4-79 死人の森の断章∞ 女王と錬鉄者②


 


 巡槍艦の内部から時間と空間を超えてコルセスカたちが帰還したのと同時に、第五階層に変化が生じ始めていた。

 最初に異変に気がついたのはトリシューラ直属の配下、銃士カルカブリーナだった。彼は復帰したトリシューラにより、巡槍艦の後部付近に配置されていた。照準器越しに標的を睨みつけ、膝を立てた姿勢で『杖』を構える。二脚架バイポッドを床に立てると長大な呪具が安定。足りない邪視能力を補う為のゴーグルの内側でちびシューラが狙撃に必要な各種情報を表示して、指示から照準、引き金を引く決断まで全自動で代行してくれる。サイバーカラテユーザーの銃士というのはトリシューラにとって交換可能な部品のようなものだ。自律型の移動銃座となったカルカブリーナが狙うのは、空を飛び交う鳥デルヒたち。射撃管制シューラによるカルカブリーナを利用した狙撃が功を奏し、銃弾が見事に鳥デルヒを撃ち抜いていくと、元の鳥態を取り戻した闇妖精たちが墜落していく。


 かなり高度があるため、落ち方次第で死ぬか、良くて大怪我という未来は確定的に思われた。だが、カルカブリーナの予想は裏切られる。墜落した闇妖精は翼を広げたまま第五階層の床面にぶつかり、そのままめり込んでいく。深く深く沈んでいくと、翼の生えた人型の穴がぽっかりと空いた。


 唖然とするカルカブリーナだったが、似たような状況を目の当たりにしていたのは彼だけではない。巡槍艦の内部で非戦闘員を守りつつグレンデルヒたちと戦う探索者たちがいた。グレンデルヒ化しなかった、非サイバーカラテユーザーたちだ。その中心となっている盗賊王ゼドが、激戦の中でうっかりと何かを踏みつけてしまう。それは直前まではそこに存在していなかったはずのものだ。


 前触れ無く現れたそれは、箱だった。

 浮遊しながら回転する正六面体はゼドの足が触れた途端、展開してその内側を明らかにする。盗賊王は瞠目した。中に入っていたのは光り輝く――


「何だこれは。カチカチハンマー?」


 ――氷でできた玩具のような鎚だった。ゼドが同封されていた説明書きを読んで首を傾げる。説明書きに記されたとおりに手に取って無造作に振り回す。接近して殴りかかろうとしていた格闘家デルヒは素早い動きで後退するが、意外にも当たり判定が大きく明らかに命中していないにも関わらず吹っ飛ばされる。そればかりか、その全身が凍り付いて動けなくなってしまう。


「『身体の周囲を氷で覆って動けなくするだけですので細胞が壊死するなどの危険はありません。※風邪を引くかも知れませんが学校や仕事を休んでゲームできるので大勝利です』って、何だこれは」


 呆れたゼドが周囲を見渡すと、同じようにどこからともなく出現した箱から様々な道具が現れて探索者たちの力となっていた。グレンデルヒたちも箱から道具を取り出すが、役に立たない果物の皮だったり自分ごと巻き込む爆弾だったり果ては箱そのものが罠で爆発したりと扱いに四苦八苦している。爆発に巻き込まれると頭髪が焦げて黒い煤に塗れるというフィクション表現がテクスチャ呪術によってなされる。爆発そのものに大した威力は無いが、何故か巻き込まれた者は非常識な距離を吹き飛び、壁や床をバウンドしたり人型の穴を空けたりして愉快な挙動をすることになってしまうのだった。


「俺たちは既に何者かの浄界の内部にいるということか――だが、発動の予兆など感じなかった。既存の世界そのものが変化している? これは森羅万象(オムニバース)型なのか?」


 ゼドの疑問に答える声は無かったが、代わりに彼の世界は異様な歪み方をし始めていた。通路の奥から「あー」だの「うー」だのと唸りながら現れた死人デルヒたちを二丁の拳銃で撃ち抜いていく。眼鏡をかけているわけでもないというのに、ゼドの視界の隅に残弾数が表示されていた。銃弾を撃ち尽くすと「再装填して下さい」という文字が視界いっぱいに表示されて、意識しただけで腕が勝手に動いて拳銃を片手でくるりと回す。何故かそれだけで装填が終了していた。再び迫り来る死人デルヒを撃ち抜く。視界の上の方に表示された数字が加算されて増えていく。ゼドはぼそりと呟いた。


「最高記録更新か」


 異変は至る所で起き続けている。ある場所では素晴らしい気分になれる薬を飲んで自分が無敵だと確信した者が笑いながら疾走してグレンデルヒの群を吹き飛ばしていき、また別の場所では余計な道具を排した真剣な勝負が繰り広げられ、そこに横槍が入って台無しになったりと混沌とした状況だ。


「何というか、緊張感が無いことになってるわね。嫌いじゃないけど」


 高所から弓矢でファルファレロを狙っていた射手デルヒたちの一団を倒したマラコーダが呟く。ユニセックスな衣服に身を包んだ長身の女性は、切り替わりつつある世界の常識とは関わりなく戦いを続けていた。あまり馴染みのない世界観であるためか、その影響はそれほど強くはない。強力な浄界に思えるが、かといって取り込んだ者全てを強制的に従わせるような傲慢さとは縁遠い。


「ちょっと心配。このコ、こんなんでちゃんと戦えるのかしら」


 誰に向けたとも知れぬ呟きと共に、マラコーダは貫頭衣にも似たふわりと広がった衣裳の布地を揺らしながら動いた。屈強な男性の肉体が生み出す力強さをサイバーカラテ道場が精密に制御。長い脚を旋回させて背後から奇襲を仕掛けようとしていた暗殺者デルヒを蹴り飛ばす。


「ちゃんとフォローしてあげなさいよ、彼氏さん」


 何処かの誰かに向けて忠告を呟いて、マラコーダは戦闘を継続すべく走り出した。まずは調子に乗りすぎてイアテムに追い回されているファルファレロのフォローから。そんなふうにして、戦いは各地でその性質ジャンルを異にしてこそいたが、概ねガロアンディアン側が優勢に傾きつつあった。


 情勢の不利を悟ったあるグレンデルヒたちのグループは起死回生の策を用いることを選んだ。巡槍艦の外壁を破壊しながら飛び出した無数のグレンデルヒたちが次々と重なり合ったかと思うと光に包まれ、巨大なグレンデルヒの顔が出現する。合体した巨大グレンデルヒは目から怪光線を放ちながら周囲に破壊を撒き散らしていった。圧倒的な呪力に誰も為す術無く退くしかない。だがその合体デルヒに果敢に挑みかかるものがいた。


「うおらあああああ!」


 野太い腕、毛深い巨体、しわくちゃの顔。虹犬が得意とする色号の呪力を纏い、怪光線を受け止めながら構わずに前進するタフさを見せつける大男こそ、復活したブルドッグの獣人、カニャッツォである。力士に挑んであっけなく死亡した光景を見ていた者たちは愕然とするが、巨漢の頭の上に複数の赤い球体が浮かんでいる――というより表示されていることに気がつく。一番右端の球体だけが赤い部分が無く透明になっている。その隣の球体も上の部分が欠けており、徐々に赤い部分が消失していくようだ。合体デルヒの猛攻を受け続けたカニャッツォの頭の横で、二番目の球体が完全な空となる。同時にカニャッツォが爆発四散して即死。無惨な死に様に誰もが目を覆いそうになるが、直後。


「ふっかあぁぁぁつ!」


 雄叫びと共に起き上がるカニャッツォ。容赦なく合体デルヒの怪光線が彼に襲いかかるが、今度は命中せず、巨体をすり抜けてしまう。よく見ればカニャッツォは半透明となり点滅している。誰かが呟いた。「復活直後は無敵状態なんだ」と。ブルドッグ氏族持ち前の耐久力の高さがそのまま生命力となってあの赤い球体として表現されているのだとすれば、複数ある赤い球体が全て空にしなければカニャッツォは殺せない。カニャッツォの他にも、失敗と再挑戦の権利を与えられた者たちが果敢に合体デルヒに挑みかかっていく。


 そして、対峙する二大勢力の頂点たちがいる場所に場面は戻る。

 そこに現れた氷の魔女こそが全ての原因だった。

 コルセスカが現れると同時に引き起こされた異変の数々。

 発動したのは世界そのものを変容させる森羅万象オムニバース型の浄界。

 その正体を理解したアキラデルヒが、戦慄と共に口を開く。


「まさか貴様――ゲームと現実の区別がついていないのか?」


「下らないことを訊かないで欲しいものです」


 トリシューラの隣に並んだ冬の魔女コルセスカは、問いには答えずにそう言った。凍れる右目も、少しだけ伸びた肩口までの白銀の髪も、身に纏う白の衣裳も、何一つ変わらないコルセスカのままだった。同じように内面も何一つ成長していない。普段の通り、戦闘中であっても構わずに義眼内部で携帯ゲームを起動させ、真剣な状況でも早く帰ってお布団にくるまりながらゲームをしたり漫画を読んだりアニメを観たりすることばかり考えている。


「長い時の旅を経て、私は強く成長しました。具体的には、これからは冬の魔女系統ではない歴史モノにも色々手を出して行こうかな、という感じですね。興味や関心の範囲が広がるということは視野が広がるということ。邪視者にとってこれほどの成長が他にあるでしょうか。いや無い」


 大まじめに言いながら、端末で色々と検索を始めるコルセスカ。歴史上の美形武将たちが覇を競い合う戦略シミュレーションゲームや恋愛ゲーム、関連商品などを発見して「これは」と目を見開いた瞬間、アキラデルヒによる容赦のない一斉射撃がコルセスカを襲う。


「邪魔です」


 無造作な一瞥。それだけでアキラデルヒが完全掌握したはずのウィッチオーダーによる『遠当て』が無力化されてしまう。愕然とする英雄に、冬の魔女はやや苛ついた口調で語りかける。


「今私は大事な作業中です。気が散るのでそれはどこかにしまってください」


 氷の右目が妖しく光り輝くと、巨大な砲の群が次々に凍結して落下していく。ぱちりと指を鳴らすと同時に氷塊が砕け散り、アキラデルヒの武装が全て失われた。一瞬の決着。唖然とするアキラデルヒの目の前に、氷の球体が浮かび上がる。それは液体のように変幻自在に姿を流動させていき、人の形を作り出した。


「それと、アキラの身体は返して貰います」


 阻止しようと動いたもう一人のグレンデルヒをトリシューラが牽制し、無防備になったアキラデルヒに氷の像が襲いかかる。体格だけが一致しているが、顔かたちは似ても似つかない。氷像ゆえに細かい容貌は判然としないが、表情に浮かぶ気質からして完全に別人だ。同じ存在を元にしていても、本質は決定的に異なる。それは指向する在り方が異なるが故に。


「馬鹿な――」


 アキラデルヒの愕然とした呟き。彼の腹部が隆起して、細長い何かがそこから顔を出す。五指を兼ね備えたそれは、紛れもない腕だった。かつて失われトリシューラによって隠匿されていたシナモリアキラの生身の左腕。再生者カインが死せる人狼となってまでアキラの下に届け、希望を繋いだ鍵となる栄光の手。勝利を掴む為の死した部位。


「――こんな、ことが」


 アキラデルヒはその存在に宿る『サイバーカラテユーザーとしてのアキラ』を参照して、更にグレンデルヒとして精錬させて実行するという手続きを行う。『より優れた存在である』という彼の在り方はその比較対照を行わざるを得ない。グレンデルヒというトルクルトア機関が作り上げた万能のシステムに生じた不可避の欠陥。わずかな遅延がアキラデルヒの生死を分けた。サイバーカラテ道場を参照してそれを上回る『最善の結果』を導き出そうとしたアキラデルヒは、一瞬だけ最適解に届かない。届かないまま、目の前の明らかな囮に気を取られて何の脈絡もなく腹部を突き破って出現した腕に対処する事ができなかった。


「私のこの権能は知らなかったようですね。パパになった気分はどうです? かわいいかわいいアキラ様の左腕ですもの、きっとさぞ嬉しいでしょうね」


 コルセスカの口調が僅かに変化して、白銀の髪色が一瞬だけ蜂蜜色に、瞳の色が灰に染まる。儚い幻のようだが、もう一人のコルセスカは確かにそこにいた。そして、同じようにコルセスカと一体化していたシナモリアキラは今は分離して自分自身に産み落とされていた。自らが生と死を孕むという転生者特有の魂の形を利用した、死人の森の女王の転移呪術。手孕説話という奇怪な伝承を下敷きにした腕の出産を攻撃に転用したのだった。


「ぐ、が――」


 想定されている『万能の才人』なら予測不能な正体不明の呪術攻撃であっても容易く対処して当然だというのに、なんという失態か。己の万能性への確信を失い、アキラを侵食していたグレンデルヒという存在が急速に力を失っていく。他者より優れた最強者であることがグレンデルヒという呪術的存在の成立条件であるならば、その前提を突き崩すことでグレンデルヒは存在を維持出来なくなる道理だった。そうしてアキラを乗っ取っていたグレンデルヒは倒された。一撃で倒されたのだ。


「ぬかった――だがまだ駒はある!」


 魔導書と巻物を手にしたもう一人のグレンデルヒが叫び、トリシューラの猛攻を凌ぎながら跳躍。巻物によって発生させた呪術障壁で身を守りつつ、過去に存在した様々な賢人たちの先行研究を参照、引用しながら巨大な呪術を組み上げていく。阻止しようと数人のトリシューラが銃撃を加えるが届かない。


「なら、これで!」


 回転翼で浮遊するドローンが上空から落下するように突っ込んで自爆。熱と爆風の中から遮蔽装置を搭載した一人の幼いトリシューラが突撃して障壁の内側から至近距離で散弾を放つ。回避も防御もできないままグレンデルヒの全身が硬質な音と共に砕け、黄褐色のスーツが引き裂かれていく。


「くっ」


 致命傷にはならなかったがいくらかのダメージを受けたようで、グレンデルヒは巻物を取り落とす。破けた衣服の胸元を手で隠しながら後退し、懐から取り出した球体を投擲する。それは即座に弾けて黒い煙幕を立ちこめさせた。呪術的な索敵すら欺瞞する呪術煙幕の中、トリシューラは構わずに銃を乱射。しかし煙幕が晴れた後に彼女が目にしたのは、破けた黄褐色のスーツとその中に包まれた壊れたドローンの残骸だ。


「ああもう、逃げられた! けど、あれって――」


 トリシューラが眉根を寄せて思案している後ろで、一つの結末が訪れていた。

 上書きされていた壮年男性の顔は既に無い。腹部から己の左腕を生やしたシナモリアキラが、遂に元通りとなった鋼鉄と氷の義肢で左右から中央の手を包み込む。三つの手が絡み合った。


 シナモリアキラは安定している。欠けていたものを取り戻したことによって、以前よりも一層、精神が調和した状態となっているのだ。加えて、今の彼には左腕内部のスタンドアロンシューラが疑似再現しているアプリケーションの数々がある。調整、改造されたそれらは原形を留めていないものの、それらは彼に懐かしさと心強さをもたらしていた。


 そして、シナモリアキラを支えるものがもう一つ。

 腹部から生えた左腕を包み込むように、放射状に白骨が生えてきていた。肉を引き裂き、血液と共に溢れ出てくる動物のシルエット。白骨死体の出産だというのに、そこには生命の躍動があった。ただし、神経の通っていないそこに痛みは無かった。感覚は凍り付いていた。シナモリアキラは痛みを冬の魔女に肩代わりさせたまま、左腕を飲み込むように現れた狼の頭蓋骨に両手で触れる。


「カイン」

 

 呼びかけると、白骨の屍狼が左腕を飲み込んだままアキラの腹から這い出して、地面に降り立った。血液が大量に流れ出すが、瞬時に凍り付いて傷が塞がっていく。もう一人のグレンデルヒが撤退したことで手の空いたトリシューラがやってきて、治癒符による簡易治療を施す。


「ふむふむ、なるほどなるほど。色々あったんだねえ、二人とも」


 本体のトリシューラが、一時的にスタンドアロンの左腕ちびシューラと同期して瞬時に相手側の状況を把握した。多くの言葉はいらない。トリシューラとコルセスカ、そして二人の使い魔であるアキラはようやくその場に揃い、互いに視線を交わす。


「アキラ、今からもう一度憑依するので、準備をして下さい」


「いいのか? 今は手が足りないし、別々に分かれて戦った方が――」


 コルセスカは「いいえ」と否定して、その姿を変貌させた。蜂蜜色の髪と灰色の目、そして白骨化した右半身を持つ妙齢の美女の姿に。


「私が逃げたグレンデルヒを追いましょう。グレンデルヒの中枢は【変異の三手】の名の通りに三つです。アキラ様の中にいた右副肢、外世界人の中にいる左副肢、そして先程、役立たずの誰かさんが取り逃がした主肢」


「喧嘩売ってるの? 買うよ?」


 トリシューラが死人の森の女王に険呑な視線を向けると、再生者の魔女は「あら、事実を申し上げたまでですわ」とにこやかに微笑み返す。悪化する雰囲気に耐えかねたようにコルセスカがアストラル体を投射してシナモリアキラに憑依して合体する。


「『ええと、では私とアキラとトリシューラで力士デルヒに対処するということでいいですね?』とコルセスカが言っているぞ。俺もそう思うので早く行こう」


 どうにかこうにか仲の悪い二人を引き離して、そういうことになった。

 この不和は後々に禍根を残しそうではあったが、今は目の前の敵を片付けるのが先だ。古代の女王と現代の女王、相容れない二人は互いに背を向けてそれぞれの戦場へと向かう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る