Selfish

 衣替えも終わり、梅雨の始まる予感を感じさせる曇天模様が増えてきた。ジメッとした湿気と暑さで少しだけ陰鬱な気持ちを抱かずにはいられない。

 ただ、あたしはようやく少しだけ気が晴れたような気持ちでもあった。長い長いテスト期間も先日ようやく終わり、今日から生徒会活動を復帰出来ることになったのだ。


 ショートホームルームが終わると、あたしは一目散に教室を出て、生徒会室に向かった。次の生徒会主導の催し物は決まっていた。六月十二日に行われる体育祭だ。

 我が校の体育祭は進学校ということもあり、他校と比較しても特筆して目立つような行事があるわけではなかった。でも、あたしは随分と気合を入れてその催し物に望もうとしていた。

 中間テスト前、最後の生徒会主導の催し物、部活動紹介があまり他人に褒められる出来でなかったことが最たる原因だと思う。

 あの日、あたしは病欠で生徒会長の挨拶以外に何も対応しなかったのだが、生徒会を統べる会長という立場上責任を感じていたのだと思う。


 ただ、内心一つだけ胸にしこりが残っていた。

 それは、結局今日まで鈴木君から先日の部活動紹介の弁明を聞いていなかったこと。

 鈴木君は、テスト期間から通常通りに学校へ通い始めた。あまりにもタイミングの良い復帰に悪いことを勘ぐるような思考が後を絶たなかったが、とにかくテスト勉強に集中しようと今日まで彼への接触は行わなかった。

 だから今日、彼が生徒会活動に復帰したら全てを聞く腹積もりでいた。

 とはいえ勘違いして欲しくないが、彼を叱責するつもりは、今のあたしには毛頭なかった。嫌なことがあっても時間が忘れさせてくれるとはよく言ったもので、あれから約一月の時間が過ぎたことで、当時あれほどやるせない気持ちを抱いていた心境はだいぶ落ち着いていた。彼の発言に笑って許すことは出来ないだろうが、それでも激情に駆られて頭ごなしに咎めるようなことはきっとしないはずだと思っていた。


 職員室で鍵を借りて、生徒会室にたどり着いた。借りてきた鍵を回すと、ガチャリという重みのある音が響いた。放課後ということで少しづつ喧しくなる廊下に決別するように、スライド式扉を開けて室内へと入った。


 あたしが鍵を開けたことからもわかっていたが、室内にはまだ誰もいなかった。扉を閉めて、あたしは自分の定位置に腰を落とした。しばらくすれば他の生徒会のメンバーも来ることだろう。

 鞄に忍ばせていた文庫本を取り出して、彼らを待つ間の暇つぶしを興じた。


 数十分して、一人の生徒が生徒会室に入ってきた。


「……どうも」


 鈴木君だった。あたし以外誰もいないことに気がつくと、少しだけばつが悪そうな顔をしていた。


「久しぶり。ようやく来る気になったのね」


 激情で咎めることはないと言ったが、ついつい恨み節のような言い方をしてしまった。

 鈴木君はしおらしく俯いていた。いつもの彼からは想像も出来ないような態度だった。

 

「座ったら?」


 扉の前で黙りこくる彼に、あたしはそう提案した。


「そうだな」


 呟いて、鈴木君は扉から最も近い椅子に腰を落とした。そこは登校拒否する前までの彼の定位置だった。なんだかんだ覚えているものなのだなと少し感心した。


「悪かったな、学校をサボって」


「いいわ。気にしてない」


 謝罪する彼に、あたしは問題ないことを教えてあげた。あたしなりの良心のつもりだった。彼は未だに俯いていた。


「ただ、教えて欲しいわ。どうして学校を休んだの?」


 とはいえ、彼がどうして今日まで学校を休んだのかは気になっていた。まあ、恐らく件の一件が全てなのだろうが。

鈴木君は俯きながらも、一旦少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて、唇を噛んでいた。


「……いいじゃないか。それは」


 しばらくして彼は、はぐらかすようにそう言った。捲くし立てるような早口だった。それほど知られたくない理由だったのか。まあ、先生に叱られて学校をサボったなんて、早々知られたくはないことだろう。まして、あたしに対しては。


「そう。ならいい」


 こうなれば、やはり一部多数から聞いたように、あの部活動紹介は彼の一方的な怒りで行われた彼に非のある行いだったのだろう。一月も待たされた答えは思ったよりも安直なものであったが、それでも胸のつっかえが降りたような爽快感があたしを襲った。

 しかし、あたしは首を横に振った。そんな爽快感は抱いてはいけなかったのかもしれない。あたしは彼に対しては、人一倍咎めたり指導をしたりしなければいけない立場なのではなかろうか。


 ……まあ、いいか。

 こうして彼がまた生徒会に舞い戻ってくれたことに免じて、勘弁してあげるのが優しさなのかもしれない。

 それにあたしも、当日は生徒会長でありながら部活動紹介に最後まで出席出来なかった身なのだ。あたしがいたとしてどうにかなった用件とはとても思えないが、少しばかり責任を感じていないと言えば嘘になる。だから、頭ごなしに否定するのは違うのだろう。


「これからはちゃんと出席してよ?」


 そこまで脳内で思案して、あたしはこの下らない話を締めるつもりで彼に言った。

 しかし、


「それなんだけど……」


 彼は困ったように頭を掻いていた。まるで、あたしの折衷案を断るような切り口に、少しだけ怒りにも似た激情を内心で覚えていた。


「ごめん。少し生徒会活動に参加する日数が減る」


 しばらく逡巡した彼だったが、観念したように言った。

 先日の一件で生徒会メンバーに迷惑をかけた上で、どの口からそんなことを言うのか。あたしの腸は煮えくり返りそうになっていた。


「どうして?」


 鈴木君は再び逡巡していた。ヤキモキさせられて、本当に怒鳴りそうになっていた。

 彼は右側に視線を逸らした後、口を開いた。


「どうしても」


「どうしてもとは? あたしは生徒会長という立場上、それを聞く権利があると思うんだけど」


「どうしてもはどうしてもだ。言えない。言う義理もない」


 横暴な言い分だった。今にも机を叩いて彼を叱責したい気持ちに駆られた。


 しかしあたしは、寸でのところでその感情を抑えた。ここで怒ってしまえば、それこそ部活動紹介で怒りの限りを尽くした彼と同類になってしまうのではないか。そう思った。


「鈴木君、生徒会長として指示します。理由を話してください」


 大きく息を吐いて、彼にそう指示をした。あたしは続けた。


「あたしにはその態度でもいいかもしれない。けど、他の生徒会メンバーがそれで納得するかしら。そんな一方的な言い分を聞き入れてくれるかしら」


「関係ないだろ」


 そっぽを向きながら横暴な姿勢を貫く彼は、正直今まで見ていた彼からは想像も出来ない姿だった。一体全体、本当にどうしてしまったと言うのだろうか。


「……もういいわ」


 これ以上の対話は無意味と判断して、あたしは怒気交じりの声で彼にそう言い放った。


「そうしてくれると助かるよ」


 どの口が言っているんだ。

 ほとばしる怒りを抑えながら、あたしは俯き、時間が過ぎるのをただ待った。


 彼は時折、あたしと二人だけの空間に気まずさを感じていたのか、苦痛に滲む顔をしていたが、それでも手持ち無沙汰の時間をスマホをいじって過ごしていた。

 既に先ほどのいざこざのことも頭には残っていなさそうな呑気な顔をしていた。邪心が混じっているのか、あたしにはどうしてもそんな風に見えていた。


 彼の姿を見ていたら、文庫本を握る手に力が篭っていた。指圧に押され本が歪んでいることに気付いたのは、まもなく現れた書記さんにそれを指摘されたからだった。


 生徒会役員が一同集まると、あたしは今日の議題である体育祭の準備事項の確認よりも先に鈴木君の生徒会活動の日数減を連絡した。他の生徒会メンバーの顔が歪んでいることに気がついた。

 鈴木君はどこ吹く風といった顔をしていたように見えた。

 苛立ち混じりに見ていたから、邪な感情が混じってそう見えただけかもしれないということに気付いたのは、それからしばらく経ってあたしの頭が冷えた頃だった。

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