4-72 死人の森の断章∞ 生と死/トライアンドエラー




 役者は揃った。

 再演の儀式によって六王を呼び覚ます準備が整い、あとは鍵である【断章】を用いて呼びかければいいだけ。

 ヒュールサスの中心で巫女クレナリーザや王国の住民を苦しめる荒ぶるハザーリャ神を六王と共に打倒し、【死人の森】という王国を打ち立てる。


 六つの【断章】が光を放ち、そのうちの一つが空に浮かぶ太陰へと呪文を届かせる。情報の海底で眠り続けていた石版が輝き、冥道が開いていく。ヴァージルが作り出した冥府へ続く門。そこから飛び出した六条の魂魄がヒュールサスに飛来して、土の中に飲み込まれていく。


 やがて土塊が盛り上がると、六人の男たちが整然と居並んでいった。

 その中の一人、ヴァージルがヒュールサスに留まっていた老サイザクタートの頭を労るようにして撫でて言った。


「良く待っていてくれたね。僕の友達」


「ああ、この時をどれほど待ったことか。これでようやく、孫たちに後の事を任せられます」


「しばらく休むといい。そして、僕たちの母に抱かれて眠るんだ。死人としての新たな生を得て目覚めたら、沢山話をしようね」


 老犬は安らかな表情で目を瞑り、そのまま動かなくなると、急速にその身を朽ち果てさせていった。意思の力のみで命を長らえてきた老いた番犬は、ようやく休暇を貰うことができたのだろう。そして、彼にはこれからも再生者として親しい相手と過ごすことのできる時間が待っている。


 土に還っていく老犬と入れ替わるようにして、土塊が盛り上がって新たな人物が生誕する。大地から生まれた娘。蜂蜜色の髪と灰色の瞳を持つ、その少女の名は冥道の幼姫。この一幕の後に死人の森の女王と呼ばれるようになる、再生者たちを統べる生と死の女神である。


 ここに六王は召喚された。彼らは冥道の幼姫――女王の勅命を待つ。

 アキラから土塊へと視点を移動させた私は、前世を演じながら高らかに叫ぶ。

 それは呪文の詠唱であり、儀式でもあった。


「死せる者たちに問いましょう。王に求められるものとは何か」


 応じるのは六王たち。

 一人ずつ、その資格を口にしていく。


「それは愛情」


「それは道徳」


「それは健康」


「それは地位」


「それは技能」


「それは尊敬」


 王に必要な器とは何か。六王はその在処を各々が信じるものに求めた。

 それらは全て、王が与えることが出来るものであり、民を民と、王を王と規定する権力に他ならない。更に少女の背後で【知識】の文字が輝く。


「然り。翻ってこの国の現状を見なさい。制御されぬ力とはただの災厄に過ぎません。そして、かように荒ぶる神に王としての資格があるでしょうか?」


 問いに答えたのは、眼鏡をかけた空の民。

 パーン・ガレニス・クロウサーだ。


「否に決まっている。器も無しに王の名を僭称する不遜な輩に神の名などは勿体ないというもの。あれは醜い巨人族に過ぎん。その座から引きずり下ろして足蹴にしてやるのが相応の扱いだろうよ」


 他の五人が未来の女王に跪く中、ただ一人腕を組んで少女を見下ろして言い放つ。不遜ともとれる態度だが、不思議と誰もそれを咎めない。その不遜さこそが、神に挑むという大業に必要とされる資質だからかもしれなかった。


「ならば我らが為すべきことは一つだ。邪悪なる僣主を弑することで、より良き世界の理を示す。それが正しき王道なれば」


「我らの王道は一つに重なるであろう」


 連なる声と共に、再生した王たちの意思が一つになっていく。

 彼らは皆、自らが望む理想の王を演じる事が叶わなかった者たちだ。

 在るべき王としての理想像はあまりに遠く、未練を残したまま土に帰った王たちは、女王の導きに従って、今一度やりなおしの機会を与えられる。


 もう一度。

 敗れて、それでも諦めきれずに立ち上がり、何度でも挑戦を繰り返す。

 失敗を踏み越え、敗北を背にしながら勝利を求め続ける。

 生と死トライアンドエラー

 暗愚な暴君たちは、求めた栄光へと手を伸ばし、そして小さな手に握り返して貰ったのだ。


 その願いを、死人の森は赦して包み込む。

 今こそ再生リスタートの時。

 裁きダモクレスの剣を振り下ろし、無法の僣主を断罪せよ。

 偽りの平穏を繋ぎ止めていた剣を吊す髪の毛は既に断ち切られている。

 少女の右手に光が集い、それは黒い本の形をとった。


 最後の【断章】である【生存ウィクトーリア】が開かれ、内側から無数の文字列が飛び出す。力ある言葉が寄り集まって直剣となった。

 それは青銅よりも石よりもなお古い、骨の剣。

 妖精神アエルガ=ミクニーを殺し、遺骸から削りだした原初の滅び。

 古の時代、【災厄の剣】と呼ばれていたその呪文は、あまりに危険過ぎるためにその形を意図的に歪められ、後世に【災厄の槍】として伝えられていた。

 まことの名を取り戻した大呪術が荒ぶる神へと向けられる。

 

「これなるは掟の剣。人の世に秩序をもたらす約束と契約の祈り。罪には罰を、背約には裁きを。王国に突き立てられた、万人を秤に載せる絶対の摂理」


 それは王の首を刎ね、神の命すら奪う特権を有した至高の呪い。

 使い魔――すなわち関係性の拡張における奥義、王国の根幹を成すもの。

 剣は人々に願われて顕現する最後の救世主だ。

 多様な願いと祈り、その連関が織りなす複雑な構造が絡まり合い、条文となって刃を形作る。それがヒュールサスの出した答えだった。

 少女は、剣を振り下ろして宣言する。


「これより我ら【死人の森の軍勢】は権力の選定を開始します。法と掟の名に於いて、終端を喰らいて弑殺せよ」


 それは使い魔に属する関係性の呪文。

 人々の中から生誕するそれは、絶対なる上位者すら打ち倒す力となる。


「神の代理人たる巫にして王、クレナリーザに神への抵抗権を付与する! 王国を統べる存在とはすなわち民の同意により権力を信託された権力の行使者。背約の神王は速やかにその座を明け渡し、大いなる死人の森を王国に返還せよ!」


 【死人の森】とは、生と死を司るハザーリャ神の加護によって守護された王国の名である。だが現在のヒュールサスは、ハザーリャが零落したことによって正しい再生者の社会を維持できなくなっている。


 人々はみな諦めていた。神への信仰を捨て、祈ることを止めれば堕ちた神はやがて忘れられて平穏な生活が戻るだろう。だが、そうなれば解体された王国には今までの加護が失われ、過酷な自然のままの状態へと投げ出されてしまう。そうなれば、拠り所のない人々は忌人とされて世界に排斥されるだけだ。生贄としての女王を捧げて、ただ邪神に平伏するだけの日々。


 そんな人々に、少女は希望を示す。

 神を、王を排除しても、王国が解体されない道は存在するのだと。

 そして、女王が宣言する。


「これより私がヒュールサスの神、死人の森の女王となる。天よ、この神殺しの怒りを知るがいい!」


 虹色に燃えさかる刃が横薙ぎに一閃され、屹立する神体である巨大な柱が鮮やかに断ち切られた。落下するかつての女王を、少女はしっかりと受け止めた。骨と皮ばかりとなった軽い身体。傷だらけのクレナリーザは、ようやく救い手が現れた事を知ると、安らかな顔で息絶えた。


 そして戦いが始まった。

 六王を率いる小さな女王は、輝く剣を振るって現れた名状しがたい醜悪な邪神と激闘を繰り広げる。それは雄々しい男性の化身のようであり、また巨大な力士のようでもあった。


「九十パーセント! ああ、楽しいな、楽しいよ! 私はこんなにも強い相手と、何度だって戦える! まだ終わらない、この程度じゃ満足できない! 私は本当の本当に、全身全霊でやっていいんだろう?!」


 強大な力を持つ神は、それを倒しうるだけの力を持った強大な六王と小さな女王によって討伐された。哄笑しながら、邪神に乗り移っていた存在の気配が遠ざかっていく。


 切断された巨大な柱が、切断面から火を吹いて飛翔する。衝撃と熱波に、たまらず退く再生者たち。

 その座を追われ、新たな神にして女王の権能の一部となったハザーリャが笑い出す。雄々しき男神そのものとなった巨大な槍の中にいるのは、もはやお馴染みとなった宿敵グレンデルヒだ。


 柱が内側から割れて、内部から現れたのは巨大な艦船――否、翼を備えた飛行機だった。上昇しているのは時空を航行する軌道船オービタなのだ。

 グレンデルヒに続き、ケイトの声が響く。


「まさか、念のために持ってきていた無人機の出番とはね! こうなったら最後までやってやろうじゃないか。この劇場は相棒の本体が暴れるには狭すぎる。外で待っているよ、雌雄を決しようじゃないか!」


 軌道船が空間を跳躍してその場から姿を消した。

 最後の決戦、その舞台は遙か未来――現代で行われる。

 その事を全員で確かめ合うと、六王は静かに目を閉じて土の中に還っていく。

 次に目覚めた時、彼らは盟主と共に決戦に挑むのだ。


 そして、少女は振り返った。

 そこには、一人の男がいる。

 霊長類のようでもあり、牙猪のようでもあり、虹犬のようでもあり、またその他のあらゆる可能性に満ちた曖昧な人物が、そこにいる。


「さあ、幕を引きましょう。あなたの苦しみ、その尊さに、答えを出す時です」


 蜂蜜色の髪をした少女は、小さな手を伸ばして男の手を握った。

 いつの間にか、男の右腕は血に濡れた金属の義肢に変化している。

 二人はそうして、遙かな道のりを歩き、その場所に辿り着いた。

 暗く深い森の中、それは始まりの闇の中。

 月光に照らされて、死せる命が静かに眠る。

 そこに、始まりの罪が横たわっていた。




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