4-70 死人の森の断章5 コキュートス/ROUND5




 背景が変化して行く。広がる世界には様々な色彩が広がり、多種多様な種族が争い、血を流すという戦乱の世。歴史の中を上昇し続ける昇降機にかぎ爪を引っかけて、強靱な腕力に任せて復帰。目の前に立ち塞がるのはでっぷりと太った巨大力士と、それに重なる漆黒の亜竜ダエモデク。


 一部だけを真の姿に戻していたのを、もう一度霊長類体に変化させる。

 今のアキラは、隻眼に白髪、首回りを帯状に覆う詰め襟の軍服を身に纏った背の高い男性となっている。伝承に基づいて、『私そのもの』である氷の三叉槍を構築。見得を切るように大きく旋回させて構えた。


 亜竜王アルトの幻眼が邪視を発動させ、黒い大蜥蜴のようなフォルムとなった力士の動きを束縛する。グレンデルヒによる干渉で即座に解除されるが、生まれた隙を突いて槍による刺突を放つ。アルトの槍捌きは古流の型に乗っ取ったものだ。突き、払い、更には三叉の穂先を爪に見立てての引っ掻き。亜竜に伝わる槍術ならではの動き。大型爬虫類の猛攻を、同じく亜竜と化した力士が迎え撃つ。


 両者の実力は拮抗していた。アキラという器に宿りながらも、アルトの心技体呪全てが揃った戦闘技術はダエモデクを宿す力士と伍する程のものだ。氷の三叉槍はかするだけで相手に呪力を浸透させ、その量がある閾値を超えると凍結してしまう。攻めきれない状況に業を煮やしたか、力士はその場で片足を大きく持ち上げていく。四股踏みだ。


 激震。足場を揺るがす行動を見越して私は跳躍を選択したが、それは相手の狙い通りだった。とはいえ発生した地震で転倒するわけにもいかない。

 力士の足裏を通してグレンデルヒの高位呪術が発動。

 土俵に、そして周囲の空間そのものが架空の立方体に包囲される。

 空間そのものが二十七分割され、力士の手掌によって自在に動き出す。

 空中にいるこちらの座標が、強引に動かされて力士のすぐ傍に引き寄せられてしまう。怒濤の突っ張りによろめきながらも、アルトは衝撃を足裏から逃がしてダメージを最小限に抑え、反撃の槍を振るった。


 しかし、力士の位置が急激に遠ざかる。転移ではない。今のゾーイはあの能力を投げ技の引き込みのために温存している。回避させたのはグレンデルヒ。空間の座標をキューブの回転を利用してずらしたのだ。


 空間そのものを操作するというグレンデルヒの呪術は、こちらの見当識を狂わせてしまう。普段とは異なる戦場の感覚に惑わされ、こちらへの攻撃は一方的に命中し、あちらへの攻撃は届かないという悪循環に陥る。窮地に立ち上がったのは小さな赤毛の妖精。情報処理用の眼鏡をかけたちびシューラは、架空の鍵盤キーボードを叩きながら言い放つ。


(シューラに任せて! こういうパズル系はセスカより得意だよ!)


 瞬時に戦場と空間が移動するパターンを分析し、そこから相手が選択しうる有効な手をピックアップ。それに対する最適な対処行動を次々と提示してリスクとリターンを併記した評価を付けていく。


 空間が回転。力士に引き寄せられたアキラはサイバーカラテ道場に導かれるまま自動的に身体を操縦させて、速やかな反撃の突きを繰り出した。更に、アルトの目が輝くと、架空の立方体が束縛の邪視によって鷲掴みにされる。それは亜竜が持つ形の無いかぎ爪。強引に動かされた立方体の制御権が、今度はこちら側に移動する。ちびシューラによる空間制御と、構図を変えての反撃。


「いいぞ、乗ってきてくれなくては面白く無い」


 グレンデルヒが愉快そうに言いながら、再び立方体を支配する。戦いはいつしかアキラと力士の戦いに重なるようにして、それを支援するちびシューラとグレンデルヒのものに変化していた。グレンデルヒの呪術の技量は卓越している。人間を超えた情報処理能力を有するアンドロイドの魔女を圧倒するグレンデルヒの姿が力士の背後に見えた。


 信じがたい事に、グレンデルヒが使用しているゲームコントローラーは鍵盤キーボードだった。専用のゲーミングキーボードとはいえ、実際に使用に耐えうるとは俄には信じがたい。膨大な数のマクロを各キーに割り当てて、相手の動きを完璧に予測しているのだ。指先が霞むほどの速さで鍵盤上を疾走し、快音と共に実行エンターキーが叩かれる。


 グレンデルヒとちびシューラの間には、埋めきれないだけの言語魔術師としての技量の差があった。同じ四魔女でも、呪文の座のハルベルトと同じ上級言語魔術師グレンデルヒに勝つことは杖の座であるちびシューラには難しい。けれど、今の彼女は一人ではない。一時はグレンデルヒに奪われた私の【氷鏡】は、浄界の展開と同時に奪い返している。これまでの戦いではアキラに預けていたそれを、ちびシューラの周囲に展開する。


 合わせ鏡の中に連なる無限の自己像。私を映すものは沢山ある。その中から『唯一無二の自分』を画定し、確定させることこそが邪視の真髄。己の意思を確信して、私は今ここにいるのだと強く叫ぶ。私は両手を伸ばして、鏡越しに隣り合う誰かと手を繋ぐ。骨と鉄を両手に、邪視寄りの呪文が発動する。


 古めかしい呪文使いが紡ぐ呪文は叙情的で言葉遊びの色合いが強いが、杖使いが紡ぐ呪文は硬質な論理に支配されている。使い魔を支配する者たちのそれは法や契約といったものになる。そして邪視使いの呪文はというと、己の意思を押し通すための牽強付会で我田引水な詭弁と誤謬の力業だ。重要なのは、他人の言葉に良く耳を傾けて、自分の構築した論理の中に取り込んでしまうこと。


 ちびシューラが操る【氷鏡】の中で、二十七分割された世界が凍り付く。

 呪文を構築。

 現在アキラが演じているアルトは【死人の森】の至宝である【断章】のうち、五番目である【道徳モラリティ】に対応する王だ。

 五番目とは、すなわち九つある断章の中心。


 一つの面に九つの正方形が並ぶキューブのうち、ちょうど中央に位置しているのが五番目という数字だ。頂点である八個、辺である十二個、そして回転の軸となる中央の六個。そのどれにも属さない、外側から見ることのできない立方体の中心。その位置だけは、回転によって動くことがけしてない。当たり前の事実だが、今まではグレンデルヒの妨害でその安定した位置に辿り着く事ができなかったのだ。その状況を、この【氷鏡】が覆す。


 王が座すのは、常に王国の中心だ。

 この【世界劇場】は第五階層ガロアンディアンの内側にある。

 ゆえに、ガロアンディアンの前身である竜王国初代国王アルトはこの空間の中央に存在する。確信が世界を書き換えていく。


「鏡よ鏡、この世界の中心にいるのは誰?」


 呪文と共に、【氷鏡】が女王の王国を構築する。

 それは氷と鏡からなる光の世界。

 呪文立方体の空間が、異なる世界構築によって改変されていく。世界創造ワールドメイクにおいて、邪視者に挑む愚かさを知れ、グレンデルヒ。


 鏡は視点を反射させる。無限に連なる多様な視座の中、個人の立ち位置が無限の中に迷い込む。迷宮化したミラーハウスを構築し、グレンデルヒらは己の立ち位置を見失ってしまう。その隙を狙って空間の中心を奪取。これでもう空間制御によって振り回されることはない。私は次なる一手で敵を追い詰めていく。


 ちびシューラが膨大な創作物のデータベースへアクセス。

 アストラルネット上に無数に存在している『冬の魔女伝承』に関わる私のイメージ群から有用なものを抽出。無数の【氷鏡】から次々に出現する様々な私の幻像が力士の全身を蹂躙していった。


 その攻撃手段は多種多様。アルトが手にする三叉槍のように、人型ですらない武器、形の無い呪文、私を天災の擬人化として解釈した猛吹雪が荒れ狂う。老齢の魔女が、幼い少女が、人食い鬼が、右腕に宿る封印された異能が、力士の重装甲を剥ぎ取っていく。【死人の森の女王】という在り方を認め、前世を受け入れた私にとってそれらの異なる解釈は私を脅かす呪いではなく、私の可能性を認める希望の光だ。

 

 無限に連なる合わせ鏡。

 私はこの中でなら、何にだってなれる。

 私たちは今、こんなにも自由だ。


 亜竜王アルトが咆哮する。口から吐き出されたのはオルゴーの滅びの呪文オルガンローデだ。詠唱時間に応じて威力を増す最高位呪文が竜蛇となって氷の三叉槍に巻き付いて同化していく。


 槍が姿を変えて、私は長くのたうつ氷の竜となった。第九紀竜オルガンローデ。人造の真竜。邪視によるオルガンローデは、自らが竜だと強く確信して竜に変化するというものだ。私は『竜を殺す者』としての自身に拘るあまりこの呪術を未だ習得できていなかったが、ちびシューラによる『氷の竜伝承』の収集、アルトによる呪文のオルガンローデを参照することで今ようやく竜変化に成功。


 飛翔した私は甲高い叫びを上げて舞い上がると、口を開けて襲いかかった。

 力士の巨体に噛み付いて、丸呑みにして腹の中で凍結させる。

 鏡の館が砕け散ると共に、力士の氷像もまた粉々になった。


 氷の竜である私を見上げながら、亜竜王がぽつりと呟く。


「我が正義はあまりにも血に塗れている。友の屍を踏み越えた果てに、理想郷は存在するのか――?」


 懊悩する彼の前に現れたのは蜂蜜色の髪をした少女。もの言う槍が変化した不思議な子供は、彼に血のように赤黒い柘榴を差し出して、友を生き返らせる代わりに、死後、女王の従僕となるように要求する。アルトは承諾し、少女から貰った柘榴をダエモデクに与えて生き返らせる。理想的な歴史の流れに満足して、私は足場を浮上させた。


 和解した二人はそれぞれの道を歩んだ後、共に不死者となる。そして片方は【死人の森の軍勢】に、もう片方は【四十人の勇士たち】という勢力に属し、レストロオセという強大な敵に立ち向かうだろう。六王はその戦いで力尽き、長い眠りにつくことになるのだが、王の理想はダエモデクに、そして後のジャッフハリムに受け継がれていく。いずれにせよ、後のことはこの時代の人々の物語だ。混沌とした世界が遠ざかっていく。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る