3-25 魔女と英雄③


「なるほどね。まあ、部外者を簡単に招くなんて何か裏があるとは思ってたんですよ。要するに手っ取り早く戦力を確保したかったわけですね」


 準備をしてくると言い残してプリエステラが坑道奧に消えた直後、ミルーニャはそう言って岩壁に背を預けた。

 私はプリエステラの頼みを引き受けることにした。それは修行という目的にも適うことだったし、なにより彼女をこのまま放ってはおけないと思ったから。


 それに、きっと『英雄』という存在に求められているのは、ここで困難に立ち向かい人の助けになるような振る舞いだと思うのだ。


「ま、いいんじゃないですか。素材も欲しいですし、別個体とはいえ固有種を倒せることには違いないわけですし。危険性を考慮に入れなければまたとない機会です」


 ミルーニャは、意外にも私の決定に納得しているようだった。正直拍子抜けというか、わざわざ付き合わなくてもいいと言ったのだが。


「良質な金箒花の在処に、固有種イキューの討伐によって得られる名声と素材、それと枯れ木族に恨みを買う危険性――ま、アズーリア様への気持ちを乗っけてどうにか天秤が拮抗するかどうかって所ですね。いいでしょう。貴方たちと要らぬ軋轢を生み、遺恨を残すのも面白くない。言うとおりにしますよ」


「いや、でもイキューと戦うんだよ? 死ぬかも知れないって、当然ミルーニャならわかってると思うんだけど」


「それはアズーリア様だって同じでしょう? まあ、【騎士団】の方々が仇討ちに呪術的な意味を見出す怖い人達だっていうのは有名ですからね。彼女に感情移入して協力するだろうなっていうのは仕方無いですよ。ミルーニャだって感情が無いわけではありませんから、彼女の話を聞いて共感する所が無くもなかったのです。手伝ってあげてもいいかな、と少し思いました」


 ミルーニャはそれよりも、と口にして、私の後ろに佇むハルベルトの方に視線を向けた。


「むしろそちらの根暗女の方が意外でした。こんな危険な事、アズーリア様にさせていいのですか?」


「これも修行。それに、危なくなったらハルがどうにかする」


「あんな醜態を晒した後で、よくもまあ自信満々な態度を崩さずにいられますね」


「接近さえされなければ、前衛が時間を稼いでいる間にオルゴーの滅びの呪文オルガンローデで片を付けられる。どんな敵でもこれで一撃」


 ハルベルトの発言に、その場にいる全員がぎょっとした。彼女が口にしたのはそれほど途方もない大呪術だったからだ。


「竜級の極大呪文?! そんなの使えるの?!」


「嘘は吐かない。詠唱時間さえ確保できれば、ハルに滅ぼせないものは無い」


 確かに、【星見の塔】の言語魔術師ともなればその呪文を使いこなせたとしてもおかしくはない。私は改めて、自分と彼女の間に横たわる途方もない実力の隔たりを感じておののくような気持ちになった。


「――ふうん。まあ、その最強の攻撃呪文も詠唱する前に潰されたら意味無いんですが」


「大丈夫」


「何を根拠に」


「ちゃんと守ってくれるって、アズが約束してくれたから」


 揺るぎない信頼の眼差しが向けられて、少し照れくさくなる。黒玉の瞳を見返すと、その表情が少しだけ柔らかくなったような気がした。微笑み未満の感情を受け取って、私は胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を味わった。この気持ちに、なんて名前を付けたらいいのかわからないけれど。彼女の信頼が、今は重圧以上に心地良いと思えた。


 横合いから伸びたミルーニャの手が、ハルベルトのやわらかそうな頬をぐいと引っ張る。伸びた頬を押さえながらハルベルトの表情が不快そうに歪んだ。


「何するの」


「いいえ別にー? むかつく口先女の良く伸びる頬があったのでつい」


 お返しとばかりに頬を摘み返すハルベルトと更にその報復を行うミルーニャとの間で、終わりのない不毛な復讐の連鎖が始まった。メイファーラがこちらに寄ってきて、顔を寄せてこそこそと訊ねる。


「ね、ね。二人の時に何かあった?」


「いや、別になにも。ただちょっと喧嘩して――その後ちゃんと和解したけど、そのくらい」


「おおー」


 何がそんなに面白いのか、メイファーラはぎゅっと手を握って「そこの所をもうちょっと詳しく」などと詰め寄ってくる。正直止めて欲しい。

 しばらくとるに足らないやり取りが続いた。壮絶な殴り合いに発展しそうだった二人を引き離したり、何故か私がメイファーラとミルーニャから質問攻めにされたり。

 どうにかやりすごして話の方向を軌道修正する。


「えっと、じゃあミルーニャも一緒に来てくれるってことでいい?」


 ミルーニャは頬をさすりながら頷いた。何故か、私の方を恨めしそうに一睨みしてから口を開く。


「全部終わった後で裏切って総取り――なーんて、全然考えてませんよ? きっとそれをすれば、ミルーニャは皆さんから『許容不可能なほどに異質なもの』だと見なされてしまうでしょうから。ミルーニャは異獣になりたくありません。今はまだ、ね」


 ちらりとティリビナの民たちに視線を向けて、彼女は皮肉めいた事を言う。そして、先程からのほほんとした風情で佇んでいるメイファーラを見た。


「それに、ミルーニャが険呑な事を言う度にそこのお気楽修道騎士が険呑な殺気をぶつけてくれちゃってましたからね。流石の私も、ハイレベルな天眼の戦乙女を敵に回したいとは思いません」


「あたし、別に殺気なんて――」


「ミルーニャに誤魔化しは通じませんよ。これでも暴力の気配にはとっても敏感なんです。貴方は笑って敵意を隠すのが達者みたいですけどね。それって裏を返せば隠している事が見えやすいってことでもあるんですよ」


 メイファーラは困ったような笑顔を浮かべて、ミルーニャの指摘に曖昧な反応をした。どうとでも取れる答えだが、不思議と裏を感じ取ってしまうような凄味があった。


「うーん、普通にしてるだけなんだけどなあ」


 私達の方針と意思が固まった所で、ティリビナの民のひとりがこちらに近付いて来た。私は彼らの外見を見分けることができないけれど、ごく平均的な外見のようだ。


「あんた達、巫女様を知らないか」


「エストなら、さっき準備するとか言って坑道の奧に」


 ハルベルトが穴の奧を示すと、彼は私達に言伝を頼んできた。


「そうかい。なら、巫女様に伝えてくんねえかな。今晩の祭儀はこっちで準備から終わりまでやっとくから、重要な最後の祈祷と舞以外のとこでは巫女様は休んでて欲しいってよ」


「構わない。けどいいの。あなたたちの宗教儀式はあらゆる場面で巫女を必要とすると聞いている。呪力抽出の効率が落ちるのではないの」


「ああ、構わねえよ。ここんとこ、ずっと巫女様に頼りっぱなしだったからな。たまには楽してもらわねえと、俺らの方が女神様に怒られちまうよ。親父さんの事があって辛い時期だろうに、泣き言一つ言わねえんだ、立派なもんさ」


 ティリビナの民の口調には敬意だけではなく親しみが感じられた。立場の違いゆえに、どこか距離のある接し方ではあるのだが、それでも仲間に対する気遣いや思い遣りは確かに存在しているのだ。


「親父さんが亡くなって、巫女様も大層寂しい思いをされてるだろうからなあ。あの方ばっかに負担かけさせちゃいけねえってみんなで相談したんだ。何、今までは自分たちだけでやってきたんだ、どうということもねえよ。辛い時くらい休んどかねえと身が持たねえってな」


 彼の言葉に同意する声が周囲からも上がった。一所に集まった子供達が、女性を模したと思われる木彫り細工を削っていた。樹木の女神レルプレアを象っているのだろうが、子供達が口にするのは揃ってプリエステラの事だ。エストはもっと細いとか、エストの頭の花はもっと大きいとか、喧しく言い合いながら木片を削っていく。子供達にとっては、巫女を介して感じられる女神や精霊も媒介者たるプリエステラ本人も同じものに見えるのかもしれなかった。


「ここの子供たちはみんな俺らの子供みてえなもんだからよ。これからは俺らが巫女様の家族になってやらねえとな」


 そう言って、ティリビナの民は祭りの準備に戻っていった。

 ミルーニャが顎に人差し指を当てて呟く。


「部外者にあんな話をするなんて、そこの根暗女はよっぽどあの巫女さんに気に入られているように見えたんでしょうね。多分、あんなに元気な顔をするのは久しぶりとか、そういう話なんでしょう。良かったですね、生まれて初めての友達ができて」


「――まるでハルに友達がいたことないみたいな言い草」


「いるんですか?」


「友達がいるから何だって言うの」


「はっ」


 ミルーニャが鼻で笑うと、ハルベルトの目が据わってそのまま取っ組み合いが始まる。そして一瞬で終わった。身長では勝るが筋力で劣るハルベルトはあっという間にねじ伏せられて壁に押しつけられてしまう。フードの中で何かがもぞもぞと動き、黒玉の瞳が揺れる。あ、泣きそう。


「ハルベルト! 私も友達はネット上にしかいないから安心して!」


「アズ、あたしは友達じゃないのー?」


 騒がしくする私達に、何かの遊びをしているのだと思った子供達が寄ってきてしきりに話しかけてくる。どうやら恐怖よりも外の人間に対する好奇心が勝ったらしい。私達を取り囲んで質問をしたり服を引っ張ったりしてくる。


「なーなーその服の中どーなってんのー」「あんたらって【夜の民】だろ。知ってるよ、満月だと狼に変身できんだろ」「ばーか、ちげえよコウモリとか霧になんだよ。そんで血を吸って呪術使うって」「俺は幻みたいな亡霊だって聞いたけど」「外から来たんだろ、なんか土産とかねえの土産」「箒のねーちゃんはいっぱい持ってきてくれたぞー」「そうだそうだ」「よこせよこせ」


 普段は甘いものを捧げられる立場なので、よこせと言われるのはなんだか新鮮な経験だった。黒衣の中の使い魔に命じてお菓子を出現させると、子供達に配っていく。


「すげえ、めっちゃ美味いぞこれ」「やるな一番ちびのくせに」「できる【夜の民】だな俺より背ぇちっせーけど」「よしちびすけ今日から子分にしてやる」


 大好評だったが、なんか釈然としない。

 わいわいがやがやとやっていると、絹を裂くような悲鳴が響いた。

 見ると、子供達の一人がメイファーラのローブの前に潜り込み、スカートをめくりあげていた。一瞬、ぞっとした。あの内側の呪動装甲、形状が特殊なので一見して修道騎士だとはわからないはずだが、松明の紋章を見られたらまずい。


 しかし、心配は不要だった。その子供は一点を凝視していた。何をとは言わないが、最悪だと思った。

 メイファーラは素早く飛び退って前を隠し、そのまま座り込んでしまった。顔は羞恥に染まり、目には涙が浮かぶ。


 たちまち平和にハルベルトと話していた少女たちが集まり、狼藉を働いた少年に殴る蹴るの暴行を加えていく。「男子サイテー」「変態は死ね」「去勢しようよ去勢」「今日のお祭りでコイツも生贄にしない?」「賛成の人ーはい賛成が過半数を超えたので死刑執行でーす」などと正義の制裁が加えられるのを横目に、私はメイファーラに駆け寄って手を差し伸べる。


「大丈夫? 平気?」


「うう――恥ずかしかったよう。死んじゃうかと思った」


「昼間は平気そうだったのに――」


「自分でやるのとは訳が違うよー」


 涙目のメイファーラが力無く反論する。確かにこんな公衆の面前でスカートめくりなんてされるのは精神的に苦痛だろう。というか、あんなことをする少年が実在するとは。創作物の中だけの存在かと思っていた。

 

「むう――やはり圧倒的あざとさ。高度に発達した計算は天然と区別がつかない」


「なんでハルはちょっと感心してるの?」


「うえええん、あたし計算とかしてないし天然でもないよう。あざとくないもん」


「既に発言そのものが矛盾を内包してますよね。ちょっと感心ですぅ」


「その点、あなたはわかりやすい」


「はぁー? 喧嘩売ってるんですかいいですよ買いますよっていうか貴方がそれを言いますか口調の作り方と媚び方がガキっぽくて鬱陶しいんですよ」 


 私達の口喧しいやりとりは、大体こうしてハルベルトとミルーニャが険悪な雰囲気になって、それを私とメイファーラが仲裁するというお決まりの様式をなぞるようになりつつあった。今回もそうなろうとしていたのだが、そこにいつもとは違う声がかけられて、場が中断される。


「随分と騒がしいけど、何があったの?」


 巨大な木の杖を手にしたプリエステラが、呆れたように私達に声をかける。

 すっと気持ちが引き締まる。彼女の準備が整ったということは、これから戦いに向かうということだからだ。


「ちょっとこの人達に、このへん案内してくるね。祭りまでには必ず帰るから」


 周囲に声をかけて、プリエステラは私達に向き直った。そして、決然とした表情で告げた。


「それじゃあ最後に確認するけど、本当に協力してくれる?」


「必ず帰るっていう約束を破らせるのも悪いし、さっさと終わらせよう」


 聞かれるまでもないと、私は先を促した。彼女の先導が無ければ標的の下へは向かえないのだ。プリエステラはひとつ頷いて、それから深く腰を折って礼を尽くした。


「ありがとう。この恩は忘れない――必ず報いるから」

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