4-100 皆殺しのデーデェイア①




「私の手番ターン! ドロー! 【繁茂】を実行プレイして更にドロー! 先程増大させた生命点ライフを支払ってドロードロードロードロー尽き果てるまでドロー! 【愚者の天秤】を発動、我が空の図書館ライブラリーと貴様の図書館ライブラリーの枚数は等しくなる! 次のターン、貴様は図書館ライブラリー魔導書カードを引けずに敗北する!」


 私は高らかに勝利を宣言し、有象無象の雑魚どもの最後の一人を蹴散らした。愚かなイアテムの上にゴミクズが放り出される。積み上がる虫けらどもの山を見よ。この私の強さを証明するようではないか。


 完全勝利だ。ふ、どうかなこの新生グレンデルヒ=アルレッキーノの実力の程は。初期コンセプトに原点回帰してカード使いとして戦う私に隙は無い。今の時代、カードゲームもゲーム理論と統計的データを駆使したメタゲームとなるのが常識。サイバーカラテ道場カード師範として君臨する私は無敵。更に玩具販促アニメ経由で子供たちの人気も集められるため呪力供給は常時安定!

 勝利の美酒に酔っていると、ゴミの山からうめき声が上がった。


「ぐ、やはりまだ届かないか――だが我は二代目グレンデルヒとして、間違った先代を打倒しなければならない!」


 ほう。負けた言い訳にしてはそれなりだイアテム。成長物語として世代間抗争を演出すれば、敗北は再戦を期待させ、興行としては盛り上がるだろう。

 その意味で、試合という形式を選んだのは良い手と言える。殺し合いにまで発展させないという道が選べるからだ。そも、不死者だらけのこの世界で『真剣勝負』というのはほぼ全て信用や名誉といった形の無いものを賭けることになる。そこで重要になるのは『負けた時の言い訳』を用意しておくことだ。


「負け犬にしては上等だイアテム。興が乗った、その趣向に付き合ってやろう。貴様の正義、どこまで貫き通せるか、この先代が見届けェ――がっ、ギギギ――おいちょっとお前そろそろ黙れ!」


 私/俺は存在の支配権を奪取して、グレンデルヒの意識を無理矢理抑え込んだ。

 シナモリアキラという意識がグレンデルヒを殴り飛ばし、道化服を着た壮年男性が仮想的なサイバーカラテ道場の片隅に吹っ飛ばされて昏倒する。


 もう少しで完全に奴が主人格になるところだった。

 敵が集団で一人だとか詭弁を抜かしてきたのでこちらもシナモリアキラ=サイバーカラテ道場=グレンデルヒという理屈を捏ねて応戦したのだが、圧勝したものの別の意味で危険な目に合うという結果になってしまった。



 グレンデルヒは自我が強すぎる。アルレッキーノという【マレブランケ】としての名前で束縛してもなおこれだ。イアテムらを自分ルールに引き摺り込んでカードだけで圧勝した実力は凄まじいの一言だが、取り扱いには細心の注意を払わなければならないだろう。


 気付くと、道化服を着て逆さまに浮遊し、目の前に手札を展開した状態だった。慌てて着地して衣装とカードを仕舞い、不敵な笑みを浮かべる蓬髪の壮年男性という顔を消去して元に戻る。グレンデルヒはもう復活して虎視眈々と俺を乗っ取る機会を窺っていた。本当に危険な男だ。ちびシューラが縄でグルグル巻いて逆さ吊りにする。厳重に封印しておこうということで合意が形成された。


「まだだっ! まだこのイアテムは負けてはいない! いや、負けるわけにはいかぬのだぁっ!」


 切実な感情を叫びに乗せて、イアテムが立ち上がる。

 既に道場破りの結果は出た。正面から純粋な実力差にねじ伏せられた男にできることは無いはずだが、それでも戦いを続けなければならない理由があるのか。


「第五階層は我々が見つけだした最後の楽園だ!」


 それを見事な覚悟だと受け止めた者。

 見苦しいトップの悪足掻きだと受け止めた者。

 イアテムが融血呪で繋がった部下たちの中で、明確に態度の差が生じていた。融血呪が切り離され、『我々』という認識で一つになっていた集団が自壊していく。過半数から求心力を失ったイアテムから、組織の指導者として集約されていた大量の呪力が離れていった。


「我ら海の民は地上では踏み絵の如く異教の悪魔デーデェイアを崇めさせられている。南東海を蹂躙したあの怪物に屈服させられ、槍神教の支配に甘んじた。そうしなければ『聖絶』の対象となるゆえに、屈辱を耐え忍んできたのだ!」


 英雄は弱体化していた。

 傷ついた名誉、失われた信用が存在の『零落』を引き起こしているのだ。

 一歩間違えれば、俺にも訪れていたであろう結末。

 だが、イアテムは純粋な紀人ではなく生身の海の民。

 醜態を晒しながらも現実に食らいつくことができる。


「だがこの場所では今、大いなるハザーリャの信仰が復活しつつある! 新たな教団、そして新たな共同体! 【眠れる三頭】が、地上に居場所の無い者たちの逃げ場となる。その為には確かな足場が必要なのだ」


 イアテムは戦略を切り替えたようだ。負けられない理由をアピールすることで同情を買い、求心力を取り戻そうとしている。


(わかりやすい物語をくっつけて正義の主人公として振る舞おうとしているんだね。キロンとの戦いと似てるかな)


 ちびシューラが冷静に分析し、妨害するためのプランを提示。物理的に言葉を止めるのはイメージ戦略としていかにも悪者風だ。都合の悪いことを言わせないようにしていると受け止められたら終わり。ここは衆人環視の中なのだから、振る舞いは堂々としたものでなくてはならない。


(なら、相手の事情を聞いた上で、こっちにも正義があるし譲れない事情がある、って感じに迎撃しよう)


 問題はイアテムが――というか海の民が虐げられる弱者として振る舞っているように見えることだった。

 そして実際、地上ではそれに近い立場に置かれているらしい。とすれば。


「『公社われら』を排除し隷属させた僭主トリシューラ、そしてハザーリャを冒涜し権能を占有している簒奪者ブウテト! 邪悪なる魔女どもを廃し、第五階層の覇権をこの手に取り戻す! この地を最初に支配したのは我ら地上の勢力。ならば大義はこちらにあり!」


 彼らの排除は、多種族混成国家ガロアンディアンの理念に反する。

 背後で動きがあった。

 亜竜王アルトが前に出てきたのだ。小さな王を守るようにチリアットが続く。


「待たれよ。勇士イアテム、貴殿の事情、よく分かった。だが少しばかり待って貰えぬか。このガロアンディアンは、そう窮屈な王国ではない」


 当然、そうくるだろう。この王は、イアテムの事情を斟酌して和解と共存を望む。チリアットも同じだ。

 しかし、俺とちびシューラは内心で舌打ちをした。

 イアテムはかつて【変異の三手】の副長だった。つまり、グレンデルヒの一部を構成していたのだ。それもかなり主要な役割を担う形で。


(多分、主肢グレンデルヒはミヒトネッセが露悪的に演じていたと思うけど、左右の肢の『グレンデルヒ性』は組織全体の傾向とトップの舵取りに影響を受けていた。つまり、こいつが一番グレンデルヒっぽいメンバーなはず!)


 かつてのグレンデルヒの言動は、全てとは言えないまでも少なからずこの男に責任があるということ。

 ちびシューラの筆致鑑定で、雑誌『男の暴君』にコラムを掲載しているグレンデルヒ名義のゴーストライターはイアテムであるという調査結果が出ている。


(リーナをバカにして思い切り前時代的な価値観を主張してくるような奴はキライ! こいつらは全ての魔女の、女神たちの敵なんだから!)


 嫌いだから拒絶する。女王としては明らかに正しくない感情論だが、『嫌い』はトリシューラの自我を脅かす。

 魔女殺しの剣を扱うイアテムは、文字通りの意味でトリシューラやブウテトにとって受け入れがたい天敵だった。

 つまり、俺の敵だ。排除しかない。


(でも、アルトを敵に回すわけにはいかない!)


「女王トリシューラよ。今一度、我ら共通の理念に立ち返り、彼と対話の道を選ぶべきではないだろうか」


「アルト王、それはブウテトの望みなのか?」


 アルトが迷い無く『我ら』という言葉を使ったことに苛立ちを感じた俺は、考えるより先に言葉を発していた。アルトがはっとした表情でこちらを見る。

 ガロアンディアンの理念、つまりアルトの欲求を満たす行動がブウテトや【死人の森】の害になるのなら、彼への評価を改めなくてはならない。


「ぶうぶう。彼らのハザーリャ解釈は、リザが女王だった最悪の時代と同じ悪しき信仰ぶひ。ヒュールサスの退廃をもう一度引き起こすわけにはいかないですぶう。信仰を捨てるか、信仰を周囲に害を与えない形に修正するかしてくれないと共存は無理だぶう」

 

 ブウテトが鼻をふごふごと鳴らしながら言った。

 イアテムはそれを聞いてふんと鼻を鳴らした。


「ふざけるな。貴様ら抑圧者はいつもそうだ。やれ文明だ、やれ人権だと自分たちの中だけで作り上げた理屈を押しつけ、我らの伝統や文化、繋がりや誇りを奪っていく! そうやって破壊されてきた海の民の信仰や文化がどれだけあると思う?! そんなことは許容できん!」


 この世界において、自分が所属する共同体の文化は極めて重要なファクターだ。呪力資源であり、時にはほとんど自分自身の精神に等しいと考える者さえいる。彼ら海の民は、そうした傾向が特に強いらしい。


 信仰と居場所。それを求める欲望はひたすら切実だ。

 なにしろ第五階層にはここ以外に逃げ場が無かった者たちが行き着く最果ての地でもある。イアテムの必死さに理解を示すアルトのような人道主義者が現れることは想像に難くない。凋落したイアテムの権威が回復していく。

 

 厄介な事に、ガロアンディアンとしてはそれこそが正しいのだ。トリシューラは自ら選んだ王国の形に呪縛されて動けない。決定的な行動を選べず、指示も下せない状況。


 なら、俺が独断で動くべきか。

 いかに同情に値する境遇であったとしても、こちらを排除してくる相手を受け入れてやるわけにはいかない。

 力には力を。高まる緊張。激突は不可避かと思われたそのときだった。 


「そーいうわけで、ごめんなさい」


 真上から、突発的な豪雨が降り注ぐ。

 呪力に満たされ加速のついた水滴が銃弾となって落ちてくるが、気づいたブウテトが鼻息だけで吹き飛ばす。

 完璧な奇襲を仕掛けてきた『敵』は頭上にいた。


「できればレオくんは傷つけたくないし。降伏して欲しいっていうか」


 蝶の翅を背に広げ、上空に浮かぶ闇妖精。

 少女趣味のワンピースを着て大きな熊のぬいぐるみを抱き抱えた女の子が、周囲で海水を流動させながら言った。


 レオとカーインが悲しげに眉を寄せる。

 想定できたことだが、こうして構図がはっきりすると、お互いにやりきれないものがあるのだろう。

 レオの仲間だったはずの少女は、敵に回ったのだ。


「セージ」


 レオが、透明な声で語りかけた。

 びくりとセージが身を竦ませる。少年は黒い猫耳をぴくぴくと動かしながら、【心話】で語りかけた。


「それは、二人で決めたこと?」


 レオの言葉は、その意味がよく掴めないものだったが。

 言われた当人は劇的な反応を見せた。

 最も触れられたくない部分を抉られたように顔をくしゃりと歪ませて、ぬいぐるみを強く抱きしめた。


 セージは明らかに葛藤していた。おそらく自分の中で二つの異なる意見を戦わせているのだろう。

 二者択一を迫られて揺らいでいるセージ。

 そこに高圧的な声がかかった。


「何を逡巡している? 迷う余地などなかろうが!」


「ひぅっ」


 イアテムが激しい口調で少女を糾弾する。かっと目を見開いた形相は上から下へ、力で押さえつける者のそれだ。


「ロドウィたちの仇はどうした。師への恩義を忘れたか。贄の血族の分際で司祭にして戦士の血族たる我に逆らうというのか? それとも、まさかとは思うが」


 激しい口調が一転。粘ついた響きの声になったイアテムは、魚のような感情の読めない目でぎょろりとある一点を見た。レオがいるその場所を。


「男。そうか、情欲に溺れたな?」


 イアテムの指摘は事実を正確に言い当てていた。セージは頭を抱えて「ごめんなさいごめんなさい」とおびえきった声で謝罪を繰り返す。イアテムは再び憤怒の形相になって激しく叫んだ。


「恥を知れ毒婦め! 卑しい雌豚の分際で、何を勘違いしているのだ! 誰が、いつ! そんなことを許した? それも汚れた猫憑きとは、正気か?!」


「あぅ、ごめんなさい」


「いいや、謝っても許さぬ。躾が必要だな、セージよ。身の程というものを弁えぬ放埒な女には、厳格な管理が必要だ。お前たちに自分を律する強い精神など無いのだからな」


 イアテムの目が爛々と輝くと、途端にセージが悶え苦しみ始めた。身をくねらせ、両足をぎゅっと寄り合わせ、切なげな苦悶の声を上げる。


「ふぁっ、あぅ、いやぁっ」


「淫らな雌めが。それがお前の本性だ。恥ずべき魔女として生まれてきたことを罪深いと自覚し、慎みを持って生きよと何度言わせる気だ?」


 イアテムは傲然と言いながらセージに何らかの呪術をかける。見ただけでそれとわかる力関係。しかし、これはあまりにも酷すぎる。セージの様子を見ても、自発的にあちら側に付いたとは言えないような気がする。

 レオが感情の無い声で呟く。


「カーイ」


「お前ぇっ! セージさんに、何をしたぁぁぁっ!」


 絶叫しながら飛び出したのはファルファレロだった。

 眼鏡の少年は両腕に呪文の帯を纏わせ、イアテムに掌打を浴びせようとする。イアテムは軽く間合いを離して回避すると、掌から水流の刃を生み出した。


 反撃の一閃。

 ファルの胸が袈裟懸けに裂かれ、呪文が弾け飛んでいく。両者の呪文使いとしての技量の差が出ていた。

 倒れ伏したファルが呻く。


「そんな、前は勝てたのにっ」


「八億の息子たちは優秀だが、我が技量の完全再現はできん。どうしても強さにむらが出てきてしまうのだよ」


 グレンデルヒに一蹴されたせいでわかりづらいが、イアテムの強さは以前よりも向上していた。

 とはいえ、あちらは敗北を受け入れず戦いを続けようとしている。これは明確にあちらのルール違反だ。


(道場破りチャレンジは一月に一回! 連続挑戦は遠慮するのがマナーです! ちびシューラとの約束! 破ったらぶち殺すよ♪)


 

 ちびシューラからの指令が【マレブランケ】各員に伝わり、悪足掻きをするイアテムを包囲。この数で一気に仕掛ければひとたまりも無いだろう。ファルが注意を引きつけてくれている隙にセージごと無力化すれば全て解決だ。


 ところが、それより先に動いたものがあった。

 音もなくイアテムの背後に回り込んでいたカーインが、槍のように貫手を放つ。分厚い筋肉質の背中、脊髄に近い箇所にめり込んだ指先がごり、と抉られて、イアテムが背筋を反らせた。


「おごっ」


 吐血するイアテムは痙攣しながらも水流だけを操作して斬撃を背後に放つ。カーインは身を低くして回避すると、地面に手をついて足払いを仕掛けた。転倒した相手の頭部に再度の貫手。


 確実にイアテムを倒せる一撃を放ったカーインを水滴の弾丸が襲う。カーインは咄嗟に腕を引き戻し、交差させてガードした。切れ目の無い連射に耐えきれずに大きく飛び退いていく。

 邪魔をしたのは苦しげな表情のセージだった。


「ご、ごめんなさい。いつもレオくんと一緒で羨ましいから消えろって思うし絶好の機会って感じだけどレオくんに悪く思われたくないから不本意だけど謝るフリくらいはしとくし。でもカーイン死ねばいい」


 何かどうしようもない事を言っているセージに、カーインは静かな殺意に強ばらせていた表情を緩めた。


「ふ、調子が出てきたようだな」


「うっさいし! ぶっころす! 死体ぐっちゃぐちゃにミニマム改造してぶち犯してやるし! あ、こども死体カーイン、いけるかも。ふひひ、レオくんとこどもカーイン、ああっやばいやばい色々漏れるしっ」


「それでいい。所詮、生まれという呪縛から自由にはなれぬものだ。ならばせめて、宿命を楽しむのも一興」


 セージの立場に、何か思うところでもあるのだろうか。

 カーインが少女に向ける感情は、不思議なほど透き通っている。セージはびっくりしたような顔で目を瞬かせた。


「何をやっているか雌豚がっ! 本気で戦え! 我らの為にその身を捧げよ! 同胞の、家族の為に全てを差し出すしか能が無いのだろうがっ」


 イアテムが呪術で自らを治療しながら叫ぶ。カーインにやられたダメージのせいで動くことすらままならないため、「命に代えても我を守れ」などと倒れたまま喚いていた。唾がセージにまで飛ぶ。


「許可する。『あれ』をやれ」


「え、あの、でも」


「口答えが許されるとでも思っているのか馬鹿者が!」


 罵声、怒声、恫喝、威圧。

 イアテムの単調な『呪文』はあまりにも原始的で俺でもできるような最下級の呪術だったが、セージはそれを聞いただけで条件反射のように竦み上がり、唯々諾々と従ってしまっていた。


(『呪文』っていうか、『使い魔』だね。あれは)


 ちびシューラが冷ややかに分析する。セージは涙を流しながら、それでもイアテムに逆らおうとはしなかった。

 ファルではないが、以前の戦いでは彼女は師に反抗していたはず。この短い期間でそれが出来ない理由ができたのだろうか?


「えぐ、ううっ。怖いよう、でもやらなきゃ、やらなきゃっ」


 あれはどういう心理が働いているのだろう。

 義務感、強迫観念、あるいは恐怖?


(はいはい、余計なこと考えてないでぶっ殺そうねアキラくん。色物アストラルババアの過去なんて後で適当に捏造して感動消費しとけばいいよ。今は排除するのが先。総員、攻撃開始)


 命令が下り、俺たちは一斉に攻撃を仕掛けようとする。だがその瞬間、凄まじい呪力が真上から叩きつけられ、全員の動きが強制的に停止させられてしまう。

 空が裂け、漆黒の闇が口を開ける。

 その中から、ゆっくりと巨大な剣が降下してきたのだ。


(【ダモクレスの剣】! けど、今までと様子が違う!)


 幻影の剣はその形状を一変させていた。

 シンプルな直剣から歪にねじ曲がった反りのある刃へと変化し、禍々しい装飾が追加されている。柄に嵌め込まれているのは不気味な頭蓋骨だ。

 付け加えれば、単純に放たれる呪力がかつてとは桁違いだった。


「ぶうぶ! ぶうぶ!」


 意味をなさないブウテトの叫び。だが言わんとするところは理解できた。巨剣を吊り下げている糸は蜂蜜色に輝いている。長い髪の毛を何本も結んで長い糸にしているのだ。


「まずい、ブウテトの呪力を付与したあの剣は、ガロアンディアンだけじゃなくて【死人の森】も滅ぼせる! 敵の狙いは私たちだけじゃない!」


 トリシューラが注意を促したことで、クレイや六王たちがブウテトの周囲を固める。上からの重圧で膝をついていた俺たちも立ち上がろうとするが、そうしているうちに、セージの呪術は発動してしまっていた。

 それは、泣き叫ぶような宣名だった。


「我が祖は人魚、異教の悪魔に捧げられるべき忌まわしき贄! まことの名を【海雌豚アムピトリーテ】! 貪られるべき供物なり!」


 直後、莫大な宣名圧が吹き荒れ、灰緑色の輝きがセージを包み込んでいく。

 何もないところから吐き出される激流がセージを取り巻き、白い泡が少女の全身を覆い隠す。無数の白い泡が弾けると、少女の肉体が露わになっていった。


(何、異界神話の参照? それも海神系統――これって)


 ちびシューラは、セージの周囲にイルカの幻影が現れたのを見て顔色を変える。半透明のイルカは甲高い声で一声鳴くとどろりと溶け、少女の肉体を構成する新たなる部位となっていった。


 それは巨大な蛸だった。

 青い色、おびただしい数の触手、その中心には獰猛な牙を備えた口。触手の反対側からはセージの上半身が生えており、青く染まった裸身をくまのぬいぐるみと蝶の翅で申し訳程度に覆い隠している。

 

「あ、う、ああ」


 理性の感じられない声。白目を剥いて口から泡を吹くセージの腹部から立て続けに三つ、何かが飛び出した。

 それは三体の使い魔。基本は馬だが、前足には蹄の代わりに水掻きがあり、下半身はそれぞれ魚、イルカ、タツノオトシゴという異形になっている。 


召喚師エヴォカー! セージは悪魔や精霊を召喚して使役する魔女術の使い手だったんだ! それも、あれは大神院の序列では第四位の――よりにもよってあれを呼び出すとか、あいつら気は確かなのっ?! 人造ペレケテンヌル作ってたグレンデルヒがまともに見えるよ!)


「ああ、ぅぐぁ、レオ、くん――こどもカーイン、うごぁ――」


 完全に理性を失った状態で、それでも最後に残ったのがあの二人への想いだったのか――いやちょっと邪念入ってる気もするが。

 もしかすると再三に渡り俺の外見を十歳前後にするように要望を出してきていた【美少年は至宝】さんは彼女だったのかもしれない。


(アキラくん気をつけて。あれは海の民にとって最も恐るべき異教の悪魔にして、槍神教が彼らを恐怖と力で縛るための守護天使。皆殺しのデーデェイア!)



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