恋愛脳共め

 副会長から許可を取り、白石さんにも彼の悩みの話を聞かせてみせた。白石さんは一人で勝手に行動を起こした僕のことを少しだけ咎めたが、まあ悩みの原因が判明出来たからなのか、絶縁問題とかにまでは発展しなかった。本当、良かった。


 あれからも数日間、梅雨前線による雨の日が続いたが、白石さんが昨晩てるてる坊主を吊るしてきたから安心してね、と言った翌日から天候は回復傾向に向かったのだった。眉唾ものだと思っていたが、もしや彼女は本当に天○の子だったのかもしれない。まあ、映画見てないんだけどね。

 そうなったら僕達は、雨によって進捗が芳しくなかった体育祭の準備を、これまでの遅れを取り戻すようにせっせと執り行っていくのだった。

 その間も、副会長の調子はいまひとつで、度々書記ちゃんとかから「二人が甘い空気を出すからじゃない?」と僕と同じ懸念を口にされて咎められていた。

 ただ、副会長の不調もなんのその。三十分刻みのタイムスケジュールや、人手不足解消のために教師陣に追加人員を要請したりと、色々と白石さんと裏で根回しをした結果、僕達は無事体育祭当日を迎えられたのだった。

 

 白石さんのてるてる坊主の効力なのかはわからないが、今日も外は晴々としていた。最早、少しだけ暑い。


 白石さんの宣誓を皮切りに、体育祭は滞りなく進行していった。

 我が校の体育祭は、各学年が三クラス毎に紅組白組に分かれて、各競技をこなし、順位に応じたポイントを獲得していく。最終的に紅白でポイントが多い方が勝利となる。

 何でもこれは中学校でも同様のルールで進行されているそうで、エスカレート式で進級してきた生徒からは知ってるよーなんて野次を飛ばされた。


 午前の部は一切問題もなく進行された。前日に当日のタイムスケジュールや持ち場を確認する意味でリハーサルをしたことが効果を成したのだと思う。勿論、僕の提案である。

 今でこそドヤ顔で功績を自慢出来るが、昨日はそれなりに体育祭実行委員のメンバーからの反発を受けた。まあそういうのを言いくるめるのも僕と白石さんは既にお手の物で、僕達の口車に篭絡されていく生徒達は後を経たなかった。


「それで、副会長は快復に向かっているのかしら」


「ダメダメだね」


 そして今。昼休み。

 生徒会メンバー、体育祭実行委員は他の生徒より少し短い休みを与えられていた。その間にご飯を食べ、食べ終わったら午後の部の準備をせっせと進めることになっていた。

 僕は白石さんと二人で、わざわざ非常階段に足を運んで昼食を食べていた。今日も白石さんのお手製弁当は美味しい!


「まあ、見ていたらわかったけどね」


 白石さんは肩を竦めた僕に大きなため息を吐いていた。

 あの日以来キチンと尋ねたわけではないが、未だ副会長は、自分の進路に結論を見出せていなかったようだ。時々上の空でいる様子からそう推察出来た。


「まあ簡単な問題ではなけれど、なんだかもどかしいわね」


「同感だ。何とか出来ないものか」


「そうね。ところで鈴木君、グリーンピースが残っているけど。アスパラガスもね」


 切り替えの早い白石さんであった。そういう空気じゃなかったよね、今。

 いつも通り、苦手なグリーンピースとアスパラガスを残していたら、そう言われた。最早様式美。


「うわあ、おいしい」


 彼女の箸が来るより先に、僕は意を決してそれらを口内に押し込んだ。

 まだ午後の部や仕事も残っていると言うのに、ここで心労を抱えさせられたら堪らない。

 白石さんは拗ねたように頬を膨らませていた。


「まあいいわ。そういえば鈴木君、午後の部でリレーに出る予定だったよね」


「そう。そうなんだよ。楽しみだなあ」


 興奮気味な僕が可笑しかったのか、白石さんはクスクスと笑っていた。

 クラス選抜リレー。

 曰く、紅白対抗で計四チームに別れて実施されるリレーである。なんでも、並み居るクラスの一員から選抜された連中はそれなりに選ばれし者として今後持て囃されるようになるらしい。

 そんな立場に選ばれた栄誉と、何より活発に運動が出来る喜びに僕は溢れていた。社会人時代はまともに運動出来なかったし、この体に成ってすぐも運動は厳禁とされていたから。

 やはり、若人としてはその溢れる活力を活かす行為として、運動は切っても切り離せない。


「中三みたいに転ばないでよ?」


「そ、そうだね」


 鈴木君、中三でもリレー出てたんだ。知らなかった。というか、転んだんだ。痛そう。

 ま、まあ僕は絶対に転ばないからね。たかがリレーで転ぶはずないじゃないか。それに、白石さんに良い格好を見せるという目的もあるからさ。

 フラグじゃないぞ?


「そういえば、副会長もリレーに出るって言ってたから、一緒になったら負けないように頑張ってね」


「うす」


 そうなんだ。副会長、リレーに出るのか。そりゃ、負けるわけにはいかないな。

 そうして残りの休み時間も白石さんとの甘い時間を送ることしばし、午後の部の準備に僕達は戻り、それが終わると午後の部は始まった。


 活力ある若人達が声を張り上げる中、午後の部最初の種目、リレーが始まった。

 出場する生徒は、実行委員の連絡の元壇上付近に集められた。


「あ、副会長」


 その中に、今日もうだつの上がらない顔つきの副会長を見つけるのだった。


「君も走るんだ」


「えぇ、肩も回復してきて、選ばれちゃいました」


 鈴木君の基本的身体スペックを知る身としては、選ばれちゃいました、は謙遜しすぎたなと思った。順当。その一言以外ありえない。

 だから、僕が一番でバトンを渡すのは当然である。僕は最強。最強なんだ!

 スターターピストルの音と共に、先頭走者が走り始めた。

 抜きつ抜かれつしながら、順々と走者はバトンを繋いでいき、そして僕の番はやってきた。


「あ、副会長」


「ん。鈴木か」


 そしてどういう縁か、副会長も同順の走者だったらしい。

 更には、

 

「鈴木ぃ!」


 いつかの新入生への部活動紹介の事前打ち合わせで口論をした野球部部長も、どうやら同じ走者だったようだ。

 あの時の口論というのは、今思い出しても中々に酷いものであった。ガキ大将気質の彼をとにかく宥めることに必死だったことだけ覚えていた。


「負けねえからな」


「ほどほどに」


 負けん気の強い野球部部長に気圧され、僕は珍しく口ごもんだ。

 そんな僕達を、副会長は幾ばくか心配げに見ていた。

 先にバトンを紡がれたのは、副会長だった。彼は意外と俊足だったようで、軽快にトラック半周周りのコースを駆けていった。


 そして次は、野球部部長。

 結構筋肉質な体格をしているように思えたが、彼の足も速かった。先ほど速いと思った副会長をあっさりと抜き去って、そろそろコースの四分の一ほど走り終えようとしていた。


「いけ、鈴木」


「はいっ」


 そして、僕も名も知らない先輩からバトンを受け取った。最後尾だった。

 ここまで我が赤チームその二はビリでずっとリレーを進めてきている。ここいらで一矢報いたい。そんな考えで、一つ意気込んで走り出した。


「うおおっ」


 そして走り出したら、思わず感嘆の声をあげてしまった。

 高校二年になってしばらくして、医者には体育程度の運動であればやってもいいと許可をもらっていた。そして今回、体育祭を迎えるにあたっても念のため許可を取りに行ったのだが、与太話をされながら何とか許可をもらって今日を迎える。

 体育ではサッカーだとかそういう走ること以外にも集中する競技に取り組んでいて気付けなかったが、どうやら鈴木君、さすがというか、足もすこぶる速いようだった。


 コースの四分の一あたりで、まず三位だった名も知らない女子を抜き去った。

 そして、半周に差し掛かる頃には副会長の背後を捉えて、そのまま抜き去った。


「凄い凄い」


 何やら白石さんらしき女子が観客席から興奮気味にはしゃいでいる声が聞こえた。それ以外の歓声も耳に広がった。

 俄然、燃えた。


 歯を食いしばって、ラストスパートをかけながら、僕は野球部部長の背後を捉えた。

 そして、一進一退の攻防を繰り返して。


「おっしゃー!」


 頭一つ抜き出て。


「……あっ!」


 足を引っ掛けた。

 う、嘘ー。

 フラグじゃないって言うたやーん。


「あいたー!」


 大きな砂煙を上げながら、僕は地面に転げた。恐らく膝をすりむいたのか、ズキズキと膝が痛んだ。

 後方から足音が聞こえた。先ほど抜き去った副会長達が、もう近くまで迫っているらしい。


「お、おい大丈夫か。鈴木」


 みっともなくて恥ずかしくて、中々立ち上がれずにいると、抜いたばかりの野球部部長、大石太郎が僕に手を差し伸べていた。

 そして、後方からの足もゆっくりと緩まっていく。


「どじっ子だな、お前」


 野球部部長の手に支えられながら立ち上がって、僕は苦笑した。はずかちい。


「そういう属性、男が持ってても得ないでしょ」


「だったら直せや。俺だってお前がどじでも嬉かねえよ」


 だろうね。

 すっかり競技への熱も飛んでいき、和やかなムードが僕と野球部部長には広がっていた。


 そして。


「あ、副会長」


 チラリと見れば、後方から迫っていた副会長は呆気に取られたようにこちらを見ていた。

 そのまま誰も微動だにしない空間が広がっている中、最後尾を走っていた女子に、僕達男子三人は哀れにも抜かれ去った。


「あっ!」


「あ」


「……」


 ようやくこれがリレーということを思い出して、僕達は最後の距離を走り去って、次走者へとバトンを繋いだ。

 トラブルもあったが……まあ最後尾から相当追い上げたし、セーフ。

 観客達も僕が転んだことなど覚えてすらないようで、既に次の走者に向けての声援が送られていた。

 

 僕は安堵のため息を漏らして、走者の待機場に戻った。


「鈴木」


 リレー後、野球部部長はチームメイトと談笑していた。その彼を見送っていたら、副会長に背後から声をかけられた。


「何でしょう」


「お前、野球部部長とあんなに仲良かったっけ」


 痛む足についた砂を軽く払いながら、僕はああ、と声を漏らしていた。


「仲良くなりました」


 そう僕が言うと、副会長は大層意外そうに唸った。


「どうして?」


「何がです?」


「どうして、仲良くなろうだなんて思えた。あの時の彼は、それこそ君に対して嫉妬とかそういうことでの敵視むき出しだったじゃないか。君だって、彼がそういう奴だとわかって、その上で対話なんかしてやるつもりはないと接していたじゃないか」


「そ、そこまではっきりと言いますか」


 苦笑しながら、僕は呟いた。

 あの後、大石次郎と過去のいざこざを解消した後、僕は彼に勧められて彼の兄である野球部部長とのいざこざも解消していたのだった。

 そういえばそれは、副会長には知る由もないことだったな。


「なのに、何故だ? 何故君は、彼と仲良くなった。仲良くなろうと思った」


 副会長は、最近の彼には珍しく、熱意の篭った目をしていた。

 その目に少しだけ気圧されて、僕は頭を掻いて苦笑した。

 トラックではまだ走者が自らのため、チームのために必死に走っていた。そんな走者に向けて、観客達は歓声を上げていた。喧しいくらいの大きな声で。


 何故、そう思ったのか、か。


「勿体無いなと思っただけですよ」


 僕の言葉に、副会長は目を丸くしていた。


「だってそうでしょう? 僕達の命は限りあって、この高校生活だって無限じゃないんですよ? それなのに誰かと喧嘩して、嫌な思い出を作るだなんて勿体無いじゃないですか。死ぬ間際にふと学生生活を思い出した時に、ああ、良い思い出だったなって思いたいじゃないですか。

 だから僕は、後悔したくないんです。

 だから僕は、今この瞬間だって、いつだって、最善を尽くすつもりです。

 たまにちょっと空回りしますけどね」


 そう伝えてしばらくして、副会長は何かの決心がついたのか、大きな声で笑い出した。


「後悔したくない、か。この高校生活は無限じゃない、か。

 そうだよな。

 無限じゃない。だから、後悔しないように過ごさないとな」


 最近の憑き物でも取れたかのように、晴々とした顔だった。

 すぐに僕は、どんな憑き物が取れたのかを理解した。


 そして、少しだけ嬉しかった。


 僕の一言で彼の悩みが多少でも解消されたのなら、それだけで嬉しかった。

 歓声が少しづつ大きくなっていく。

 どうやらそろそろ、リレーの終わりも近いらしい。


「今僕が進路に悩んでいるのも、それはきっと後悔したくないから、なんだろうな」


 副会長はどこか遠くを見るようにそう言った。


「後悔したくないから悩んで。でも、時間もないから焦って。

 僕はもう少しで、大切な今すら投げ打ってしまうかもしれなかったな」


 そして、苦笑した。

 

「時間はない。でも、後悔したくないなら目一杯悩むべきだと僕は思います。でも、それで大切な今すら捨てるのは勿体無いですよ。今は二度と返ってこないんだから」


 そう言うと、


「そうだな」


 副会長は微笑んだ。

 多分彼は、もう焦らないだろう。時間の許す限り進路を悩むが、それでも今を、大切な今を捨ててまで悩むほど苦しむことはしないだろう。


 一生返ってこない、そろそろ終わる高校生活を円満にするため。

 彼はより一層進路にも、勉学にも、そして青春にも、気持ちを入れるようになるだろう。


「ありが―-」


「鈴木君っ」


 彼のお礼を遮るように、必死そうな女子の声が響いた。聞き覚えのある声だった。


「し、白石さん」


「大丈夫? 足擦りむいてるじゃない。痛くない? それ以外のところは大丈夫? 肩は痛くない? ああ、頬にも砂ついてるじゃない。保健室行きましょう? あ、それよりもまずは水道で傷口の汚れを落とさなきゃ。

 ああでもない。こうでもない」


 目を回して困惑気味の白石さんは、僕のメディカルチェックを慌てて行っていく。成されるがままだった。

 ただ、それも僕がリレー中に無様に転んだのが悪いわけで。心配されるのも素直に嬉しいわけで。


 ただなんというか。

 これでは最後まで副会長、ちょっと不憫だね。


 少しだけ恐れながら、僕は副会長の顔を覗いた。


 彼は呆気に取られていた。


 しかししばらくして、


「恋愛脳共めっ」


 苦笑気味にそう言って、再び笑い出すのだった。

 リレーはそんな喧しい僕達の一幕も知ることなく、幕を降ろすのだった。

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