第62話 留守中の屋敷

 夏の離宮からやっと帰って来た。先ずは弟達エンジェルを抱きしめて、思いっきり香りを吸い込む。ああ、お日様の香りと土の匂いがするよ。うん? 何か土いじりしたのかな?

「お姉様、お帰りなさい」

「お帰りなさい」

 ここは天国だよ。でも、留守の間、何をしていたか話さなきゃ。あっ、その前に渡す物もあるよ。

「2人にお土産があるのよ」

 貝殻を渡すと、とても喜んでくれた。

「お姉様、図鑑で調べます」ナシウスは勉強好きだね。本当に良い子だ。

「この貝殻、格好良いですね」

 ヘンリーは白の刺刺の巻貝の貝殻を持って走り回る。転けないでね!

「私達、マシューを手伝ってトマトやナスを採ったんです」

 マシュー? 誰それ? 屋敷に帰って変化に驚いた。なんと使用人が1人増えていたのだ。下男のジョージの手伝いにマシューが雇われたのだ。私はお金が払えるのか心配になる。だってメアリーは内職しているし、エバは他で働いてハムを得ていたぐらいグレンジャー家は貧しいのだ。

 ワイヤットを捕まえて質問しなきゃ。

「お嬢様、マシューはエバの甥ですから信用できます。それに、その様な瑣末な事はご心配なさらなくても宜しいのですよ」

 あっさりと軽くいなされた。仕方ないからメアリーに聞く。

「ねぇ、マシューはとても若く見えるけど、何歳なの?」

 マシューはどう見ても大人には見えない。

「確か、13歳だと言ってましたよ。外に働きに行くのが遅いぐらいです」

 異世界には児童労働の法律は無さそうだ。外に働きに出るのは10歳から13歳ぐらいからだが、農家や商家はもっと幼い頃から手伝わされる。13歳で独立なんて早いよね。

 だけど、それは庶民の話だ。貴族は王立学園を卒業しないと、就職も結婚もできない。

「16歳かぁ、女子は家政コースで花嫁修行して、卒業と共に結婚するのね」

 男子は大学に進学したり、騎士団に入団したり、官僚になったり、領地の管理の仕事を手伝ったり、色々と選択の余地がある。でも、女子は結婚以外は女官の道しか今は無さそうだ。ごく稀に貧乏な下級貴族の娘が上級貴族の令嬢の家庭教師になったりして持参金を自力で稼ぐとかもあると、シャーロット女官から聞いた。

 マーガレット王女のお目覚め係を一生する気は無い。でも、熱いタオルでマッサージしてもなかなか起きないので、夏の離宮では毎朝起こしていたんだよ。特に王様が滞在されていた時に朝食に遅刻は拙いからね。それでシャーロット女官とはかなり仲良くなれたよ。でも、父親が何故クビになったのか聞ける程では無いんだよね。


 夏の離宮に持っていった物をメアリーが片付けている。私は手伝わないよ。メアリーは本当に侍女の仕事が好きだもん。

 私は窓辺でぼんやりと青い空と白い雲を眺める。

「もう夏の盛りの雲じゃないわ。折角の夏休みが、離宮に行ったせいで、ほとんど終わってしまった」

 嘆く私をメアリーは理解できなさそうな目で見る。確かに夏の離宮は素晴らしいロケーションだし、料理も美味しい。それにスイーツも改良されたしね。

 でも、弟達がいないんだよ。そりゃ、生意気なキース王子や可愛いマーカス王子もいたよ。でも、家の弟達エンジェルに勝るものは無いよ。

 秋学期が始まるのは8月半ばだ。まだ2週間はある。そう、失った日々を嘆くのではなく、まだ残っている夏休みを弟達と楽しむのだ。

 気になっていた温室と裏庭の畑を見回る。温室のトマトやナスやきゅうりは順調だし、薔薇の挿木も大きくなっている。

「大きくなれ!」成長を後押ししておく。

 裏庭にはマシューが豆を採っていた。茶色の髪と茶色の目、エバと同じ血を感じる。

「貴方がマシューね。私はペイシェンスよ」

 マシューは、麦藁帽子を取ってペコリとお辞儀した。まだ屋敷に慣れてないみたいだ。

 私もまだマシューに慣れてないので、目の前で生活魔法で育てるのはやめておく。それに地植えの夏野菜は順調に育っているしね。

 果樹もチェックする。

「あっ、林檎がなっている!」

 まだ小さくて青いけど、林檎だよ。他の果樹も調べる。梨も小さな実をつけている。植えた年なのに、上出来だよ。生活魔法のお陰だよね。

 今夜のデザート用に林檎を数個手に持って「大きくなれ! 甘くなれ!」と唱える。味見はできないけど、多分、甘くなっている。

 林檎をエバに渡した後、食料保存庫に行く。真っ赤なトマトソースの瓶、緑のキュウリのピクルスの瓶、赤い苺ジャムの瓶、オレンジの人参の酢漬けの瓶。それに棚の下には乾燥させた豆が入った粗袋が積まれているし、木の箱には芋が山盛りになっている。キャベツの塩漬が何樽も整列している。玉ねぎは茎を編んで天井から何本も吊り下げてある。

「もっと保存食を作らなきゃ。棚がいっぱいになるまでね」

 ひもじかった記憶が、もっと、もっとと私を急き立てる。田舎なら小麦も作れるかもしれないけど、裏庭には限りがある。何か穀物も植えたい。ジョージに相談しよう。

「小麦以外の穀物は無いかしら? 大麦とかは駄目よ」

 ジョージは、またお嬢様が変な事を言い出したと、首を傾げて考えている。

「とうもろこしは穀物になるのですか?」

 とうもろこし、夏といえば焼きとうもろこし、湯がいたとうもろこしだよ。あると知らなかった。それにとうもろこしでパンもできるよね。パンなんて焼いたこと無いけど、エバに試して貰おう。

 そうだ、異世界物では林檎で天然酵母を作って、ふわふわパンを焼くのが定番だよね。確か、清潔な瓶に林檎を切って入れて1週間ぐらい時々振るんだったけ。

「私には生活魔法がある。清潔にするのも、発酵させるのも楽勝だよ。多分ね」

 台所に戻り、エバに保存瓶を出して貰う。

「林檎を1個小さな角切りにして、清潔な保存瓶に入れて。そして1週間、毎日振るのよ。でも、今回は私が生活魔法を掛けるわ」

 生活魔法って凄く便利。保存瓶を「清潔になれ」と清めて、エバが切った林檎を入れ「発酵しろ」と唱えると、なんて事でしょう。自然酵母ができました。

「エバ、この自然酵母を使って、パンを焼いてみて。きっと柔らかなパンが焼けるわ」

 家のパンが固いのは、安い小麦粉を使っているからだ。学園や離宮のような真っ白な小麦粉で焼いたパンじゃない。近頃は薄い茶色になったけど、前は濃い茶色だった。全粒粉だって天然酵母を使って焼けば、少しは柔らかくなるだろう。

 そのうち、お金を儲けて白いパンをエバに焼いて貰おう。

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