第5話 ドルイドの洞(2)

 フィニはドルイドらしく森歩きの達人だ。ほとんど痕跡を残さずに進んでいく。魔法を使っているのかもしれないが、ドルイドの微弱な魔法はドラゴンの目でも捉え難い。気配の続く方向と一致しているのを確認しながら、カティヤは前を行くフィニの背中に問いかけた。


「ねぇ、ドルイドはどうして彼女を助けたの? 善意だとしても、他にも怪我人はいたよね?」


 フィニは少し歩を緩めて答える。


「確かにドルイドは昔のように、森の中で困っているというだけで人を助けたりしなくなった。中立でいるために、争いに関わらないために、迂闊に手助けできなくなったんだ。だけど、あの木のほらの中にいる人は別だ」


「なぜ?」


「若い子が知らないのは無理もない。古い慣習だよ。あれは〈ドルイドの木〉と言って、ドルイドに助けを求める人はあの木のほらで待つんだ」


 少し馬鹿にされたような気がしてカティヤはむっとした。ファーンヴァースが解説しようとしてきても断る。


「フィニって何歳?」


「一九だけど」


「うっそ。めっちゃ老けてるね。三〇くらいかと思った」


 反撃とばかりに意地悪く言うと、フィニは首をかしげた。


「めっちゃ……?」


「森の賢者ドルイドでも知らないことはあんだね。〝めっちゃ〟は〝すごく〟って意味。ファランティアの王都では〝若い子〟なら普通に通じるんだけど?」


 フィニは立ち止まって振り返った。


「二つ言っておく。一つ、老けてるって言われても気にしない。二つ、王都のような不自然な町は嫌いだから行かないし、行きたいとも思わない。〈盟約〉のせいでドルイドの魔法も効かないしね」


 テストリア大陸中央部にあるファランティア王国は、およそ八〇〇年前にドラゴンとエルフとドワーフが結んだ〈盟約〉によって人間の領土と定められた。ドラゴンと竜騎士は〈盟約〉の守護者だが、今ではファランティア王国とそこに住む人間の守護者と勘違いされている。〈盟約〉の範囲内では竜語魔法以外の魔法はほとんど効果が無くなる。


「ちょっと、わざわざ立ち止まって言う?」


 反論は受け付けない、とばかりに腕を組むフィニ。こんなくだらないことで立ち止まっているのも馬鹿らしい。カティヤは両手を挙げた。


「わかった。了解」


 フィニは満足げにうなずいて再び歩き出す。


「ところで、ドルイドの集落って遠いの?」


「いいや、もうすぐだ」


 フィニが指さした方向を見ると、そちらに続くアウラの気配がどんどん弱くなっているのに気付いて、カティヤは息を呑んだ。ファーンヴァースに心の中で肩を掴まれたように感じる。


『ドルイドが周囲に廻らせた魔法の影響で見え難くなっているのだ。しかし……急いだほうがいいかもしれん』


 カティヤの顔色が変わったのにフィニも気付いたのだろう。「どうした、カティヤ?」


「急ごう」


「わかった。もうすぐそこだから、走ろう」


 森の中とは思えない速度でフィニは走り出した。彼に付いていくために、カティヤは生い茂る草むらを飛び越え、木の幹を蹴り、枝を利用して森の中を移動した。ファーンヴァースも長い跳躍を繰り返して付いてくる。


 木や石の所々に、フィニの身体に浮かんでいたのと同じような紋様がぼんやりと光っているのにカティヤは気付いた。薄い膜のようなものを突き抜けた感覚のあと、フィニは走るのを止めて足を緩める。いつの間にかドルイドの集落に入っていたらしい。しかしそこは集落というより野営地、いや野営地と呼べるほどのものですらなかった。


 石を組んで作られた炉の他には古びた鉄製の鍋やナイフや、石挽の道具、織布、背負い袋などの携行品がいくつか置いてあるだけで、屋根のある家も天幕もない。ドルイドたちは地面や石や倒木など思い思いの場所に座って、道具を修理したり、何かを作ったり、子供と遊んだり、呆けていたりする。


 彼らはフィニが見知らぬ人間――カティヤとファーンヴァース――を連れているのに気付くと緊張感を漂わせた。その視線には居心地の悪さを感じるが、今のカティヤにはどうでもいいことだ。目の前には〈ドルイドの木〉と同じトネリコと思われるが、しかし比較にならないほど巨大な大樹がそびえたっている。その幹はカティヤが一五人くらい手を繋いで一周できるかというほどに太く、根は地面と一体化してこんもりと盛り上がっており、人間を一飲みにできる大蛇が絡み合っているかのようだ。緑の天蓋が落とす影で周囲は暗く、見上げれば天を支える柱のようである。


 フィニは根と根の隙間から内部へと下って行った。カティヤとファーンヴァースも後に続く。


 大樹の根が作り出した地下空間は一般的な家の居間くらいの広さがあった。外とは違い、生活に必要な道具類や家具もあって何年もここで暮らしているのが窺える。根の隙間から差し込む外光でかろうじて見えるのは座した一人の老人と、その前に寝かされている金髪の娘。


「アウラ!」


 思わず名を呼んでしまいながら、カティヤは彼女の傍らに駆け寄った。年老いたドルイドは真っ白な前髪の間から覗く目を丸くして、髭をもごもごと動かす。


「フィニ……こちらの方々は?」


「彼女はカティヤ。白竜騎士の」


「なんと……であればこの娘、スケイトルムの王エイリークの娘アウラ姫か……!」


 二人がそんな会話をしている間にもカティヤはアウラの状態を確認していた。切り傷、打撲、矢傷などで全身傷だらけだがドルイドの治療のおかげか傷の状態は悪くない。しかし顔色は悪く、呼吸は浅かった。血を失い過ぎたのかもしれない。ひどく弱っている。


「ファーンヴァース!」何とかして――という意味を込めて、カティヤは背後のドラゴンに呼びかけた。


『いいや、カティヤ。わかっているはずだ。私が直接的に彼女を助けることはできない。ゆえに私ではなく、君が彼女を救うのだ』


『でも、癒しの魔法は難しい。あたしには無理だって前にあんたは言った!』


 ファーンヴァースはフードを取って純白の長髪を露わにすると、カティヤの肩に手を添える。


『まだ間に合う。落ち着くのだ、我が騎士よ。癒しの魔法に力を与えるのは慈愛の心だ。万人に慈愛の心を向けるのはとても難しいが彼女になら……君と彼女の絆があれば、きっとできる』


 カティヤの隣でファーンヴァースは膝をついた。思念による会話は聞こえていないはずの二人のドルイドも黙って様子を見ている。


『心を重ねて、竜語を唱えるのだ』


 カティヤはうなずいて心を開放した。ファーンヴァースの心が触れて、重なり合う。二人は普段、ほとんど思念を共有しない。カティヤがそう望んだからだが、共有そのものに不快感は無かった。むしろ強大なドラゴンの思念と一つになった時の全能感は心地良い。ファーンヴァースの心に竜語が浮かび上がる。それはカティヤの心に竜語が浮かび上がるも同じこと。目を閉じてアウラを想い、両手を広げて竜語魔法を唱えた。


『命よ、輝け。傷を癒し、死を払え』


 フィニが息を呑む。初めて竜語を耳にして驚いたのだろう。未知の言語でありながら誰にでも意味が正確に伝わる。言葉そのものが魔法なのだ。アウラの全身がうっすらと輝き、傷に当てられた薬草湿布と包帯の下から淡い光が漏れる。


『命よ、集え。血肉となり、活力となれ』


 何かを引き寄せるように、拳を握って腕を曲げる。洞穴の中が淡い光に満たされ、年老いたドルイドは感嘆の声をあげた。「おお……これは……」やがて光は徐々に薄れ、消えていった。それと同時にファーンヴァースもカティヤの心から離れていく。


 ふう、と一息ついてカティヤは目を開けた。アウラの顔色はすっかり良くなって、呼吸もすやすやと穏やかだ。薬草湿布をめくると、その下の傷もほとんど癒えている。


「上手くいったみたいだな」とフィニ。「君の気持ちが伝わってきたような気がする。彼女を助けるために力を貸してもいい、と思った」


「うん。実際に皆の力を少しずつ借りた。後は普通に目が覚めるのを待つだけだ」カティヤが振り向くと、フィニは「あっ」と小さな声で驚く。「カティヤ、瞳の色が……」


 何事かと思ったが、癒しの魔法に集中するためにドラゴンの視力を借りる竜語魔法は解除していたのだった。


「ああ、目ね。こっちが元々の色なの」


 フィニは顔を近付けてまじまじと緑色の瞳を覗き込んできた。よほど不思議だったらしい。ごほん、と咳払いして年老いたドルイドが口を開く。


「申し遅れました、白竜ファーンヴァース殿、竜騎士カティヤ殿。わしはコラン。ターナリエン……この〈大樹〉と共に生きるドルイドです」


 頭を下げた老ドルイドに対して、ファーンヴァースは目線を下げて応じるのみだ。しかしドラゴンとはそういうものなので、尊大だと思う人間はカティヤ以外にいない。彼女のほうは両膝をついた姿勢のままコランへと向き直り、きちんと頭を下げて挨拶した。


「この子を助けてくれて、ありがとうございました。あなたは命の恩人です」顔を上げるとフィニが〝意外〟という顔をしている。カティヤは怪訝な顔を返した。「なによ?」


「いや……常識的な対応もできるんだな、と思って……」


「時と場合によるし、相手にもよる……っていうか、あんた、最初から何か失礼じゃない?」


「ええっ、君には言われたくない」


「ちょっと、それどういう――」と言いかけたカティヤに、何故かコランが頭を下げた。


「申し訳ない、カティヤ殿。これなるフィニアスは、この老いぼれ以外に人と接した経験があまりないのです」


 カティヤはコランとフィニを見比べた。どう見ても親子という年齢差ではない。


「孫とか、ひ孫とか……?」


「いや、まあ養父だな。君にとってのエイリークと同じだよ」


 平然と言い放つフィニをカティヤは睨んだ。こういう迂闊な物言いが引っかかるのだが、彼は自分の危うい言動にまるで気付いた様子がない。ため息で無視して、カティヤはほらの中を見回しつつコランと話す。


「定住しているドルイドって珍しいですね」


 ――大昔、まだ北方に王を名乗る者もなく、豪族が群雄割拠していた時代。ドルイドは森の中にいくつも拠点を持ち、各地の豪族に並ぶ勢力であった。


 当時のドルイドは積極的に人里に現れ、人々に助言を与えた。尊敬を込めて〝森の賢者〟とも呼ばれた彼らは、困っている人がいれば助け、時には戦うこともあったという。やがて豪族の中から抜きんでた者が王を名乗るようになり、各地に王が乱立する。王らは人々から尊敬を集めるドルイドを助言者として傍らに置いたが、王とドルイドの関係は良好なものになり得なかった。


 ドルイドは争いを好まず、自然と人間の営みに調和を求める。そこには人間同士の関係も含まれた。自身の勢力拡大を狙う王たちと対立しないはずはない。やがて乱立していた王たちは一人また一人と倒れゆき、勝ち残った王が権勢を増していく中で、助言者としてのドルイドは排除されてしまった。そうして権威を失ったドルイドは衰退を続け、今に至る――。


 現代のドルイドは北方人にとって〝森で暮らす浮浪者〟に過ぎない。森を彷徨い、点々と住処を変えて生きる人々という認識だ。もちろんカティヤもそう思っている。


 ほっほ、とコランは白髭を揺らして笑った。「今はたまたま、ドルイドの一団が滞在しておりますが、普段はわしとフィニの二人だけですじゃ」


 その時、近寄って来る足音に気付いてカティヤは外套マントの下で剣に手をやった。ほらの入口からドルイドらしき男が顔を出す。「コラン様、ヨルゲン旗下の戦士だという男が三人、入口に来ています。ここを調べたいそうで、その中の一人はアードリグの王ヨルゲンの息子エリアスと名乗っています」


 そのドルイドはここに寝ているのがアウラだと知らないのだろう。さして大事でもない、という物言いだった。しかし、一瞬走った緊張感には気付いたようだ。


「ふむ。すまぬがファードルよ、できたら少し時間稼ぎをしてもらえんだろうか」


 ファードルと呼ばれた男は怪訝な顔をしたがそれ以上は何も聞かずに、「わかりました」と離れて行った。


 男が去り、カティヤは二人のドルイドに問う。「ここってドルイドの結界みたいなのが張ってあるんじゃないの?」


 それにはフィニが答えた。「いや、あれは獰猛な獣とか魔獣とかが入って来ないようにしているだけで、人間相手には〝何となく嫌な感じがする〟程度の効果しかない」


「魔法でこの木にたどり着けないようにするとか、そういうのは?」


「そんなすごいことできるわけないだろ!」


 カティヤはがっかりして、アウラに手を伸ばした。「それならアウラを隠さないと――」しかしファーンヴァースがそれを制する。「いや、自然に目覚めるまで動かさぬほうがよい。肉体の傷は癒えたが、精神の傷はまだ癒えていない」


「彼女もそうだけど、二人だって姿を見られたらまずいだろう。すごく今更な気もするけど、ドラゴンと竜騎士は〝人間同士の争いには関与せず〟だろ?」とフィニが口を挟んだ。


(思ったことはいちいち口に出さないと気が済まないの?)


 カティヤが苦々しく思っていると、ほらを包む大樹の根に触れて髭をもごもご動かしていたコランが白髪の間から目を覗かせて問うた。「カティヤ殿に一つお尋ねしたい。アウラ姫はエリアス王子と対面した事がおありか?」


 カティヤは首を横に振る。「もしかしたら戦場でお互いを見てるかもしれないけど、二人が直接会った事はないはず。以前にその機会はあったけど、あたしがアウラの代わりに会ってるから」


「それってどういう――」とまた口を挟んできたフィニに、カティヤとコランは声を揃えてぴしゃりと言った。


「後にして」

「後にしなさい」


 フィニが黙り、コランは話を続ける。「なれば、お二人は〈大樹〉の上まで跳んでくだされ。〈大樹〉が枝葉の裏に隠してくれましょう。アウラ姫については、フィニに考えがあるようです」


「フィニに!?」


 信じられない、というふうにカティヤはフィニを見た。本人も一瞬、何の話かわからないという顔をしたが、すぐに閃いたという表情に変わる。


「ああ、そうか。カティヤの目だ。たぶん上手く行くと思う」


 カティヤは心底、不安そうな顔をした。

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