3-29 白



 メイファーラの身体が傾いだ。

 そのまま腹部から大量の血を流して倒れていく。喉から迫り上がって口から溢れ出た血液がぼんやりとした表情を汚して、彼女は糸が切れたようにその場に倒れ伏した。


 呆然と立ち尽くしていた私達は、そこでようやく意識を取り戻したように現実を認識し始める。時間が動き出す。世界に音が戻り、再び言葉が記述されていく。

 そして私は、我が耳を疑った。


「あ、ああ、あーあー。声帯ちゃんと再生してますぅ? はいちゅうもーく。聞こえてたら、お返事下さいねー」


 聞き覚えのある、幼さを残した甘い声。それと平行するように、じゅくじゅくと、何かが蠢くような音がする。

 かすかな戸惑いの声。自分の身に何が起きたのかもわからないまま、メイファーラに続いてプリエステラが倒れていく。背後から一撃。背から胸へ突き出す、銀色の刃が月光を照り返して煌めく。鋭利なナイフが、樹妖精を刺し貫いていた。


「いいですかみなさん。これからぁ、あなた方をぶっ殺しまーす。ばばーん」


 自分の口で擬音を真似て、軽やかな口調でおどけてみせる。

 良く知っている声である筈なのに、私はそれが一体何者から発せられている言葉なのか理解できずにいた。


 目の前で音を発する、『それ』は。

 蠢き、流動し、隆起する肉塊。赤黒い血の色とまばゆいばかりの純白をまぜこぜにしたような、膨張と増大を続ける巨大な肉腫。

 地面に転がったミルーニャの死体を核として発生した、異形の存在。


「あっ、勿論アズーリア様は別ですぅ。貴重なグロソラリアですもの、左手と頭だけ残して保存したら、グロソラリアとしての因子を失わないように微調整しつつ、『脳髄洗い』で従順な奴隷にしてあげますからねー。きゃーん! これって愛のし、る、し♪」


 肉塊の中心に、白い喉と可愛らしい口元が見える。それは肉の塊に埋もれていた頭部がその全貌を露わにする前兆だった。果たして、その正体が露わになった。


 巨大な肉腫のかたまりが徐々に収縮し、凝縮され、一人の少女を形作っていく。見慣れた体型、見慣れた容貌。けれども、決定的に違う点がいくつもあった。


 まずその衣服。野暮ったい肩掛け鞄と作業用エプロンという格好ではなく、小さな肩と胸元を大胆に露出したドレスで、過剰なほどのフリルと純白に華奢な身体を包んでいる。深く開いた胸元の縁だけが血のように赤く、あくまでも基調となる白を妨げぬ程度に、随所に青い色も散りばめられている。


 露出した胸元には幾何学的な模様が刻印されている。白い肌の上を黒く走る線。模様は丈高い三角錐の頂点から一本の長い主枝と二本の短い副枝が伸びているという図形が基本構造となって、複雑怪奇に展開されている。図形と記号が組み合わさるその全体像はどこか化学式のようにも見えた。


 そしてその髪色。首元にかかる程度の巻き毛は明るい茶色から透き通るような純白に変化しており、茶色だった虹彩も血の赤になっていた。

 そしてその表情は劇毒に変じていた。私が知る彼女はこうではなかった。あどけない可愛らしさの中に含まれる毒は、密やかに相手を刺激する程度のもの。決して、世界の全てを呪い殺すような強烈な悪意を振りまいてはいなかった。


 極めて似ているけれど、決定的に違う。

 内包する呪力の質と量が、それまでの彼女とは隔絶していた。

 

「ミルーニャ、なの――?」


 問いに、少女は毒を込めて笑った。それは猛毒の嘲笑だった。


「あらためて、自己紹介と参りましょうか」


 予感があった。それは死の予兆、破滅の前触れだ。エスフェイルがそのまことの名を咆哮に乗せて叩きつけてきた時のような呪力の収束。

 そして、その呪術は発動した。


「私のまことの名は【白のメートリアン】――ああ、意味も添えないと駄目でしたよね。ミアスカの言葉で『抵抗』を意味する、揺るがずけっして損なわれない不屈の意思を体現する名前です。私は、与えられた運命には満足しない」


 鮮血が飛ぶ。宣名の威圧感に堪えきれず、傷を癒したナトが攻撃端末を放ったのだ。鋭利な尖端が少女の胸を貫き、心臓を破壊する。

 そして、それだけだった。

 少女はそのまま、何も起こらなかったかのように平然と言葉を続けていく。


「【最後の魔女】の予備候補で【塔】きっての呪術医ベル・ペリグランティアの助手、そして四人の候補者の支援役? そんな地位に甘んじたままなんて御免です。私の号は白、性質は生存欲求、起源は下らない運命に対する抵抗。そう、私は不幸の敵。不運の駆逐者。定められた老いと死を打ち砕くもの」


 肉腫が蠢き、攻撃端末を吐き出した。地に落ちた己の武器と致命傷を受けて平然と立ち続けている少女を交互に眺めて、ナトが何も出来ずに立ち尽くす。

 それは、私も同じだった。

 少女は、赤い視線を真っ直ぐに一人の相手にだけ向けていた。少女とは対照的に、黒く暗い色彩を纏った美しい魔女に。


「いいですか口先だけの根暗女――いえ、こう言い直しましょうか。黒のヴァージリア、と。ここで貴方を亡き者にして、私がハルベルトを襲名します」


 月光を照明に、星々を観客として、夜風の歓声に包まれながら。

 より深く更けて行く夜の劇場、その第二幕が開演しようとしていた――。


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