3-31 言理の妖精語りて曰く②





 左手を前に突き出す。最後の一つとなった金鎖を砕いて石像を破壊しようとしたその時だった。


「何のつもりです?」


 冷淡なミルーニャの声は、私ではなくハルベルトの前に並ぶ男達に向けられていた。

 異形の白い鴉となった少女の前に立ちはだかるペイル、ナト、イルスの三人は、その顔に明確な戦意を漲らせていた。


「これまでの経緯はともあれ、命を救って貰った恩がある。このまま借りも返せずに死なせたんじゃあ男が廃るってもんだ」


「こっちは完敗して情けまでかけられたんだ。雪辱するまでは殺させないよ。同族相手に気が引けるけど、ちょっと痛い目を見てもらう」


 巨漢と優男が口々に己の戦う理由を述べながら拳と槍を構える。祭服の医術士は負傷したメイファーラとプリエステラを運び出し、治療して背後に庇っている。

 ミルーニャは冷え切った視線で男達を眺めて言った。


「もう貴方たちの出る幕はありません。しょせんは状況を設定するための舞台装置でしかないんですから。用済みだってことが理解できないんですか? 適当にその辺で黙って待機してればいいんです。そうしたら、まとめて痛くないように首を刎ねてあげますから」


「悪いが断るっ」


 ナトが放った二つの攻撃端末がミルーニャの左右上方に滞空すると、水滴状の尖端が広がって花弁の様な形態になる。内部に格納された呪石が輝いて、高位呪術を発動させる。


「肉体を破壊しても再生するというのなら、呼吸が出来なくなればどうかな?」


 攻撃端末はミルーニャの周囲を回りながら、彼女を球形の結界に閉じ込めた。ナトの言葉通りなら、あの内部からは大気が失われているのだろう。生物相手なら無類の強さを誇る呪術、【窒息】を維持する為の膨大な呪力がナトから放出されていた。昼に戦った時、私達に向けて使おうとしていた高位呪術はあれだろう。手加減すれば気絶程度で収められるとも聞くが、本気でこちらを殺す気があったとしか思えなかった。


 不敵な表情で呪術を維持するナトの表情が、次第に訝しげなものに変わっていく。ミルーニャが、一向に苦しそうな表情を見せないのだ。呪術は確実に発動しているはずなのに。

 左右の翼が振るわれ、攻撃端末が一瞬で打ち砕かれた。


 愕然とするナトを侮蔑の視線で見つめるミルーニャ。その中指から、皮膚内部を伝う管が手首から袖口に隠れ、胸から首筋にまで伸びている。盛り上がったその管はまるで、指の中の倉庫から何かを供給する生命線のようでもある。


「対策済みに決まっているでしょうそんなの。私の指の中には海底だろうと高山だろうと生存可能なだけの呪具が格納されています。呼吸用の耐圧容器くらい貯蔵してますよ、当たり前でしょう?」


 その顔面に拳が叩き込まれる。瞬時に間合いを詰めたペイルの、目にも留まらぬ猛攻。鈍器じみた両の拳は絶え間なく少女の全身を打ち据え、殴り、粉砕し、血を撒き散らす。


「おらおらおらぁっ! 再生を上回る速度でぶっ壊せば終わりだろうがっ」


 超高速の連打。言うのは単純だが、実行するのは並大抵の技量ではできない。屈強な筋力、並外れた神経反射、そして膨大な修練が必要だ。それを為し遂げるペイルの実力は、流石に並の修道騎士のものではない。連続で治癒呪術をかけつづけたとしても、あれではとても回復が追いつくまい。

 しかし。


「――下手くそ。ぜーんぜん感じないんですよね。独り善がりな男って最悪ですぅ。自分の思い通りにすることしか頭に無いんですから。やっぱり暴力的な男は一人残らず死ねばいいんですよ」


 尾のように伸びた三本目の足がペイルの腹部を掴み、そのまま持ち上げて地面に叩きつける。轟音と共に地面が陥没し、その中央で巨漢が血を吐く。巨体を軽々と持ち上げて扱う力は尋常のものではない。ミルーニャの外見は華奢な少女だが、その身体的強度は見た目以上だった。

 

「以前、この上なく性格の悪いぽんこつ魔女に掴まって同じような事をやられたんですけどね。私はそういうアプローチじゃ殺せません。極限の苦痛を与え続ける拷問とか、活火山の火口に放り込むとか、まーあの女もよくやりますけど。私にとって痛みは快楽であり喜び、生の実感そのものです。苦痛こそが私の呪力の源。不用意な攻撃は私の再生能力を増大させるだけです」


 ダメージを与えれば与えるほど再生速度が増していくというのなら、ペイルの試みは全くの無駄だということになる。

 原形を留めないほどに破壊されたミルーニャの肉体が蠢き、肉腫を膨れあがらせ、見る間に復元されていく。破れた衣服は肉体の一部から生み出しているのか、綺麗な状態に戻っていた。


「ま、流石にマグマにぶちこまれた時は脱出と再生に相当時間がかかりましたけどね。その間に【杖の座】があのがらくたに決定してるし――ああもう、嫌なこと思い出しました! どうしてくれるんですか!」


 憤慨するミルーニャの首に、ぷすりと鋭利な針が突き刺さる。正確な投擲と意識の間隙を突いた見事な不意打ち。押子が自動的に動いて、円筒から薬液が注射される。注射器を投げ放った黒檀の民系の男、イルスが言い放つ。


「ならば、自慢の再生能力に溺れて敗れるがいい」


 そして発動する【修復】の術。強力な回復の呪力がミルーニャの全身を覆い、その肉体を過剰に再生させていく。蠢く肉腫の活動が活発化していき、見る間に膨張し、皮膚が新生していく。急激な新陳代謝が繰り返され、ミルーニャの肌が瘡蓋となり、垢が生まれ、見る間に汚れていく。


「やだ、不潔になっちゃいます。何ですかこれ、嫌がらせ?」


「馬鹿な――」


「あれ、もしかして膨張して破裂とかぁ、しわっしわに老化したりとかを期待してましたぁ? ざーんねん。無駄ですよー」


 その超再生能力を逆手にとって倒すという手段は、彼女には通じない。

 活発化した再生はイルスの意図したような結果をもたらさず、ミルーニャの新陳代謝を促しただけだ。彼女は幼子のような艶めいた肌を晒しながら笑った。


「私のテロメアはコピーをどれだけ繰り返しても劣化せず短縮しません。わかります? 細胞分裂回数の限界が無いんですよ。自己再生、自己分化、自己複製を繰り返す、完全自己制御型の恒久的良性腫瘍ビナインチューマー――いえ、霊体も同時に再生させる私の肉体は、呪的新生物ネオエクトプラズムとでも呼ぶのが適切でしょうか」


 アストラルの視界でミルーニャの再生過程を眺めると、その異常性が良く理解できる。肉腫と重なり合うようにして膨れあがる、半透明の霊体腫瘍。それらが半ば物質化することで、無尽蔵の質量が彼女に供給されているのだ。

 しかし三人が時間を稼いだお陰で、ハルベルトの呪文が完成していた。ミルーニャの足下と頭上を挟むようにして発光する幾何学的な図形が展開され、無数の文字列が上下を行き交う。

 ミルーニャは、これ見よがしにうんざりしたような溜息を吐いてみせた。


「貴方たち呪文使いは不死とみるとすぐにこれです。細胞の管理プログラムを改変して、プログラム細胞死を強制的に引き起こそうとする。えーと、この呪文式がアポトーシスの誘発で、こっちがテロメラーゼの不活性化ですか。まあ定石ですよね。定石って事は、こっちも想定してるってことです――おいで、マクロファージ」


 ミルーニャは言いながら、無造作に露わな胸元に手を突き入れた。飛び散る鮮血と、引き摺り出される半透明の物質エクトプラズム。胸に刻印された幾何学的な模様が白く輝いて、平面の世界から三次元的な厚みを得て実体化する。


 点と線が拡大し、体高がミルーニャと並ぶまでになる。それは立体映像のような、半透明の物体だった。三角錐の頂点から伸びる三本の手は枝のようで、三角錐の底面からは円筒状の尾が垂直に伸びている。最下部からは六本の脚が山なりに伸びて細長い全身を支えていた。


 およそ生物とは思えぬ、機械のような無機質な形状。にもかかわらず、棒きれのような手足は躍動的に蠢く。

 それはまさしく、神話に登場する第五位の天使ペレケテンヌルの姿そのものだった。

 ハルベルトは目を見開いてその奇怪な存在を凝視した。


「それは幻獣――仮想使い魔。でも、どうして。あなたにそれを使いこなせるだけの呪文適性は無いはず」


「はっ、私がいつまでも弱いままだと本気で思っていたんですか。私は負けず嫌いなんです。杖使いの技術にはね、たとえ才能が無くても他系統の呪術を再現するための方法が幾通りもあるんですよ。当然それなりの準備と対価は必要になりますが」


 ミルーニャが呼び出した仮想使い魔は、その三本の手を器用に動かして周囲を取り巻く呪文の群れを啄んでいく。引き千切られた図形と文字の群れ。それらは全て頭部の三角錐に取り込まれていった。


「この子はとってもお利口さんなんですよ。私に害を為す呪文マクロを受動的に検知して喰らう清掃屋。無駄になった余剰呪力や呪的廃棄物の処理なんかもできる万能の食細胞にして呪文喰らいマクロファージ。この【闇の静謐ダーク・トランキュリティ】の前ではあらゆる呪文は消え去るのみです」


 呪文の無効化。おそらくは、杖の原理によって私がフィリスの助けを借りて使う対抗呪文【静謐】と似た効果を引き起こしているのだろう。

 ミルーニャは、私とは別系統の【静謐】使いだったのだ。


 仮想使い魔はハルベルトの呪文を食い尽くすと、続いて老廃物で汚れたミルーニャの皮膚に手を伸ばしていく。見る間に清潔さを取り戻した彼女は、くすぐったそうにしながら円筒の身体を撫でた。


「いい子、いい子――この子はね、喰らった呪文を記憶して、私の呪的適応免疫系イミューンシステムを活性化させる。もう同じ呪文は私に通用しません」


 それは呪文を唱えれば唱えるほど選択肢が消えていくことを意味していた。

 あの仮想使い魔は、私やハルベルトのような呪文使いの天敵なのだ。


「一つの系の恒常性を維持する屍肉食いスカベンジャー――ふふ、そういえば鴉にもそういった習性がありますね。わりと雑食ですけど」


 ミルーニャにはありとあらゆる攻め手が通用しない。中には通用する攻撃もあるのだろうが、彼女はそれらを事前に想定して対策を練っていた。呪具を準備しておき、物量の力によって相手を圧倒する、杖使いらしい戦術と言えた。


 ミルーニャは白い翼と尾のような足、奇怪な呪文喰らいを傍らに置いて首を巡らせた。必殺の攻撃を立て続けに完封され、打つ手を見失った四人に呆れたような視線を送る。


「あのですね。今更説明するまでもないですが、【星見の塔】はキュトスの七十一姉妹の拠点であり世界最大の呪術結社です。死ざる女神の眷族である姉妹の拠点には、文字通り七十通り以上の不死が存在するわけです。当然それに関する膨大な知識もね。『不死対策の対策』なんて研究され尽くしているに決まっているでしょう。貴方たち大神院と修道騎士は邪神の裔を討伐するためにずうっと【塔】に挑み、敗れ、ついには諦めて擦り寄ることにした。その結果がそこの口先だけの根暗女や中身からっぽのきぐるみ女との協力態勢というわけです。まさか忘れた訳じゃないでしょう? 最初から、貴方たちに勝ち目なんてないんですよ」


 仮想使い魔が三手をがさがさと擦り合わせる。その尖端から複雑な呪文の構文が漏れ出ているのが見えた。ミルーニャに対して使用された呪具の使用を妨げる呪文が喰われてしまったのだ。機械に不調をもたらす小さな邪妖精グレムリンが甲高い鳴き声を上げてマクロファージの中に取り込まれていく。これでミルーニャはまた自由に呪具を使用できるようになってしまった。


 とにかく助けに入らないとまずい。ミルーニャはあまりにも強すぎる。不死の魔女、その末妹候補に相応しいだけの圧倒的な不死性。はっきり言って、ハルベルトよりもよほど不死の魔女らしかった。


「さて、無駄な抵抗はもういいですか? こっちはいい加減飽きてきた所です。そろそろ終わりにしましょう」


 ミルーニャはナトが突きだした槍を三本目の足で払いながら本人を蹴り飛ばし、せめて壁になろうとしたイルスを翼で吹き飛ばした。宙を舞う鮮血と呻き声。震えるハルベルトの目の前に歩み寄っていく。


「ようやく。ようやくです。貴方を倒し、私こそが最高の末妹候補――いいえ、真なる末妹であると証明する。手始めに不死とは名ばかりの貴方、その後は外部からリソースを持ってきているだけのコルセスカや存在そのものが不安定なトリシューラ、そしてそもそも生きた個体ですらないトライデントたちを全て排除して私が唯一無二の末妹となるんです。そう、私こそが真なる、そして完全なる不死の魔女! 四色の『三叉槍の魔女』を超越した存在――そうですね、白血のハルベルト、なんて名前はどうでしょう」


 恍惚とした口調で滔々と語るミルーニャは、遂にハルベルトの目の前に辿り着いた。もう翼か足を一振りすればハルベルトに攻撃が届いてしまう。防御結界があとどれだけ保つのかわからないが、猶予は既に無い。


 私は石像の拳を回避し続けながら思考の堂々巡りを繰り返す。フィリスの射程範囲にミルーニャを捉えることができれば、あの圧倒的な再生能力か仮想使い魔のどちらかを解体して突破口が開けるだろう。しかしその為には石像が邪魔で、石像にフィリスを使ってしまえばミルーニャに対抗する手段が無くなってしまう。


 呪術杖で拘束するにしても、あの翼と三本目の足が生み出す機動力は容易い拘束を許してくれそうにない。なにより、彼女は指先を体内の亜空間に広がる倉庫と接続しており、無尽蔵の物量を用意している。まだまだ大量の呪具を保有しているであろうことは想像に難くない。


 先程は感情に任せてフィリスを使いそうになってしまったが、あれは確実に悪手だった。ミルーニャの圧倒的な力を見てしまった後では、切り札であるフィリスを不用意に浪費することはできなかった。


 ミルーニャを助けようとしてフィリスを使ってしまった事が響いていた。今にして思えば、あれはパラドキシカルトリアージの発動に失敗したのではない。致命傷と軽傷の価値を逆転させるあの医術は、あのような凄惨な傷すら軽傷だと認識しているミルーニャに使っても最初から意味が無いのだ。


 私は魔導書を開き【煙幕】を発動して石像を漆黒の煙で包み込んだ。石像本体に直接的な呪術が通用しなくても、呪術で生み出された物質で間接的に妨害することはできるはずだ。その隙をついて駆け抜けようとするが、石像は全く動じた様子もなく私を正確に捕捉して拳を繰り出してくる。


「無駄ですよ。私の右手親指の全領域を使用して動くその【盲目の守護者像ブラインド・ガーディアン】は正確に呪力を感知して行動します。濃密な呪力の塊である【夜の民】をこの時間帯に捉え損ねることなど決してありえません」

 もはや打つ手は無い。何をどうしても、ここから状況を打開できるという可能性が見いだせなかった。

 全てを諦めかけた私は、奇妙なものが夜空を浮遊していることに気付いた。


 白い。それはミルーニャのような美しい純白ではなく、どこか不吉な色褪せた白。骨の白だった。大量の骨を無理矢理削りだし、奇怪な花に造型したような物体。


 かつて私を二度襲った、正体不明の骨花。花弁の中央で金眼が輝き、不気味な圧力をこちらに放射している。

 窮地に現れたのは更なる脅威だった。あの使い魔は、明確に私に対して敵意を向けている。


 邪視が発動し、私の全身に凄まじい呪力が叩きつけられる。アストラル界からの干渉に必死に抵抗するが、直前までミルーニャや石像に注意を向けていた私は不意打ちに対抗しきれない。衝撃によって弾き飛ばされ、体勢が崩れる。このまま石像の攻撃を受ければ間違い無く再起不能だった。


 ところが、ミルーニャは焦りを含んだ声で石像に命令する。それは私を攻撃しろというものではなかった。

 

「その人を守って! 絶対に渡しちゃ駄目ですっ!」


 巨大な石像が私を庇うようにして骨花の前に立ち塞がり、上空に向けて拳を振るった。回避しながら骨の破片と邪視を放って反撃する何者かの使い魔。

 そういえば、崖で襲撃を受けた時にも、ミルーニャはあの骨の花を知らないような素振りだった。両者の関係は不明だが、もしかすると敵対しているのだろうか。


 金眼がぎょろりと動いて、ミルーニャの動きを縫い止めようとする。既に眼鏡を指の中から取り出していた彼女は完全に停止させられることこそ無かったが、全身の重さが増したかのように動きから精彩が失われていく。


 その代わり石像は邪視の影響を受けないらしく、鈍重なようでいて広い歩幅で一気に間合いを詰めて骨花に拳を振るう。飛び上がって回避する骨花の真横を銃弾が走り抜けていく。石像の攻撃と銃撃の支援によって後退していく骨花は、しばし迷うようにして金眼をあちこちに向けていたが、やがて空中の一カ所で停止する。


「今です! 一気に叩き潰して下さい!」


 命令に従って石像が拳を振りかぶる。

 その正面で、金眼が強く輝いた。


「いぇつぃらぁ」


 骨と骨を擦り合わせて強引に作り出したような、軋むような音だった。その高低が、声とも雑音ともつかぬ奇怪極まりない何らかの単語を紡ぎ出した途端。


 骨花の至る所から、青い流体が噴出する。それはまるで血のようだった。流動する青々とした液体は凄まじく膨大な量となって石像を一気に飲み込んだ。更にそのままの勢いでミルーニャまでもを飲み込もうと空中を一直線に突き進んでいく。


 ミルーニャの全身が流体に飲み込まれる。流体はそのまま渦を巻いて彼女の全身を覆い尽くそうとしていた。

 翼をばたつかせ、顔をどうにか外に出すことに成功するミルーニャだったが、流動する青い液体はその身体を引き摺り込んでいく。そればかりか、その服や皮膚、全身を液状化させて取り込もうとしていた。


「くっ、何ですか、これっ」


 呪文喰らいが三手を動かすが、その縦長の身体ごと青い液体の内部に取り込まれてしまう。その上、同時に取り込まれた石像に引き寄せられ、融解するようにして同化を始めてしまう。あの青い流体には、取り込んだものの境界を無くし、あらゆるものを融合させてしまう力があるようだ。


「そうか、これが【融血呪】――トライデントの細胞ごときがっ」


 ミルーニャは鬼気迫る表情で液体を掻き分け、翼と三本目の足を振るって青い流体に抵抗する。融解する全身から肉腫が膨れあがり、その驚異的な再生能力と呪力でもって強制的な融合に抵抗する。三本目の足が伸びて、彼女の左手人差し指の爪を強引に剥ぎ取った。流体の浸食からどうにか逃れながら、人差し指を骨花に向ける。


「あまり私を舐めないで下さいよっ! 左手人差し指、解錠アンロック! 撃ち落とせ、【ブラストビート】!!」


 ミルーニャの指先からのべつ幕無しに射出されるのは情報体の弾丸だった。生物が生物であるがゆえに生得的に有する摸倣子を加工した弾丸。その正体は、遺伝子やタンパク質の構造を情報として記述した『生物学的な呪文』だ。


 核酸の配列などは離散的な情報であり、杖の分野のみならず呪文の分野でも情報処理のようにして扱うアプローチが可能となっている。遺伝子情報を有する全ての生物は、本来それだけで大量の情報、つまり呪力を有しているのだ。そもそも遺伝子というのは摸倣子のアナロジーから生まれた概念なので当然と言えば当然ではある。


 塩基配列シークエンスの弾幕。鎖のように連なった情報記述弾が、あらかじめ定められた手続きに従って自動的に宙にばらまかれていく。多数の小さな弾丸が散開して発射される。連射の間隔は逐次変化していき、弾幕は様々な波形を描きながら幻惑的な軌跡を虚空に描いていく。


 自らの生体情報を弾丸にして撃ち出すミルーニャの肉体は当然の結果として崩壊していくが、不死の身体を有する彼女はその度に強引に失われた部位を新生させて弾丸を撃ち続ける。流体の浸食に抵抗しながら身を削って攻撃するという状況に置かれ、さしものミルーニャからも余裕が失われていた。


「おいっ、何ぼけっとしてんだ! さっさとしろ!」


 唐突に背後から声をかけられる。見ると、ペイルがその両肩にメイファーラとプリエステラを担いでいた。二人ともイルスによって傷口は塞がれているものの、未だ意識は戻っていない。ナト、イルスも既に金箒花の群生地を抜けて森の中に向かっていた。ハルベルトがこちらに駆け寄ってきて、ぎゅっと黒衣を掴んだ。


「なんだか知らねえが、今のうちに逃げるんだよ! このままじゃどうしようもねえ!」


 正論だ。ミルーニャは私を狙って襲撃してきた骨花の使い魔と交戦しているために足が止まっている。ミルーニャに対抗する手立てが無い以上、まずは態勢を立て直さなければならない。そして漁夫の利を狙ってここに残るには、この場所で繰り広げられる死闘は危険に過ぎた。荒れ狂う銃弾と流体が嵐となって金色の花畑を蹂躙する。

 私はハルベルトの手をとると、ペイルに続いて鬱蒼と生い茂る木々の中に飛び込んだ。





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