4-98 脆弱性、あるいは仕様①




「いなくなった?」


 意識を取り戻すと、トリシューラが端末に向かって怪訝そうな声を出していた。首筋にまだ噛みついているコルセスカをやんわりと押し退けて会話に耳を傾ける。公社と繋がった端末が、通信先の光景を映し出していた。あどけない少年は困ったような表情で白い猫耳をへなりとさせる。


「そうなんです。昨日からセージと連絡がつかなくって。ちょうどトリシューラ先生に伝えようとしてた所だったんですけど、間が悪くてごめんなさい」


 申し訳なさそうにうなだれるレオをトリシューラは咎めることは無かった。居場所が見つかったら教えるようにと告げて通信を終了する。

 イアテムの情報を握っていると思われるセージに接触しようとした途端、当人が失踪するという事態に、トリシューラは眉を顰めた。


「んー。あのコ、あれでも私と互角ぐらいの言語魔術師だからなあ。公社が保有する情報インフラとか監視警戒網の管理責任者だし、本気で潜伏されたら見つけるのは骨かも」


「首輪とかつけてなかったのか?」


「あのレベルの相手だと付けても解除されたり欺瞞されたりするの。あ、今ドローンが見つけた。とりあえずティリビナ自然公園の公共トイレに発信器があったよ。追跡呪術を欺瞞するための儀式の痕跡と、加速符で現場の時間を進めて過去視を困難にしてるね」


 それが確かなら、セージは自ら姿を眩ませた可能性が高い。

 だが、理由は何だ?

 裏切り、逃亡、あるいは脅迫によって自発的に行動を促された。

 現時点では判断が難しいが、不穏な気配を感じる。


「レオ好き好きオーラ出してたし、離反は無いかなって思ってたけど。まあ、やっぱり同胞の方が大事ってことかな?」


 トリシューラの切り替えは素早い。いざ敵として現れたなら今度は躊躇無くセージを殺害するだろう。勿論、俺もそうする。

 だが、レオはどうだろうか。

 彼なら、そうではない道を選ぶような気がするし、実際に選べてしまうような気がする。その上で、全てを元通りにしてくれるのではないか。


 あちらはあちらで動くだろうが、利害の対立は無い。仮に過激なトリシューラと穏健なレオが方針の違いで揉めたら、そこは俺が間に入ってなんとかしよう。

 そもそもセージが裏切ったと決まったわけではない。予断は省いて、今は起こり得ることに備えておくだけでいい。


 俺たち三人はセージから話を訊くという目的を見失ったが、やることがなくなった訳ではない。まずコルセスカが別行動を申し出た。


「じゃあ、私は午後の準備をしようと思います。久々にアルマと合流するので、色々と整備用の呪具を買い込んでおかないといけないのです。迷宮で連戦を続けると神滅具の箍が緩んでしまうので、再封印しないと」


 今日の午後から、コルセスカの仲間の一人であるアルマがガロアンディアンに到着する予定なのだ。丁度この階層の裏面の一つ『風の吹く丘』を攻略中で、草原の上に浮かぶ天空迷宮にずっと籠もっていたらしい。仲間のサリアがリールエルバ救出の為に単独でスキリシアに向かった後、影の中を移動できないアルマはえっちらおっちら徒歩で迷宮から帰還しようとしたのだが、折悪しく迷宮の守護者である五大巨人に遭遇して今まで昼夜問わず戦っていたらしい。


「迷宮から持ち帰った秘宝とか巨人が落とした呪石や武器なんかがとってもいいものらしいので、戦力の増強も期待できます。久々に装備を更新できる予感がしますね」


 コルセスカは仲間の到着が待ちきれないといった様子でわくわくそわそわとしていた。普段使っている肩掛け鞄や靴、手袋などを見て「今までお世話になりました」とか浮かれた事を言っている。というかそれって迷宮で手に入れた装備だったのか。


「迷宮で武装を手に入れる、ね。ゲームだとよくあるけど、俺には関係のない話かな。手に入れても換金かコルセスカに渡すことになりそうだ」


「そういうときは私にちょうだい。改造してウィッチオーダーに組み込むから」


 なるほど、改造素材にする手があったか。

 それ以外にも、服や靴、装身具といった身に着けるものは十分有用だとコルセスカに指摘される。確かにその通りだ。

 今まで別行動していたアルマに不満を感じないわけではなかったが、収穫があるとわかると大歓迎したくなる。現金だが、人間の心理などこんなものだろう。


「よし、じゃあアキラくん。私たちは六王の様子見に行こうか。午後から死人の森と会議だから、打ち合わせしておかないとだし」


「わかった。すぐ行こう」


 六王はブウテトの中から飛び出して、それぞれアストラル体のままガロアンディアンを視察中だ。本人たちたっての希望であり、断る理由は無かったので承諾した。マレブランケやドローンなどを護衛に付けているが、小さな体でも彼らは強大な力を持つ王だ。手を出そうという愚か者はいまい。頭でっかちの小人が自動機械に乗ってあちこち見て回っているだけなので、ガロアンディアンのごちゃごちゃとした町の景色にもとけ込んでいるだろうし、そうそうトラブルも起きていないだろう。


 そんなわけで、俺たちは午後に中央庁舎の会議室に集合することを約束して街へ歩き出す。その間、六王たちとトリシューラは特に問題なく意見を交換し、親睦を深めていった。関係性は間違いなく良好だ。特に亜竜王アルトと吸血鬼王カーティスの二人は確実に味方にできている。障害も敵も多いが、このまま全てが順調に行けばいい。そう思った。




 闇に包まれた広間の中で、三つの光点が線を結ぶ。

 薄暗さの中にかすかに見えるのは、中央の床に描かれた光る三角形。

 【変異の三手】を表す図像だ。

 その頂点に、三つの人影が立っている。

 スポットライトによって三人の姿が薄闇の中から浮かび上がった。


 一人は男。

 無骨、という言葉がこれほど似つかわしい人物もそういない。

 角張った体が肌にぴったりと張り付くような薄手の民族衣装を内側から押し上げ、屈強な筋肉と骨格が我こそは闘士であると自己主張しているようだった。

 白い髪と眉毛、苛烈な眼光、えらの張った頬骨、物々しい雰囲気。

 そして最も特徴的なのはその耳。右側は魚のひれのごとき有様で、左は魚のえらのような奇怪な形状をしていた。耳から首、肩から腕へと伸びる測線器官が青い燐光を放ち、男の静かで強大な呪力を外部に示している。


「聞け! 我こそはイアテム、邪悪な魔女の支配に抗う闘士、その一番槍! かの邪知暴虐の化身を打ち倒さんが為、ここに【変異の三手】改め、ハザーリャを奉じる【眠れる三頭】の結成を宣言する!」


 白眉のイアテムは雄々しく宣言した。

 それはいわば組織の名付けであり宣名。

 新たに名前を付けられた組織が新生し、呪力の質が変異していく。


「先代グレンデルヒは、愚物であった」


 イアテムは、端的に英雄を侮蔑した。

 敗北者は無能であり不要。組織全体の名誉を守るため、グレンデルヒという英雄を切り捨てたのである。


「卑しき魔女と悪魔風情に敗北し、あまつさえその軍門に下るという浅ましき行い。名誉も知らぬその所行、英雄好漢の行いとはとても言えぬ。あのような男に、地上の英雄を名乗る資格があるだろうか。否! 断じて否である!」


 激しい語調に、暗闇の中でざわめきが広がる。

 ガロアンディアンの追撃から逃れていた、旧【変異の三手】の残党たちだ。

 本来は精鋭とされている探索者集団。勝利者のはずだった者たち。

 そんな彼らに、イアテムは激しく語りかける。


「我は今こそグレンデルヒを襲名する! 悪しき魔女トリシューラと悪魔シナモリアキラを討伐し、第五階層の覇権を地上に取り戻すのだ! 二代目グレンデルヒとして、失墜した我々の権威を回復すると父なる海に誓おうではないか! どうだ、お前たち。今のまま敗者と嘲笑され続けるより、勝者として栄光を手にしたくはないか!」


 残党たちのざわめきが大きくなる。イアテムは元々【変異の三手】の副長という立場だ。グレンデルヒが敗北した後、彼が集団を率いるのは理に適っている。何より、敗者たちは勝利に飢えているのだ。失われた栄光を取り戻したいと強く願っている。


「第五階層の覇権を我らがこの手に収めれば、立身栄達は思いのままだ! 我々の英雄としての未来は明るいものとなるだろう! それとも、敗残者として後ろ暗い顔をしながら地上に逃げ帰りたいか?!」

 

 誰かが、獰猛な闘志を示した。

 それに続くように、次々と猛々しい声が唱和していく。

 地上の冷たい論理、競争と成果主義の重圧から逃れる為。

 失った誇りを回復する為。

 目先の欲望を満たす為。

 彼らは、戦いを決意する。


「よく言ってくれた! お前たちこそ真の勇士! お前たちこそ英雄である! 俺は誓おう、この男としての誇りに賭けて、必ずや勝利を持ち帰ると!」


 そして、暗闇の天に巨大な幻影が出現する。

 それは剣。

 僣主を殺し、王国に滅びを与える絶対なる異界の法則。


「見よ、天に浮かぶ【ダモクレスの剣】はこのイアテム=グレンデルヒを選んだぞ! 今こそ出陣の時。いざ往かん戦いの地へ! 勇士たちよ、我に続け!」


 イアテムは拳を高く突き上げた。暗闇に集った者たちが、それぞれ拳を突き上げる。狂騒の中、男達は勇ましく出陣していった。

 その場から立ち去ろうとする直前、イアテムは振り返り、中央に残された二人に声をかける。


「本当に、任せて良いのだろうな」


 三角形の頂点に立つ一人――かつては死人の森の女王の為の座であった場所に立つ球体関節人形は、薄く微笑んだ。


「見て分からないの? それともあの『糸』を疑っている?」


 ミヒトネッセは天を仰いだ。巨大な剣は天の闇から垂れている金色の輝きによって吊り下げられていた。

 蜂蜜色をした、髪の毛で編まれた糸。金色の輝きが宿す呪力によって、巨剣の性質はより凶悪に、獰猛に変化していた。


「乗っ取りは成功した。あとは私たちの勢力が第五階層を掌握するだけ」


「ふん。『私たちの勢力』と来たか」


 イアテムは吐き捨てるように言うと、もはや侍女人形には目もくれず闇の奥へと足を踏み出す。と。動きを一瞬止めた。


「何をしている。さっさと来い」


 それは、ミヒトネッセに対する言葉では無い。

 三角形の頂点に立つ三人。組織の最高幹部に用意された座に立つ最後の一人は、蝶の翅を背から生やした小柄な少女だった。

 大きな熊のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるようにして呼びかけに応じる。

 

「はい。お師匠様」


 少女はくまのぬいぐるみに顔を埋めるようにしながら、力無い足取りでイアテムの後を追っていった。

 暗闇の中に消えていった二人を見送って、ミヒトネッセはしばし立ち尽くしていたが、やがて自身も別方向へと歩き出す。


 暗闇から抜け出した人形は、くるくると回りながらステップを踏んで進んでいった。軽やかに跳ね、優雅にスカートの裾を翻す。

 爪先をぴんと立て、指先を翼のように広げ、体軸を機械のように保ち、喧噪の中を踊り狂う。人形の表情は蠱惑的で、動きの見事さも相まって誰もが目を奪われずにはいられない。可憐な手首の人工性すら非日常の魅力を醸し出していた。


 まるで誘蛾灯。

 誘う踊り子の周囲に、いつしか大量の男たちが集まっていた。

 魅了された男たちは複数の集団を作り、人形に操られるように蠢動する。

 柄の悪い男達が、凶暴な視線で人形の姿態を舐め回す。


 獣のようなまなざしだった。

 ミヒトネッセは艶然と笑う。激しい情熱を喚起して、卑猥に誘い出す。

 男たちを挑発するかのように、幾度も大地を踏みならし、音楽的に踊り狂う。

 やがて、滑らかな唇が音を紡いだ。 


邪眼円環サテライトオーブ――【アヴロニア】」


 直後、朱と藍が斑になった球体が少女の右の踵に開いた穴から飛び出すと、足の周囲で衛星のように軌道を描き始めた。

 加えて魔女は全身で躍動する。それは大仰な芝居のように。人形や機械の類とは思えないほど情熱的に、人間的な振る舞いで観客の心を揺さぶろうとする。

 『雄々しく』、『力強く』、『勇士の如く』、拳が天へと突き上げられる。

 そして、呪文が詠唱された。


「口寄せ降霊――【疑似英雄詩モックヒロイック】」


 少女の雰囲気が激変していく。

 誘うような妖しい空気はたちまち消え失せ、漂う色香は別種の熱気に変質してしまった。そこにいたのは、激しい敵意と戦意を燃え上がらせる暴力の塊。

 ミヒトネッセは『挑発的』に指先を動かし、男たちを誘う。

 激しい情熱を喚起して、闘争の場に招き入れる。

 ち、ち、ち、と舌が鳴り、指先が『母親との性行』を意味する侮蔑のサインから首を掻き切るサイン、横方向の手招きへと変化していった。

 怒り狂う男たちが威嚇の声を上げていく。


再演リプレゼント――『英雄譚、自意識の露出狂』」


 動作と数節に分かれた詠唱。

 大仰な儀式を行う魔女にはどこか厳かな空気すらあったが、激昂する男たちにそのような空気を判断する余裕などありはしない。

 唾と共に、複数の集団が一斉にがなり立てた。


「おうおうおう! てめー俺らのチームに喧嘩売るたぁいい度胸じゃねえの」「お前どこ中よ?」「うちのシマになんぞ用でもあるんか、ええ?」「つーかぁ俺たち自由にやりたいだけだし? まあ邪魔すんなら軽ーく潰すし、みたいな」「お、おでたちのバックにはあのトリシューラさんがいるんだな。あんまり甘く見てると痛い目を見るんだな」「我ら【ブウテトとん親衛隊】は可愛い女の子を保護します! ムムッ、可憐なお人形を発見!」


 口々に組織への所属を『宣名』して、『使い魔的な権威』によって呪力を向上させる男たち。第五階層の路地裏などで起きている犯罪組織や暴走族、不良集団の抗争で日常的に見られる光景だった。

 それに対抗するように、侍女人形は宣名を行う。


「我が名は白眉のイアテム。南東海きっての勇士マアテムの子にして魔女殺しの剣を担う者である! 貴殿ら、いずれも劣らぬ勇士とお見受けした。いざ尋常に、部族の誇りを賭けて勝負といこうではないか!」


 途端、激流のような宣名圧が発生する。

 それは紛れもなく本物の宣名。

 少女の姿が光に包まれ、一瞬のうちに変貌する。

 そこにいるのはもはや侍女人形ではない。

 名乗った通り、イアテム本人がそこに立っていた。


 海の民の英雄を騙った呪術師は、本人さながらの振る舞いで仰々しく決闘を申し込む。それは南東海諸島の戦士としての正式な作法。

 両足を開き、腰を落とし、頭を円を描くように三度回して唸り声を上げる。

 突如として行われた奇妙な行動に男たちは面食らい、気勢を削がれたことを誤魔化すように怒鳴り散らす。


「馬鹿にしてんのかオラァッ」


 威嚇するような声に返されたのは、澄んだ少女の声だった。


「見て分からないの?」


「ぶっ殺す!」


 そう、一目瞭然だ。

 ミヒトネッセは馬鹿にしている。滑稽に踊り、演じ、嘲っている。

 目の前にいる男たちを。

 そして、ここにはいない男たちも同様に。

 

 ミヒトネッセは、全てを並列に並べて侮蔑していた。

 価値あるもの、男たちが魂を賭けるものを、無様であると貶めるために。

 『それらは同じものである』と叫びながら零落の呪術を演じるのだ。

 粗雑に短絡的に、似たようなものを結びつける呪術アナロギアによって。


 かくして、王国シマを巡る戦いの幕が上がった。



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