頂きに立つもの 2

 砕け散ってきらきらと光る細かい結晶となった魔物を前に、クラリオの表情が大きく歪む。

 そして彼は、振り上げた剣をくるりと逆手に握り直し、振り返ることなく一気に後方へと突き刺した。

「ッ……!」

 引き攣るような小さな悲鳴がクラリオの耳元で聞こえ、背後で何かがずるりと倒れる音がした。

 剣を手放した王が、ゆっくりと後ろを振り返る。その目に映ったのは、王の剣で腹を貫かれたアメリアの姿だった。

 魔物と対峙しているさなか、短剣を手にした彼女が背後に忍び寄っていたことを、クラリオは知っていた。アメリアの動きは素人そのもので、武に優れた王ならば容易に対処できるものだった。それこそ、赤子の手を捻るよりも容易く。

 アメリアのすぐ傍に、王が膝をつく。自らが彼女に刺した刃は肉に深く埋もれ、きっともう彼女が助からないだろうことをまざまざと王に突きつけた。だが当然の結果だ。王に彼女を生かすつもりはなかったのだから。

 王の手がアメリアの肩に触れ、その身体を仰向けに転がす。少し乱暴なそれに、アメリアは大きく顔を歪めて呻いた。

 彼女の傷は、致命傷ではあるがすぐに死ぬようなものではない。王は、そこまで考えた上で行動している。

 アメリアの腹から突き出ている剣を握った王が、唇を開いた。

「帝国の計画について、知っていることを全て話せ」

 感情を窺わせない平坦な声が、アメリアの耳に落ちる。脂汗を滲ませて荒い呼吸を繰り返す彼女は、しかしうっすらと微笑み、ゆっくりと首を横に振った。そんな彼女に、剣を握る王の手に力が籠る。そして王は、握った剣を腹に捩じ込むようにして回し、彼女の傷を抉った。

 あまりの痛みに、アメリアの細い喉から悲痛な悲鳴が上がる。しかし王は、表情を変化させることなく同じ問いを繰り返した。

「今後の帝国は、どう動くつもりなんだ。答えろ」

 だが、アメリアは再び首を横に振る。か細い声が小さく、知らない、と零した。

「この日のために、わざわざ十年前から王家に潜り込んだんだ。何も知らないなんてことはないだろう」

 王の手が動き、アメリアの傷口を広げていく。一見すると乱暴な手つきにとは見えるそれは、しかしその実、誤って彼女をすぐに死なせてしまわないようにと細心の注意が払われていた。

 再びアメリアが悲鳴を上げたが、それでも彼女は力なく首を横に振る。頑なに情報を秘匿しようとしているように見えるその姿勢に、クラリオは思わず一息に腹を裂いてしまい衝動に駆られた。

 ぎり、と歯噛みした王が、アメリアの腕を乱暴に掴む。そしてそのまま、王は力任せに腕を折り曲げた。肉の中で鈍い音が響き、アメリアの細い腕があらぬ方向に曲がる。同時に、一際大きな悲鳴が部屋に響いた。

「言え。帝国は、次に何をするつもりなんだ」

 だらりと力をなくした腕を床に投げ、王が再び問う。だが、それでもアメリアは首を横に振るだけだ。

 そんな短いやり取りが、何度続いただろうか。両腕を折っても、耳を削いでも、アメリアは悲鳴を上げるだけで何も言わない。度重なる苦痛にぐったりとした彼女は、しかしそれでも王に問われる度、彼に対して微笑みを返した。

 王もまた、未だ解除することが叶わない大魔法のせいで徐々に消耗し、意識が朦朧とし始めていた。それでも倒れず正気を保っているのは、偏に彼の気力のなせる業だろう。

 だが、今度は腕を斬り落とそうとアメリアの肩に刃先をあてがったところで、とうとう王の表情が大きく歪んだ。歪んでしまった。

 そしてその唇から、言葉が零れ落ちる。

「…………頼むから、言ってくれよ……」

 小さな声に、アメリアが僅かに目を見開く。

 霞み始めた彼女の視界に映る王は、まるで母の手を見失った幼子のような顔をしていたのだ。

 よく見れば剣を握る王の手は震え、その瞳にはアメリアよりもずっと色濃い苦痛が満ちていた。

「……お願いだから……嘘でも、良いから……」

 泣きそうな声が、アメリアの鼓膜を震わせる。

 そこで初めて、アメリアは痛み以外の理由で顔を歪めた。折られた両腕がもどかしくて仕方なかったのだ。

「……クラリオ、さま、」

 優しい声が、王の名を紡ぐ。その音に、クラリオはより一層苦しそうな表情を浮かべた。

 アメリアは、そんな顔をさせたい訳ではないのだ。だから、微笑みを絶やさないように努めたのに。

「……アメリア、」

 小さく震える声が、彼女の名を呼んだ。アメリアは、王の声で紡がれるこの名前が好きだった。

「…………ごめん、なさい。……ほんとう、に、なにも、しらないん、です……」

 アメリアの答えに、クラリオが今にも泣き出しそうな顔をする。

 判っている。判っているのだ。彼女がきっと何も知らないのだろうことくらい、クラリオは知っていた。クラリオは誰よりも彼女を見てきて、心の底から彼女を愛していたから、彼女が嘘をついていないことくらい判っていたのだ。

 だがそれでも、クラリオが彼女の本質を見抜き切っている保証がない以上、問うことを止める訳にはいかなかった。万が一にも彼女の嘘を見抜けていなかった場合、その弊害がどこで訪れるか判らない。国を担う王として、そんな過ちを犯すなど死んでも許されることではなかった。だから王は、彼女が帝国の計画の核となる何かを答えるまで、追及の手を緩めることができない。

 だがもう、王にはこれ以上彼女を傷つけるようなことをするのは無理だった。彼女を想っているからではない。これ以上アメリアを傷つければ、何を言うこともできずにすぐに死んでしまうと判ったからだ。

「…………魔導、使えるとは思ってなかったな、俺……」

 やや弱い声が、そう零す。この期に及んで、王はまだアメリアから情報を聞き出そうと考えていた。か弱い彼女が死んでしまう前に、少しでも何かを得なければと思ったのだ。

 そんな王の内心に、アメリアは気づいたのだろうか。それは判らないが、彼女は少しだけ困ったように微笑んだ。

「むりも、ありません。わたし、まどう、つかえること、おもいだした、の、きのうの、こと、でした、から……」

 静かな声に、クラリオは彼女へと手を伸ばした。その指先で優しくそっと触れた頬は、熱を失ったかのように冷たかった。

「……記憶、弄ってたの?」

「……よく、わからないん、です。でも、あなたに、はなしたことは、すべて、しんじつだと、おもって、いました。だけど、やくめを、おもいだし、て……」

「……うん」

「…………もし、うそを、ついてしまって、いたなら、ごめん、なさい……」

「……うん」

 ようやくアメリアが話した内容は、思っていたよりもずっと無意味なものだった。ただ、記憶を改竄した上でこの国に送り込まれた刺客であるということが判っただけだ。そんなことは、彼女を見ていれば想像がつく。王が知らなければならないのは、もっとその先にある話だった。

 だが、これ以上は無理だ。熱が失われていく身体には、もう生きる力など残っていない。いくら死なせないようにと配慮しようとも、最初の一撃に度重なる拷問が加われば、こうなるのは当然のことだった。

 だからだろう。アメリアがもうすぐに死んでしまうと判ったから、だから、クラリオの目から、一粒だけ涙が落ちた。そして、つい口にしてしまったというように、か細く震える声が零れる。

「…………おれ、まもるって、いったじゃん……」

 その言葉に、アメリアは一瞬、何を言われているのか判らなかった。だがその意味を理解した彼女は、咲きほころぶような笑みを浮かべた。

 クラリオは、守ると言ったその言葉を信じなかったことを責めているのだ。たとえ帝国を裏切ったとしても守ってみせるから安心して欲しいという言葉を、信じて欲しかったと言っているのだ。

「……あなたが、なく、ところ、はじめて、みました……」

 クラリオは王だ。だから、決して民に涙を見せない。たとえそれが自分の妻だったとしても、妻である前に民である王妃に涙を見せることはない。王にとって己と王獣以外はすべてが民であり、守るべき存在だからだ。

 そんな王が、涙を流し、子供のような理屈でアメリアを責めている。アメリアは、そのことがこの上なく嬉しかった。初めて、王ではないクラリオに出逢えた気さえした。惜しむらくは、霞んだ目ではその顔をしかと見ることができない点だろうか。

 だがそれでも、彼女は満たされていた。だからこそ、この世で一番幸せだという顔をして、王の名を呼ぶ。

「…………あいして、います、クラリオさま……。……あなた、を、あいして、ほんとうに、よかった……」

 囁くようにそう言葉を紡いで、アメリアの身体から力が失われる。

 静かに息を引き取った彼女の腹からは、いつの間にかおびただしい量の血液が溢れ、絨毯を濡らしていた。

 どんなに痛かっただろうか。どんなに苦しかっただろうか。それでも彼女はクラリオを責めることなく微笑み続け、愛おしそうにその名を呼んでくれた。

 王は、冷たくなった頬に触れていた手を離し、力が抜けたようにその場に座り込んだ。

 彼女と話している最中、頭はずっと戦場の状況を把握しており、時折助けの雷を落とすこともした。最愛の女性を手に掛けている間もずっと、並行して戦況を見定め続けた。

 そして今、死んでしまった彼女を前にしてもなお、心は平静を保ち、魔法を行使し続けている。それどころか王は、彼女の死をどう扱うのが国にとって一番良いのかとさえ考えていた。ありのままに伝えるべきか、帝国に殺されたことにすべきか、ああ、葬儀は帝国との諍いが全て済んでからにせざるを得ないな。そういった考えたちが、否応なく頭に流れ込んでくる。

 そんな自分のことが、殺してやりたいほどに憎かった。許されることなら、クラリオは今すぐにでも自分の喉に剣を突き立ててやりたかった。

 聡明な王は、アメリアと出会ったときから、こうなるのではないかと常に考えていた。

 帝国領土から逃れて来た、何の力も持たないアメリア。あのときの彼女からは確かに魔導の痕跡などなかったし、アメリアが話す生い立ちには何の嘘もないように思えた。だがそれでも、クラリオはこの十年、どこかでこうなる可能性を考えていた。そしてその予感は、天ヶ谷鏡哉がやってきてから一層強いものとなった。

 だからこそ、アメリアとあの少年が会話を交わす機会を設けたのだ。帝国が狙う対象と少しでも心を通わすことがあれば、彼女が思い留まってくれるのではないかと、そう思って。

 だが、現実はそんなに甘くはなかった。あの少年も、クラリオも、アメリアを繋ぐ枷にはならなかったのだ。

 そうしてアメリアは死んだ。紛れもない無駄死にだ。

 そもそも、彼女一人では絶対に王を倒せない。王がどんな状況にあったとしても、彼女に負けることはないだろう。それほどまでに力量差があった。だからこそ、彼女を送り込んだ目的が判らない。

 十年間潜ませてきた刺客だというのに、あまりにも無駄な使い方だ。もしかすると王を惑わせようとしたのかもしれないが、それこそ無駄ではないか。いついかなるときも、何があっても、王が惑うことはない。ならば何故、彼女が死ななければならなかったのだろうか。

 死ぬ理由がない彼女が死んでしまったことも、彼女に信じて貰えなかったことも、何もかもがどうしようもなく悲しくて悔しい筈だ。その筈なのに、もうクラリオには自分の感情が判らなかった。

 ぐちゃぐちゃになる頭で、だがそれでも王の魔法はその精度を失わない。引き裂かれそうなほどに心は悲鳴を上げるのに、自分はそれをどこか遠くから認識しているだけなのだ。

 クラリオは王なのだから、当然だ。こんなことで王が心を乱す訳にはいかない。そんな王は必要ない。

 数多の民の全てを背負うのが王ならば、王はその責を負って立ち続けなければならないのだ。そこに揺らぎや惑いは許されない。王は人である前に、王という生き物なのだから。

「…………王なんて、もう……」

 ぽつりと落ちた言葉は、しかし行き先を失ったかのようにそこで途切れた。その先を言うことは、民に対する裏切りだ。だから、王はただ王として在り続ける。


 クラリオが流した涙は、彼女の死を前に零れた、たった一粒だけだった。

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