キスしたんですか……!?」

「魔力を入れる必要があったからね。全く手がかかるよ」

「……すみません……」

「どうでもいいけどね、苦しくなるのはお前だよ」

「……大丈夫です。あたし……」

「ああ、そうかい。……好きにしな」


 ミランダ様から近づき、再び唇が重なった。途端にあたしの体がカッと熱くなる。心臓がどきどきして、ドクドク鳴って、ミランダ様の体温と魔力を感じる。ミランダ様の魔力が入って来る。血のように体を巡っていく。唇が動く。舌が動く。熱い。優しい。酔ってしまいそう。もっと、とおねだりしてしまいそう。ミランダ様のつけてる香水の匂いがする。あたしの視力が回復してくる。ミランダ様のお顔がはっきり見えて来る。魔力が戻った。


 副作用が治まった。


(あ……)


 ミランダ様が離れた。


「……どうだい?」


 目の悪いあたしでも、この距離ならばミランダ様の顔が肉眼で見れた。


「戻ったかい?」

「……眼鏡を……つけてみます……」


 あたしはそろそろと起き上がり、鞄から眼鏡を取り出して付けてみる。いつも通りの光景。


「……治まったみたい……です」

「ああ。そいつは良かったね」

(……あ……)


 まだ、副作用が治まってないって言ってたら、


(もう一回……してもらえたのかな……)


 ……。あたしは頭を抱えた。


(いやいや、何考えてるんだ。あたし。ミランダ様は手っ取り早く魔力をあたしに渡すために口から流しただけであって……決して……その……接吻? ……というか、その……キスを……したかったわけでは……)


「ルーチェ、副作用が治まったのなら行くよ」

「え? あ……はい」

「で、だ。……少しばかり相談なんだがね」

「はい?」

「花火、会場で見たいかい?」


 あたしはきょとんと瞬きをした。


「えっと……そうですね。でも……もう席が埋まってると思うので……見れるならどこでも……」

「さっきお前がトイレに行ってる間に確認したんだがね、昔行きつけだった場所がまだあったんだよ」

「……いーきつけだった場所?」

「行ってみるかい?」


 ミランダ様が微笑を浮かべる。


「上から見る花火も、なかなか綺麗だと思うよ」

「……ぜひ」

「だったら、さっさとベッドから下りてついてきな」

「……っ、はい!」


 あたしはベッドから下りて、ミランダ様と一緒に立ち上がった。



(*'ω'*)



 会場内は盛り上がりを見せている。ステージの上でアーニーとアンジェがマイクを持ち、会場内にいる人々に笑顔を見せる。


『さて、始まる前にウサギが悪戯をしにやってきましたが、もう大丈夫そうですね!』

『本日はお集まり頂きありがとうございます。これより、学校祭夜の部のオープニングを行わせていただきます。パフォーマンス担当のアンジェと』

『アーニーです!』

『『よろしくお願いします!』』


 人々が大きな拍手をした。


『さあ、挨拶もしたところで、アンジェ!』

『皆様、空にご注目! 今宵は怖い夜ではございません! ウサギが餅つく美味しい夜でございます! さあさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!』

『『打ち上げ花火をご覧あれー!』』


 アーニーとアンジェ、そして選抜メンバーが夜空に向かって杖を構え、呪文を唱えた瞬間、メンバー全員の魔力が協調され同調し、空に向かって飛んでいく。人々が見上げる。空がぱかりと光った。


 赤色。青色。緑色。黄色。白色。黒色。紫色。オレンジ。様々な色の花火が鳴る。火魔法。水魔法。風魔法。緑魔法。……光魔法。


 花火が弾く。

 人々が夜空に目を奪われる。

 学校の空に花火が打ち上がる。

 学校内にいた人々も窓から花火を見上げる。

 とても美しい花火の中に、ミランダ様が箒に乗ったまま突っ込んだ。あたしはその腰にしがみつき、セーレムがあたしの肩に掴まり、光る花火を見つめる。


「なんか光ってる! ミランダ! ルーチェ! 俺、花火を克服したかも! 遠くからなら怖いけど、こんだけ近くなら平気かもしれない!」


 はしゃいだセーレムの声。弾く花火。あたしは目を輝かせる。風が髪の毛を揺らす。ミランダ様が箒を飛ばした。花火が光る。あたしは手を伸ばす。花火には触れられない。でも、綺麗だな。いいな。


 やっぱり、参加したかったな。


「蛍の光。窓の雪」


 唱えると、薄い蛍の光が宙に浮かび、消えていく。花火の中をくぐり抜け、ミランダ様が廃墟となった時計台に着地する。あたしも下りて……ミランダ様に眉を下げた。


 ミランダ様、ここ、駄目なところですよ。

「ん? 駄目って?」

 ここ、昔はちゃんとした時計台だったそうなんですけど、昔の生徒がここで魔法の練習をしてたそうで、その影響で時計が壊れて、工事するにも時間と費用がかかるからってこのままになってて、今は廃墟になってるところなんです。だから、危ないから立入禁止だって、マリア先生が……。

「なんだい。これまだ壊れてるのかい。かね」

 ……おっと?

「ま、いずれ修理されるだろうさ」


 ミランダ様が座った。


「お前も座りなさい」

 ……失礼します。


 ミランダ様の隣に座るとセーレムがあたしの膝の上に乗って丸くなり、一緒に夜空を眺める。パフォーマンス会場から魔力が飛んできて、ここまで花火が弾き出す。あたしたちの目の前で広がり、落ちて、また広がる。花が咲くみたいに、ぱかり、ぱかりと大きくその姿を見せる。


(……過去10年、オーディションに出るチャンスはいくらでもあったのに)


 あたしはオーディションを受けようともしなかった。どうせ受かるはずない。こんなの先生のお気に入りの生徒が選ばれるものだ。笑顔で先生にゴマ擦って、謙虚なふりをして顔の良い学生が選ばれるものなんだと思ってた。


 努力するって面倒臭い。へらへらしてるのって恰好悪い。必死になるって恥ずかしい。


 そう思ってた。


 あたしだけじゃない。皆努力してる。皆必死になって練習して、このオーディションに賭けていた人もいたはずだ。昼休みに練習してたのはあたしだけじゃなかった。図書室で計画を練ってたのはあたしだけじゃなかった。皆それぞれ、自分の魔法をどう見せようか、どうやろうか、考えて、練習して、間違えないように呪文を何回も、何十回も、何百回も唱えて、アルバイトに行って、家に帰って、宿題をしてからまた練習して、何度も、何度も、あたしと同じように繰り返して練習して、それでも選ばれなかった。へらへらしてるわけじゃない。本当は悔しいけど、選ばれた仲間を認めて、心からおめでとうって伝えて、こう思ってる。今度はあたしの番だ。あたしが絶対選ばれる。その時にこいつらにおめでとうって言わせてやるんだ。だからあたしも今ちゃんと言ってやる。素晴らしい魔法だったよ。選ばれておめでとう、って。


 その気持ちが今ならわかる。

 だって、うっとりしてしまうくらい、皆の魔法の花火が綺麗だから。


(……なんでこんなに魔法使いになりたい人がいるんだろう)


 人数さえいなければ、誰だって魔法使いになれるのに。


(発達障害を持ってたって、簡単になれるのに)


 あたしはセーレムの頭を撫でる。セーレムがとろけた。ミランダ様が花火を眺めている。あたしはその横顔を一瞬だけ見て、すぐに目を逸らして、――ふいに、聞いてみた。


 ミランダ様。

「ん?」

 ここって……やっぱりミランダ様が犯人ですか?

「当時のヤミー魔術学校はもう少し小さくてね、教室も、庭も、すごく小さかった。だからここで練習するしかなかったんだよ。ここなら大きな音を出しても時計の鐘が隠してくれたからね」

 いつ壊したんですか?

「戦争に行く前。……丁度、パレードの一時間前だったかね。ここに爪痕を残そうと思って魔法を使ったら、時計の鐘が変な鳴り方を始めたもんだから、大急ぎでパレードに向かった」

 うふふ。

「マリア先生はカンカンだったね。……当時はまだ先生じゃなかった。……教育実習生だった」

 ……マリア先生にもそんな時代が……。

「今よりもうんと若くて元気でパワフルだ。……深夜に宿題を見てもらったこともあった」

 ……ミランダ様が宿題をやるんですか?

「光魔法は楽しかったが、それ以外はどうもね。あと何点か足りなければ留年とも言われてたもんだから、さっさと光魔法担当でデビュー出来て良かったよ。私の天職は光魔法使いだって神様が言ってたんだろうさ」

 ……ミランダ様がつけた爪痕って、どこかに残ってるんですか?

「帰りにここの階段下りてごらん。壁に焼け跡があるはずだよ」

 ふふふ。やんちゃですね。

「戦争に行く前だったからね。……死んでもいいように残したんだよ」


 あたしの笑い声が止まった。


「遺書代わりにね」


 花火が弾く。


「平和な世の中になったもんさ。若いのが戦争に行かなくていい時代になった」


 当時のミランダ様は11歳。


「たかが学校祭の打ち上げ花火でオーディションかい。すごい時代になったね」


 どんな気持ちで、焼け跡を残したんだろう。

 どんな気持ちで、戦争に行こうと思ったんだろう。


 それは、まだ、あたしから訊いてはいけない気がする。


(……アンジェちゃんなら訊けたのかな)


 まだ距離がある。

 こんな近くにいるのに。

 あたしがミランダ様の隣にいるのに。

 もっとミランダ様を知りたいと思っているのに――まだ――あたしには――ミランダ様の背中しか見えない。


 だから、あたしから話題を変える。


「……アーンジェちゃんも、ここ、連れて来たんですか?」

「お前ね、私がこの時計台が残ってること自体、今日確認出来て初めて知ったんだよ。マリア先生のメールはいつも無視してるから学校祭も行く機会なんてなかった。どうやってアンジェを連れて行くんだい?」

(……ん?)


 途端に、あたしの胸が高鳴る。


(待って。……ってことは……)


「……連れてきてもらったのは……あたしが……初めて……ですか……?」

「正しくは、お前とセーレムだね」

「いや、俺高い所好きだけど、ここは高すぎると思うんだ。ルーチェ、絶対俺を落とすなよ。ここから落ちたら流石の俺も死んじゃうと思うんだ」

「……っ」


 やばい。


(にやけちゃうの、隠せない)


 うわ、やばい。まじで気持ち悪い。こんな顔ミランダ様に見せられない。と思って下を見ればセーレムがあたしを見上げてきょとんとしている。だからあたしは仕方なく、セーレムを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめることによって顔をミランダ様から隠す。


「おう。ルーチェ、今夜は積極的だな。そのまま優しく背中撫でてくれよ」

(やばい、やばい、やばい、めっっっちゃ嬉しい……!)

「おっと、待った。抱っこされるのはいいけど、これじゃあ花火が見えないじゃないか。ルーチェ、方向転換だ。俺、顔には二つ可愛い目が付いてるけど、頭の後ろにはついてないもんだからさ、このままじゃ時計台の壁しか見えないよ。うわ、なんかよく見たら薄暗くて気味が悪い。お化けが出そうだ。俺、お化けを見るくらいなら花火を見てたいよ。ルーチェ、方向転換だ。聞いてる? 俺の話聞いてるぅ?」

「ははは、セーレムー、花火綺麗だねー」

「おう。そうか。俺は全く見えないけどな」

「ははは、ミランダ様ー、綺麗ですねー」

「ああ。そうだね」


 ミランダ様が喉で笑い、ちらっと目玉を隣に向けた。


「わかりやすい奴だね」


 耳が赤くなってることに気付いてないあたしは、セーレムの背中を撫でまくる。


 花火が光る。

 あたし達を照らす。


 夜はまだ続く。


 だって学校祭夜の部は、これからだから。


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