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 ジュリから依頼を受けた二日後、友野と渚は、老人ホーム『ほほえみ』を訪れた。

 まずは、ジュリに憑いている羊の呪いがどういうものかを把握しないことには、対処のしようがない。

 祖母の入居を検討していると嘘をついて、ホーム内を見学して回ったが案内された場所はいたって普通で、おかしなものはないように思えた。


「こちらが食堂になっています。もちろん、個室で食事を取っていただくことも可能ですが、皆さんで一緒に食事をして親交を深めていただくのが一番ですからね。次は三階の方をご案内しますね」


 ジュリと辻の言った通りであれば、一番奥の部屋に神代がいるはずなのだが、残念なことに案内されたルートではその部屋のドアすら見ることができなかった。

 案内役の女性スタッフの後について、階段を登りながら渚は友野に小声で尋ねる。


「どうですか先生、何か見えます?」

「今のところ普通かな。でも、多分だけど、ここじゃなくて、地下だと思う」

「……地下?」

「多分ここ、地下室があると思う。そういう気配があったんだけど……」


 渚は最初にもらったパンフレットに目を通したが、地下室のことは書かれていなかった。

 一、二階が食堂や浴場、事務所などの施設が集中していて、三階以上は全てが個室になっている。


「先生がそう感じているなら、あるんでしょうね……でも、これには書いてない……————怪しいですねぇ、地下に秘密の部屋……それに謎の儀式……」


 渚は不謹慎であることはわかっていながら、こみ上げてくる怪しい雰囲気にワクワクが隠せないようでニヤリと笑いながら急に足を止めたかと思うと、今度は急に階段を駆け下りて行った。


「あ、あれ? お連れの方はどうされました?」

「あ、あぁ、二階に落し物をしたようです。大丈夫です、すぐ戻ってくるので、先に進みましょう」

「……そうですか?」


 渚の急な行動に、案内してくれていたスタッフは驚いたが、友野が気にせず進めろというので個室の案内を続ける。

 なんとかごまかしたが、友野は渚が余計なことをしないかと少し不安ではあった。


「あらあら、随分と若い方が来たものねぇ……見学の人かねぇ?」


 空室を見せてもらおうと廊下を歩いていると、入居者の車椅子のご婦人がちょうど部屋から出て友野に話しかけてきた。


「え、ええ。祖母が入る場所を探してまして——……」


 個室のドアは引き戸のため、ご婦人の部屋の中は丸見えだった。

 ベッド横のテーブルの上に、見覚えのあるタロット占いの本が置いてあり、そちらに目がいく友野。

 全く同じ本を、友野も持っているせいだ。


「もう、洋子ひろこさん、ダメじゃないですか。今日はお部屋からでちゃダメだって……安静にしていないと」

「いいじゃぁないかい。誰もこないから暇なんだよぉ、私は」

「ダメです! 今日一日は我慢してください」


 スタッフに諌められて、その洋子と呼ばれたご婦人は渋々部屋に戻る。


「…………すみません、こちらです」


 スタッフは友野に謝ると、案内を再開する。

 しかし、友野は部屋に戻ってしまったご婦人の方が気になる。


「あの、今の方って、どうして部屋から出てはいけないんですか?」

「あぁ、洋子さんですか? 今朝このフロアの入居者様はみんな定期検診で採血をしたんです。なので、今日一日は安静にするようにって言ってるんですけどね、洋子さんは活発的な方だから……お部屋でじっとしてるのが嫌みたいで……」

「——……そうですか」



 * * *



 一方、階段を駆け下りた渚は一階のエレベーターの前に来ていた。

 この老人ホームには、建物のほぼ中心にエレベーターが二つあり、片方はスタッフ用となっていて、スタッフ用の方を使用するにはIDカードが必要のようだ。


「うーん、地下のボタンはないか……」


 とりあえず、スタッフ用ではない方に乗ってみるが、階数ボタンには地下の表記がない。


「どうかしましたか?」


 エレベーターのドアの開け閉めを繰り返したり、何度もスタッフ用のエレベーターをじっと見つめたりして、不審な行動をしていた渚に、眼鏡をかけた三十代前半くらいの若い男性が声をかけて来た。

 白衣を着た医師だ。

 先ほど案内された際に、この老人ホームには常駐の医師が数名いると聞いていた渚はすぐに胸元を見てそう判断した。

 入居者たちもすぐにそのスタッフがどのスタッフかわかるように胸の名札の文字が大きくはっきり書かれているらしく、この男の名札にも『《医師》大和やまと』と書いてあるのだ。


「エレベーターに異常でもありました?」

「いえ……私、閉所恐怖症で——……一緒に乗ってもらえませんか?」

「いいですけど……今、中に入ってませんでした?」

「……気のせいですよ」


 大和医師は首を傾げながらも、渚と一緒にエレベーターに乗ってくれた。


「ありがとうございます」


 渚はいつものあざと可愛い笑顔でそう言った。

 大抵の男はこの笑顔にやられて、些細な疑問なんてどうでもよくなるのだ。

 ちょっと頰を赤らめて、中には心を奪われてぼーっとしてしまうような男もいる。

 渚はそれがわかっていて、自分の容姿を最大限利用して欲しい情報を得て行く。

 そういうあざとい女だ。

 医師なら、地下があることや、神代についても何か知っているだろうと、渚はいつもの手口でこの医師を利用しようとした。


「何階ですか?」

「えーと、三階です」


 だが、大和医師は渚の方を見ない。

 ドアの前に立って、渚に背を向けている。


「今日は、入居者様に会いに来たんですか?」

「いえ、見学に来たんです」


 質問しようと思っていたのに、逆に質問される。


「あぁ、なるほど——……三階ということは、お祖父様をこちらに?」

「ええ、そうです」


 入居を検討しているのは祖母という設定だったが、実際につれてくるわけではない。

 さほど変わらないだろうと、渚は適当に相槌を打った。

 こちらを見てくれない相手から、どうやって話を聞きだそうか……と考えていたからだ。


「…………おや、おかしいな」

「え?」


 ところが————


「三階は女性専用フロアです。お祖父さんの入居を検討されているなら、案内されるのは四階のはずですが……?」


 まずいと気がついた時にはもう遅かった。

 エレベーターが三階につきドアが開いてすぐに大和医師は《閉》ボタンを押し、渚の方を向いてつま先から頭のてっぺんまで観察するように見つめる。


「嘘はいけないな、お嬢さん。悪い子のすることですよ」



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