第5話 元弟子と今の弟子


 ミランダ様の膝に顔を埋めてから、なんだか自分の中のやる気が目覚めた気がする。これぞミランダ様パワー。あたしのモチベーションはどうやらミランダ様で出来ているようだ。あの方の為ならば、あの方の恥にならない為ならば、あたしはどんな困難でも乗り越えられる気がするのだ。気がするだけだ。


(やるぞ! とにかくやるんだ! 絶対選抜メンバーに入るんだ!)


 あたしはランチ時間に図書室に行ってノートを広げる。


(オーディションに必要なことをまとめよう。今までの試験でどんなものを見られていたか)


 ・発声(滑舌の明瞭さ・腹式呼吸・ある程度の声量)

 ・魔法の見せ方(イメージ力)

 ・学校祭に合った服装


 まず、発声に関しては練習するしか無い。また数をこなそう。ミランダ様から外郎売りの練習方法を教わった。鼻濁音を意識して時間の限りやってみよう。


 次に、魔法。光魔法で花火を見せる。これが綺麗でないと何も意味がない。色んな動画や映画やドラマを見て、花火のレパートリーを増やしておこう。100見ておけば、印象に残ってイメージしやすくなるものが出てくるかも。


 最後に、服装。……服装……かあ……。バイト先のコスプレコーナー見てみようかな。学校祭の……服装か……。……アーニーちゃんに聞けばわかるかな。……あ!


(やべ! ミランダ様から教わったやつ調べてなかった!)


 ノートの端に書かれているのを見つけて思い出し、あたしは慌ててスマートフォンを取り出して検索した。


(*'ω'*)子音の分類(*'ω'*)

 ■破裂音……「p」「t」「k」「b」「d」「g」の発音。

 ■摩擦音……「s」「z」「f」の発音。

 ■鼻音……「n」「m」の発音。

 ■流音……「l」「r」の発音。


(……分類……。そんなのあるんだ。……なるほど。つまりミランダ様があたしに言ってたのは、鼻濁音の『か゜』じゃなくて、ただの『が』になってたよってことか。……紛らわしい言い方を……)


「ふう」


(ん、何これ……。半濁音……?)


「あれ? もしかして……ねえ!」

「え?」


 顔を上げると、本を大量に正面の席に置いたアンジェ・ワイズと目が合った。


「あ、やっぱり」

「あ……」

「ルーチェ……よね?」

「……こ、こ、こんにちは。アンジェちゃん……」

「こんにちは。ここで何してるの?」

「……えっと、……、……オ、オーディションの」

「あ、偉いね。今からやってるの?」

「……アンジェちゃんは?」

「調べたいことがあって。ここの学校のいいところって、デビューしても図書室が使えるところ」

「……アーニーちゃんは?」

「今日のお仕事終わったから、今頃家に帰ってゲームやってると思う」

「そっか」

「オーディションの課題ってもう決まってるの?」

「はな、花火を見せるんだって」

「へえ。花火。面白そう」

「……アンジェちゃん、は、せーんばつに入ったことある?」

「ああ、うん。あるよ。去年だったかな」

「……そうなんだ。……服装ど、ど、どんなの着た?」

「あー、私はスーツにしたかな」

「スーツ?」

「そう。リクルートスーツ。その時は魔法で鳩を作り出すって課題だったんだけど、私は社会人をモデルにして、リクルートバッグから水筒を取り出して、そこから鳩を出したの」

「水魔法」

「そう」

「すごいね。マジーックみたい」

「見せる魔法で服装とかも決めて良いかも。少なくとも、私が参加した限りそういう人多かった」

「……そうなんだ。ありがとう。参考にする」

「お力になれた?」

「……訊いても良い?」

「ん?」

「半濁音ってわかる?」

「半濁音?」


 あたしはスマートフォンを見せる。


 子音の分類? について調べてたんだけど。……その……滑舌が少しでも良くなるかなって……。

「なるほどね。この手のものとなると、いくつか種類があるのは知ってる?」

 ……教えてもらっても良い?

「いいよ。まずは清音から行くね。カ・サ・タ・ハ行、これが清音。点々とか何もついてないってことね。澄んだ音だから、清音」

 ふむふむ。

「濁音。ガ・ザ・ダ・バ行。点々を意識して発音する音。濁った音で濁音」

 うんうん。

「カ゜・キ゜・ク゜・ケ゜・コ゜。これは……」

 ……鼻濁音?

「そっ」

 なるほど。鼻濁音はここから来てるんだ。

「そっ! で、今ルーチェが言ってた半濁音っていうのがパ行のこと」

 パ行?

「うん。前は清音扱いだったらしいんだけど、半濁音って呼ばれてるんだって。ついでに言えば、拗音ってわかる?」

 よ……ようおん?

「き・ぎ・し・じ・ち・に・ひ・び・ぴ・み・り……に『やゆよ』がついた音節のこと。きゃきゅきょ、とかね」

 ……なんか破裂音とか、摩擦音とか、鼻音とか、清音とか、種類がありすぎて覚えられない。

「こんなの一知識として覚えておけばいいよ」

 ……そうだね。(一知識として覚えるのが苦手なんだよ……)

「それよりルーチェ、結構体質的な問題で言葉を繰り返すでしょう? 連母音の言葉の練習してみたら?」

 連母音?

「母音が繰り返される言葉のこと。例えば……」


 アンジェがあたしの隣に座って、自分の持ってた本を開いた。そこには外郎売の全文が記されていた。


「外郎売りで例えるよ? ここの一行読んでみて。『お手に入れまするこの薬は』」

 ……お手にい、入れますりゅ、る、こ、このくくくすりゅは……。

「ね。そこ。連母音。母音が二つ並んでるの」

 ……本当だ。お手の『ni』、と、れまするの『i』。あと……入れま。それに……『この』と、『くす』り。同じ母音が続いてる。

「ルーチェ、『貴女』って言える?」

 苦手。

「あははは! そうだよね。『a・na・ta』で母音が三つも並んでるから連母音が苦手ならまあ、大変。これに『様』をつけてみたら『a・na・ta・sa・ma』。『方』をつけてみたら『a・na・ta・nga・ta』。どこかで噛みそうだね」

 そうなの。『貴女』って言葉、すごく苦手なの。すごく使いたいんだけど、絶対噛むの。

「これは? 『一日一膳』『言い合い』『最近父に似る』『ここからここまで』」

 ……全部噛みそう。

「でもね、コツを掴めば簡単。ルーチェ、アクセントをわかってればわかる構図なんだけど、2つ目の音を強く発音してみて」

 2つ目の音?

「例えば『貴女』のアクセントは?」

 あた、……中高。『な』で上がって『た』で下がる。

「そっ。だから2つ目の音を強くするの。あ・なっ!・た……これはやりすぎだけど」

 あ・なっ!・た……なるほど。

「『一日一膳』。これも中高だね。今のパターンと同じ。2つ目の音、主に『ち』の音になるのかな。「t」の発音は破裂音だから、口の中で破裂する音を意識して強めに出してみて」

 い・ちっ!・に・ちっ!・い・ちっ!・ぜん……本当だ。言いやすくなった。

「『言い合い』。平板だね。これは『い』が二つも続くから大変だよね。でもこれも同じ。2つ目の『い』を意識してみて」

 い・いっ!・あい……わあ。すごい。

「『最近父に似る』。これはなかなか難しいよ? まず、こういう場合単語と単語で切り離して考えてみて。最近・父に・似る。で、2つ目の音とアクセントを意識。『さいん(アクセントは中高だね)』『ちに(頭の『ち』が無声化になるよ。ひそひそ声の『ち』を出した後に2音目有声音の『ち』を強く発音する。アクセントは尾高。)』『にる(これ気をつけて。「父に」と「にる」の『に』が続いてる。でもさっき、2音目の『ち』を強く言ってるから『に』の音は弱くなってるはず。だから『似る』の『に』の発音を強くする。アクセントは中高。)ってなると、言いやすくなるんじゃないかな? あ、この『言いやすく』って言うのも2つ目の『い』の音を意識ね」

 さいきっ!・ん、ちちっ!・に、にっ!・る。……はーあ……。

「『ここからここまで』。よくテストの範囲を聞く時に聞く言葉だね。ルーチェ、『ここ』って言葉苦手じゃない?」

『ここ』はいっつも吃る。

「これも説明してきたものと同じ。アクセントは中高。ちなみに、『カ行』は破裂音。口の中で破裂させるのと、2つ目の音を強くさせるのを意識して発音してみて」

 こ・こっ!・から、こ・こっ!・まで。……言いやすい。本当に言いやすい。

「そっ! そうやって練習していったらいずれ舌が慣れてくるよ! 吃音症でも完治は出来ないにしろ、健常者に近づくことは出来るものだから、試してみて!」

(……どこで覚えてくるの。こんな知識……)

「っていうのを踏まえて、ルーチェ、外郎売りのこ、母音だけで読んでみて」

 ……母音だけで?

「そっ! ゆっくりね!」

(えっと)……おえい、いえあうう、おおうういあ。

「ちょっと早くしてみて」

 おえい、いえあうう、おおうういあ。

「これで今の法則。2つ目の音を強くする、アクセントを意識するをやってみると? ゆっくりね!」

「……お手にれまするこりは……」


 っ!!!!!

 あたしとアンジェちゃんが手を合わせた。


 言えた! 言えたよ! アンジェちゃん!

「すごいじゃん! ルーチェ!」


 そこへ図書室の監視役コウモリが素早く飛んできて、あたしとアンジェちゃんが素早くイエローカードを出した。


 イエローだよ!

「イエローだから!」

「NO! レッドカード!」

 ドント・ノー!

「イエローだし! イエローだから!」

「NO! レッド! レッドカーーーード!!」


 コウモリにあたし達二人が引っ張られ、図書室から放り出された。


「「あだっ!」」


 コウモリが固く扉を閉めた。あたしとアンジェちゃんが起き上がって扉を睨む。


「あのコウモリ、本当嫌い……。ちょっと大声出しただけじゃん! べーだ!」

 三十分は入れないね……。……ごめんね。アンジェちゃん。調べ物してたのに……。

「ああ、いいよ。町の図書館行ってみるから」

 ……あの。

「ん?」

「ありがとう」


 アンジェちゃんがきょとんと瞬きする。


「色々、教えてくれて」

「……先生仲間だからね」


 アンジェちゃんがニッと笑った。


「いつから教わってるの? あの人に」

 ……二ヶ月前くらい……かな。マリア先生の紹介で。

「そっか。……マリア先生も人選間違える時あるんだね」

 ……アンジェちゃんは?

「……この学校に入る前だから……去年の春前には出ていったかも。13歳くらいからお世話になってて」

 ん? ……ってことは……(一年で学生から魔法使いになったってこと!?)四年くらい弟子やってたの?

「……ルーチェ、ちょっと歩ける? あまり図書室の前で話せる内容じゃないから」

 あ、……ごめん。

「いいよ。どうせ……過去の話だし」


 アンジェが目をそらした。


「戻るつもりもないし」

 ……。

「ちょっと話そう?」


 学校の皆がランチタイムを楽しむ中、あたしとアンジェが肩を並べて、学校の庭を歩く。時々あたしが寄ってしまってアンジェの肩にぶつかる。ごめんねって言って、わざとじゃなくて、距離感が掴めなくて、誰かと歩くと何故か寄って肩がぶつかってしまうから、あたしは少し距離を開けて歩くことにした。外では魔法がかけられた木が揺れて、野放しで飼われている野ウサギが草を食べていた。アンジェの紺色の髪の毛が風に揺られる。


「ルーチェはさ、どうして魔法使いになりたいの?」

 ……端的に言えば光が好きだから。光に包まれた人生を送りたくて。

「綺麗な動機だね」

 アンジェちゃんは?

「……弟に魔法を見せたいから」


 風が吹く。


「自閉症なの」


 あたしはアンジェを見た。


「吃音症も持ってる」


 アンジェがあたしを見た。


「だから、吃音症を持ってない人がすごく噛んでるところ見ると、ちょっとイラッと来る。練習すれば治るのに何やってるんだろうって思って。だからルーチェもその類だと思って訊いたら……吃音症って言うからさ」

 ……。

「軽度でも、きついよね」

 ……うん。

「他には……何か持ってないの?」

 ……ADHDくらいかな。

「……うちの弟はASDって診断されてる。……4歳までは普通だったの。急に吃り始めて、急におかしくなって。おかしいなって思って母さんが病院連れて行ったら発達障害だって。……あの子、それまで明るい子だったのに……すごく暗くなっちゃった。友達に自分の言ってること聞き返されるのすごく嫌だって」

 ……うん。気持ちわかる。

「でもね、弟、……ダニエルって言うんだけど、あの子、魔法見てる時はすごく落ち着いた顔するから、……だったら、もっと素敵な魔法見せたいなって……魔法使いになるのが手っ取り早いって思って……中学生の時に、学校帰りにミランダが空を飛んでるのを見かけたの。で、追いかけて、……弟子入りした」

 ……すごいね。

「魔法使いっていうものがわからなかったの。学校もあるとは聞いてたけど、うち、ダニエルの病院とかもあるからそんな余裕ないし。だったらもう魔法使いに弟子入りして、その手伝いやらなんやらして、自分で見て勉強して覚えたほうが早いでしょ?」

 ……。(あたしには出来ない……)

「で、三……いや、四年……くらいかな。あの人の側に居て、色々見て教わった。参考になる魔法使いも。ミランダみたいな反面教師も」

 ……喧嘩でもしたの?

「喧嘩じゃないよ。……あの人のやり方が気に食わなかっただけ。全部。何もかも。だから辞めてやった」

 ……。

「ルーチェ」


 アンジェが足を止めてあたしに振り返った。


「私、ミランダの元で習ってるからってルーチェのこと嫌いじゃないよ。吃音症持ってるのに、私が間違えるくらい健常者に近い喋り方してて」

 うん。だから苦労する。障害だけど、目には見えないから。

「……アーニーから聞いたけど、……イベントで、副作用起きるまで魔法使って騒ぎを収めようとしたって……」

 ……あー。

「前向きに努力してるからこそ言うけど、……本当に、ミランダはやめた方が良い。悪影響にしかならない」

 ……どうして、そう思うの?

「……」

 あたしも……アンジェちゃん、嫌いじゃないよ。さっきも優しく、あたしにわかるように教えてくれてすごく感謝してる。でも、……なんでミランダ様をそんなに毛嫌いしてるのか理解できなくて。

「ルーチェもいつかわかるよ」

 ……そうかな。

「最初のうちは良いところしか見えない。そういうものだから」

 ……。

「……。そろそろ休み時間終わっちゃうかな?」

 ……あ、そうだね。

「私、図書館行ってくるよ」

 うん。……色々とありがとう。

「ルーチェ、……ミランダに気をつけてね」


 アンジェが微笑んだ。


「あの魔女、本当に殺してやりたい」


 アンジェはそのまま振り向かず、真っ直ぐ庭から出ていった。

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