第二章 シンコウ

2—1


 老人ホーム『ほほえみ』。

 その一階の一番奥の部屋にある金ピカの祭壇の前には、金色の刺繍が施された豪華な座布団が置いてある。

 それは確かに座布団としての役割を果たしてはいるが、その下にあるものを隠すために常にそこに置かれてもいた。


 地下室への入り口である。


 入居希望者ようのパンフレットに記載されていないこの地下室には、部屋が二つあり、階段を降りてすぐの部屋には儀式で使う黒い羊の像やロウソク、杯などの道具が……

 この地下室に入ることができるのは、一部の限られた人間だけだ。

 ところが、そこへ一人の老人が、足を踏み入れてしまった。


「ふむ……おれの部屋はどこだったろうか……」


 自分の部屋がわからなくなり、たまたま鍵の祭壇がある部屋に入って、老人は転んだ。

 そして、座布団を蹴飛ばしてしまい現れた、床の扉。

 開けれてみると階段が見えて、そのまま老人は痛めた足をかばいながら、ゆっくりと下へ降りて————



「なんだ、この部屋は————……」



 薄暗いその部屋で、黒い羊の像と目が合う。

 不気味なその像を、訝しげに見つめ……


「こんなもの、おれの部屋にあったか?」


 何度思い出そうとしても、答えが出ない。

 そのうち、今何を考えていたんだかわからなくなり、老人は視線を像から奥の部屋へ続く扉へ向ける。


「おれの部屋はどこだったか……ここだったか?」


 しかし、その部屋は鍵がかかっていて入れない。

 それでも、ここに違いないという確信があって、何度も何度も老人はドアノブを引っ張った。

 何度も何度も……


 すると、急ぎ足で誰かが階段を駆け降りてくる音が地下に響く。


「……ここは立ち入り禁止ですよ!? 何をしているんですか!?」


 ドアを開けようとしている老人に向かって、白衣の男は言った。

 怒鳴りつけるようなその大きな声に、老人はびくりと肩を揺らして振り返る。


「なんだ。おれの部屋はここじゃないのか? そんなに怒らなくてもいいじゃないか、間違えただけじゃないか! おれの甥っ子は警察官なんだぞ!! お前なんて逮捕だ!!」


 若い男に怒られたのが許せなかったのか、老人は嘘か本当か、癇癪を起こしてそんなことを言いだした。


「警察官……? また、そんな嘘を————それなら、ここに勝手に入った方が悪いですよ。いいから、自分の部屋に戻ってください」

「おれの部屋はここだ! ここがおれの部屋だ!! お前が出て行け!」


 男は大きくため息を吐くと、後からやってきた白い服の屈強な男性スタッフ二人に老人を押さえつけさせ、白衣のポケットから注射器を出して老人の腕に射した。


「なんだ……やめろ…………!!」

「大人しくしないからですよ。あずまさん」


 動かなくなった老人を、白い服のスタッフ二人が地下室から運び出し、男はまた大きくため息を吐く。

 そして、一人になったその地下室の床に、空になった注射器を叩きつけるように投げ捨て————



「————……いくら信仰を深めるためとは言え、祭壇前に自由に出入りできるようにするのはやめた方がいいか」


 そう呟いて、老人が無理やり開けようとしていたドアの鍵を開け、中へ。



 壁一面に貼られた、ミクの写真。

 等身大のパネル。

 CD、DVD、Blu-ray、公式グッズのタオルにペンライト、Tシャツ、クッション、アクリルキーホルダー。

 等身大パネル、クリアファイル、ポスター、メンバーカラーのトートバッグ。

 空の水のペットボトル、口紅のついたストロー、割れたマグカップ、古くなった歯ブラシ、折れたヘアブラシ、穴の空いた靴下、安達未来宛の開封済みの郵便物——……


「羊になりたくないなんて、本当、悪い子だね。君のための部屋も特注で用意したのに……」


 その部屋の中央には、扉が透明な冷凍庫。

 人が一人入るくらいの、まるで棺桶のような大きな空ぽの冷凍庫が置かれていた。



「僕の未来……かわいそうな未来」





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