僕が介入して、良いのだろうか……?

 安藤さんの悪い予感が的中するのには、そう時間はかからなかった。

 放課後。すっかり陽が沈むのは早くなった外を見ながら、僕は教室で物思いに耽っていた。相も変わらず、燃え尽き症候群からか、はたまた白石さんの手伝いが出来ないからか。やる気が出ない、うだつの上がらない日々が続いていた。


「ねえ、あんた」


「はい?」


 そんな僕に話をかけてくる女子が一人いた。その女子は、何故だか随分と苛立っているようで、かかとを踏み潰した上履きをパタパタさせながら僕に話しかけてきた。


「あんた、このクラスの奴?」


「ええ、まあ」


 高圧的な態度の女子に、内心苛立ちながら、僕は返事を返した。

 見れば、この女子が二年であることに気がついた。我が学校では、学年別に上履きの色が違うのだ。

 今の一年生は赤。二年生は緑。三年生は青。と区分されていた。

 この女子の踏み潰された小汚い上履きは、緑だったから、そうだとわかったのだ。


「白石って子の机、どれ」


 舌打ちをしながら二年の女子は言った。


「彼女が何か?」


「良いから! さっさと教えろよ」


 そんな僕の問いに、その女子は再び舌打ちをして苛立ちながら答えた。

 あまりに横暴で高圧的な言い草に、僕は眉をしかめていた。さっさとカバンを持ち、椅子から立ち上がった。


「教える義理はないですね」


「あんだと!? こっちは先輩だぞ」


「たかだか一年早く生まれただけで先輩気取りだなんて、くだらない」


「はあ!?」


「そんなに一年早く生まれたことが偉いなら、その僕より明晰な頭で探し出したらどうです?」

 

 それだけ言って、さっさと教室を後にした。背中に女子の喚き声にも近い罵声が刺さったが、無視を貫いた。

 そのまま僕は、廊下を歩いて、玄関を出て、校門に差し掛かろうとした時に気がついた。


「あ、数学の教科書」


 本日数学の授業で課題が出ていたのに、六限目の授業だったためにうっかり机に教科書を忘れてきてしまっていることに、僕は今更気がついた。


「うわあ、鉢合わせたくねえ」


 今戻ったら、先ほど喧嘩腰で煽った少女と鉢合わせするのではないだろうか。少しだけ気分が曇った。

 まあ、数学の宿題と天秤にかけたら宿題に傾くから、戻るんだけどね。


 僕は踵を返して、校舎に引き返した。校庭から、野球部と陸上部の喧しい掛け声が響いていた。

 放課後ということもあり、校舎にはあまり人気がなかった。強いて言えば、丁度教室に向かうまでにある茶道室では、少女の談笑する声が聞こえていた。

 後は、この耳触りのいいトランペットの音色。

 今日は吹奏楽部は休みのはずだが、博美さんは熱心に練習をしているみたいだ。本当、頭があがらない。


 教室にたどり着くと、恐る恐る室内を覗いた。件の女子はもうおらず、室内はもぬけの殻になっていた。


「ふう」


 変ないざこざにならなくて良かったと思い安堵のため息を漏らしつつ、僕もさっさと帰ろうと自分の座席に向かった。


「ん?」


 しかし丁度その時、僕は白石さんの机に一枚の皺くちゃな紙が置かれていることに気がついた。

 紙には、


『生徒会長選挙オリロ 殺スゾ』


 と脅迫めいたことが書かれていた。古典的なことしよる。顔バレもしているのにやるなんて、相当なバカなのか。

 僕は皺くちゃな紙が向けられた当人の元に届かないよう処分するべく、カバンに紙を仕舞った。

 

『白石さんの他に、二年生の女子が一人生徒会長に立候補しているみたいなんだけどさ。白石さん、上級生からあまり良く思われていないみたいなの』


 ただ丁度その時、先日安藤さんが言っていた話を思い出したのだった。


「そういうことか」


 白石さんの立候補を快く思わない連中がいること。

 この脅迫文。

 間違いない。これは彼女が立候補したことを快く思わない連中の嫌がらせだ。


「くだらねえことしやがって」


 内心でフツフツと煮えくり返る怒りにこらえながら、僕は呟いた。


「とっちめてやる」

 

 僕は件の女子達への報復を決意し、踵を返した。

 しかし、


『あなたの力を借りずに、あたしは生徒会長になりたいの。あなたの力を借りずに、自分がどこまで出来るか知りたいの』


 僕は悩んでしまった。

 これは過干渉にならないのか、と。


 文化祭の一件のように、互いに協力関係な状態であるならいざ知らず。

 彼女は、白石さんは、僕の力を借りずに生徒会長の座を掴もうと尽力している。その生徒会長になるに向けて立ち上がったこの障壁は、彼女が生徒会長になるに向けて僕の力を使わずに乗り越えなくてはならない壁なのではないのか?

 その壁を、僕が一人でどうにかして、本当にいいのか?


 ……そんなことをして、僕は彼女に嫌われないのだろうか?


 そんな悩みが浮かんでは消えていく。悩みに悩みぬいて、僕は自分がどうしたらいいのか、答えがわからなくなっていた。

 

 結局僕は、件の連中への報復をすることなく、家に帰宅したのだった。ただ迷いながらも、一つだけ仕掛けを施していた。

 それをきっかけに彼女に嫌われないことを、切に祈りながら。


********************************************************************************

 

 今日は吹奏楽部の朝連がある日だった。僕はいつもの日課で、博美さんのトランペット演奏を聞くべく、早朝に家を出た。

 長い夏も終わり秋の始まりを感じられる今日この頃。先日行われた衣替えで、今では長袖で登校をしているものの、早朝のこの時間は少々肌寒く感じた。


 ズボンのポケットに両手を突っ込み、手が悴まないようにして歩いていた僕の脳裏では、昨日の一件の対応が未だにリピートされていた。

 僕はどうするのが正解だったのだろうか。

 日課だから早く家を出たものの、そうでなければ未だに自室で物思いに耽っていたと思う。


 どうすることが正解だったのか。その答えは未だに出そうもない。

 彼女に対しての好意は、きっと件の連中をとっちめるべきだったと言う。でも、理性的な部分では、それを良しとしなかった。

 

 悩める頭は、冷たい外気に当てられてもクリアになりそうもない。

 むしろ、悪化していく一途だった。


 いつの間にか学校に到着していた。トランペットの音色は響いているが、校庭で活気よく練習している部員はまだいない時間。

 玄関を抜け、下駄箱にたどり着いた。

 すると、


「白石さん」


 いつもならこの時間、教室にいるはずの白石さんが、下駄箱を開けたまま固まっていた。

 

「す、鈴木君」


 白石さんがこちらに気づいて、慌てて下駄箱を閉めた。

 僕の脳裏に、先ほどまで浮かんでいた嫌な予感が湧き上がってきていた。


「どうしたの?」


「べ、別に」


 俯き、覇気のない少女に、僕の胸中では罪悪感が渦を巻いていた。

 白石さんは、まるで下駄箱の中を見られたくないように、体でそれを隠していた。


「下駄箱、どうかした?」


「何も」


 白石さんは覇気なく首を横に振っていた。


「いいから、見せて」


 僕は強引に白石さんを退けて、下駄箱を開けた。

 下駄箱の中は、酷いものだった。上履きを底にして、土が目一杯詰まれていて、いざ上履きを引き抜けば、読むのも嫌になる悪口の数々が油性のマジックで書かれていた。

 思わず僕は、歯を食い縛っていた。


「……ごめん」


「あなたがしたの?」


「そうじゃない。でも、した連中に心当たりはあった。なのに、止めようとしなかった。だから、ごめん」


「なら、あなたは何も悪くないじゃない」


 そんなこと、ない。

 彼女に嫌われたくないと、女々しい発想で報復をせず、彼女に実害を及ぼさせてしまった。

 自分が彼女を助ける理由を見つけられず、なあなあにして彼女を悲しませてしまった。


 止めることは出来た。

 なのに僕は、それをしようと思わなかった。

 きっと僕は、まだ心のどこかで彼女への好意を認められていないんだ。特に最近は、目まぐるしく成長していこうとする、挑戦しようとする彼女を見て、十歳の年のギャップをありありと感じてしまっている。


 だから今回、余計僕は戸惑ってしまったんだ。

 でも、そうじゃないじゃないか。

 好意があろうがなかろうが、困っている人がいて助けないこと。それはおかしいことじゃないか。手を差し伸べることは当然じゃないか。

 嫌われるとかどうとか、そんなの関係ないじゃないか。


「とりあえず、スリッパを借りに行こう」


「……うん」


 彼女の手を引いて、僕は心の中で彼女へ謝罪を続けた。

 僕がうまくやっていれば、彼女がこんな目に遭うことはなかった。そう思うと、ただ自分が憎らしかった。

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