3-26 魔女と英雄④


 周囲の地形を知り尽くした巫女の先導があってさえ、呪波汚染に曝されて異常な様相を呈している森の中を歩むのは困難を極めた。

 崖の近く、集落のあたりはまだしも木々の密度が低く歩きやすかったのだが、そこから離れていくにつれて生い茂る大量の植物群はこちらの行く手を阻もうとするかのようにその数と強靱さを増していく。


 辺りには得体の知れない虫が飛び交い、鳥や小動物、虫たちの大合唱が響く。がさがさと何かが動く度に目が虚ろになっているハルベルトの身体がびくりと跳ね、メイファーラが大した事のない小動物だから気にしなくて良いと保証するやりとりの繰り返し。プリエステラの案内と合わせて行軍に不安は無い筈なのだが、月明かりさえ遮る森の高さと巨大さにはさしもの私も心細さを覚えずにはいられなかった。


「それにしても、巫女姫様もしたたかですよねー。イキューの巣が金箒花の群生地で、倒さないと手に入らないだなんて」


「合理的でわかりやすいでしょ? 杖使いの人ってそういうの好きなんじゃないの?」


「ま、その通りですけどー。にしたって、この道は結構きっついですぅ。今まで誰にも発見されなかったのも納得するほどの険しさでミルーニャちょっと疲れてきました」


 愚痴をこぼしながら目の前に垂れ下がった木の枝をナイフで切断していく。言葉とは裏腹に、太い木の根が張り出したような場所を避けて、頑丈なブーツで着実に確かな土を踏みしめて進む。か弱そうな外見に反してかなり逞しい彼女が疲労感を覚えているという事実が、状況の困難さを端的に表していた。


 ミルーニャは私に手を引かれてほとんど目を開けているのか眠っているのかもわからないハルベルトを一瞥して、深々と溜息を吐いた。鞄から呪符を取り出して、ハルベルトの額に貼り付けて、更に透明な液体の入った瓶の蓋を開けて強引に口にねじ込む。


「あの、ミルーニャ? それは一体」


「【安らぎ】をいじって疲労回復効果を加えた治癒符もどきと、うちの主力商品である【命の水】――を薄めたやつです。これでちょっとはマシになるでしょう」


 全くこれだからヘボ後衛は、などと毒づいて振り返る。メイファーラとプリエステラが生温かい視線を向けているのに気付いたようだが、そこで過剰反応せずに無言で歩みを再開する。正直私も二人と同じ気持ちだった。何だかんだと文句を言いつつ、ミルーニャは世話焼きでお人好しだ。それを口にしたら、絶対に本人は否定するだろうけれど。


 ハルベルトは少し楽になったのか、おぼつかなかった足取りがいくらかしっかりとしたものになる。ミルーニャの方を向いて、小さく何事かを呟いたが、とても聞こえるように言っているとは思えなかった。


「あーあ、勿体ない呪具の使い方しちゃいました。これがアズーリア様だったらむしろ喜んで飲ませて差し上げるんですけどねーっていうかむしろ口移しの機会到来ですぅ」


「ごめんね、ありがとうミルーニャ。でも口移しはやめて」


「いえいえ、お気になさらず。ただ、ちょっと治癒符の数が不足気味なので、あまり大きな怪我をするとやばいかもしれません」


「そうなの?」


 意外だった。ミルーニャの道具屋で錬金術師という肩書きからして、大量に保有しているものだとばかり思っていたのだが。


「なんといいますか、最近どーも高位治癒符の流通が滞ってるっていうか、偏ってる気がするんですよねー。基本的には最前線の人たちに優先して回されるんで当然と言えば当然なんですが。第五階層の解放以来その傾向に拍車がかかってる気がします」


 消費される量が供給される量を上回っている、ということだろうか。もしくはその状況を見越して大量に治癒符を抱え込んでいる人が増えているとか。それ以外の理由もあり得るけれど、迷宮の経済は命がかかった極限状態で回っているから、必ずしも合理的な論理では動かないと聞く。原因の予想が私などにできるはずもない。


「そもそも全部巨大企業が悪いんですよ! 前線では毎日人が怪我したり死んだりしてるのに自社の利益ばっかり追求して流通量絞ってるんですから。本当は幾らでも増産できるくせに、プロテクト料とかを無駄に間に挟むからどんどん高額化して必要な人の手に渡らないわけです」


「巨大企業っていうと、ペリグランティア製薬とか? 生命の水とかの」


 私が訊くと、何故かミルーニャは気まずそうに呻いた。言葉を探すような間を置いて言葉を続ける。


「零細探索者はあいつらに恨み骨髄ですからね。迷宮需要で大儲けした癖に、戦いが長期化すると見た途端に全体の量を絞って探索者から利益を吸い上げる方向性に切り替えた――まあ利潤を追求する企業としては当然なんですが、こういう公益に資する商売には国とかがお金を出してくれればいいのにって思います。医療の分野は特に」


 ミルーニャは随分と理性的に怒りを抱く性格の様だ。私も怒りっぽい方だけど、その性質は全くと言っていいほど異なる。


「優しいよね、ミルーニャは」


「え? ええっと、それはどうも――じゃなくて、きゃー光栄ですぅアズーリア様!」


 一瞬だけ素の反応を引き出せた気がして、理由のわからない達成感を得る私だった。今まで自覚がなかったけれど、私は意地が悪いのかもしれない。

 道行く中、プリエステラは亡くなったという父親の話をしてくれた。共に生活していたのは短い期間で、あまり仲は良くなかったようだけど、何かを吐き出すようにして欠点を並べて不満を吐き出していく。


「ねえ、みんなはどうだった? 家族ってどんな感じなの?」


 プリエステラが問いかけると、まずメイファーラが答えた。


「うーん、あたしの所は田舎士族の家柄だったから、お父さんからもお母さんからもビシバシしごかれたなあ。『天眼を使いこなせるようになるまで帰ってくるな』って言われて修行に出された事もあるし、そのへんエストと境遇が似てるかも」


 それに私が続く。


「私は親よりも妹にべったりだったから、家族って言われるとどうしても妹を思い出しちゃうな。小さい頃から面倒みて貰ってたし。村が異獣に襲われてからは私も一時期村から離れた施設に預けられて、そこで勉強とかしたなあ」


「ハルはずっと【星見の塔】や各地を転々としていて、言語魔術師になるための勉強で忙しかった。だから、あんまり両親との思い出は多くない。けど、月にいるお母様に送る手紙には必ず白く美しいガーデニアを添えるようにしているの。お母様の好きな地上の花だから」


 おや、と私は内心で首を傾げた。ハルベルトの言う梔子の花ガーデニアという言葉に思うところがあったからだ。後で詳しく聞いてみようと決意しつつ、私達の奇妙な符号に気付く。プリエステラもメイファーラもハルベルトも、私と同じく幼い頃にどこかに預けられて修行や勉学に励んでいる。今時珍しくもないけれど、ちょっとした偶然だった。


 これでミルーニャまでどこかに預けられていたことがあったら凄いことだなと思いつつ、私は彼女に声をかけようとした。けれども、斜め後ろから見えた彼女の表情はどこか暗鬱としていた。



「家族なんて下らないですよ」


 その声の低さに、踏み抜いてはならないものを踏んだと確信する。足下で嫌な音がして視線を向けると、暗色の長虫が体液を流しながら踏みつぶされて死んでいた。


「あの、ごめんねミルーニャ、なんだか私たち、不用意な事を」


「アズーリア様は、二股をかける人ってどう思われますか」


 私の動揺には構わず、ミルーニャは温度の低い声で問いを発した。それはあくまでも常識的でごく普通の質問だったから、私達は特に迷うことなく答えた。


「まあ個人的な意見だけど――二股かけるような人って、人格に問題があると思う。はっきり言って最低の屑。私は嫌いだな。絶対に関わり合いになりたくない」

 

「ハルも不実な人は嫌い――まるで移り気な子供のよう」


「あたしもお断りだなあ」


「うちの里でも、そういう奴は嫌われるよ」


「やっぱり、そうですよね」


 それぞれの答えを聞いて、ミルーニャは納得したように頷いた。その声に怒りが込められているのを感じて、私はこの質問が先程の話題にどう繋がるのかが見えてきた。つまりは、


「ミルーニャの父は、最低でした。お母さんがいるのに、他の女の人のところに行ったり、それを隠そうともしなかったり――」


「堂々と二股かけて恥じないような人って最低だ。隠してても最低だけど」


「お父様はお母様に百年以上も求婚してその間ずっと独身を貫いてた。そのくらいの一途さこそが美徳」


「そういう奴は見つけ次第ちょん切っちゃえば」


「みんな父親で嫌な思いしてるんだねー。私だけじゃないんだ」


「最後には『二人とも俺の女だ』とか言い出して家に連れてきて住まわせようとするし、お母さんはそれを黙って受け入れちゃうし、その後は心労で倒れてそのまま目が醒めなくて――」


「たとえどんな恩義があったとしても許しちゃ駄目。他にどんないいことしててもその最低さの前では霞んで見える」


「下劣な浮気者には限界までチャージしたオルガンローデぶっぱなしてやるべき」


「うっわークソハーレム野郎だ。最低だね」


「ていうかそれを娘の前で言うとか無いわー」


 ミルーニャの話を聞いていたらなんだか二股をかけるような人物に対する怒りが湧き上がってきた。もし今度そんな奴に出会う機会があったら、ミルーニャに代わって私が裁きを下してやろう。具体的には出会い頭に一発打撃をぶち込む。


 それからも続くミルーニャの家族語りは、ある種の怨念すら感じられるほどに暗く、恨みや鬱屈が込められたもので、家庭での抑圧を感じたことが無い私にはどこか恐ろしく聞こえた。


「人格が最低な上に、父は無能でした。家業の呪具店と工房の経営が立ち行かなくなって、大きな製薬会社の契約呪術師として就職して――杖使いとしての実力はあったけれど、現代の薬学って呪文の知識や技術が必須なんです。だから重要な仕事は任されず、現場に出て迷宮での採取や調査ばかりさせられていました。余剰分の素材も申告しないといけないので、まだ無所属でやってた方が収入がマシだったんじゃないかと思います。あれでそれなりに腕は立つから。それでも、お偉い呪文使い様たちに手品師だなんだと蔑まれて――でも文句一つ言わずに、毎日遅くなってから帰ってくるんです。いえ、間違えました。文句と愚痴は酒を飲みながらひたすら零してました。そのうち新しい方のお母さんも愛想を尽かして出て行ってしまいました」


 ぶつぶつと呟きながら前方の枝を手際よく切り裂き、後続の私とハルベルトの為に安全な足の踏み場を示していくミルーニャ。ブーツで草木をぐりぐりと踏みしだいて、絶えず背後に目を配る。手を引くのは私に任せているものの、遅れがちなハルベルトが脱落しないように気を遣っているのだった。

 こういう、辛辣でいて優しい彼女の気風は、そうした家庭環境で育まれたものなのかもしれない。


「契約を切られた時には随分と荒れてました。ずっと酒浸りで、周囲に当たり散らして。その後は在野の探索者として協会で仕事を探したり、空求人の依頼を掴まされたことに憤慨して協会に殴り込んで留置場に放り込まれたりと、まあ酷いものでした」


 その瞬間、木の枝を伝って巨大な蛇が牙を剥いてミルーニャに襲いかかった。慌てず騒がず、ナイフを一閃して木に縫い止める。正確に一撃で仕留めた手際は鮮やかの一言だった。


「ある時、『探索中に凄いものを見つけた。古代の貴重な魔導書だ。これさえあれば人生の一発逆転も狙える』って息巻いて、そのまま迷宮にすっ飛んでいきました。馬鹿じゃないのって思いましたね。貴重な遺産を見つけたら売れば良いんですよ売れば。そこで更に全額賭けての大博打って完全に頭がイっちゃってると思いません? 案の定、そのまま帰らぬ人ですよ」


 先頭のプリエステラが足を止め、ミルーニャの方に振り向いて何かを言おうとするが、上手く言葉にならないようだった。


「馬鹿で無能。どうしようもない人。無謀な探索に挑んで勝手に死んで、挙げ句に狙った獲物は他人に掻っ攫われて、手に入れた秘宝まで持って行かれて――」


「あの、ごめん、ごめんねミルーニャちゃん。私、そんなこと知らなくて、父親の仇が取りたいから協力してなんて――」


「いいですよ、エストさん。大嫌いでしたけど、それでも父親は父親。仇を討ちたいって気持ち。私も良くわかります」


 私の覚えている限り、ミルーニャが一人称を代名詞で口にしたのはそれが初めてだったように思う。その瞬間だけ彼女の隠された心の内側が見えたような気がして、私は。


「恨みをぶつける対象がいる貴方は幸せです。仇すら奪われてしまったら、どうすることもできない恨みをずっと抱え込まなくてはならないんですから。それすらできなければ――きっと膨れあがった恨みは、行き場を無くして自分ごと周りを引き裂いてしまうことでしょう」


 ――透明な表情を浮かべるミルーニャを見て、どうしてか背後を冷たい気配が通り過ぎていくような感覚に囚われた。

 きっと気のせいだ。呪力をはらんだ夜風は、時に禍々しい錯覚を運んでくる。戦いが始まれば、きっとそんなことを気にしている余裕は無くなるだろう。そう自分に言い聞かせて、私は先へと進む足取りを強く、確かなものにしようとした。


 ぎゅっと、土を踏みつける。何かを踏み殺した感触があったけど、私はもうそれが何かを気にすることは無かった。


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