4-78 死人の森の断章∞ 女王と錬鉄者①



 世界槍の内側に広がる可塑性のある空間のことを、砂場サンドボックスと呼ぶ向きがある。広めたのはきぐるみの魔女トリシューラだ。その異称に含ませた意図はともかく、第五階層の権力者が拡散させたふわっとしたイメージは実際にそれなりの呪力を宿して環境を改変した。その結果として、第五階層はわりとやわらかい空間となっている。それは物理的な意味でも、呪術的な意味でもだ。


 巨大な尖塔に、流線型の船体が突き刺さっていた。

 巡槍艦ノアズアーク。きぐるみの魔女トリシューラが所有する次元巡洋艦は、現在グレンデルヒ率いる【変異の三手】によって制御を奪われてしまっている。巡槍艦は壁面を破壊することなく透過して港に乗り付けていた。辛うじて座標を固定できてはいるのだが、船体は激しい戦闘によってボロボロだった。といっても外側から攻撃を受けたわけではない。艦は内側から破壊されているのだ。


 まるで堤防が決壊するようだった。耳を劈く轟音と共に、船体が半ばからへし折れて内側から爆風と瓦礫、粉塵などが弾け飛んでいく。物見高く様子をうかがって、念写動画を端末などに取り込んでアストラルネットで実況などしていた野次馬たちが一斉に逃げ出していく。即座に走り去った者はどうにか難を逃れることができたが、諦め悪く状況を眺め続けていた者は続いて現れた脅威の餌食となった。それは白濁した、汚物の混じった海水の奔流だった。


 巨大な巡槍艦の内側から大量の液体が迸り、その内部を泳ぐようにして飛び出してきたのは魚人マーフォークたちだ。顔は似たり寄ったりの壮年男性のものだが、耳の部分がひれであったりえらであったり、あるいは頭足類の触手だったりと様々な形をしているのが目を引く特徴だ。


 空中を泳ぐようにして移動する無数の影――その名はイアテム。液体によって自らの分身を作り出す事ができる使い魔を扱う高位呪術師。【変異の三手】副長としてグレンデルヒの不在を預かる戦闘指揮官。無数のイアテムたちは、追い立てられるようにして巡槍艦から第五階層へと放たれた。誰に追われてるのか? 答えは暴力によって示された。


「目標を捕捉。殲滅します」


 重々しい駆動音と共に、狼を思わせる獣じみたシルエットが宙を躍る。機械的な無骨さと生物的なしなやかさを併せ持つそれは鋼鉄の獣だ。甲冑と生物の毛皮を無理矢理纏め上げたようなデザインの強化外骨格きぐるみを纏うのは幼い顔に物々しい眼鏡を載せた十三歳のトリシューラ。少女が引き金を引くと、保持している長大な機銃が唸りを上げる。遊筒ボルト内部の撃針が薬莢底部の雷管を叩いて発火、全自動フルオートで銃身から弾丸をばらまいていく。衝撃に揺れる銃床をがっちりとした外骨格が支えているため、射撃の精度は抜群だ。少女の頭に載った狼頭が各種の電子兵装を制御し、ぴんと立った耳型部位が索敵。真っ赤に輝く両目は弾道計算結果と風速計を表示して、魔女の小さな唇は弾道占いの結果を歌い上げていく。


「ガロアンディアン気象庁が本日の天気をお知らせします。本日は全国的に銃弾の雨が降るでしょう。お出かけの際には防弾仕様の防具が必要になりそうです。あっても死ぬ時は死ぬのでご注意を」


 それは呪文だった。魔女が杖を振り回してまじないを行っているのだ。

 円盤車輪型の呪術弾倉が半永久的に異界真言を刻印した転生質量弾を供給し、銃口から『杖』の猛威が螺旋を描きながら解き放たれる。ジャイロ効果をふわっとした空気ノリで歪めようとするいい加減な呪術法則を強引にねじ伏せつつ、自転の角運動量が杖の論理を振りかざしながら弾丸の軌道を安定させる。弾丸の収束率は結果として極めて良好。呪術世界においてあるまじき命中精度で全弾が標的に命中し、イアテムが汚水となって次々と爆発飛散していった。


「おのれ、魔女ごときに!」


 憤怒の声を上げながら弾幕を回避していくイアテムもいた。左右の鰓から幻の泡を吹きながら凄まじい速度で飛行――否、空中を泳いでいる。

 【ウィータスティカのえら耳の民】はその名の通り、他の人類であれば耳が存在する位置に鰓と鰓蓋があるという魚のような種族である。通常の魚類には内耳しか存在せず外側に耳は無いが、鰓耳の民は特殊な発達をした鰓蓋が耳としても機能する。


 だが、海の民とも称される彼ら彼女らにとって、より外界を肌で感じることができる感覚器は他にある。それが側線器官だ。鰓蓋の上端辺りから足に向かって走る細い点状の筋。これこそが水中を伝わる音波や圧力の変化、水の動きを感じ取るための魚本来の『耳』である。


 水中を泳ぐために必須となる感覚器官――であれば、それが幻視、幻聴、幻覚によってこの世ならざる世界を知覚したならばどうなるか。海の民が使う邪視は、アストラルの海を泳ぐためのものとなる。それは少数氏族である【ひれ耳の民】イアテムにとっても例外ではない。自らの邪視部位、肉体の両脇を走る側線器官が淡い藍色に輝き、青い輝きが流水のように男の両脇で渦を巻く。


 イアテムの主観では、高速飛行はアストラルの海流に乗って泳ぐという感覚になるのだろう。靴を脱ぎ捨てて足の水掻きを広げると、驚異的な三次元機動で銃撃を回避し続けていく。そればかりか、彼の周囲では銃弾が水の中に侵入してしまったかのように減速してしまう。反撃に移行するべく水流の刃を手に形成するイアテムだが、そこにもう一つの脅威が襲いかかる。アストラルの海に突如として不可視の気配が現れたかと思うと、凄まじい速度で呪文を構築、たちまちイアテムを捕まえてしまった。妨害呪術によって圧倒的な速度が半減する。


「流石はアルミラージ先生、完璧な仕事です」


 少年の声が響くと、妖精たちがどこからとも無く現れて騒ぎはじめた。小さな神秘は呪文世界の住人で、激しく精密な杖に見つからないようにひっそりとその力をはたらかせていく。


「言理の妖精語りて曰く、僕の計算によればふわっと九割くらいで大勝利です! イアテム恐るるに足らず! あ、みんなあの杖の鎧には見つからないようにね、相性悪いから」


 眼鏡をかけた少年の号令と共に、言理の妖精たちがイアテムたちに襲いかかる。姿無くとらえどころのない曖昧な存在、文脈の流れの中、行間の奥底、言葉の狭間に生きるエル・ア・フィリス。最近になって若い言語魔術師たちの間で急速に広がりつつある呪文が無数の光の粒子となって乱れ飛ぶ。


「言理の妖精、発勁用意!」


 約7,776,000秒――三ヶ月前の『事件』以来、サイバーカラテと共にネットミームとして拡散した呪文が高らかに唱えられる。トリシューラの配下が一人、中傷者ファルファレロは言理の妖精使いにしてサイバーカラテ使いという、まさに三ヶ月前の『事件』が生んだハイブリッドな呪術師と言えた。


 少年の突きと連動して幾筋もの輝きが流星群のように宙を駆け抜けていく。光り輝く妖精たちがイアテムの分身体に命中すると、たちまち形状を崩壊させていった。あらゆる呪術を無効化する【静謐】によって使い魔の集団が無価値な液体に貶められたのである。


 ――第五階層の覇権を巡る勢力争い。その戦況がここに来て覆りつつあった。

 きぐるみの魔女トリシューラ率いるガロアンディアンは女王と主要な戦力が敗北したことで総崩れとなり、地上の探索者集団【変異の三手】と古代王朝【死人の森】の連合は第五階層を支配する寸前まで辿り着いた。


 だがグレンデルヒ率いる探索者集団が勝利する寸前で、死人の森の女王が反乱を起こす。三勢力が入り乱れる秩序無き状況は、トリシューラの帰還によって更に混迷を極めていくことに。だがそれは、複数勢力の思惑が激突した結果として生じる無秩序とは違う。女王が生み出して支配する、制御された混沌の渦だ。

 

 巡槍艦の内部、そして外周部を飛翔する無数の機体。量産型強化外骨格【群狼アーロウン】を纏った沢山のトリシューラたちは、全て本体に劣らぬ性能の杖の魔女――正真正銘のきぐるみの魔女本人だ。本体であるトリシューラが帰還するや否や第五階層に響かせた『遠吠えアーロウン』に呼応して、巡槍艦と第五階層の各所で有事に備えて待機していた過去のトリシューラたちが目覚め、瞬く間に戦況を塗り替えたのだった。


 トリシューラたちは共通規格の機械という特性を利用して同期、連携を行い、次々に敵勢力を撃破していく。トリシューラたちは銃弾を相手によって使い分けていた。イアテムに対しては確実に撃破して敵戦力を減らしていき、無数のグレンデルヒたちに対しては特殊な呪紋を刻印した殺傷性の低いゴム弾を使用し、急所を外して狙い撃つ。そうした銃弾が蜻蛉や蝶などの翅を持った闇妖精のグレンデルヒ、箒に乗った魔女グレンデルヒなどに命中すると、真紅の血がぱっと弾ける。鮮血は一瞬だけ宙に円陣を描いて消える。すると、撃たれたグレンデルヒの顔が発光と共に弾けて消えていく。グレンデルヒに存在を乗っ取られたサイバーカラテユーザーたちが元の姿を取り戻したのだ。


「誰も彼もがグレンデルヒだなんて頭の悪い牽強付会、私の領域で存在を許されると思わないでね――全私、撃つ!」


 自らも強化外骨格を纏って出撃したトリシューラが、全ての自分に号令をかけるようにして一斉射撃を宣言した。轟く銃声。巡槍艦からトリシューラたちに追い立てられてきたいろいろなグレンデルヒたちが、待ち伏せていたトリシューラたちによって次々と撃ち抜かれていく。


 群のリーダーである虹犬デルヒと使い魔の人面犬デルヒたちがきゃんきゃんと鳴き声を上げながら倒れていく。無邪気に走り回る子供デルヒや豊満な肢体から妖艶な色香を漂わせる踊り子デルヒたちは夥しい数の銃声を迅速にそして華麗に回避していくが、瞬時に間合いを詰めたトリシューラ(十歳)が放った投網に掴まり、高圧電流と対グレンデルヒ呪術によってグレンデルヒ性を奪われる。馬デルヒに騎乗した遊牧民デルヒの突撃を真正面から受け止めたのはトリシューラ(六歳)だ。星見の塔にいた同年代の魔女見習いたちを圧倒する運動性能で周囲を怯えさせていた頃の無軌道な暴力性を遺憾なく発揮して、馬ごとグレンデルヒを地面に叩きつけて昏倒させる。


 今のトリシューラはグレンデルヒを駆逐する慈悲無き機械だ。奪われた『ガロアンディアン市民』たちを奪還することで彼女は女王としての権威を回復させていく。自陣営に属する人数を増やす事が第五階層の支配に直結するという戦い。そこには『人を資源リソースとして見なす』という暗黙の了解がある。この戦場には人間存在に対して聖なる価値を認めるという視座が無い。杖の冷徹な原理が世界を覆い尽くしているのだ。


「あなたの浄界、【闘争領域の拡大】は大したものだけど、私には通用しないよ、グレンデルヒ。それは私にとって当たり前の世界観だから。それがわかっていたからこそ私が不在の時期を狙って仕掛けたんでしょう」


 トリシューラは無数のグレンデルヒたちに語りかけるが、答えは無い。構わずに並べ立てられる推測それ自体が呪文となって、グレンデルヒの呪術の効力を零落させていく。種を明らかにされた手品はその神秘性を維持できなくなる。最も単純な形の【静謐】がグレンデルヒの総体を破壊していった。


「三本足の民が浄界を発動させる時は、基本的に『三本目の足』を拡張させる形になる。つまり今展開されているこれは浄界であると同時に貴方の三本足ってことだね。公開情報では明らかにされていないけれど、大まかな推測は可能だよ」


 三本足とは呪物崇拝フェティシズム――すなわち執着する対象のことだ。では、グレンデルヒにとって執着し、崇拝するものとは何か。その答えを口にしようとするトリシューラを必死に攻撃するグレンデルヒたちだったが、複数存在するトリシューラたちは応戦しつつ輪唱するように言葉を続けていった。


「多分、貴方の三本足は『市場』――そうじゃなかったら資本主義それ自体か、さもなきゃ物象化された物同士の間にある関係性の総体あたりかな」


 人は市場で物を取引し、市場で行き交う物を媒介して価値が流動する。物理的に、呪術的に、それは複数のレイヤーで連動している関係性だ。普通に考えれば物理的な世界での人の動きが『もの』や『数字』を変動させるのだが、逆に考えれば『もの』や『数字』にはたらきかけることで人を動かすことができるとも言える――それが使い魔系統が得意とする市場系呪術の基本原理である。


「人と人との関係性を効率的に捉える為の枠組みは、呪術として逆転させれば人間を支配することも可能になる。この浄界内部では人は交換可能な数字となっているってわけ。まあ、私にとっては何を今更ってくらい当たり前のことだけど」


 だからこそ、足りない『それ』を埋めてくれる誰かを魔女は欲するのだ。欠けたものを想いながら、トリシューラは火を吹く杖を振り回してあらゆる価値をがらくたへと貶めていく。銃声、銃声、銃声。


「暴力は価値を破壊する。交換可能な世界、上等だよ。同じ論理に則って、兵力ユニットを消費する戦争ゲームをしよう、グレンデルヒ!」


 苛烈な生存競争の論理で他者を屈伏させるグレンデルヒの浄界は、より強い力を示すことで攻略できる。銃弾は交換価値を有するが、同時にそれを使用することで価値を破壊することも可能なのだ。身も蓋もない破壊と暴力。それは強固に築き上げられた既存社会を粉々に砕いてしまう。


「杖の座は交換価値を司る。全力を発揮した私に、価値操作呪術で勝てると思うな、錬金術師!」


 次々と撃ち抜かれていくグレンデルヒの群れ。その中から二人、他とは一線を画する呪力を宿したグレンデルヒが進み出る。

 一人のグレンデルヒは道着を纏っており、左腕が黒銀の義肢という姿。

 もう一人は黄褐色のスーツに身を包み巻物スクロールを手にしている。

 本体である現代のトリシューラは、義肢を確認すると即座に銃口をそのグレンデルヒに向けた。その肉体こそ、彼女が最も必要としているものだったからだ。


「アキラくんを返せ」


 夥しい数の銃弾を、片方のグレンデルヒが巻物を展開して防御する。広域に呪術を展開することが可能な巻物によって形成された三重の呪術障壁が銃弾の雨を飲み込み、威力を減衰させる。それが三度繰り返されると、失速した銃弾はグレンデルヒに命中することなく落下してしまった。


「【霧の防壁】を三枚重ねとかっ」


 舌打ちしながら武装を切り替えようとするトリシューラに、シナモリアキラの肉体を奪い取ったグレンデルヒが襲いかかる。膝を屈伸させて大跳躍。義肢を振りかざすアキラデルヒが「発勁用意」と吠えながら掌底を繰り出すと、凄まじい威力の呪的発勁が直前までトリシューラがいた場所を崩壊させていく。英雄の呪力が込められた呪的発勁の威力は二人の魔女が調和させている陰陽の呪力にも劣らない。しかし極端な陽の気、男性的で荒々しいグレンデルヒの呪力が肉体の隅々まで行き渡った結果として、アキラの肉体はぼろぼろになっていた。


「私のアキラくんを粗末に扱うな」


「断る。私が私の身体をどう扱おうと文句を言われる筋合いは無い」


 アキラデルヒが不快さを声に滲ませながら吐き捨て、背後の巻物を所持している防御担当のグレンデルヒの影に隠れる。


「そして私は貴様のものではない、魔女風情が調子に乗るな。真の英雄を軟弱な女ごときが使役しようなどという思い上がりは、この私が正してくれよう」


「その言動、やっぱり私たち魔女と戦う為の対抗呪文だね」


 トリシューラは相手の呪術の本質を探ろうとするが、アキラデルヒの表情は広げられた巻物に隠れて見えない。防御を行うグレンデルヒがトリシューラが新たに持ち出した兵装を見てぎょっとした表情になる。背中から補助腕によって前へと出てきたのは長大な槍とも銃ともつかない武器だ。先端は三叉槍のように鋭く尖っており、凄まじい量の情報が渦を巻いて放電現象を引き起こしている。


 この状況で出したという事は、まず間違い無く三重の呪術障壁を貫通可能な杖の呪具だ。そう判断して即座に巻物を引いて背後に下がるグレンデルヒと、前に出て行くアキラデルヒ。時間稼ぎは終わった。準備が整った以上、後は攻撃に転ずるのみだ。黒銀の義肢、アーザノエルの御手【ウィッチオーダー】がその真価を発揮する。


「見せてやろう、貴様らには到底不可能な、英雄の戦い方というものを!」


 トリシューラが槍の先端から撃ち出した雷撃を、巻物に替わって取り出された一冊の書物が吸い込んでいく。防御したグレンデルヒの姿が一瞬ぶれて、緑色の長衣を纏った美しい男の幻が重なる。「来たれハタラドゥール、樹木の亜竜よ」という言葉と共に細い樹木がグレンデルヒの全身を覆い、電流がそれを伝って地面へと逃げていく。グレンデルヒが使う紀元槍の制御盤、魔導書【神々と128人の魔法使いたち】が過去の賢人を参照してその力を引き出したのだ。続けて、アキラデルヒが攻撃用の賢人を呼ぶ。


「百二十二番目の賢人、ロザンディン教授よ来たれ――我こそはキュトスの姉妹を掌握する配列者なり!」


 魔導書と義肢が光り輝くと、アキラデルヒの周囲に九つの巨大質量が出現する。それは第五階層の物質創造能力を利用した物質変換。生成されたのはいずれもアキラデルヒを小さく見せてしまうほどに長大な砲身だった。それぞれに色彩、装飾の細部が異なり、アキラデルヒの右から左へと扇状に並んで浮かぶ。それを見たトリシューラの表情が変わった。


「まさか、ウィッチオーダーの封印をもう解除したの?!」


 トリシューラとその使い魔がかろうじて最初の一つを使いこなせるようになってから早三ヶ月、それ以来、他の八つの封印された機能が解放されたことはない。九人の姉を模したウィッチオーダー最強の形態はトリシューラにとってさえ謎のままなのだ。だが、アキラデルヒはつまらなさそうに言う。


「貴様ら魔女のまじないなど使うはずが無いだろう。これは私なりの再解釈だ。英雄に相応しい形への上書きというものだよ。サイバーカラテの『遠当て』を見せてやろう。発勁用意――撃てっ!」


 アキラデルヒの腕が突き出されるのと連動して九つの砲身が唸りを上げ、それぞれの銃口から様々な呪術が発動していく。それは定説とは異なった解釈の『キュトスの姉妹論』を唱えた男の世界観が反映された形の九姉の名。地上にとって、そして槍神教にとって都合の良い形になるように配慮された『偉大なる槍神に侍る九天使』の名が英雄の命令によって実体化する。


 第一義肢【ヘリステラ・アラインメント】が槍神を運ぶという炎と雷の車輪を射出していき、第二義肢【エトラメトラトン】が槍神の足場とされる浮遊機雷をばらまいてトリシューラたちの行動を妨げる。第三義肢【ディアシェンカ】は槍神の賜り物である煌めく呪宝石弾を次々に射出して虹色の破壊を振りまき、第四義肢【カチャルマリーナ】が槍神に捧げる聖歌である呪文の群れを吐き出してアストラル空間でちびシューラたちを吹き飛ばしていく。第五義肢【ヴァイオレットシャンズ】が生み出す槍神の召使い、すなわち自律機動型攻撃端末とトリシューラが操作するドローンたちが激突。第六義肢【エルザノエル】はその真価を発揮する前にトリシューラ十三歳の狙撃が辛うじて間に合い撃墜される。だが続く第七義肢、槍神のために我が身を炎の中へと投げ入れたと言われる【ビェークレット】が放った火炎と第八義肢【ラクルルルアルル】が放った槍神の頭髪たる単分子カッターが傷付きやすい十三歳のトリシューラを行動不能に陥らせ、第九義肢【シャルロッテネイス】が槍神の吐息とされる大気制御機能によって大規模な【空圧】を発生させて全てのトリシューラの動きを一時的に停止させる。


「終わりだ。砕け散れ僣主トリシューラ」


 無数の砲口が一斉に本体トリシューラを向き、魔女の頭上に巨大な剣が出現する。ダモクレスの剣。僣主殺しが成立すればガロアンディアンは女王諸共に滅びを迎える。地獄で生み出された呪術を躊躇いなく使用して敵を追い詰めるアキラデルヒは、紛れもなくサイバーカラテの理念を体現する交換可能性の怪物だ。


 閃光が膨らんで、無人兵器の数々が極大呪術に飲み込まれて消滅していく。破壊された巡槍艦や人のいなくなった発着場を破壊の渦が蹂躙し、即席の箱形建造物やコンテナ、小型巡槍艇などが巻き込まれ、石造りの床面がめくれて吹き飛んでいった。目の前に迫った破滅。トリシューラは全力で回避を試みるが、吹き荒れる【空圧】に掴まって思うように動けない。万事休すと思われたその時、涼やかな、懐かしい声が響いた。


「凍れ」


 世界が停止したかのような静寂。

 凍てつく呪文が引き起こしたのは、あらゆる呪術現象の停止。

 言葉は氷の義眼を起動させるための鍵だった。幼い頃に決めた合い言葉。その瞳の呪具は、二人の魔女がはじめて一緒に完成させたものだったから、意見が噛み合わずに喧嘩になったことをトリシューラは思い出す。短い方が実用的だと言い張るトリシューラと、長く格好良い方が気合いが入ると主張して譲らない使用者本人。折衷案として『短くて格好良い』ものをどうにか選び出した時には二人して手を合わせて喜びを分かち合った。そんな他愛のない記憶。


 『これで何があっても』と記憶の中で彼女は言った。『貴方を守ってあげられますね』――そんなふうに、いつだって優しく微笑んで傍にいてくれる。今はもう小さな頃とは何もかもが違ってしまっているけれど、変わらないものはきちんとあるのだと、トリシューラは確信を得た。


 彼女が前世に存在を侵食されるなどあり得ない。トリシューラと過ごした時間、刻んだ思い出は、今ここにいる二人だけのものだ。だから消えない。どんなことがあっても、必ず帰ってくる。トリシューラは空間を硝子のようにぶち破って現れた自らの姉に、万感の思いを込めて呼びかけた。


「お帰り、セスカ!」


 

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