4-77 トリシューラ・カムバック②




 絶叫。

 驚愕と激痛、勝利の確信がへし折られたという動揺。

 様々な感情が込められた声が、長く室内に響いた。

 砕けた拳から大量の血を流して、必殺の一撃を繰り出したはずのネドラドが大きく飛び退った。最大級の警戒を視線に込めて、それを睨み付ける。


「何だ――それは」


 答えは無い。

 透徹たる無表情。真紅の髪、緑色の瞳。黒銀の肌に蠢動する贄の血肉。

 トリシューラは球形の障壁から上半身を覗かせて、じっとネドラドを見つめている。ただ、見ている。


 そのことがどうしようもなく恐ろしくなって、ネドラドは全身から波動のエネルギーを放出する。掌をつきだして、遠距離からの攻撃。

 だが、鉄をも貫通する衝撃波は魔女に届く直前で消失してしまう。

 赤い鮮血が魔女の周囲を取り巻いて、舞うように流動していく。


「アッシアー」


 言葉はそれだけ。

 そうして魔女は、深い緑色の瞳でネドラドを見る。

 ただ、全てを見つめている。

 杖の担い手として、観察者ウォッチャーとして。


 起きていることは、ただそれだけ。

 にもかかわらず、ネドラドは根源的な恐怖をかき立てられたのか、自らを奮い立たせるように、怒りを思い出そうとするように雄々しく叫び声を上げる。

 アンドロイドの魔女は、無表情のまま、小さく呟く。


「そう。この段階で上位の私が介入しなければならないケースは想定外。計画の修正が必要? それとも、コルセスカが頑張っている影響が出ている?」


「わけのわからないことをっ」


「いずれわかる。貴方は本来、私の敵では無いのだから」


 どこまでも、その心の内側までも見透かすような視線に、ネドラドは激昂した。言葉の意味を、『相手にならない』という意味だと解釈したのだ。そしてそれは事実だった。目の前にいる魔女は、今まで対峙してきたものとは根本的に異なる存在だった。トリシューラの中には、『何か』が潜んでいる。アンドロイドの魔女を規定する、より上位の神々しき『何か』が。


 ネドラドの頬を冷や汗が伝う。

 最強の杖殺しである自分にとって、この魔女は容易い相手のはずだというのに、修道騎士として数々の戦いを潜り抜けてきた勘はこう告げていた。挑めば死ぬ。決して勝てない。次の瞬間に自分は命を落としてもおかしくないのだ。


 不意に、緑の目がまたたいた。

 きょとんとした表情。


「――喋り過ぎた。時間切れ」


「は?」


「構わない。流れは繋がったから」


 魔女は不意にネドラドから視線を逸らして、上の方を見た。

 呆然とするネドラドの目の前から、神々しいまでの巨大な気配が消失する。

 浮遊する鮮血が落下して、後にはわけも分からずに座り込むトリシューラ。理解不能な展開。だが今なら勝てるとネドラドは確信して、波動を拳に纏わせる。このまま無防備なトリシューラに遠距離から攻撃を叩き込めばそれで終わり。 


 腰を落として拳を引いたネドラドが波動のエネルギーを練り上げたその時。

 投擲された呪符が爆発してネドラドの体勢を崩し、更には天井にある照明のひとつが爆破されて落下。反射的に回避したネドラドに向かって声がかけられる。


「おっと、足下に注意だぜ、ネドラドさんよ」


 粗野な男のような、少年のような、聞くものにとっては少女のものにも聞こえる不思議な声が響いた。

 照明が一つ砕けたことで濃くなったネドラドの影が蠢いて、触手となってその足を束縛する。夜の民が得意とする呪術。


「誰だっ」


「強いて言うなら『みんな』かな。私は全然気づけなかったから、名乗るのは気が引けるけど――お久しぶりです、ネドラドさん」


 部屋にわだかまった濃い影が蠢いて、一つの形をなしていく。

 それは漆黒の全身鎧を身に纏った物々しい姿をしていた。

 影から現れた黒騎士は、鋭角な部品を組み合わせた甲冑の至る所から黒い靄を立ち上らせ、足下の影から触手を蠢かせている。重厚な足音と鎧が鳴る音がして、威圧感にネドラドの表情が引き締まる。



 鎧の作りは松明の騎士団が採用している新型の神働装甲を基調としたもので、黒い色彩は夜の民仕様のものだ。よく見ればその背はかなり低い。重々しい歩行音も、その実体は脆弱な身体能力を増強するために鎧そのものが駆動して着用者を運んでいるからこそ生まれるものだ。


 しかし、通常の黒い神働装甲には見られない特徴が一つ。

 低い身長にも関わらず、威圧感がある原因。

 禍々しい呪力を発する枝角が、頭部から伸びているのだ。

 特別なシルエット。それだけで、黒騎士の正体が理解できた。

 黒騎士は直前とはうって変わって粗野な口調で言葉を紡ぐ。


「理由はわからねーけどな。何でかここに来なきゃならねえような気がしてよ。アズ公に無理言って連れてきて貰ったってわけだ――いや、それは私の意思でもあるから別に気にしなくていいんだよ? どっちにしろ、ハルとかタマちゃん先生も非常事態だって言ってたし。いや、そうは言ってもよ」


 声音を使い分けて一人芝居を始める黒騎士。

 奇妙な振る舞いだが、それがこの修道騎士の特性なのだとネドラドは正しく理解している。序列こそネドラドよりも下ではあるが、その潜在能力は計り知れないということも。


「ま、幸いここは地上の【ゲート】のすぐ傍だ。アズ公が立ち入る分にゃあ問題はねえ――それにネドラドさんには捜索依頼が出ています。その手と足、一体何があったんですか? できればお話を」


「黙れ。僕はもう修道騎士であることを捨てた。いずれにせよ、この身は既に再生者だ。女王の理想に従って戦うのみ」


 波動で影を吹き散らして、神速の踏み込みで黒騎士に接近していく。

 ネドラドの目にも留まらぬ拳打。神働装甲は杖の産物ゆえに触れれば一撃で破壊できる。だが鋭い掌打が放たれようとしたその時、触手が伸び上がった。


「油断大敵だ」


 影が爆発して、内部から大量の呪符が撒き散らされる。

 荒れ狂う風と爆炎に動きを阻害され、続けて床そのものが奈落のような口を開いてネドラドを一瞬で飲み込もうとする。重力が触手となって彼を束縛。波動を足裏から噴射して上昇しようとするも、減速符が重ねて発動してその動きが遅延。抵抗虚しくネドラドは闇の中に沈んでいった。


「脚が自慢の奴ってのは最速で目標に到達しようとする。つまり軌道が読みやすい。罠を仕掛けとくのは簡単ってわけだな――そうは言うけど、上手に隠すのは難しいよ? そこは慣れだ慣れ」


 あっさりと攻防を制して、黒騎士はまたしても一人芝居を始める。

 それを、トリシューラは呆然と見つめて、問いかけた。


文彩レトリックの魔女――アズール、どうして」


「直接の理由は『虫の予感』だけど、一応ちゃんと確かめたよ」


 黒騎士は、刺々しい部品が組み合わされた兜を軽く横に倒す。

 小首を傾げたようだが、その姿でやられても不気味なだけだった。


「気付いたのはリールエルバで、確かめてるのはミルーニャ。私が来たのはカインが気にしてたのと、ネドラドさんのことが気になったから」


 その時、神働装甲に備わった通信機能が作動した。ざざっとノイズが走って、空間を越えて通信が入る。グロートニオン結晶が呪力を灯して輝く。


(こちらミルーニャ。アズーリア様、確認とれました! 月にいるきぐるみ女、あれやっぱり偽物です。マゼンタの奴が動いてるってことは、高い確率で裏にラクルラール派が動いてますよ。敵はトライデントです)

 

「了解。報告ありがとう。できればそのまま監視して、可能なら捕まえて欲しいんだけど、ミルーニャならできるよね?」


(はーい、お任せですぅ! アズーリア様の頼みとあらば、マゼンタの人形兵団くらいちょちょいのちょいですっ)


 通信が終了する。

 黒騎士――アズーリア・ヘレゼクシュはトリシューラの方を向くと、兜の内側で改めて口を開く。


「この場合、久しぶり――でいいのかな。それとも、はじめまして? ま、いいや。助けに来たよ、ノーレイ」


「見返りに何を求めるの?」


「いや、同盟相手だし、敵はトライデントだし、もうちょっと何か――ううん、杖使いってこんなものかなあ?」


 唸る黒騎士。それを醒めた目で見つめて、トリシューラは続ける。


「そう――いいよ。私のフォービットデーモンとしての権限が欲しいんでしょう? 貴方の参照先に、私を含めればいいよ。ノーレイ――陰色、無明の力を」


「あ、うん。実はハルにそうするように言われてて――話が円滑に進むのは助かるけど、何か、こう、心温まるやりとりとか、初対面だし――」


「ネドラドはまだ死んでいない。多分すぐに影から這い出してくるよ。それで、ここは地上のゲート付近なんだよね? すぐに第五階層に向かわないと」


 立ち上がろうとして、トリシューラは硬直した。

 砕けた脚を見て、立ち上がれない事実を改めて確認する。

 黒騎士はそれを見て、無造作に左手の籠手を外した。

 現れた剥き出しの左手が、多色を内包して煌めく。


射影即興喜劇アトリビュート――」


 九つ連なった金鎖が、一つ砕けて散った。


「――真紅玉髄カーネリアン!」


 続けて起きた現象に、トリシューラが瞠目する。

 彼女自身を参照して発動したアズーリアの固有呪術。

 その力は、信じがたい奇跡を引き起こしていた。


 血のような色彩が、トリシューラの全身を修復していく。

 肉塊との融合が解除されたアンドロイドの身体は無機物だ。

 だというのに、機械であるはずの身体が治癒されていく。

 それは癒しと再生の光。

 活力を与え、機械すら自然治癒させる生命の赤い光。


「もいっこ重ねて、真翠玉エメラルド! 連関合成――鮮血石ブラッドストーン!!」


 それは、機械も生命であるという前提に立った癒しの術。

 修理でも補修でもなく、命が循環する摂理に基づいて機械が回復するという、超現実の光景を実現する力。消耗した『肉体』を賦活させ、身体能力を強化する杖-使い魔系統に属する付与呪術エンチャントだ。


「信じられない――それに、この赤が私の色なの? 私のかつての号は、暗い陰の黒だったんだよ?」


 呆然と、自分の身に起きている事態に驚くトリシューラ。

 アズーリアは少し得意げに胸を張って言った。


「私は、貴方のあるがままの姿を語っただけだよ。闇や陰なんて実体としては存在しないんだ。それは光が無い状態を指しているだけ。夜の民の私が言うのもなんだけど、私みたいなのから一番遠い、杖の叡智だからこそ貴方の『ほんとう』を照らし出せるんだ――って、ミルーニャが言ってた」


「メートリアンが?」


「うん。細かい『命名規則』はセリアと相談して決めてるんだけどね」


 輝きの色は、血のような赤と黒。

 光は収束して宝玉となり、ビーズのように連なった煌めきは実体を持ち、トリシューラの左手首で腕輪となった。それはオカルティズムを体系化して宝石パワーストーンの形で表現したもの。呪石の一大産出国であり、呪宝石の加工技術において地上屈指と謳われるドラトリアの技術がその呪具を実体化したのだ。


「イエローが? どうして――私、あの子には嫌われてるとばっかり」


 トリシューラは猫耳の少女を思い出しつつ、怪訝な声で訊ねる。

 幼い頃の杖の座を巡る競争で、トリシル=リールエルバは敗北した。その妹であるセリアック=ニアはトリシューラを敵視していたはずだ。


「リールエルバのことがあるから嫌いだけど、貴方自身のことは好きなんだって。結構珍しいんだよ、セリアが誰かを好きって言うの――まあこれ、私のことがあらゆる意味で嫌いって言うための前振りだったんだけどね」


 聞かれてもいないことを勝手に述べつつ、一人で落ち込むアズーリア。

 トリシューラは治癒していく自らの肉体を眺めつつ、複雑な表情をした。いつの間にかテクスチャは復元され、生身の人のような姿となっている。


「でもこんなのは言葉遊びだよ。私は、どんなにごまかしても生き物じゃない」


 弱気な声は、ネドラドとの戦いで消耗したためだろう。

 意識総体レベルの低下によって精神は不安定になっている。

 だからこそ、こんなにも心が揺れ動いてしまうのだ。

 そんなトリシューラに、アズーリアは柔らかい声で語りかけた。


「――心は呪文、脳は杖。心を杖でつかまえられたなら、それはきっと私たちが手を取り合える証明になるって思わない?」


「いつか、敵になるのに?」


「トライデントをどうにかして、ハルが貴方たちに勝ったら、きっと私のお師様は理想的な世界を作り出す。絶対に、貴方を疎外するような世界にはしないって、約束する。私も同じ気持ち」


 力強く保証する黒騎士の左手が、より一層鮮やかに輝いた。

 トリシューラの肉体は、既に完全に復活していた。

 気力、呪力、体力すべてが万全の状態で、いつでも出発できる。

 立ち上がりながら、不本意さを声に滲ませて口を開く。


「――貴方に対して、好悪の感情を抱くのは止めようって思ってた。そもそも無駄だし、私とアキラくんの関係はそういうのじゃないし。けど」


 眉間に皺を表示して、強く睨み付ける。


「それはそれとして、やっぱり私、貴方が嫌いみたい」


 兜の奥の表情は見えない。

 黒騎士は、敵意を軽々と受け流して言った。


「そう。私は、貴方のこと嫌いじゃないよ。だって私たちって、形は違うけど似てると思うから」


「うん、そうだね。私も貴方の在り方は好ましく感じる――だから嫌い」


 トリシューラは黒い甲冑から視線を逸らして呟いた。

 それを認めるのが不愉快だと態度で表明する。


「うーん? まあ、そうかもね。私は結構好きだよ、ノーレイのこと。あ、そうだ。初対面だけど、これから会う機会も増えるだろうし、トリシューラって呼んでもいい? そういえばリーナがなんか変な渾名付けてたよね。えっと、シューらんだっけ?」


「――やっぱりこの触手生物、たこ焼きにして喰ってやろうかな」


「ちょっとやめて角を引っ張らないで、あとタコヤキって何?! なんか不穏な響きだよ?!」


 などと、間の抜けたやりとりによって空気が弛緩していく。

 その時黒騎士の影からぴょこんと長い耳が現れた。白と黒に染まった兎が、二人に向かってとある提案を行う。二人はそれぞれ意味がわからずに首を傾げた。

 その意味を正しく汲み取れたのは、たった一人。


「悪い、アズ公。ちょっと分身してくんねえか。ほんのちょっとでいいから、一人で動けるだけのリソース分けてくれや――何、単独行動? 構わないけど――え、タマちゃん先生まで何なの? 録音? いきなりそんなこと言われても」


 アズーリアは戸惑いつつも、言われたとおり短い呪文を紡ぐと、そこに自らを構成する『記憶』の一つを封じ込めてトリシューラに託した。

 それが終わると用は済んだとばかりに兎が引っ込む。

 奇妙な一幕だったが、兎にも角にもこれで一通りの用事は済んだ。


「じゃあ、私は行くから」


「うん、アキラによろしくね」


 舌打ち。

 鋭い早口でまくしたてる。


「あのね、やっぱり勘違いしてるみたいだけど、私はそっちと仲良しごっこがしたいんじゃないの。ハルベルトだってそれは同じはず――『わたしはみんなであってみんなじゃない。みんなはわたしであってわたしじゃない』」


 トリシューラが何かの決まり文句めいたことを言うと、アズーリアは簡単な暗号を解読するかのように頷いて言った。


「ああ。それはちょっとわかるかも」


 二人は、間違い無く言葉以上のもので通じ合っていた。

 それは、両者の本質的な在り方に由来するものだ。

 ふん、とこれ見よがしに鼻を鳴らして、トリシューラは続ける。


「きぐるみの魔女である私は、誰かと重なり合うことはあっても同一にはならない。私はラクルラールお姉様の下で、使い魔の派閥にも所属している。だからこそ誰かと手を取り合うこともできるけど、私が使うのは融血呪じゃないんだよ」


「そっか。それ聞いて、ちょっと安心した」


「安心するな馬鹿。鮮血呪は、黒血呪の裏返しだっていうのに」


 苛立たしげに吐き捨てて、トリシューラは室内から退出していった。

 残されたのは、影を纏った黒い修道騎士のみ。

 しばらくして。


「ふー。何とか納得してくれたみたい。状況の報告とここまでの案内、ありがとうね――今の名前はファルファレロ、だっけ?」


 黒騎士の兜のすぐそばに、燃える翼の紋様が出現する。

 呪文によって構成されたアイコンが、少年の声で返事をした。


「師兄の頼みとあらばこの位はお安いご用です。というか師姉? どっちだ? まあいいや。それより、これ本当に大丈夫なんでしょうか。僕、あの人に泳がされている気がしてならないんですけど」


「ばれたならばれたで構わないってハルは言ってたよ?」


 アズーリアと会話をする姿無き少年。彼はガロアンディアンの内情を探ることを命じられたハルベルト配下の間諜である。第五階層でファルファレロと呼ばれている少年は、怯えを声に滲ませながら不安を吐露した。


「その場合、僕の身柄はどうなるんでしょうねぇ――正直なところ、僕にとってはトライデントなんかよりトリシューラ大姐の方がずっと得体が知れないですよ。お師様なんて四魔女の中じゃあ可愛いもんじゃないですか」


「言っておくけど、この会話ハルに聞こえてるからね?」


「あっ、今の発言はあれです、褒め言葉と言いますか偉大なる師父におかれましては真理を賜ったご恩に感謝を申し上げると共に――」


「師母って呼ばないのは政治的配慮が足りないから後で厳罰ってハルが」


「つっ、慎んでお受け致します――ううっ、終わった。僕の人生終わった」


「あと、『あなたじゃ本気を出したイアテムの相手は厳しい。ハルの仮想使い魔を何体か貸してあげるから頑張るように』だって。はい、どうぞ」


 角の生えた兎を始めとした幻獣たちが影から飛び出してくると、わっと歓喜の声が上がった。


「ありがとうございます! いやあ流石は殿下! 気前がいい! 相手の立場になって考えられる人って素敵です! イルディアンサ国民として鼻が高い!」 


「おべっかが露骨でむかつくから課題の量増やすって」


「あっ、はい、もう余計な事言いません。黙って戦闘に戻ります。よっしゃぁ見ていて下さいセージさん、今の僕はまさに無敵! グレンデルヒだろうがイアテムだろうがちょちょいのちょいですよ! アルミラージ先生、お願いします!」


 そして、通信が終了した。


 遠い第五階層で、アストラルネットを超えた援護が状況を打開していく。

 共通の敵に対抗する為の同盟。綺麗事ばかりではなくとも、今この瞬間だけは異なる派閥同士で手を取り合える。

 そのことに満足な感触を得たのか、剥き出しの左手をぐっと握る。

 そして、足下の奈落に向かって語りかける。

 ぞっとするほどに暗く、刃のように鋭い敵意を込めて。


「さっさと出てこい。もう束縛は解除できているはず。それとも、私と戦って負けるのが怖いのか? 引退した負け犬のくせに、安い誇りがそれほど大事か」


 アズーリア・ヘレゼクシュは言語魔術師見習いであり、そのためか初歩の呪文である【挑発】を多用する傾向がある。

 これは呪文を習いたての者が言葉を使って相手の精神に干渉するための基礎的な技術を磨くための教練用の呪術だ。


 煽り、罵倒し、蔑む。相手の怒りを誘い、それによって相手の弱みや心に抱えた大切なものを探る。言理の妖精によって言の葉を操るアズーリアにとって、それは本命の打撃を命中させるための牽制や軽い打撃のようなもの。

 基礎中の基礎であり、前衛が敵意を集めるためにも使う。

 アズーリアが戦いの時に荒っぽい言葉遣いをするのはこのためだ。

 

 挑発が有効だったのかどうかはともかく、奈落から飛び出してきたネドラドは全身に波動を纏って万全の態勢だった。戦意は黒騎士に向いている。トリシューラを追いかける為に、排除しなければならない障害だと認識しているのだ。


「どいて貰うよ。僕は女王の手足として、人を不幸にする行き過ぎた文明社会、ガロアンディアンを破壊するんだ」


「もうすぐあそこでハルのライブがあるの。みんなが楽しみにしてるし、最高に盛り上げるって決めてるんだから――邪魔をするなら私がぶっ殺すよ」


 光に包まれた拳が構えられ、巨大な斧が振り上げられる。

 藍色の波動を纏って疾走するネドラドと、影絵の戦斧と厚みのない黒い方形盾を構えたアズーリアが激突した。




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