第53話 糸通しは凄く便利なんだよね

 金曜の午後は錬金術クラブだ。でも、その前に温室で上級薬草と毒消し草に浄水をやり、魔法も掛けておく。毒消し草は葉の芽にだけ掛けないといけないので、少し時間が掛かる。

「今日は糸通しを作ろう! その後で自転車の部品を作れたら良いな。タイヤとブレーキのゴム、何か代用できる物が有れば良いけど」

 サッと生活魔法を自分に掛けて、錬金術クラブに急ぐ。今日こそは遅くならないように気をつけよう。

「おお、ペイシェンス、遅かったな」

 毎回、遅かったなと言われるが、まだ3時間目だよ。

「さぁ、自転車を作ろう!」

 やる気満々のカエサル部長だけど、私は糸通しを作りたいのだ。それにこれもバーンズ商会で売れそうな商品だと思うからね。まぁ、バーンズ商会がどんな物を売っているのか知らないけどさ。

「カエサル部長、今日は糸通しを作りたいのです」

 図を見せるが、露骨にガッカリされた。

「こんな物より、自転車だろう! さぁ、部品の設計図は作ったのだ。後は実際に作って組み立てたい」

 自転車の設計図は凄く精密に描かれていた。

「あのうカエサル部長、このタイヤとブレーキの素材はあるのでしょうか? 中に空気を入れたいのです。弾力性があって、しかも丈夫な素材が必要なのです」

 さあ作ろうと前のめりになっていたカエサル部長は、ハタと立ち止まる。

「中に空気を入れるのか? ううむ、弾力性があり、なおかつ丈夫? スライムは如何だ?」

 ベンジャミンもやってきて、タイヤの素材について話し合っている。私はその隙に糸通しを作る。

「この細さでは針の穴に通らないわ。刺繍針なら大丈夫だろうけど。もっと細くしなくては!」

 何度か失敗したけど、私は2通りの糸通しを作った。刺繍針用の少し太いけど丈夫なのと、普通の針用の極細の針金の糸通しだ。マーガレット王女と自分とメアリーに作った後、少し考えて10個ずつ作る。バーンズ商会への見本と、刺繍の先生と裁縫の先生へ渡す試供品だ。

「ペイシェンス、タイヤとブレーキは後回しにして、他の部品を作るぞ。馬車のブレーキは金属で作られているから、先ずはそれで良いだろう。タイヤとかも木製か金属で作ってみよう」

 カエサル部長は兎に角自転車を組み立てたいようだ。私も糸通しはできたから一緒に作るよ。

「このチェーンは難しいな。ペイシェンス、作ってみるか?」

 私はカエサル部長が描いた設計図をよく見て、前世のチェーンのイメージも思い浮かべながら「チェーンを作れ!」と唱える。

「なかなか良さそうだ。他の部品も作ろう!」

 他のメンバーもやってきて、順番に作っていく。部品が多いから、1人で作ったら魔力切れになりそうだ。サイズもキチンと描いてあるから、ちゃんとできていれば大丈夫だろう。

「さぁ、組み立てるぞ!」

 私的には金属の車輪はいただけないけど、スライムの粉は流石の錬金術クラブにも常備していない。組み立ては男子が嬉々として行う。何個か部品の不具合もあったけど、作り直して自転車1号機ができた。

「これが自転車なのか?」

 ブライスとアーサーは部品を作る所から参加していたので、全体像がよく理解できていなかったようだ。

「この車輪は金属で無い方が良いと思うけど、一応は完成ですね」

 全員の目が私に向いている。何?

「で、ペイシェンス、これをどう走らせるのだ?」

 あっ、そうか! 誰も自転車に乗った事ないんだね。

「私も初めてですが、乗ってみますね」

 フレームを跨いでサドルに座ると「ちょっと待て!」とブライスが止める。

「ペイシェンス、その乗り方で良いのか?」

 一瞬、意味が分からなかったけど、女の人が馬に跨いで乗るのも駄目な世界なんだ。でも、馬と違ってフレームは細いから大丈夫だよね?

「ええ、この乗り方しか考えられませんわ」

 何故かブライスは頬を染めている。でも、それより乗れるかどうかが問題だ。

 ハンドルを持ち、ペダルに足をかけて回す。うん、やはり金属の車輪だから乗り心地悪いよ。その上、サドルも金属だからね。皮で中にクッションを入れたいな。

 クラブハウス内を一周する。うん、ブレーキも要改善だ!

「凄いぞ! 私にも乗せてくれ!」

 まるで子供のようなカエサル部長やクラブメンバー達だ。でも、練習が必要だね。足をつきつきしか進めない。

「やはり車輪は中に空気を入れたタイヤにしたいです。ブレーキも効きが悪いわ。後、サドルは革製にして乗り心地を改善しなくては」

 人の話を聞いてない。皆、自転車に乗るのに夢中だ。

「ペイシェンス、これは凄いぞ! 馬がいなくても速く移動できる。画期的な発明だ!」

 自転車は便利だよ。まぁ、自分で漕がないといけないから、遠くに行けないけどね。王都ロマノの中なら十分だと思う。

「カエサル部長、タイヤを作りましょう。それとブレーキもサドルも改善しなくてはいけません」

 さっきは聞いていなかったが、やっと耳に入ったようだ。

「なるほど、これならベルが必要だな」

 ベンジャミンは早速ベルを作ろうと考えている。ベルは異世界にもあるようだ。召使いを呼ぶシステムとして、部屋の紐を引けば召使い部屋のベルがなるのとかあるみたい。グレンジャー家は広いけど、そんなシステムは完備していない。夏の離宮へ行く途中に寄ったラフォーレ公爵家とかは、すっごく巨大だから無かったら鈴では聞こえないかもね。

「カエサル部長、この糸通しをお父様に見せて頂けますか? 此方の極細は普通の針用、そして少し太い方は刺繍糸用です」

 カエサル部長は怪訝な顔で糸通しを見たが、私が紙に包んで渡すと「見せておく」とは言ってくれた。

 今一つ糸通しの便利さが理解できていないようだ。

「お父様もこの糸通しの便利さが理解できるか不安ですわ。屋敷の家政婦かメイドに使って貰って下さいとお伝えしてね」

 これは男には便利さは分からないかも? あっ、テイラーとかの男の人は別だよ。

「もう寮に帰らなくては!」

 薄暗くなりかけている。今日はブライスも自転車に夢中なので、1人で寮に帰る。

「明日は勉強会、明後日はバーンズ公爵家なのね。弟達との時間が少なくなるわ」

 今回はどうにか暗くなる前に寮に着いた。マーガレット王女は王宮だし、自由時間だ。刺繍の内職と行政と法律の勉強をしよう。あっ、それと『音楽家ベリエール』を読んでレポートも書かないといけない。ちょこちょこと読んでいたけど、これは日記というより家計簿だよ。集中力が続かなくて完読できていない。うん、完読は諦めてローレンス王国に居た時代の収入や支出を纏めて、エステナ聖皇国に行ってからの収入と支出を書き出して、その比較をする。一目瞭然だよ。それに、日記からの抜粋でレポートは書き上げた。

ラフォーレ公爵の音楽好きには少し付いていけない感じもしたけど、あのくらいのパトロンがいないと音楽家はローレンス王国に居つかないのかも。文化事業支援とかの部署は行政で勉強した限りは見当たらなかった。音楽好きな貴族、演劇好きな貴族、文学好きな貴族がパトロンとして援助している感じだ。うん、レポートに文化事業支援をする組織の必要性を書き足そう。

 レポートを書き終えて、下の食堂でゆっくりと食べる。うん、このリラックス感、良いよね。さぁ、内職、内職!

 刺繍3で絵画刺繍を習っている。うん、細い絹糸で刺していくのだから、なかなか進まないよ。生活魔法を使いたくなる誘惑に負けないように少しずつ遣り方を覚えていく。遣り方を覚えたら、生活魔法を使っても良いかもね。でないと1年がかりだもん。

 今は、見知らぬ令嬢の嫁入り支度の刺繍をしている。こんなテーブルナプキンにも自分と相手のイニシャルを刺繍するんだね。大変だよ。まぁ、これで儲けさせて貰っているから良いんだけどさ。これは内職だから、最初からバンバン生活魔法を掛けて数をこなす。こんなにテーブルナプキンを持って行くって事は、きっと晩餐会とかパーティーとか開くようなお金持ちなんだろうね。

「これで刺繍はお終いね」

 明日の朝は温室に行って、後はメアリーが来るのを待つだけだ。早く来て欲しいな。昼食は絶対に弟達と家で食べるよ! 勉強会も2回目だから伯母様も少しは落ち着いているだろう。

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