3-33 言理の妖精語りて曰く④


 ――結局、イルスはプリエステラの治療を行うことを許された。そして彼女と自分たちの身を守るため(と信じ込まされて)ティリビナの民も襲撃の警戒と妨害にあたってくれた。彼らが操る樹木を操る呪術はこの森林の中で効果的に作用する。鬱蒼と生い茂る草木が意思を持つようにうねり、近付いたものを捉えようと枝葉を伸ばす。空を飛ぶ鳥までもが捕らえられているのが見えた。追いかけてくるのがミルーニャか骨花かはわからないが、時間稼ぎにはなるだろう。


「多分、勝つのはトライデント――あの骨の使い魔の方」


「あの骨の花に、心当たりがあるの?」


 洞窟の中、イルスが必死に治療しているのを遠巻きに見ながら、ハルベルトは静かに呟いた。


「情けない話だけど、三回目になるまで気付けなかった。あの青い流体は【使い魔の座】を占める末妹の第三候補、トライデントの禁呪。あれは他の全ての候補を飲み込もうとする最悪の敵」


「じゃあ私を襲ってきたのはどうして? ミルーニャは、私を強引にでも手に入れるつもりだったみたいだけど。あの使い魔も私を攫うつもりだったってこと?」


 その割には――なんというか、あの使い魔からはもっとおぞましい悪意みたいなものを感じたような気がする。私の問いに対して、ハルベルトは少し思案して、


「確かに、グロソラリアであるあなたはトライデントの使い魔として目を付けられた可能性がある。捕獲されればトライデントに取り込まれてしまう。『細胞』になってトライデントの手足として働くのが望みなら、ハルは止めないけど」


「そんなの絶対に嫌。どうせ使い魔になるならハルがいい」


 最初はハルベルト、次はミルーニャ、そしてトライデント。必要としてくれるのは光栄だけれどこちらの都合も考えて欲しい。初対面の時は強引で自分勝手だと思ったけれど、こうして見ると、きちんと説明してこちらに考えさせてくれたハルベルトはまだまともな方だったのだなあと思う。

 何故かハルベルトは私が貸した黒衣のフードをぎゅっと握って目深にかぶり直した。顔が隠れるが、どうしたのだろうか。


「――っとにかく、敵はメートリアンを取り込んだトライデント。つまり融合体となって更に呪力が強化されていると考えた方がいい」


 どちらか片方が勝利して襲撃してくるのではなく、両者の力が合わさった存在が襲ってくるのだとハルベルトは言う。それは私の想定を上回る最悪の状況だったが、それよりも気にかかるのが、


「じゃあ、ミルーニャは取り込まれてしまうの? そうしたら、もう元には戻らないということ?」


「基本的にはそう。よほど強固な意思――それこそ四魔女の強大な呪力をねじ伏せられるだけの圧倒的な精神力をもっていなければ、トライデントの細胞となって『個』としての自我は押し潰される――まさかアズ、メートリアンの事を心配しているの」


 信じられない、という感情が声に表れていた。裏切った相手、明確に敵意を向けてくる相手に何を考えているのだと、自分でも思う。


 けれど、私はこうも考えてしまうのだ。

 ミルーニャは多分、一貫している。杖使いとして、探索者として、末妹の候補者として、純粋に自らの利益だけを追求し続ける。それは多分『悪』なのだろうけれど、地上にとっての『正しさ』でもある。地上にいる全ての者は加害者で特権者。誰かを犠牲にして生き延びようとする卑怯者だ。ティリビナの民が黒檀の民を裏切り者と言ったように。だから多分、私にはミルーニャを責める資格は無いのだと思う。


 それにミルーニャは、ただそれだけの渇いた心の持ち主ではないと思うのだ。それはこちらを油断させる為の演技かもしれない。それでも彼女は、ぶっきらぼうで毒舌家でありつつも、周囲に対して優しい気遣いが出来る人だった。直感でしかないのだけれど、あの優しさは多分彼女の『本当』なのだと思う。思いたいだけかも知れないけど。


 彼女とは敵対してしまっている。それは事実だ。けれど、完全に異質で共感ができない相手にまではなっていないように思えた。だとすれば、私には可能性が残されている。フィリスという、あと一回きりの切り札が。


「もし、異質なものと融け合ってしまった魂を元の形に戻せるのだとすれば、それはきっとフィリスにしかできない」


 残り一つとなった金鎖の環を眺めながら、私はハルベルトに己の胸の内を吐露した。


「ハル。貴方が自分の事を話してくれたのに私の事を話してないのは不公平だから、本当の事を言うね。私の妹は死んでない。それどころか、地獄の軍勢を統率する迷宮の主、セレクティフィレクティに魂を乗っ取られてしまった。私は妹を取り戻す為に迷宮の最下層を目指しているの」


 無言。ハルベルトからの反応は無い。突然こんな事を言い出されても困るだろう。それでも言葉はもう止まらなかった。


「このフィリスを使えば、一つになってしまった魂を解体して、元通りの妹を取り戻せるかも知れない。それが私の願いで、本当の目的。私は今、それが出来るかどうかを確かめてみたい」


「トライデントの手から、メートリアンを取り戻すということ」


「ミルーニャを取り戻す。私は、メートリアンという人の事は良く知らないから」


 ハルベルトは一瞬だけ考え込んだ。すぐに顔を上げて、まっすぐに私の顔を見つめて言う。


「セレクティフィレクティというのは十九の魔将を統括する魔元帥。そしてトライデントの最上位細胞の一人でもある。ハルにとっても、いずれ相対しなければならない相手」


 始めて聞く情報だった。ハルベルトの詳しい目的はまだ知らされていないが、トライデントと敵対しているのは間違いなさそうだ。だとすれば、私達は目的を近しくするものとして、敵対するか協力し合うかの選択を迫られる。


 妹とハルベルトが戦うだなんて、想像もしたくないけれど。

 もしハルベルトが妹を取り戻すのを手伝ってくれるのなら、私も彼女の戦いに手を貸せるかもしれない。


「一つに融け合ったものを解体し、別個のものに戻せるのなら、貴方の力は【融血呪】に対する最強の対抗手段になり得る。あなたの妹と古の魔女、そして使い魔の魔女を分離させることすら可能。ハルにとってもその試みは興味深い。賭けてみる価値はある」


 それからハルベルトは目線を下げて、少しだけ言いづらそうに口をもごつかせた。無口だったり言葉少なだったりするのはよくあるが、歯切れが悪いのは珍しい。


「本当は、ハルはアズはもっと酷いことを言おうとしていた。一体いつの間にトリシューラと出会っていたのかは知らないけど、アズはさっき【鮮血呪】を使おうとしていた。多分、ハルを助けた時もあの禁呪を使ったと推測している」


「トリシューラ? 鮮血呪? えっと、ちょっとよくわからないんだけど、もしかしてパラドキシカルトリアージのことかな」


「あの価値操作の原始呪術さえあれば、軽傷を致命傷に反転させて強制的に死という結果だけを押しつけることができる。ハルは、最初それを提案しようと思ってたの」


 確かに――致命傷すら軽傷だと認識してしまうミルーニャを倒すには、その価値を狂わせて『致命傷だということにしてしまう』のが効果的かもしれない。


「でもやめた。実行するのはアズだから、アズがしたいと思う事をするべきだと思う。でも、それだけじゃ勝てない。その後はどうするの」


「うん。融合してしまった存在を分離させるには、【静謐】で対象の構造を解析して解体、その後再構成っていう最低三つの工程が必要になってくるんだけど、その解体の過程でミルーニャの不死性とかの能力を取り除こうと思うの。そうすれば無力化できるかもしれない。その後は、何とか説得を試みて、出来なかったら捕縛。それも出来なかったら、殺すしかないと思う」


 殺す、と私はあえて明確に口に出した。そう決めておかなければ、救うという第一の選択が決断ではなく逃避になってしまう気がしたからだ。もしミルーニャとの和解に失敗した場合に彼女を殺すことができず、ずるずると最初の選択にしがみつき続けるなら、それは自分が現実から目を反らし続けているだけに思えて嫌だった。


「退路を断ったつもりでやる。絶対に失敗できないからこそ、必ず成功させる」


「その時はハルが手を下す。これはハルの戦いだから」


「私だって狙われてる。なら私達の戦いだ」


 お互い一歩も譲らない。睨み合っていると、横合いから声がかけられた。


「仲の宜しいトコ悪いが、そろそろ敵さんが来なさったみたいだぜ。あの木が動くまじないがありゃあしばらく保つだろうが、それもあっちの手札次第だ。策があるなら準備してくれや」


 ペイルの言葉に、ハルベルトは少し焦りの感じられる声で答える。


「――トライデントの融合体となったメートリアンを倒すためには、まずアズをフィリスの有効射程範囲にまで接近させなければならない。その為には、まずあの石像と呪文喰らいをどうにかしないと」


「ち、流石の俺もあのデカブツの相手するのはきついぜ。あんなもんと正面から殴り合える前衛は、噂に聞く【巨人殺し】か、松明の騎士団随一の勇士、守護の九槍第四位のカーズガンさんくらいのもんだろうよ」


「敬称呼びしてる――」


 思わず呟いてしまった。ぞっとするほど似合わない。というかこの傲岸不遜な男でも誰かに敬意を払ったりできるのか、と少し感心してしまった。


「おう、尊敬してんだ。あの雄々しい体躯と丸太みてえな上腕を見たことがあるか? 英雄ってのはああでなくちゃな」


「どうでもいい。とにかく、あの二つの障害をどうにかしないといけない。そして、その鍵になるのがあの二人」


 そう言ってハルベルトは、今もなお荒く息を吐きながら目を閉じて横たわる二人を見た。負傷したメイファーラとプリエステラ。この二人はミルーニャに真っ先に戦闘不能にされていた。それは裏を返せば、


「なるほどな。あいつらがあの白女にとって一番厄介な相手ってわけだ。つーことは何もかもイルス次第ってことかよ――おい、イルス! あとどんくらいかかりそうだ?!」


 治療に集中している相手に声をかけるなんて、と思ったけれど、イルスはそういった相手の事情に頓着しない仲間の性質には慣れているらしい。短く「600秒」とだけ答えて作業を続行する。


「ち、しゃーねえ、ちっと時間稼いでくるか」


「大丈夫なの?」


 思わず声をかけてしまったのはどうしてだろう。敵対していたはずの男といつの間にか共闘しているこの状況は、なんだかひどく落ち着かない。彼に対して信用を抱くこと、仲間意識を覚えることなど絶対に無理だと思える。そんな相手に命を預けることへの不安があるのかもしれなかった。


「てめえらには命を救われたからな。借りは返す」


 答えはあまりにも簡素で、それ故に有無を言わせない強い決意が感じられた。ペイルは頭をがりがりと掻きながら舌打ちをする。


「ったく、面倒な事に巻き込まれちまったもんだぜ。【塔】の内輪揉めだかなんだか知らんが、こういうのは余所でやってほしいもんだ」


 ぼやきながら、洞窟の外に出て行こうとする。時間稼ぎと彼は言った。向かう先は危地であり、生きて帰れるかどうかもわからない。それでも借りを返せないということは彼の誇りが許さないのだろう。それはあくまでも自分の内心にとっての利益を優先しているのであって、地上の論理に即した利他的行為だ。


 それでも、その行為は私達の命を繋ぐ。私が彼に対して感じている隔意やわだかまりとは関係無く。彼の内心とは独立して。


「あー。なんというかだな。前に口走った事は半分撤回しとくぜ。ありゃ言い過ぎた」


「え?」


 こちらに背を向けたまま、ペイルが信じがたい事を口にした。それは、私が彼に敗北した時の言葉だ。


「さっきよう、てめえは仲間が死んでキレてただろうが。ま、死んでなかったけどよ。あれ見てよ、仲間の手柄を横取りだの何だのと口走ったのは俺の間違いだって思い直したんだよ。てめえはそういう真似ができるようには見えねえ。どっちかってーとあの白い方だな、そういうのは」


「ミルーニャはそんな事しない!」


「しようとしてただろ」


「いやだから、私がさせない」


「は」


 ペイルは鼻で笑った。それから急に声を低くして、


「勘違いすんじゃねえぞ。俺は自分の間違いは認めたが、てめえのやったことは認めねえ。てめえがけしかけたせいでアホほど死人が出た。俺のダチも死んだ。それは揺るがねえ事実だ。俺はてめえを絶対に許さねえ。結果としててめえは魔将を倒したが、それは本当に最善の結果だったのか。もっと犠牲を少なくできたんじゃねえのかよ。そもそも何で命令無視して第五階層の攻略なんてしやがった?」


「それは――」


 私達はあの時、無意味に死ねと命じられたに等しかった。

 死守せよ。この場で戦って死ね。そういった命令も修道騎士として戦う限り覚悟せねばならない。けれど、その指示は明確に悪意と殺意によって下されていた。


 守護の九槍、その第七位。あの男は、地上人類の全て、霊長類と眷族種の全てを憎んでいる。そして、誰よりも大神院の論理を内面化し、徹底した人間の序列化によって万物の価値を定め、画定し、その間隙を縫って可能な限り戦力を摩耗させようとしている。


 彼は復讐者なのだ。松明の騎士団を内側から食い尽くそうとする自陣の敵であり、槍神教と大神院の歪みを体現した存在。

 亜大陸の全てを滅ぼした『聖絶』――その陣頭指揮を執っていた、黒檀の民ただ一人の大司教。不毛の砂漠と化した亜大陸の管区長を務める、引き摺り込まれそうな程に虚ろな目をした、自ら望んで無能を為す者。


 しかし彼は対外的には高潔な信仰者で通っており、黒檀の民の英雄として社会的に強固な地位を得ている。私が何を言ったところで彼の信用が揺らぐことはないだろう。

 私が黙っていると、ペイルはふんと鼻を鳴らして言った。


「はん、まあいい。てめえがどんだけふざけたクソチビでも、命の恩人には変わらねえ。仕方ねえから命張ってやるよ」


 それだけ言い残して、ペイルはその場を立ち去った。

 入れ替わるようにやって来たのは、哨戒に当たっていたナトだ。偵察のために邪魔な呪動装甲を脱いで、地味な色の衣服に木の葉や土で汚して現れると、急いで捲し立てる。


「遠くから様子を窺ってみたけど、石像と翼で木々を薙ぎ払いながら凄い勢いでこっちに向かってる。木々が勝手に動いて邪魔をするせいで少し手間取ってたみたいだけど、多分あまり時間が無い。ありったけ呪符を撒いて逃げてきたけど、時間稼ぎになってるかも怪しいな」


 もたらされた知らせに場の空気が暗くなる。ハルベルトは訝しげに石像とミルーニャが一体化していなかったかどうかを訊ねるが、そんな様子は無かったとナトが答えると首を傾げた。


「それで、伝えておかなければならないことがある。おそらく彼女は【祝福者】だ」


「えっと、それはどういう意味?」


「【ペレケテンヌルに祝福された者】という意味だよ。その名の通り、我らが守護天使様から格別の加護を賜った存在――突然変異とでもいうのかな。もしも俺たち三本足の民が異獣に堕ちたら固有種に認定されること間違い無しの超呪力の持ち主。そこの樹妖精のカラス版って言えばわかりやすいかな」


 ナトによれば、ミルーニャは三本足の民でも特殊な個体らしい。


「まあ厳密には、三本足の民じゃなくてもペレケテンヌルに気に入られればどんな種族でもなれるらしいけどね。祝福者たちは心からの願いと祈りを守護天使に聞き届けられることによって、その願いに応じた極めて強力な天恵ギフトを獲得する。例えば、誰も傷つけたくないという願いを持てば加虐を快楽と感じるようになり、誰かを傷つける事で苦痛を感じなくなる。誰かに傷つけられたくないと願えば、被虐を快楽と感じるようになり傷つく事で苦痛を感じなくなる。そして、それを繰り返し行えるように加虐によって発動する他者治癒能力、被虐によって発動する自己治癒能力などを獲得する」


 祝福と言うよりも呪いと言った方が的確な代物だった。悪意しか感じられないその天恵は、間違い無く神話に名高い最悪の守護天使、変容の司ペレケテンヌルの所業だと確信できる。


「俺達三本足の民は誰しもが『第三の足』として生き物か物品に執着を覚える。この呪物崇拝フェティシズムが呪力を生み出しているわけだけど、祝福者たちも同じだ。その強烈な渇望が歪み、邪視さながらに現実を変容させたいと願う余りに自分自身の本質を壊してしまう。俺達は邪視の才能に乏しいから、外側を変えるより自分を破壊する方が手っ取り早いわけだ。そうして潜在的に抑圧されていた精神が、極端な嗜好として発現したのが祝福者たちであり、彼らは皆その嗜好に関連した呪術を使う」


「つまり、ミルーニャのあの再生能力はその祝福者の力ってこと?」


「その可能性が高い。何か、彼女の性格傾向とか性癖とかを知らないかな。それが彼女を打ち破る鍵になるかもしれない」


 ミルーニャの性格と性癖――少し考えて、すぐに思い当たった。彼女は、爪を剥がす時に快楽を感じていた。そればかりかペイルに殴られている時にそれが快感だとも言っていた気がする。


「やっぱりそうか。彼女は一番典型的な祝福者だ。極めて強いストレス下に置かれた者――例えば虐待された子供なんかがなりやすいって言われてる」


 私は思わず口を押さえた。もしそれが本当なら、ミルーニャはどれだけ過酷な幼少期を送ってきたのだろう。彼女の容姿は少女そのものだ。二十六歳だという彼女は、おそらく少女期に祝福者となり、それ以来老化が止まってしまったのだろう。


「待って、それはおかしい。いくら祝福者でもあそこまでの不死性は発揮できない。ハルは呪術修行を始める前のメートリアンを知っているけど、彼女はそれ以前から異常な再生能力を有していた。その秘密までは知らなかったけど――」


 ハルベルトによると、ミルーニャは祝福者として覚醒したのは少女期だったが、星見の塔で学び始めたのはそれからかなり時間が経過してからだったという。それまでは杖の――つまり身体性を拡張する呪術で不死性を高めることはできなかったとのこと。事実、呪術医としての成績では常にライバルに負け続け、早々にその道を諦めて錬金術師に転向したそうだ。


「昔、黒百合宮に移る前だけど――星見の塔を訪れたばかりで勝手のわからないメートリアンはトラブルを起こした。よりにもよってラクルラール派きっての武闘派ミヒトネッセの不興を買って、質量操作された超重力踵落としをくらわされたの。地面に巨大なクレーターが出来て、メートリアンは潰れた挽肉になった。流石にあれは助からないと思ったのに、直後に何事もなく再生していた」


 つまり、呪術の腕とは関係無くその再生能力は存在する。そしてそれは祝福者というだけでは説明がつかない、ということだ。


「ミルーニャ、もの凄い変態だったのかな――」


「露出趣味の分も含まれてるのかも」


「どうかな。窃視症の祝福者は幻視能力を獲得するっていうし、露出狂は服を着ていても常に羞恥心に苛まされたり、自分の裸体を覗き見る何者かの視線を錯覚し続けるようになって半ば発狂すると聞くよ。再生系の能力には繋がらないと思う」


 ということは、あれは素か。

 ――うん、考えないようにしよう。


 ミルーニャの不死性には、祝福者の他にも何か種がある。それが何か判明すれば、フィリスによって彼女を正確に把握して解体できるのだけれど。

 シナモリ・アキラの場合は彼に呪術抵抗がほぼ皆無だったから上手く行ったし、エスフェイルの場合は同種ゆえにその本質を容易く看破できた。

 だが、ミルーニャは今日知り合ったばかりな上に全く異質な相手だ。フィリスを間違い無く発動させる為には、彼女の事をより深く知る必要がある。


「そういえば、あの子の第三の足は何なんだろう」


 ナトがふと思い出したように呟く。私はそれが今更疑問に思うような事なのかどうか今ひとつわからずに首を傾げた。


「三本目の足なら生えてたけど。尻尾みたいなのが」


「いや、ああいう身体変化の術じゃなくてさ。一番頼りにしている使い魔とか愛用の呪具とか、そういうのだよ」


 すこし寂しそうに言うナトを見て思い出す。彼の半身とも言える鴉は、イキューに食われてしまったのだ。あの時に見せた激しい感情の迸りや、私が挑発した時の怒りからすると、きっと三本足の民にとってそうしたものはこの上なく大切なものなのだろう。


投石器スリングショットや銃は恐らく違う。沢山ある道具の一つという感じだった。だとすると、まだ切り札を隠している可能性がある」


「あの石像じゃないか? かなり頼りにしているみたいだったし」


 ハルベルトとナトが口にする言葉は、何故か私にはしっくりとこない。ミルーニャがなによりも大切にする使い魔や道具。そうしたものがあるとは思えないのだ。


 彼女はきっと、肝心なところで自分以外の何かを頼りにしたりはしない。もちろん祝福者として守護天使に祈ったはずなのでこの直感は事実には反しているのだが、それは相当な過去の話だ。今の彼女の精神性が昔のままだとは言い切れない。


 戦闘中、極限状態でミルーニャは道具ではなく足技を使う。自ら鍛え上げた肉体をだ。そうしたメンタリティは第五位の眷族種である三本足の民というよりも、第九位の眷族種である霊長類に近いように思われた。恐らくペイルもそういうタイプだろう。


 ミルーニャは自分を混血だと言っていた。だとすれば彼女は三本足の民と霊長類の血が混じっているのだと思われる。

 記憶を遡る。ミルーニャの一挙一動を再生して、言動に答えの手がかりが含まれていなかったかどうかを精査する。ふと、その言葉が浮かび上がった。


 ――この世の全ては『もの』ですよ。少なくとも私たち杖使いにとってはそうです。この私自身がそうであるように――


 私が回答に辿り着きそうになったその時、凄まじい轟音が響き渡った。続いて、この世のものとは思えない雄叫びが上がる。そして断続的に木々が倒れる音と地響きがここまで届いてきた。


「ペイルのやつ、あれは多分超過駆動を使ったな――狂戦士状態をあれ以上使うのは危険だってわかってるだろうに。仕方無い、俺も行くよ。理性を失ったあいつを回収するのは俺の役目なんでね。時間稼ぎしてくるから、イルスを頼む」


 ナトは早口で言うと、長槍を手に素早く森へ走っていく。取り残された私達はじっとイルスの治療が終わるのを待つ。

 医療修道士の腕は確かだった。ほどなくしてプリエステラが目を開けたのだ。


 歓声を上げるティリビナの民たち。彼らや私から状況を聞くと、プリエステラはふらつきながらも立ち上がった。


「巫女様、無理をなさらないで下さい!」


「そういうわけにもいかないでしょ。自分が狙われてるってのに、戦わないわけにもいかない」


 イルスから自分の杖を受け取り、それを支えにしてどうにか歩こうとする。その身体ががくりとよろめくが、どうにか寸前で持ち直した。


「それに、ハルたちは私の仇討ちを手伝ってくれた。恩人を死なせるわけにはいかないし、恩を返すとしたら今なんだ。黙って仇討ちに行ったこともだけど、我が侭ばっかりでごめんね、みんな。でも、私はそうしなきゃならないんだ」


 プリエステラは真っ直ぐな瞳と声でティリビナの民たちに自分の意思を示した。

 ティリビナの民達はしばらく彼女を黙って見つめていた、樹皮のような彼ら彼女らの表情の変化はわかりづらいが、気遣わしげな雰囲気が漂っているように思われた。

 やがて一人のティリビナの民が前に進み出て、プリエステラに語りかけた。


「それが貴方の望みとあらば、我々もまた貴方に従いましょう。ティリビナの巫女は故郷を失った我らにとって、あの雄大な緑の霊峰と繋がる為の最後の架け橋なのです。貴方の決断はすなわち女神と精霊の御意思に他なりません。どうか我々に命じて下さい。己の手足となって動けと」


 プリエステラは厳かに頷いて、杖で地面を一度突いた。

 重々しい唸りが大地に広がって、闇夜に広がる木々が巫女の意思に応えるようにかさかさと震えだした。


「これより【大いなる接ぎ木】を行う。急ぎ祭りの用意を進めよ! 此度の祝祭で、我らが原初の姿を取り戻す!」


 おおおっ、と声が唱和して、幾つもの腕が振り上げられた。どんどんと硬い足で大地を踏みならす。

 プリエステラは私のほうを振り返って問いかけた。

「ミルーニャちゃんが敵だっていうのは正直まだ信じられないけど――説得、してくれるんだよね?」


 無言で、しっかりと頷いた。


「なら私は力を貸すよ。私にとってはミルーニャちゃんも仇討ちを手伝ってくれた恩人だし――それに、私はあの子と友達になりたいって思ったんだ。裏切られたのは正直堪えたけど、ちゃんと話して、できれば謝って欲しいし、仲直りだってしたい。あんなにいい子なんだもん、きっと何か事情があるんだよ」


 私も同じ気持ちだった。そうである限り、私達はきっと共に戦える。本来は敵対する者同士であったとしても。明日には殺し合っているかもしれなくても。

 プリエステラは厳しい目をイルスに向けて、大きく息を吸った。

 それから、頭の花を相手によく見えるようにして腰を曲げる。彼女たちにとっての、最上級の礼の尽くし方だ。


「命を救ってくれてありがとう。あなたがいなければどうなっていたかわからない」


「俺はただ癒すだけだ」


 イルスは未だに目を覚まさないメイファーラに【修復】を行使しながら、変わらぬ調子で応じた。


「あなたを救ったのは俺ではない。ティリビナの民たちが伝えてきた精霊たちの力を借りる技と、医療修道士たちが築き上げてきた医術の技術体系。そして――」


 イルスはどこか遠くを見つめるような表情をした。それから、その深い眼差しを現実に引き戻すと、目の前の治療に再び集中する。


「いつか俺を救ってくれた、とある一つの善行が、全てのきっかけだ。その使い手がどのような相手でも、その所属がどれだけおぞましくとも、生かすという結果だけは平等に人を救う。死が誰にとっても平等に訪れるようにな」


 それきりイルスは押し黙った。プリエステラも、それ以上何かを言うことなく慌ただしく駆け回るティリビナの民たちの所へ身を翻す。

 私とハルベルトもまた迫る決戦の気配を感じ取り、広場に向かおうとする。

 その時、イルスが鋭く声を上げた。


「待て! アズーリア・ヘレゼクシュ、こちらへ。意識が戻った。何か伝えたいことがあるようだ」


 私は弾かれたようにメイファーラに駆け寄って、その手をとった。

 いつも眠たげな両目がうっすらと開かれ、握った手に微かな反応がある。


「メイ、大丈夫? 痛いところは無い?」


 いらえは無かった。言葉を発する気力が残されていないのだ。

 もどかしく感じたその瞬間。私の掌のメイに触れている箇所に静電気が走ったような痛みが生まれて、思わず手を離してしまう。


「アズ、もう一度握って。多分、精神感応を試みてるんだと思う」


 ハルベルトの言葉にはっとなった。メイファーラは接触感応によって残留思念を読み取り、過去視を行うことができるのだ。読み取る能力を応用すれば、送信することも不可能ではない。


 だが天眼の民は受信系の邪視に特化した眷族種だ。本来できないことをしているメイファーラの精神には、強い負荷がかかっているはずだ。

 弱々しく開かれたメイファーラの瞳が、濡れたように揺れる。

 決意を固め、私は彼女の手を両手で覆うようにして握った。


 激痛。全身を走り、脳の奥深くに槍を突き入れられたかのような凄まじい異物感。

 あまりにも膨大な情報量、異質すぎて私が許容できる形式に変換することが耐え難い痛みにすら感じられる時間。


 それは多分、瞬きの間のことだった。

 私は一度強く目を瞑って、それからゆっくりと目を見開いた。


「ありがとう。メイのお陰で、全部分かったよ」


 メイファーラはそれを聞いて安心したように微笑み、そのまま気を失った。


「峠は越した。このまま安静にしておけば問題は無い」


「わかりました。イルスさんは、ここにいてください。メイを頼みます」


「了解した。怪我人が出たら呼べ」


 イルスにその場を任せて、私は立ち上がる。ハルベルトを伴って洞窟の外へ。

 言葉の通り、私には全てがわかっていた。

 フィリスをミルーニャに対してどう使えばいいかも。ミルーニャの不死のからくりも、全て。


 ミルーニャがメイファーラを一番に警戒していたのは、彼女に過去視の能力があったからだ。ミルーニャという少女の過去、その来歴を辿ることで、不死の根源となる渇望を知ることができてしまうから。


 そして、それが理解できれば、私のフィリスはその過去に遡ってありとあらゆる事象を語り直せる。呪文とは過去や死者の記憶を語り直す手法だ。過去視という能力を持つメイファーラは、まるで誰かが私のために用意してくれた人材にも思えた。


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