気まずい空気。明かされる現状。救いの手
「彼女、来るかしら」
昼休み、いつもの非常階段ではなく、僕達は生徒会室でお昼を頂いていた。白石さんはいつもの窓際の定位置に。僕はといえば、恋仲である彼女の指示の元、彼女の隣で彼女お手製のお弁当を頂いていた。
「あ、今日のハンバーグ美味しいね」
先ほどの大原さんとの約束もあって、こうして生徒会室で僕達は彼女を待っていたのだが。正直緊張感は欠片もなかった。
朝から必死極まる態度で大原さんの素性を突き止めて、自殺を食い止めるための種まきもして。正直少しだけ気が緩んでいた。
だから僕は、いつも美味しいが、今日さらに美味である彼女お手製のハンバーグに舌鼓を打っていた。
「ありがとう」
大層嬉しそうに白石さんは微笑んでいた。
「あら、グリーンピースとアスパラガスが残っているわね」
が、彼女はいつも通り目ざとかった。僕の弁当の食べ進み具合を確認すると、わざとらしくそんなことを言い始めた。
中身サラリーマンだった僕であるが、実は当時からそれなりに偏食家だった。故に、こうして嫌いな物を残すという子供らしい行為を度々起こそうとするのだが、その度に白石さんに見つかっては指摘され続けている。
最早ばれなかった日はないくらいだし、これが嫌いだから抜いてと申告する勇気もないわけなのだが、今日くらいはばれないのではと甘い考えで哀れな行いを続けていた。
というか、僕の味覚はどこから白石さんに漏れているのだろう。摩訶不思議である。
「食べないの?」
「えぇ、いや……。食べますよ?」
他所事を考えて誤魔化そうと思ったのだが、そうもいかなかった。ニコニコしながら僕にそう問いかける白石さんの態度は、僕がグリーンピースとアスパラガスが嫌いなことを知っているという証明でもあった。それを認識した上でここまで清清しい笑顔を振りまけるとは、少しだけSっ気のある白石さんであった。今更か。今更だな。
「ほら、食べて?」
再び他所事を考えていた僕に、白石さんはついに強攻策に出た。多分、業を煮やしたわけではない。業を煮やしてようが煮やしていまいが、彼女がこの手に打って出ることはなんとなく想像がついていた。
先ほどまで自らの弁当を食すために使っていた彼女の箸で、白石さんは僕の持つ弁当のグリーンピースを掴み、僕の口元まで運んだ。
「ほら、あーん」
出たな、白石さんのパワープレイ。未だ僕は彼女のこの奥義に太刀打ちする手段を見出せていなかった。
頬が熱くなっていくのがわかった。ああ、恥ずかしい。
しかし、ここで彼女の気持ちを無下にする方が嫌だったので、僕は仕方なく口を大きく開けてグリーンピースを口内に収めた。
「味はどう?」
「わからん」
行儀悪くグリーンピースを噛みながら答えた。ただ事実、味はわかっていなかった。恥ずかしさが頂点に達すると、僕の味覚は正常ではなくなる仕組みらしい。
数度咀嚼して、一気に飲み込んだ。
「はい。次ね」
僕の様子を確認して、白石さんは再び微笑んでグリーンピースを箸で掴んでいた。
「あの、自分で食べれるよ」
「そう? でも、あたしはあなたに食べさせたい」
「そうですか」
こうまではっきり言われれば、断ることは出来ないと察するしかなかった。
「はい、あーん」
微笑む白石さんに、僕は一応恨み混じりの視線を寄越して、大口を開けた。
ガラガラ
そして丁度口内にグリーンピースを収めたタイミングで、生徒会室の扉が開かれるのだった。
扉の方を見れば、大原さんが目を細めてこちらを見ていた。なんと間がいいのだろう。
僕は居た堪れなくなって、箸を口から抜いて、グリーンピースを咀嚼するのだった。
ガラガラ
「あ、待って」
しばらくして生徒会室の扉は閉められた。大原さんが教室内に入ってくることはなかった。慌てて、白石さんが彼女を追いに向かった。
その間も僕は、一切味のしないグリーンピースを咀嚼し続けていた。
ああ、帰りたい。
そんな僕の願いが叶うはずもなく、しばらく待っていたら白石さんが大原さんを連れて生徒会室に戻ってきた。
入るや否や、大原さんに睨まれた。朝助けるようなことを口にしておいて、隙間時間に彼女とお楽しみだった僕に対して、不安でも感じているのだろう。
うん。そればかりはしょうがない。誠意は明らかに欠けてました。ごめんなさい。
「ほら、座って」
この数分で何があったのか。白石さんと大原さんは少しだけ打ち解けられたらしい。女子が仲良くなるのって早いなあ。
大原さんは僕の向かいの席に腰掛けた。
そして。
「今日はわざわざありがとう」
すっかり信用を失った僕ではなく、白石さんがまずは大原さんにお礼を述べた。白石さんは続けた。
「昼休みは時間も限られていることだし、早速なのだけれど、あなたの校内での生活状況を教えてもらえるかしら。何か問題があるようなら、気兼ねなく相談してね」
彼女の身に何が起きているかは既におおよそ検討がついている。それでも尚白石さんが彼女にそう尋ねたのは、何せ話が重い故に、何か一つでも認識に齟齬があることを嫌ってだ。
大原さんがそんな白石さんの思惑を理解していたか、僕には傍目からでは理解しようがなかった。
しかし、思わずやきもきした気持ちを抱かずにはいられなかった。
いつかの自殺未遂の時同様、大原さんは自ら口を割ろうと中々しなかったのだ。
ここまで頑なに口を割ろうとしないのは何故なのか。
思わずそう思ってしまうくらい、彼女の態度は一貫していた。
「大丈夫よ」
彼女の態度を気にする僕とは違い、白石さんは献身的な態度を大原さんに見せた。優しい微笑みを見せつつ、膝の上に置かれた大原さんの両手を優しく包み上げたのだった。
「ここにはあたしと鈴木君しかいない。あたしは口は堅いし、この人もこう見えてデリケートな内容を所構わず漏らしたりはしない」
このないがしろにする言われ方も久しいなあ。突っ込んだ方が良かっただろうか。その方が大原さんの警戒も解けたかもわからない。
しかし、白石さんの話だけで十分効果は望めたらしい。
先ほどまで俯き続けていた大原さんが、ようやく顔を上げた。白石さんの顔をジッと伺っていた。
白石さんは、
「大丈夫よ。安心して」
大原さんに優しく頷いて見せた。
大原さんは再び俯いた。しかし、今度は少しだけ先ほどまでと違うのだった。
「クラスの、女子に……」
昨日の駅員室では聞くことも叶わなかった大原さんの抱える問題。
白石さんの献身的な態度と、覆しようもない証拠の発覚で。
「あたし、クラスの女子に、いじめられているんです」
ようやく大原さんは、口を割ったのだった。
「そう」
白石さんの返事を聞き終えると、大原さんは一つ頷いた後、自らの置かれた状況を語りだした。
一年一組。大原麻美。
彼女はエスカレーター式である我が校の中で珍しい、他校からの進学者だった。初めはエスカレーター式に進学する子が多いことから、クラスで友達が作れるかという不安を抱えていたものの、何とか入学して一月も経つ頃にはかの女子グループに所属することが出来たそうだ。その女子グループとの関係は円満そのものだったそうだ。他校からの進学者である大原さんに対しても、分け隔てなく接してくれて、不安ばかりだった学校生活もそれなりに楽しくなり始めた、そんな時期に事件は起きたそうだ。
事件、といっても、大原さん曰く、彼女が何か特別粗相を起こしたとかそういうわけではないらしい。ただ、その場の空気。その場の流れで。
じゃれあいの一環のように、周囲の連中は大原さんに対して無視を決め込む『遊び』を行ったらしい。
嫌な気持ちは抱きつつも、それを言うことで場の流れを乱したくなくて、大原さんはグループ連中を咎めることはしなかった。大原さん曰く、そういう行為に出ることで余計にそういうことへの標的にされるから、らしい。
そんな感じで、大原さんに対する『遊び』は継続されていたのだが、いつしか彼女は遊びではなく本当に周囲に無視されるようになり、最終的には朝のような実害を被るいじめにまで発展したとのことらしい。
まあ、何というか……。
「許せないわね」
白石さんが怒りに手を震わせながら言った。
まあ、そうだな。許せない。低俗な行いだと心から思う。高校生という、まもなく成人を迎える年齢であるにも関わらず、いいや、だからこそだろうか。やっていることは小学生のいじめより陰湿で、悪意に満ちていた。
一連の状況を語り終えると、大原さんは再び俯いてしまった。瞳の奥では、不安の感情が覗けたような気がした。
ただ、よく全てを話してくれたと思う。心の傷を思い出して教えてくれだなんて、いくら現状の解決のためとは言っても中々に酷なことを強いてしまった。それも彼女はまだ、未成年の少女だ。人格形成の時期に受けた傷は、鈍感になった大人よりもより大きく、深いものだっただろう。
「よく頑張ったわね」
だからだろう。白石さんは大原さんを労った。白石さんは彼女を優しく抱きしめた。
「辛かったわよね」
背中を数度摩って、大原さんの心の傷を労わった。
大原さんは、何が起きているかわからないという風に目を丸めていた。
しかし、しばらくして何をされたかを理解すると、しゃくりあげた。目からは大きな涙を流していた。
本当、彼女はよく頑張ったと思う。
いじめというのは加害者による一方的な理由で被害者を生むケースが極めて多い。それにより被害者がどれほど心に傷を負うのか。それを思うだけで心が痛む。
加害者側はそれを理解した上で行動を起こしているのだろうか。もしわかった上で起こしているのであれば、相当心が歪んだ人なのだと思う。
「早速、どうすればいいかを考えよう」
ただ今は、そんな加害者に対する文句は時間の無駄だ。一刻も早く彼女の現状を打破せねば。僕は続けた。
「この状況をなんとか打破しないとね」
「どうすれば状況を打破出来るかしら」
「手っ取り早いのは先生達にでも告発して、彼女達を叱ってもらうことだろうね」
僕の言葉を聞いた途端に大原さんの目が大きく見開かれた。これまで感情表現の乏しかった彼女にしては、切羽詰ったような顔だった。
「それは駄目っ!」
大原さんからこれまで聞いたことがないような大きな声で、僕の案は拒絶された。
思わず僕も驚くあまりに目を見開いてしまった。
「大丈夫よ。あなたの名前が彼女達に出さないし、その後のケアもキチンと生徒会が責任を持って対応する。だから、安心して」
「だ、駄目。それでも駄目なの」
「どうして?」
それでは現状を受け入れるのか。自殺するほど苦しんだ現状を。
少しだけ声を荒げて僕は聞いてしまった。
「鈴木君」
「ごめん」
すぐに白石さんに諭された。出来た人である。
取り繕うように謝ると、大原さんは目を泳がせていた。
「な、名前を出さなくても。あたしのいじめに関することってことは簡単にバレる。バレたら、告発したのかって一生恨まれる。だから、駄目。駄目なの」
大原さんは捲くし立てるようにそう言った。
まあ確かに。
場合によっては大原さんが逆恨みされ、事態が余計悪化するということまで容易に想像出来る。
ふうむ。
とすれば、彼女の現状を打破するためには、彼女が逆恨みされない、仕返しされない状況を作れる上でいじめを止めさせなければならないわけか。
「時間はあまりかけたくないけど……ゆっくり考えましょう」
白石さんも中々難しい要求ということを理解しているのか、矛盾気味なことを言った。
「もし辛いことがあったなら、ここに来て。あたし達もなるべく生徒会室にいるようにするから」
「いいんですか?」
「当たり前じゃない」
当分の彼女の避難場所を提示すると、久しぶりに人の心の温かさに触れたからか、彼女は再び涙を流した。
病的なまでに無表情だった少女の人らしい部分を見れて、僕も少しだけ安堵を覚えていた。
しかし、結局事態の解決に向けての案は何も浮かんでいない状況に、少しばかり辟易とした気分を抱かされた。
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