第93話 私のお嬢様? 後編 メアリー視点

 私がペイシェンス様のお手伝いをしようと決意してから二年が経ちました。

 あの年の冬は、王都ロマノでも厳しく、食糧や薪の値段が高騰し、グレンジャー家も貧窮に喘いでいました。

「ワイヤットさん、ペイシェンス様が風邪から回復されません」

 この数日前から風邪を拗らせておられたペイシェンス様でしたが、元々体力が無い上に、ガリガリに痩せておられるので、乗り越えられるか不安でワイヤットさんに相談しました。

「治療師を呼びましょう」

 ワイヤットさんも心配していたのか、治療師を呼んでくれました。ユリアンヌ様の時の治療代が嵩んでいたので、なかなか呼べなかったのです。

「これは肺炎になっています。上級回復薬でも無理かもしれません。一応、治療しておきますが、今夜がやまです」

 そんな! ユリアンヌ様のお嬢様が!

「できる限りのことをして下さい」

 真っ青な顔で子爵様が治療師に頼んでおられますが、私はケープコット伯爵家の治療師の方が腕が上なのでは無いかとの疑惑が抑えきれませんでした。だって、ユリアンヌ様はこの治療師に掛かっていたのに亡くなられたのですから。

 でも、それは私の思い違いでした。次の日、お嬢様は回復なさったのです。こんな思い違いは良いですね。

 あれほど、ホッとしたのは人生で初めてです。半分、諦めていたのかもしれません。


 回復されてから、お嬢様は教会で能力判定を受けられ、生活魔法を賜られました。これはユリアンヌ様と一緒です。とても便利な魔法で、私も使えたらと何度も思ったものです。羨ましいですわ。

 でも、お嬢様の生活魔法は、ユリアンヌ様のとは違いました。

 まず驚いたのは、子供部屋です。

「お嬢様、このカーテン、絨毯、どうなさったのですか?」

 本当なら、何年も前に張り替えるべき陽に焼けた壁紙、そして古い絨毯、色褪せたカーテンが新品同様に!

「もしかして……」私は部屋に戻って、王立学園の制服のお下がりを持って来ました。

 これは、モンテラシード伯爵家から頂いた古着です。本当なら子爵家の令嬢として新しい制服を用意したいのですが、何とか擦り切れていない箇所を探して縫いなおそうと思っていたのです。

「綺麗になれ!」そう唱えただけで、新品同様になりました。一番小さなサイズの制服を少し縫い縮めました。


 それと、病から回復されてからお嬢様は少しお変わりになられた気がします。

 私達、召使いが作業する半地下には令嬢はお越しにならないのがルールなのに、毛布を探しに来られたり、屋根裏部屋にもベッドカバーを作る布を見つけに行かれたり、その上、私のしている絹の靴下のかけはぎの内職まで気づいておられたのか、それを手伝うと言われるのです。

「学園の寮に持っていく下着は新しいのが良いと思うわ」

 その通りなのです。グレンジャー子爵家の令嬢が古い下着など……私は、折れてお嬢様と靴下のかけはぎの内職をすることにしましたが、あの生活魔法は新品にしてしまいます。

「メアリーさん、すごく腕を上げたね」なんて、内職を斡旋してくれているおばさんに言われた時は、ドキドキしてしまいました。

 私は、給金が滞っているので、裁縫が得意なので内職をしていましたが、エバはもっと苦労していました。あの冬は本当に厳しく、食料品も高騰していたからです。

「エバ、なにも市場で働かなくても……」

 止めましたが、エバの決意は変わりません。先代の子爵夫人に病の弟を助けて貰った恩を感じているのです。

「エバ、苦労をかけるな」

 ワイヤットさんも、売れるものは全て売り尽くしています。いえ、一番の財産である書籍は売らずに、ワイヤットも他の屋敷の手伝いに行ったりして頑張っているのです。これは子爵様が書籍が大好きだから、歯を食いしばって売らずに済むようにしているワイヤットの心意気なのかもしれません。

 下男のジョージも薪を節約する為に、暖炉の火をつけたり、消したり、その上、オマルを洗ったりと一人で庭仕事もしなくてはいけないし、いつもクタクタで痩せてしまっています。

 お嬢様は、まず壊れていた温室を直して、野菜を作られました。そのお陰なのか、エバは市場で働かなくても良くなり、スープには野菜が沢山入っているようになりました。

「ああ、これで寮に入っても安心だわ」

 残される弟君達を心配されていたのでしょう。やっと子爵様も幼い子供達の事を思い出されたのか、ペイシェンス様が寮にいらっしゃる間の勉強を見ると言われました。

 ワイヤットさんは、子爵様のことを心配していたので、少しホッとされたみたいですが、私はペイシェンス様の事をもう少し褒めてあげて欲しいと思っていました。ユリアンヌ様が亡くなられてから、ずっとペイシェンス様が弟君達の勉強を教えていたのです。

 それに、テーブルの上に乗っている野菜はペイシェンス様が温室で育てられたものですし、子爵様のディナージャケットも新品同様にしたのですが……あのお方は気づいておられないのかもしれません。

 ユリアンヌ様と子爵様は王立学園で知り合い、社交界デビューされる時には婚約をされていた程の相思相愛だったと聞いていましたが「ウィリアム様は生活能力が欠けておられるから」と侍女のアンナ相手に溜息をつかれていました。

 その点は、ペイシェンス様はしっかりなさっているのですが、令嬢としては如何なものでしょう?


 お嬢様が王立学園の寮に入られる時、王族の方々の馬車が並んでいて、驚きました。

「お行儀よくして下さい!」との願いが叶ったのか、ペイシェンス様はマーガレット王女様の側仕えになられたのです。

 こんな名誉な事をユリアンヌ様にお聞かせしたいですわ。

 なのにお嬢様は、乗り気で無いご様子。不思議でしたが、それは弟君達との時間が少なくなるのを案じておられたのだと、夏休みに離宮に誘われてわかりました。やはり、ペイシェンス様は賢いお嬢様ですね。

 普通の貴族の令嬢なら、夏の離宮に招待されたら大喜びでしょうが、お嬢様はグレンジャー家の召使いの少なさや持参するドレスを心配されたのかもしれません。ご苦労をお掛けして申し訳なさでいっぱいです。

 でも、やはり令嬢は台所へは立ち入らない方がよろしいと思いますのに、王妃様から卵やバターや砂糖や生クリームなどを頂いて、お菓子をエバに焼いてもらったりされるのです。私が注意しても王妃様を持ち出されると困ります。


 お嬢様は一年で初等科を終えられたようです。流石にグレンジャー家は学問のお家柄だけあります。やっと冬休みになり、弟君達との穏やかな日々を送ろうとされていたのに、親戚の方々の訪問です。

 私は、やはりユリアンヌ様付きの侍女見習いでしたし、貧窮の原因になったモンテラシード伯爵夫人や、近くで貧しい生活を送っているのに素知らぬ顔をされていたノースコート伯爵夫人や、ユリアンヌ様のお葬式にも顔を出して下さらなかったマックスウェル子爵夫人には良い感情を持っていませんでした。

 でも、モンテラシード伯爵夫人は息子のサリエス卿を剣術指南に来させて下さいましたし、サティスフォード子爵家に嫁いだラシーヌ様は乗馬教師を派遣して下さいました。

「これで、ナシウスもヘンリーも王立学園で恥をかかなくて済むわ!」

 音楽は王妃様から頂いたハノンでペイシェンス様が教えていらっしゃいますし、ダンスも美術もなんとか格好のつく程度にはなっていましたが、剣術は下男のジョージ相手では遊びにすぎません。それに馬は、馬車で出かける時だけのレンタルですから、乗馬など習えるわけがありません。

 お嬢様は、常に弟君達の事を考えていらっしゃいますので、親戚の援助はありがたいと思われたようです。

 私はマックスウェル子爵夫人が下さった絹の生地が大変嬉しかったです。夏の離宮へ行く際も、古いドレスをお嬢様の生活魔法で新品同様にして、それを解いて縫い直していたのですが、やはり新品の生地の方がデザインを選びやすいから。

 冬休みの間、ペイシェンス様はノースコート伯爵家でサミュエル様の家庭教師を立派にされたようです。頂いた小切手で、助かったとワイヤットさんが微笑んでいたのですから。


 それにしても、ペイシェンス様は王族の方々の信頼があついですね。それは誇りに思っても良いのですが、突然のリチャード王子様の訪問には驚きました。どうやら王立学園の騎士クラブのごたごたの件で来られたみたいですが、お嬢様は音楽クラブなのに関係があるのでしょうか? 勿論、私は侍女に過ぎませんから、そのような余計な事はお嬢様に言ったりはいたしません。

 お嬢様のお知り合いは上級貴族が多く、それはとても素晴らしい人脈だとは思うのですが、中等科になって入られた錬金術クラブは令嬢に相応しいのか疑問でした。

 でも、それは私の考え違いだったとすぐにわかりました。お嬢様は、お湯を入れるだけで、朝まで温かく、そしてそのお湯で朝は顔を洗える便利な湯たんぽを作られたのです。これで、夜中に脚が寒くて目覚めることがなくなりました。

 それに、糸通し! これほど裁縫をする人に便利な道具があるでしょうか!

 そして、ペイシェンス様はバーンズ公爵家に招かれたのです。公爵家とは、元は王族です! ああ、そんな立派な方々とお知り合いのお嬢様が社交界デビューされて、良縁に恵まれると良いのですが……お嬢様はモテモテなのに、自覚が無いというか、興味が無いのでしょうか?

 夏休みもノースコート伯爵領で弟君達とサミュエル様とアンジェラ様と仲良く海水浴をされたり、ラフォーレ公爵家や美貌のパーシバル様から招待されたりと、令嬢に相応しい過ごされ方をしていた筈なのに……どこか違うのです。

 あっ、カザリア帝国の遺跡で地下通路が見つかり、お嬢様が女準男爵バロネテスに叙されました。こんな大事なことすら薄れてしまう程の濃い夏休みになったのです。

 なんと、お嬢様に求婚者が列をなしているのです! (でも、不思議と甘いムードは感じません)

 まずモンテラシード伯爵夫人推しのパーシバル様は、子爵様の従兄弟のモラン伯爵の嫡男ですし、美貌と剣の腕、私なら惚れてしまいます。ナシウス様もヘンリー様も、パーシバル様に憧れておられるようです。

 二方目は、お嬢様は乗り気では無いようです。音楽クラブの部長でもあられるアルバート様はラフォーレ公爵家の次男で、気楽な立場で一生暮らせそうです。私的には王都を離れずにすむし、お得意な音楽に囲まれた生活は良さそうに感じるのですが、こればかりはお嬢様のお気持ち次第です。

 そして、錬金術クラブの部長、カエサル様は、バーンズ公爵家の嫡男ですし、なんと言ってもお嬢様の少し変わった所も受け入れて下さる懐の深さが私的にはお勧めです。

 ベンジャミン様もペイシェンス様がお淑やかに振る舞われなくても、笑って許して下さるでしょう。

 そう、このところのペイシェンス様は、令嬢としての猫が被れていない時があって、侍女としてはハラハラしてしまうのです。お嬢様は、幼い頃から完璧なマナーをユリアンヌ様から教えて貰って身につけておられたのに、錬金術クラブで変な影響を受けたのではと疑っています。

 最後の方は地位はとても高いのでしょうが、お嬢様がお選びになるとは思えません。でも、言いたいことを言える相手は、なかなか良いのかもしれませんね。すみません、私は面食いなのです。

 ゲイツ様は王宮魔法師で、とても偉い方だとか? でも、お嬢様は割とタメ口ですよね? マナー的には如何なのでしょう?


 夏休みに意外な方と私は再会しました。ケープコット伯爵家のサイモン坊っちゃまです。可愛い幼子だったサイモン坊っちゃまが、ロマノ大学の教授の助手になられているとは! 私も歳をとるはずですわね。

 でも、絶縁の原因になったカッパフィールド侯爵は亡くなられたのと聞きますのに、ケープコット伯爵家とグレンジャー子爵家の関係は修復されていません。それは、ユリアンヌ様が亡くなられたのがお互いの感情のもつれになっているからでは無いでしょうか? 

 私も、元はケープコットの住人でしたが、ユリアンヌ様が病になられているのに寄り親のカッパフィールド侯爵の顔色を伺って、治療師を派遣して下さらなかったのを少し恨んでいます。それは、グレンジャー子爵も同様でしょうし、ケープコット伯爵家側からするとユリアンヌ様にちゃんとした治療を受けさせなかったのではと受け取られているのかもしれません。

 なので、サイモン坊っちゃまは微妙な立ち位置で、ペイシェンス様やナシウス様やヘンリー様と親しくできないジレンマに苦しんでおられるように見受けられました。でも、私は今はお嬢様の侍女ですから、サイモン坊っちゃまであろうと、弟君達を無視する態度に怒られるのは当然だと思いますね。


 あれこれあった夏休みが終わり、王都に帰ったら、私に下女見習いがつきました。キャリーは、ペイシェンス様が授業で知り合った孤児院の子ですが、メイドになりたいと張り切っています。もう一人はエバの料理助手になったミミです。

 子爵様がロマノ大学の学長になられ、やっと貴族らしい生活が送れるようになり、ホッとしています。後は、お嬢様が素敵なお方と結婚されるのをユリアンヌ様に報告できると良いのですが……熱気球で空を飛ぶことより、ドレスの仮縫いに時間を掛けて欲しいです。

 なのにお嬢様ときたら、また自分で忙しくしておられます。あの変な体操で、かなり体力はついてきていますが、お身体が心配です。どうか、もう少し令嬢らしくゆっくりとお過ごし下さいませ。

 来年の秋には王妃様のお声掛かりで社交界デビューです。王妃様が正式なドレスなどは用意して下さるとの事ですが、それだけでは足りません。

 幸い、お嬢様は女準男爵バロネテスの年金と特許料をお持ちです。それに、子爵様はお嬢様のお金を取り上げるようなお方ではありません。資金はたっぷりあるし、マックスウェル子爵夫人が絹の生地は格安で譲って下さるみたいなので、私は素敵なドレスをいっぱい作って欲しいのです。

 王都ロマノのドレスメーカーを呼び寄せるなんて、ユリアンヌ様が生きておられた頃以来ですわ。浮き浮きしますのに、また調合室にお籠りになられています。これは父君の子爵様に似ておられるのかも。

「キャリー、お嬢様を応接室にお呼びして」

 私が呼びに行くより、キャリーの方が早く来て下さいます。何故なら、キャリーが私に叱られるとお嬢様は思っていらっしゃるからです。

 お優しいお嬢様、私は生涯、お嬢様の侍女としてお仕えします。

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