演説は無事に終わり、僕は肝を冷やした。
敵対勢力による嫌がらせこそあったものの、生徒会選挙は滞りなく実施された。十一月に入り、紅葉に染まっていた並木道に、鬱陶しい程の落ち葉が溜まっている頃の出来事だった。
体育館。
鼻声のような間延びした少女の声が、拡声器を伝わって館内中に響いていた。その少女は、用意した台本を読むのに夢中で何も気づいてはいなかった。
「でさー」
「えーまじー?」
その少女の演説を熱心に聴いている人は、この館内にはどこにもいなかった。
演説者の彼女にとってこの場は、いかに練習通りに記憶したことを喋るのか示す場。
聴衆者にとってこの場は、憂鬱な授業が潰れ、友人と会話出来る憩いの場。
本来の生徒会演説、という体はまったく成しておらず、端から見ればただの不毛な時間が流れていた。
少女の演説は終わった。
緊張した、とでも言いたそうに胸に手を当てて、足早に壇上から去っていった。
「ようやく終わったか……」
隣に座っていた平田君がうんざりしたように吐き捨てていた。
まあ言い方はともかくとして、僕も彼の意見には同感だった。
件の……桜内緑さんの演説は、正直思ったよりもたいしたことはなかった。
何をしたいのか。どうしてそれをしたいと思ったのか。それをするとどんな効果があるのか。
彼女の演説は、とにかくそれが薄味だった。具体性がなく、自己が見えない演説だったとも言えた。
数週間の準備期間を経て、彼女はこの場に望んでいる。でも多分、彼女の頑張りは、白石さんの今回の頑張りの十分の一にも満たないだろう。白石さんの頑張りだって、伝聞されたことしか知らない僕ではあるが、そう断言出来た。
……でも。
「こんなのに白石さんが負けたら、僕は許さないぞ」
平田君が腕組をしながら苛立ちげに言っていた。
でも、こんな演説が、こんな大したことない演説が、運悪く勝つことだってある。
それが所謂民主主義というやつであり、投票するのが学生という主観で物を語りやすい立場が行う怖いところだ。
「大丈夫だよ。彼女が負けるわけない」
「そうですね。先生」
僕達は腕組をして、神妙な面持ちで白石さんを待った。
白石さんは、整然とした態度で壇上に立った。様になるお辞儀をして、話し出した。
「まず、皆さんに聞きたいことがあります」
憩いの場と化していた空気が、変わった。
「あなたが学校に望むことは何ですか?」
突然の質問に、学生達が口をつぐんでいた。
「中々、大胆なことするね」
僕は苦笑していた。演説時間は限られているというのに、聴衆者に回答を求めるだなんて。ただ、こうしてわざわざ学生達に聞いたことが幸いしたみたいだ。
学生にとっては正直、生徒会長が誰になろうが興味はないのだ。それは自分がまだ子供であることを自覚しているから。そして、自分達を統べる人が子供であることを知っているから。子供を統べる人が子供であるならば、所詮子供染みた政策しか実行されることはないから。
だから、学生は生徒会長選挙など、ただの友人間での憩いの場だなどと勘違いをしてしまう。
白石さんは、多分学生達がどんな心持でこの場に臨むかを理解していた。だから、わざわざこうして彼らに声をかけたのだ。
子供なりに要求したいことがあるんだろ。言ってみろと。
大胆不敵である。
だってそれはつまり、自分ならどんな要求だって叶えてみせるという意思表示なのだから。
もう白石さんには逃げ場はない。
大衆の前で宣言するということはつまり、それを叶えることでしか彼女は救われないのだ。
誰も白石さんの問いに答えようとする生徒はいなかった。
呆気に取られてしまったのか。もしくは大衆の場で意見を言うなど、恥ずかしいと思ったのか。
「平田君、続いてくれよ」
「御意」
「休み時間を延ばしてほしい!」
僕は叫んだ。
こういうのは最初が肝心。最初の人が堅苦しいことを言えば、その後も堅苦しいことしか続かなくなる。堅苦しいことは、皆の本心を語れなくさせてしまう。
だからこういうのは、一番最初に直情的なことを口にする。
「授業時間を減らしてくれー!」
平田君が続いた。
場に和やかなムードが流れた。笑い声が絶えない中、次々と皆が思い思いのことを口にしていった。
「部活動の時間を増やしてほしい」
「食堂のメニューを充実させて」
「俺は今、好きでたまらない人がいるー!」
「水泳の授業が欲しい」
途中、誰かが未成年の主張をしていたが、気にしないでおこう。君ら世代違うよね?
「ありがとうございました。皆さんの気持ちがよくわかりました」
白石さんは丁度いいところで話を区切って、再び頭を下げた。
「みんな、随分とぐうたらものですね」
クスクスと微笑む彼女に、再び場が和んだ。
「皆さんの願い、全てを叶えることは出来ないかもしれませんが、私が生徒会長となった暁には、なるべく期待に沿えるよう努力する所存です。そのためにも私は、今回二つの公約を掲げたいと思います」
僕は静かに語りだした彼女の言葉を、微笑みながら聴衆していた。いつかの総会の時とは比べ物にならないくらい、彼女は自己を保ち、ハッキリと、凛とした態度で演説をしていた。
我が子の成長を見守る気持ちとは、こういうものなのだろうか。
成長した彼女の姿に、僕は涙を出すのを必死にこらえていた。
……が、ふと思った。
彼女の意図を察して、静まり返る館内でいの一番に叫んだのだが、これって所謂彼女を助けることに分類されるのだろうか。
え、こんなことで嫌われるの? それはとても不本意なんだけど。
背筋に冷たい汗が伝った。平常心でいられなくなっている内に、彼女の演説は終わっていた。
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