『ゴシップ』ギター担当は嫁の尻に敷かれていた。

 朝早くから蝉の鳴き声がうるさい今日この頃。照りつける暑さの中、制服を羽織った僕は、我が学び舎の高校に足を運んでいた。

 今日僕がこうして高校に足を運んだのは、落第生の受けることになる補習だとか、青春の一ページの部活動ではなかった。


「うっす」


「おはよう、鈴木」


 山田さんに軽い挨拶をしながら、僕は職員室の前で皆の集合を待った。


「あら、早いのね」


 次に姿を現したのは、白石さんだった。手には文庫本を数冊抱えている。どうやら約束の時間までに図書館に足を運んでいたらしい。


「なんだか、意外な組み合わせ」


 そう白石さんが呟くと、僕と山田さんは顔を見合わせた。途端、山田さんの顔が歪んだ。


「サイアク」


 そんなに? おいおい、泣けてくるね。ハハハ!

 クスクスと笑う白石さんに目を細めながら、僕達は時間まで世間話に興じた。


「おっはよう!」


 そんな僕達の前に、他のバンドメンバーが現れた。集合時間ギリギリである。


「よし、行こうか」


 職員室の扉をノックして、鳳を呼び出した。

 鳳は待っていましたと言わんばかりに、僕達を応接室に通した。僕の背に、博美さんのトランペットの音色が届いた。


「『ゴシップ』ギター担当、広末龍馬」


 応接室に入るや否や、鳳は僕に名刺を差し出した。

 黒色を基調とした白文字の名刺だった。一般の社会人が持つような名刺とは似ても似つかない。翼とか生えているし。


「この人が今日の十三時にここに来ることになっています」


 ははあ。ゴシップってのはバンド名か。イカすねえ。

 てっきり、ホストクラブの店名かと思っちゃったよ。


「インディーズバンドか何か?」


「そうです。詳しいですね。私も一時期、彼のバンドに参加していましてね。その時のよしみで君達の面倒を見てくれとお願いしました」


「あ、ありがとうございます」


 胡散臭いバンド名に目を細める僕に、後ろの女子陣は恐縮したように一礼をしていた。面食い共め。


「で、この人はスタジオでも経営しているのかい?」


 名刺をプラプラさせながら尋ねる僕に、鳳は笑顔を崩すことはなかった。


「元々は彼の祖父が経営していたスタジオだったんですけどね。その祖父が亡くなって以降は、親族で唯一音楽の道に進んでいた彼に白羽の矢が立ったんです。最近は管理も大変になってきた挙句、利用客も減衰傾向で、是非タダでも使ってくれとのことでした」


 スタジオ経営も世知辛い世の中なんだな。心中お察しします。


「定休日の水曜だって来ても構わない。何なら二十四時間指導してもいいと言っていました」


「閑古鳥が鳴いているとかそんなレベルじゃねえな、それ」


 僕の突っ込みに、アハハ、と鳳が笑った。いや、友人の不幸を笑ってやるなよ。


「ただ、ひとつ交換条件があるそうです」


「何さ」


「毎日自由にスタジオを使っていい代わりに、スタジオの日々の手入れを君達に依頼したいそうです。彼、最近子供が産まれましてね。そちらのお世話に精神を削られて、とてもじゃないが店の掃除まで手が回らないそうです」


「それ、その人指導している時間ないんじゃないの?」


「その点はご安心を」


「何で?」


「レッスンの時間は、家事を手伝わなくていいそうです」


「……あ」


 『ゴシップ』ギター担当さん。

 あなた、嫁の尻に敷かれているのね……。インディーズバンドも形無しな時代だな。


 まあ、いいや。これは結構、悪くない条件だぞ。


「どうでしょうか。私の出来る限りの人脈を用いて探したのですが」


 こいつの持ってきた案件でなければ、尚良かったのだがな。

 鳳はいつもと少しだけ違う、意地の悪い笑顔を見せていた。そんなに学生である僕にマウントを取れて嬉しいか。この野郎。


「皆、いいよね?」


 ともあれ、こんな好条件を逃すのは、マネージャーの名が廃る。後ろにいる皆に合意の意を尋ねた。


「あなたが仕切んないでよ。マネージャー補佐」


「鈴木君。上司のあたしはまだ何も言っていないわよ。マネージャー補佐なんだから、独断で判断しないで」


 そうですね。僕はマネージャ補佐でしたね。

 萎縮する僕を、鳳先生は今日一番の笑顔で見守っていた。

 後ろでぶつくさと女子陣が話し合う。


「鳳先生」


 頬杖をつき、つまらなそうに事態を眺める僕を他所に、白石さんが声を出した。


「そのスタジオ、是非使わせてください」


「勿論」


 交渉承諾。

 練習場所を見つけられて、ホッと一息付いている女子陣。清清しい笑顔で少女達を眺める鳳。

 そして、大層つまらなそうにささくれを触る僕。いてて。ちょっと引っ張りすぎた。


「それでは、時間まで教室で待っていてもらえますか?」


「はい!」


 青春の一ページだなあ。僕以外。

 除け者にされ寂しくなっている丁度その時、ポケットのスマホが震えた。


「あ、ごめん。電話だ」


「しまらない奴」


 山田さんに愚痴られながら、僕は皆より一足先に応接室を出た。そのまま非常階段へと出て、スマホの画面を見た。

 画面には、『岡野さん』の表示。


「もしもし、どうだい?」


『うぅん。凄い目移りするよお』


 岡野さんの泣き言に、僕は苦笑した。

 我がバンドの裁縫係に任命された岡野さんは、今日生地を買いにお店に繰り出していた。


『本当に、いいの?』


「大丈夫。岡野さんのセンスを疑う人は誰もいないよ」


 励ますようにそう言うと、岡野さんは、


『そうじゃないよ』


 と呟いた。


『鈴木君。このお金って、本当に文化祭執行委員からもらった資金なの?』


「そうだよ。どうして?」


『だって、まだ文化祭の申請も始まってないじゃない」


 ギクリ。

 岡野さんめ、生徒手帳でも確認したのか? まあ、探ればいくらでもバレるよな。


「岡野さん、確かにそれは執行委員からもらった資金じゃない」


 非常階段に腰を下ろしながら、僕は言った。


『やっぱり! ということは……』


「大丈夫。どうせ使う予定のなかったお金だし。うまくいけば全て返ってくる」


『うまくいかなかったら?』


「その時はその時。また貯めればいい」


 あっけらかんと言うと、岡野さんが電話口から唸り声を上げていた。


「岡野さん、僕はね。今回の件、是非皆の力を結集して成功させたいと思っているんだ」


 彼女に、諭すように僕は言った。


「でも、とにかく時間がない。作業の時間が止まることは、イコール失敗に直結する。特に四人もの衣装を作らなければならない岡野さんが、夏休み中に手が止まることだけは絶対にあってはいけないんだ」


『でも……』


「協力してくれよ、先輩」


 そう微笑みながら伝えると、


『わ、わかったよ。もう……。後輩の必死の頼みじゃ、仕方ないよ』


 と不承不承としながら岡野さんは納得してくれた。


「ありがとう。あと、絶対皆には内密にしてくれ。後で口裏を合わせる話し合いをさせてくれ」


『え、でも』


「楽器の練習で忙しい彼女らに、余計な心配かけたくないんだよ。お願いだ」


『……わかった。わかったよ、もうっ!』


 突如、踏ん切りがついたように叫ぶ岡野さんに、僕は再び苦笑した。


「それじゃ、頼んだよ」


『うん。……鈴木君!』


「何?」


『絶対! 絶対、成功させようね!』


 岡野さんの言葉に、僕は再び苦笑して、


「勿論」


 と答え、電話を切った。

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