4-102 異界転生①




 ゆらゆらと揺れる篝火が狭い路地裏に影を落とす。

 ふらふらと定まらない足取りは酩酊しているかのようだが、動き続ける影は一定の規則に従って踊っていた。左足を軸にして、高く上げた右足をくるくる回す。ふわふわと上下に舞わせる。影の舞いゆえに回転の動きは輪郭の変動という形で表現される。人の形をしていた異形は、いつしか奇怪な獣の顔へと変貌していた。獣は獰猛に牙を開き、獲物を捕食する。


「あおーん、ばうばう」


 平坦な声。鮮血が飛散して、建物の裏手を赤く染めた。

 赤と黒が踊る場所。踊り手は一人。観客は積み上がった屍。

 断末魔の拍手喝采は途絶えて久しく、舞台の上で演目を終えた舞い手はスカートの裾を摘んで膝を折り曲げる。誰もそんな礼節を知らない。異界の参照。

 そこまでが、ミヒトネッセの呪術儀式だった。


「カーテシーって言うんだったかしら、それ」


 出し抜けにかけられた声に、侍女服の踊り子が反応する。

 すぐそばにある建物の二階、迫り出した露台から身を乗り出して一部始終を見物していた者がいた。

 紅紫マゼンタの長い、余りにも長い髪が二階から垂れ下がり、地面にまで届いていた。露台の手摺りには長い髪の少女を挟むように小さな人形が二つ。


「今のは、狼の暗喩? 食べちゃうぞって、性的な意味で?」


「説明したら解釈が固定されちゃうでしょう。演じ手にそういうことを聞かないで。勝手に推測するくらいはいいけど。批評呪文は常に開かれてるから」


 ミヒトネッセはつまらなさそうに言って、長い髪を掴む。ぐい、と腕に力を込めて身体を持ち上げ、縄梯子を昇るようにして二階まで登り切る。


「ちょっと、痛んじゃうでしょ」


「そうだそうだ、レッテの言うとおりだ。やめなよミヒト」


「ネッセは相変わらずすごい力だなあ。腕だけですいすい登り切っちゃうもん」


 髪を梯子として使われた少女――アレッテ・イヴニルことレッテが文句を言い、左右で人形が甲高い音を出す。ミヒトネッセはわずかに首を傾げた。


「その為の髪でしょう?」


「まあそうだけどね。ここは塔と呼ぶには少々見窄らしいわ。私に相応しいだけの竜蛇の形は中々見つからない。竜殺しの英雄もね」


「英雄なら、たった今、ことを成し遂げたみたいだけど」


 ミヒトネッセは狭い建物と建物の隙間から見える空を見た。

 天空の裂け目から巨大な剣が現れ、今まさに落下した所だった。恐らく爆心地では未曾有の混乱と災厄が起きていることだろう。

 とはいえあれは呪術的な破壊。『王国』のみを殺す剣が落ちたところで、物理的な被害は一切無い筈だ。『女王』も無傷のままである。

 

 【死人の森】は破壊され、『女王』もまた力を失うだろうが、完全に滅び去るわけではない。まして相手は幾多の神格を打倒し、取り込み、支配し続けた恐るべき大地母神。周囲の助けがあれば『王国』の再生も不可能ではない。


 ――そして、その事実こそが最悪で滑稽な悲劇を生む。


「あは。英雄? 道化の間違いじゃなくって?」


 レッテはわざとらしく笑って見せた。ここにはいない誰かを蔑むように。

 ミヒトネッセは淡々と答えた。


「滑稽に演じたのは私の解釈。レッテにもそう見えたのなら、まあその素質はあるのかもしれないけど。一応イアテムは真面目に『英雄』をやろうとしているみたいよ――私に言わせれば、『英雄』なんてもの自体が滑稽極まりないんだけどね」


「ふうん。そう言えば、グレンデルヒは道化になったんだっけ。あれって自虐のつもりなのかしら。ミヒトネッセは中に入っていたんでしょう? 気持ち、わかるんじゃないの?」


「さあ。そもそもアレに自由意思なんてあったのかな――操り人形だったんじゃないかと思えてならない。だとすると、敵に支配されている今のグレンデルヒはそこそこ幸せなのかもね。叛逆という自由意思の夢を見ていられるから」


「ああ、そっか。それは素敵な夢ね。きっと楽しいでしょうね、グレンデルヒ。いつトリシューラの寝首を掻いてやろうか、なんて考えてるのよ、きっと」


 二人は羨むように英雄たちの名を口にする。

 あり得ない絵空事を、言葉の中だけで楽しむように。

 ミヒトネッセの瞳から、煌めくような憧れがさっと消える。


「英雄なんて操り人形。王もそうね。私と同じ」


「『私たちと同じ』でしょう、ミヒトネッセ」


 レッテが訂正するが、ミヒトネッセはそれを否定した。

 どこか必死にもう一人の人形と自分との違いを強調する。


「貴方は違うわ、レッテ。貴方は主役だもの。端役の私とは違う。二つの『王国』の正統な王権保持者であるレッテはこれから始まる争乱に参加する資格がある。『王殺し』を成し遂げれば、貴方が『女王』になれるんだから」


「どうかしら。ラクルラールお姉様はきっと、勝者が私でもトリシューラでも困らない。だって最終的にはあの方の糸で傀儡の王を操るだけだもの」


 レッテの口調には熱が無い。

 全てを諦めきったような、世を斜めに見るような目をしていた。


「ああ、でも、私が勝ったらトリシューラは『杖の座』からも『使い魔の座』からも用済みになるかもね。そうしたら――貴方が攫っていっても困らないんじゃないかしら。末妹選定とは関わりのない所で、二人で静かに暮らすとかどう?」


「私は、別に」


 ミヒトネッセは恥じらうように俯いてスカートの裾を握った。

 何の虚飾も無しにその事と向き合うのは、ミヒトネッセにとって勇気の要ることだったのだ。レッテはそんな彼女の手を取って、優しく語りかけた。


「あの子が勝ったら一緒にいればいいの。ラクルラールお姉様の庇護の下でトライデントの『左腕』として共に戦えばいい。私が勝ったら逃げればいいわ。ほら、どっちにしても一緒にいられる。それがミヒトネッセの一番でしょう?」


「でも、それじゃあレッテが」


 ミヒトネッセの口を、細い指先が押さえた。

 レッテは薄く微笑んで言った。


「いいの」


 するすると垂れ落ちた紅紫の髪が動いて、手指のように柔らかく持ち上がった。髪房がミヒトネッセの淡黄色の髪を優しく撫でる。


「構わないから、こういうときくらいお姉さんに甘えておきなさい」


 血の臭いがする世界の中、そこだけが暖かな家族の風景で彩られていた。

 そんな二人の頭頂部から天に向かって、青い髪の毛が伸びている。

 それに、気付きながらも。

 二人は幸福な虚飾を信じることに、全身全霊を傾けた。







「何が――」


 ――起きた?

 目の前で起きている事態に認識が追いつかない。

 半透明の剣が豚となったブウテトにまっすぐに落ちてきて、閃光を撒き散らして消えた――かと思えば、巨大な質量の落下が発生させるような破壊も衝撃も一切無く、ただ巨大な呪力が消失しただけ。


 【ダモクレスの剣】という呪術儀式は無駄に終わったのか?

 そんな楽観的な希望は、イアテムの哄笑によって打ち砕かれる。


「ふははは! 遂にやったぞ! ここに【死人の森】は砕かれた! これよりこのイアテムが女王を妃とし、新たなる『王国』を――ぶごっ」


 そして、その勝利宣言もまた中途で砕かれた。

 顔面に叩き込まれた幻肢が大気を握りしめてイアテムの顔面に【空圧】の拳を叩き込んだのだ。幻影の打撃――これは俺が放ったものではない。


「何を勝手なことを口にしている、下郎」


 その男は高みに君臨していた。

 誰よりも高く浮上すると、右腕を付け根から強引に千切り取る。発生した幻肢を操作して辺りに散らばったトリシューラのドローンだったものから次々と部品を掠め取り、凄まじい速度で再構築していく。スクラップを強引に幻肢で繋ぎ合わせて呪力で腕の形に固めると、それはがらくたで鎧われた腕となる。


「パーン、なのか」


 言動と呪力から感じる印象は間違い無くパーン・ガレニス・クロウサーのものだったが、その男はどう見ても別人だった。


 イアテムが従えていた部下の一人。微妙に浮遊しており、質量操作でナイフを大剣に変化させてグレンデルヒに挑んできた空の民と鉄願の民の中間人――とちびシューラが解説していた覚えがある。


 そして、デーデェイアによって殺害一歩手前に追い込まれたはずだ。

 そこまで考えたところで、男に変化が現れる。

 あまり特徴の無い顔に半透明の霊体が重なると、パーンの顔に合わせて肉体が変質していくのだ。ごきごきと骨格が歪んでいき、体型そのものまでもが変化して行く。今や完全にパーンとなった男は、機械の腕で髪を後ろに撫でつけた。髪色と長さすら変化して、藍色の波動光に包まれた髪が鋭角に逆立つ。

 

「ふん、無様だな未来人。まあこうして俺が封印から解き放たれた今、【死人の森】が下らぬ紛い物に脅かされることもない。まずフェロニアを呪縛から解き放ち、然る後に俺が『王国』を再建してやろう」


 パーンは不遜に言い放つと、倒れている男の一人から四角いフレームの眼鏡を拝借して、人差し指と薬指で位置を整えた。レンズ越しでもその圧倒的な自負心が溢れ出し、発生させた呪力の重圧がイアテムを地面に平伏せさせた。


「お、おのれ、あと一歩の所で! ここで負けるわけには、むごぉっ」


 立ち上がろうとしたイアテムの頭部に、小さな身体が降り立った。

 皆殺しの女神によってうずたかく積み上げられた屍の山。そこから軽やかに跳び上がった垂れ耳の少年がイアテムに着地したのだ。

 瀕死の少年は潰れた丸鼻にやや太めの体型だったが、兎のごとく重力の軛から放たれると共にあらゆる肉を削ぎ落とし、顔面を複雑な呪文式を展開して整形すると、見目麗しい絶世の美少年へと変貌する。


「もー、テスモポリス姫ったらピンチになっても僕たちの枷をそのままにしてるんだもの。それじゃあ勝てる相手にも勝てないよ。全力の僕と姫なら、不完全な形で顕現した海神くらい何でもないのにさ」


 頬を膨らませて憤慨する、『作った子供っぽさ』を演出しながらヴァージル・イルディアンサが長い耳をふわふわと動かした。両耳共に兎のものだが、片耳の形が断続的に細長い妖精のものと入れ替わり、霊体と実体が交互に表出している不安定な状態だった。赤い瞳が危うげに揺らめく。


「英雄を足蹴にした上、我らが同志の身体を奪うとは、許さぬ!」


 強引に立ち上がったイアテムが手に水流の刃を生み出して一閃する。ヴァージルは身軽に跳躍すると、空中で一回転して離れた場所に着地した。そこで、左耳をそっと撫でる。ヴァージルの左耳が切断されていた。兎の耳が落ちて血が噴き出す。少年は血に濡れた手で耳を拾うと、鈴が鳴るような声で笑い始めた。


「な、何がおかしい! 何故笑っているのだ、貴様――ごがっ」


 突如として隆起した大地が杭となりイアテムの股間から頭頂部までを貫いた。即死したイアテムの分身が磔になり、晒し者にされる。

 下水道や建物の陰から新たに現れたイアテムが即座に敗北したイアテムを殺害し、「この恥さらしめ! 貴様などが同胞であってたまるか!」と叫んで総体から切り離す。そして「奴はイアテムの中でも最弱。海の民の面汚しよ」と言い訳を始めた。


「醜い、醜すぎる。貴様のような男が俺のセレスの夫に? 寝言ですら許されん戯言だ。絶世の美姫にはこの世で最も美しい王――つまり俺こそが相応しい」


 倒れていたラフディ人が変貌し、長身長髪の美しき王となる。

 長く太い剛毛はきめ細やかで流れるような艶めきを手に入れて、星々のように輝き出す。次々とイアテムが襲いかかるが、マラード王が何もせずともその守護者が一瞬にしてイアテムたちを叩きのめした。


「ご無事ですか、我が王」


「ご苦労だった、我が忠実なる下僕ルバーブよ。お前がいてくれれば王国再建の道も開けよう。これからもよろしく頼むぞ」


「御意に」


 跪くのは土塊だった。舗装された地面が隆起して中から土や瀝青が混ざった人形が立ち上がり、丸々太った男の姿となったのだ。それは見る見るうちに血と肉とを兼ね備えた人体に変貌していき、ごわごわとした髪が伸びていく。不潔に見えてしまうほど乱れた頭髪は毛先が固まった挙げ句に鋭く尖り、まるで悪魔の角のようだ。ルバーブが強靱な腕を一振りする度にイアテムが粉砕される。


「おお――ブレイスヴァよ、なぜ貴方はこの世の残酷を喰らってはくれぬのか。儚いと分かっている希望をずっと餌のようにぶら下げて、我らの諦めを試されているのであろうか――」


 白い衣が翻る。

 いつの間に調達したのか、純白のローブに身を包んだ男が静かに佇んでいる。

 やはりイアテムの部下を乗っ取ったようで、荒くれ者の顔が変質して穏やかな青年の王になっていった。閉じられた目蓋がそっと開くと、神々しい十字の輝きが瞳から放たれる。


「無論、この未来も見えていた。だが、ああ――できればブレイスヴァの腹の中で可能性としてのみ巡り会えたなら、こんな思いをしなくて済んだものを。だが、辿り着いてしまったのなら仕方無い。私は希望を掴もう。もう一度、自らの愚かさで失った愛しの姫君、キシャルをこの手に取り戻してみせよう」


 嫌な――途方もなく嫌な予感が膨らんでくる。

 グレンデルヒとゾーイを打倒して、厄介な敵はラクルラールだけだと思っていた。ミヒトネッセやイアテムも強敵ではあったが、絶対に勝ち目の無い絶望的な相手というわけではない。キロンやグレンデルヒ、ゾーイと相対した時のような凄まじい気配や『流れ』のようなものは感じられなかった。


 だが、イアテムが一方的に六王たちに蹂躙されている今になって、何故か嫌な気配が膨らみ続けているような気がしてならない。

 まるで、真の危機はここから出現するかのような――。


(ふ、だから『お前たちの行動の代償は高くつくであろう』と言ったのだ。シナモリアキラよ。私は忠告したぞ?)


 【サイバーカラテ道場】の片隅で、逆さ吊りのグレンデルヒが嘲笑うように言った。高みの見物を決め込むように、それきり黙して何も語らない。

 敗北したグレンデルヒは、確かに言っていた。

 奈落の蓋が開くと。災厄を過去から呼び起こしてしまったと。

 この内世界は血みどろの戦国時代に突入すると。


(ゾーイ・アキラに聞いたぞ。それこそが貴様の望みだったのであろうが。さあ喜べシナモリアキラ。愛しい主を憎き敵から守れて、守護者としてさぞ満足だろう? それとも『オスとして満足』と言い換えるべきかな?)


 俺はグレンデルヒを無視した。

 これはただの言葉でしかない。

 たとえどれだけ痛烈な批判に聞こえても、それに価値は無いのだ。


「うーん、一応私の血族みたいだけど、どうもしっくりこないなあ」


「珍しいなカーティス。ありとあらゆるを内包するのが『大勢リィキ・ギェズ』の在り方ではなかったのか」


 続いて現れたのはカーティスとアルト。

 黒衣を纏った吸血鬼の身体はドラトリア系夜の民だったのか緑髪赤目で、元々の顔を僅かに変化させただけでカーティスの顔になってしまった。変身能力に秀でている種族だけあって滑らかな変化だった。


「ペル姫に従っている時はリールエルブスとしての私が統率者だったからね。個性が固定化されてしまったのかもしれない。なんだか、今の身体は相応しいものじゃない気がするよ。もっとしっくりくる容れ物は無いだろうか」


「足るを知ることも重要だ。まあ良い、今はそれよりも槍姫ディーテの救出が先だ。トリシューラよ、すまなかったな。復活が遅くなったが、これより我らが助勢に入ろう」


 アルトは瀕死の者たちの中でも一番重傷だった者を自らの肉体に選んでいた。デーデェイアに潰された右目の血は既に止まり、潰された筈の傷痕が何故か爪で裂かれたような傷口に変化していく。

 と、そこでアルトが低く唸った。


 強靱な筋肉が内側から衣服を破ってしまったのだ。

 アルトはトリシューラに断って近くにあったブティックから詰め襟の軍服に似た上着を拝借。肩口から胸元にかけて吊された金銀モールの飾緒アグレットがその威厳を高め、頸部だけでなく要所要所を硬質なパーツで覆った簡素な鎧でもある衣服だ。それでいてデザイン性にもしっかりと配慮した、物理と呪術双方の防御に優れた一品である。


「『実用性とファッション性を両立したいあなたにお勧め』――なるほど、良い仕事だ。所々にガロアンディアン正規軍の意匠が見て取れるのも良い」


 アルトがトリシューラが最近立ち上げたミリタリーブランドの製品を褒める。

 するとちびシューラがぎくりとした表情で、


(やばい、無断でパクったのがバレた)


 と慌てる。まあ古代に滅びた王国のデザインだからなあ。

 とりあえず事後承諾でいいからアルトに使用許可貰っとけばお墨付きになってよりブランド力が高まりそうではある。


「さて、英雄イアテムよ。貴殿の事情、聞かせて貰った。なるほど、長い時の流れの中で、海の民たちは過酷な運命を辿ったのだな。かつて我が王国の白翼海には貴殿と同じハザーリャ神を奉じる海の民が暮らしていた。私としても力になってやりたいところではある――しかしだ」


 叩きつけられた水流の刃が、アルトの目の前で停止する。

 そればかりではない。激流によって触れたものを吹き飛ばす呪術的ウォーターカッターが、急速に凍り付いて行く。

 イアテムの吐く息が白く染まり、飛沫が顔に触れて凍結していった。


「奪われたからといって、他の誰かから奪うというのでは秩序が保たれぬ。集団としての規律、国家としての法、守るべき人倫。道徳を重んじぬ者はもはや人ではなく獣でしかない。我らは絶対的秩序の下に平等であるべきだ。共存共栄とは、対話と法的な調停によってなされなければならない。武力は最――」


「黙れぇっ」


 イアテムが絶叫し、その背後から一斉に他のイアテムが殺到する。凍結しかけているイアテムごとアルトを仕留めようとしているのだった。

 アルトは、小さく嘆息した。


「――やはり、戦いは避けられぬか。ならばやむを得ん、最後の手段だ。力によって対話させてもらおう」


 アルトの残された左目が強く発光する。

 すると無数のイアテムが一瞬にして動きを停止させ、更には肌に氷が張り付いていく。邪視による現実の改変だ。


 あの凍結には見覚えがある。コルセスカの時すら停止させる邪視に似ているのだ。さすがにあれほど完璧な凍結ではないが、アルトの邪視は一瞬で静寂をもたらす冬の視線に比べて厳かな雰囲気がある。まるで、威圧された結果として相手が勝手に竦み上がってしまうような。


「何、ありふれた束縛の邪視に過ぎん。ただ、隻眼になってから遠近感が掴めなくなってな。遠くの物が手元にあるように思えてしまうだけだ」


 距離感を無視して、視界内にあるものなら手で掴めてしまう気がする――そんなものは錯覚に過ぎない筈だが、邪視はそれを現実にしてしまう。

 アルトの周囲に冷たい空気が広がっていく。

 分子運動すらも束縛して停止させてしまうのなら、それが凍結という結果として表れるのは一応理屈に合うような気はする。


(亜竜王アルトの【竜爪眼】! オリジナルを見ることになるなんて)


 ちびシューラが驚いているポイントが少々俺とは違っているような気がする。コルセスカではなく、別の誰かを想起しているのだろうか。

 『竜の爪』――その名の意味は即座に明らかになる。

 物理的に可視化するほどの視線が氷として具現化したのだ。氷塊は巨大な爬虫類のかぎ爪となり、イアテムを鷲掴みにする。突如として虚空から出現する巨大な亜竜の氷爪を回避するのは至難の業だ。


 大量の氷爪がありとあらゆるイアテムを束縛し、水流の全てを凍結させていく。水流の刃もこうなればただの鈍器でしかない。そして、そのような原始的な武器が通じるような者は六王の中には皆無だった。


「我が同胞たちの身体を弄ぶとは――ピルケンティ、ハーラール、グレンダイル、ダーベルヴァ、ドゥルアイル、バイアロゴス! お前たち、目を覚ませ! 地上きっての探索者としての誇りはどこに消えた?!」


 イアテムが叫ぶが、六王たちの器となった者たちの気配は既に感じられない。

 完全に乗っ取られた――というよりも、同化しているようにも感じられる。

 存在の上書き。あれではまるで、憑依型の転生者だ。

 いや、実際にそうなのか。


 腐敗し、劣化し続ける死人の再生者オルクスとは違い、霊体となって存在を維持し続ける高位再生者オルクス=ハイはむしろ転生者に近いのかもしれない。時代を超え、過去から甦る者こそが本来の意味での転生者である。


(イアテムの配下だった男達はたった今、この瞬間に前世が確定したの。『過去の記憶が甦った』ことになって、人格ごと魂が書き換えられて、完全に六王の転生体としての存在に固定されたんだ)

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