3-7 言の葉遣いは躊躇わない②


 樹状都市の枝と枝のあいだを、立体的に広がって交叉していく葉脈状の路線図。その上を、連なった長方形が這い回る蛇のように進んでいく。

 地上を走る車輪列車とは異なり、重力の向きと慣性を制御された浮遊車輌はとても静かに進む。


 積載限界の七割ほどの乗客で埋まった車内で、私は乗車口近くの吊革に掴まっていた。少し高い位置にあるので、ちょっとだけ背伸びをしないと届かない。爪先立ちをしてめいっぱい片手を伸ばせばしっかりと掴めるのだけれど、なかなか大変だ。


 様々な格好の乗客達の中で、私の黒衣姿はそこそこ浮きつつもほどほどに埋没している。霊長類と眷族種たちが築き上げてきた混淆文化は、私程度の地味な浮き方では逸脱であるとは見なされない。


 それでも、その姿が過度に霊長類から乖離していれば異獣として排斥されてしまうけれど――。

 ふと、すぐ隣の会話が耳に入ってきた。


「リーナのそれってヴァージネリーの新作? やっぱお嬢様はお金持ってるねー」


「いや、私そんな仕送り多くないって。こないだちょっと第二階層まで足伸ばしたの。それで臨時収入があっただけ。それに実用面を考えるときぐるみ妖精ドーラーヴィーラの方が良かったかなってちょっと後悔してたとこ」


 年頃の少女が二人。

 片方が頭の上に載せている大きな三角帽子が話題になっているようだ。

 おしゃれ魔女ヴァージネリーもきぐるみ妖精ドーラーヴィーラも迷宮関係者なら誰でも知っているファッションブランドだ。


 少女達はいかにもな流行の魔女ルックで、手に提げた透明なケースの中にノートや教科書が見える。第六区行きの列車に乗っているということは大学生だろう。

 私が向かおうとしている第六区は書店や呪具店などが並び、大学と探索者協会の本部が存在する区画で、この迷宮都市では最も重要な区画の一つだ。


 大学は異獣や世界槍の研究、調査、そして呪術師の育成などを担う国立の機関であり、将来の探索者を育成する為の探索者専攻まである。

 知の体系化という学問の機能を思えば、枠組みからの逸脱を扱う呪術は大学の理念と真っ向から反している。ゆえにほとんどの大学は思考を体系化して形にできる杖の呪術を中心に扱っており、今回の呪文の師を探すという目的からは残念ながら外れる。特にエルネトモラン大学の呪文学はあまりランクが高くないことで有名で、よく駅前で学生が奇声のような呪文を唱えて騒いでいるのを見かける。あれはどういう暗号なんだろう?


 ――杖使いにだって学ぶべき所はあるけれど、私の杖適性はフィリスの底上げが無ければ悲惨なもので、少し前までは端末すら使えない有様だった。

 杖使いとしての才能である器用さもほぼ皆無で、石を投げれば真後ろに飛んでいく始末。


 斥候の専門職であったカインや、自分にむけて投擲されたものを掴み取って投げ返していたシナモリ・アキラとは比較にすらならない。苦手分野の強化も必要だが、今は得意分野を少しでも伸ばして戦力を強化したかった。


 いずれにせよ、第六区は呪術師や探索者が集う区画。師を探すにはうってつけだ。まあ、流石に女子大学生を師にはできないけれど。


 若い女性に限らず、呪術に携わる者の関心といえばまずファッションだ。呪力を伝播させる摸倣子は最新の文化や流行を敏感に捉えてよく吸収する。呪術を使うリソースとなるのが呪力だから、服装のデザイン性は呪術師にとって極めて重要である。


 一般にデザイン性が低い無骨な鎧を着て前衛で殴り合うような戦士は呪力で後衛に劣り、物理的な防御は薄いがデザイン性に優れた服を身に纏った後衛は高い呪力を誇り強力な呪術を扱えるとされている。しかし何事にも例外はある――というか日々技術は進歩しているもので。


「きぐるみ妖精といえばさ。こないだ第一階層の遺跡潜ってたら周りみんなきぐるみ妖精の装備で固めてて笑えた。ちょっと右に倣い過ぎじゃない?」


「まあ性能いいからね。確か【騎士団】の呪動装甲もきぐるみ妖精ブランドなんでしょ? 頑丈さと呪力量を両立させようとすると、自然とあそこに落ち着くんだよね」


「確かに。でも私はあんまり好みじゃないかも。なんか整ってるんだけど人間味が無いというかさー」


「わかるわかる。でも限定生産の狼皮コートは冬までになんとしてでも確保したい」


「これから寒くなるもんね。てかアウターはほんといいよねあそこ」


 漏れ聞こえる会話をぼんやりと聞きながら、私は自らの黒衣に視線を落とす。

 飾り気という概念に真っ向から反旗を翻すような姿だが、これはこれで『意味を持たない』という意味を持つ。


 平たく言えば私の黒衣は呪力をある程度遮断できる。ゆえに呪術に対する抵抗力はそれなりにあるのだが、物理的な防御力が低いことと種族的特性によって元々の呪術抵抗が高い為に迷宮では全身鎧で戦うのが常である。


 私だけではない。【松明の騎士団】の修道騎士はほとんどが性能を優先して呪動装甲を身に纏って戦う。その鎧がきぐるみ妖精ブランド――裏切り者であるきぐるみの魔女がデザインしたものだというのが皮肉ではあるが、さしもの大神院とて「性能の低い装備で戦え」などとは指示できない。旧式のものより精錬されたデザインと機能性、高度な【杖】の技術を組み込んだ呪動装甲は寄生異獣と並んで迷宮で必須である。


 誰もが内心に複雑な気持ちを抱えながら、きぐるみ妖精の製品を使い続けているのだった。私にはそこまで隔意は無いけれど、やはり【星見の塔】から来た魔女と言われると身が竦むような気持ちはある。小さな頃、村にやってきた霊長類の大人達に「いい子にしてないとキュトスの魔女に連れて行かれちゃうよ」と脅かされた記憶は未だに鮮明だった。


 呪力を蓄える為の文化や流行というなら、服飾と並んで人々にとっての『憧れ』とされるものがある。

 フードの内側でイヤフォンを耳に当てて、端末からお気に入りの曲を流す。

 プレイリストの【Spear】を選択すると、【エスニック・ポリフォニー】の耳に滑り込むような歌声と、それに追随してくる不可思議なイントロがイヤフォンから響いてくる。


 軽やかな打楽器が刻む、どこかの民族音楽風の律動。

 列車の振動を上書きするように、胸の中の拍動と音楽とが噛み合っていく。

 微かな曲の進行に従って密やかに、それでいて劇的に展開される主旋律。

 夢の中に響くほどに心に刻み付けた音だけれど、やっぱり何度聴いても良いと思える。その実感が、身体の中を呪力で充たしていくのだ。


 今朝のニュースで活動休止だと聞いたけれど、病気や怪我だったら心配だ。ゆっくりと療養して、また新曲を発表して欲しい。

 なんだか勝手な推測を働かせて、有ること無いこと言って誹謗中傷めいたことを書き立てているメディアもあるようで、気分がささくれ立つ。


 くだらない、と心底から思う。手当たり次第にファンに手を出しているとか、女性関係で揉めて訴訟を起こされたとか、愛人に平手打ちされている場面を念写しただとか、ふざけたことを面白半分に記事にしている人達が多すぎる。どうして人は目についた相手を悪く言わないと気が済まないのだろう。そんなはずないのに。念写だってどうせ低級呪術師にやらせた捏造だ。


 きっと素敵な人なんだろうなあ。

 もしもの話だけど。私が彼女に会う機会があったなら――きっとひどく緊張してしまうに違いないけど――罵声や暴力なんて以ての外で、私に尽くせる礼と尊敬を込めて握手とサインを求めるだろう。


 あの【Spear】に暴力を振るうだなんて。怪我でもして、あの綺麗な声が聴けなくなったらどうするつもりなんだろう。彼女に暴挙を働いた不届き者に要求したい。本人には勿論、全世界のファンと私に謝罪しろ、と。


 たとえ何かの間違いで不行状が事実であったとしても、ステージの上でのパフォーマンスが揺らがないでいてくれればそれでいい――。


 その時、がたんと車内が揺れて、思わずふらついた私は隣にいた男性と軽く接触してしまった。音楽を止めて「すみません」と小さく謝罪する。相手の男性はぶつぶつと小さく何かを呟いていたが、私の方を見るとぎょろりとした目で睨め付けて、聞こえよがしに舌打ちをした。


「ち、影喰いかよ」


 周囲の空気が一瞬だけ凍り付く。それは私達の種族に対する古くさい迷信で、現代では基本的に公然と口にすることが許されていない言葉だった。


 迷宮でもさんざん自覚させられた悪癖だが、私はどうも気が短い。怒りなどの激しい感情を抑制する能力が欠けている――そんなもの無くてもいいと考えてしまう性根なのだ。自尊心を傷つけられたなら、激しい怒りを叩きつけてやるべきだと思うのが私という人格なのだった。


 今まさに、黒衣の中では激情が漲っていて、解き放たれるのを待つ猛犬のように唸り声を上げている。フードの内側が覗けたわけでもないだろうが、男は私が怒りを抱いたことを察した様子だった。唾を飛ばしながらなおも言い立てる。


「文句でもあんのか、ああ? 俺が何か間違った事を言ったかよ、影喰いの人外め。俺は騙されないぞ、お前らは生きた人間の影を奪う異獣だ! 隠れて子供の影を盗んで殺す畜生どもめ! お前らみたいな人外が大手を振って歩いていられるのは、既に政府や大神院が異獣どもの言いなりだからだ! 糞が、俺達はお前らの家畜じゃねえぞ! 死ね、出て行け、地上から去れ!」


 熱くなった相手の極端な発言で、逆に私の方が頭が冷えた。陰謀論に体制批判、公然たる『正しくない』差別発言の中で一つだけ『正しい』異獣への敵意。ネット中毒者(アディクト)の見本みたいなありふれた手合いだけど、こうした公共の場で『これ』は、かえって彼の方が――。


 怒りが焦りに入れ替わろうとしたその時、睨み合う私達の間に入り込む者があった。

 長身の女性が二人。背が決して高くない私にとっては勿論、霊長類の平均的身長(シナモリ・アキラと丁度同じくらいだった)だと思われる男よりも背が高い。


 二人とも、お揃いのマフラーで首の付近を隠しているのが印象的だった。二人のうち、周囲のどの男性よりも高い背丈のがっしりとした体格の方が口を開く。


「そのへんにしときなよ、お兄さん。それ以上は【騎士団】に通報されちゃうよ」


 目を見張るほどに格好のいい女性だった。朗らかに不穏なことを口走った方は、快活そうな表情にその辺の男性の平均身長を上回る長身としっかりとした体格の持ち主だ。赤味かがった短い髪に透き通るような白い肌、陽気でありながらその辺の美形男性が裸足で逃げ出すような勇ましい面差し。


 もう一人の方は、肩にかかる程度の栗色の髪を一房綺麗に編み込んで垂らしていて、すらりとした長身は連れの女性ほどではなくとも周囲の男性並はあって、その上でしなやかさと艶やかさを兼ね備えている。その凛とした面差しにうっとりとした視線を送る女性まで散見された。


 その上で明らかにそれとわかる体格と格好。腰にはそれぞれ戦棍と短剣が吊り下げられていて、明るい色の活動的な衣類と軽装甲で身を包んでいる。

 探索者だ。それも、かなり高ランクの。


 男は気圧されたように後退りする。自分よりも体格のいい女性に見下ろされるという状況に萎縮してしまっているのだろう。

 一方で、もうひとりの女性が私の方に優しく声をかけてくれる。


「大丈夫?」


「え、あの、はい」


「あまり気にしない方がいいよ」


 どちらかというと貴方の良く通る美声と綺麗なお顔のほうが気になります――などとはとても言えず、ばかみたいにこくこくと頷く私。


 あらゆる面における劣勢を感じ取ったのか、男は口の中でもごもごと呟きながら隣の車両に移動していった。辺りの空気がようやく穏やかになって、ふうと息を吐き出す。それから、二人に向かってお礼を述べた。


「助けて下さって、どうもありがとうございました」


「お礼を言われるほどの事じゃない」


「いえそうではなく――あの方の安全を考えて下さったでしょう?」


 二人が、少しだけ目を見張ったのがわかった。

 直前まで、周囲の空気は冷え切っていた。人々の手にはいつでも『通報』が可能な携帯端末があり、ここは【騎士団】のお膝元だ。そして多種多様な眷族種が『異獣ではない』と許されて霊長類と共存する他民族の都市でもある。


 この世界には、迫害される者と優遇される者、そして排除される者と絶滅を望まれる者が存在する。地上においては大神院がそれを定め、位階を定められた眷族種たちは槍神の名の下に、霊長類と共存すべしとされている。


 列車内のほとんどはごく普通の霊長類だが、その中にも第四位の御使いデーデェイアの眷族である【ウィータスティカの海の民】に特有の魚のような鰓耳や、第六位の御使いラヴァエヤナの眷族である【イルディアンサの耳長の民】の特徴的な兎のような垂れ耳が散見される。


 混血が進んだ現代では眷族種は必ずしも絶対的マイノリティとは言えない。マロゾロンドの眷族である私に対して敵意を向けるというのは、他の眷族種たちにも敵意を向けるということ。その不安定な地位に疑いの目を向けて揺さぶろうとすることだ。


 あの男に指摘されるまでもなく、私達が異獣であることなんて――異獣が人であることなんて、誰もが理解しているのだ。それでも私達は、自分たちの命を守るためにその既得権益にしがみつかざるを得ない。人か異獣かを決定するのは、常に大いなる槍神――その地上における代弁者である大神院なのだから。


 大神院による厳正な序列。そこから転落すればたちまち人類の敵である異獣と見なされて排斥される。そうやって切り捨てられた【ティリビナの民】たちと保護された【黒檀の民】たちの実例を、ここにいる人々は誰もが良く知っている。

 

「私も少し熱くなりかけていたので――割って入っていただいたお陰で、大事にならずにすみました。ありがとうございます」


「あー。気にしないで。単にうちのお姫様が暴発しないように予防しただけだから」


 背の高い方の女性が事も無げに言う。彼女がそう口にすると、本当に大した事ではないように思えてくるから不思議だ。快活な口調と表情から発散される、陽性の魅力がまるで日の光のようで、少しまぶしい。


「誰がお姫様で、誰が暴発ですって?」


 と、その陽気を吹き飛ばすようなひどく冷え冷えとした声がした。長身の女性の陰に隠れてしまっていたが、二人の女性にはもう一人の連れがいたらしい。

 二人とはタイプが違うが、またしても目を見張るような容姿の持ち主だった。


 身長は霊長類の平均的な女性よりやや高い程度で二人よりは低め(それでも私よりはずっと高い)で、白皙の肌色は西北系を思わせるが、どこか非人間的で人種が判然としない。


 邪視系ブランドであるセレスティアルゲイズの呪糸刺繍が施された超高級な白チュニックと袖無しのサーコート、そして最高品質の牽牛(アステリオス)革のベルトが目を引く美少女だが、それよりも更に特徴的なのは右目を覆う巨大な眼帯。


 顔の右側を殆ど覆い隠してしまっている白い布と青い左目のコントラストがどこかアンバランスで、見る者を不思議と惹き付ける。白銀の髪色をした、氷のような無表情。『お姫様』と言われるだけあって、どこか浮世離れした美貌の持ち主だった。


「だってコアちゃん、すっごく苛々してたじゃない。あ、これは口より先に目が出るパターンだな、って思ったから予防をちょっと」


「いくら私でも、人前でそんな危ないことはしません」


「どうかなー。この間も強盗を車ごと氷漬けにしてたよね」


「あの時は他に手段が――」


「はいはい、アルマもコアも、それ以上は周りに迷惑だからやめて」


 陽のような長身の女性に食って掛かろうとする氷の少女。落ち着いた雰囲気の女性が諫めると、二人は途端に口を噤む。なんとなく、力関係が察せられた。


 驚くほど目を惹く三人組だった。圧倒的な美貌は呪力すら宿す。第五階層での戦いを経て成長したはずの私の霊的知覚が、その探索者たちが有する呪力量を一瞬把握しきれずにいた。下手をすると、あの魔将エスフェイルを上回る呪力かもしれない。


 半ば呆然としていると、ちょうど第六区の駅に着いた所だった。三人組が降車していく。長身の女性が小さく視線を送って、朗らかに微笑んでくれたのが印象的だった。

 直後、耳に入り込んでくる興奮した声。


「超イケメンだったんですけど! ですけど! なんなのあんなにかっこいい女子がいていいものなの! 私思わず囁いちゃったよ」


「あんたも大概ネットアディクトだよね。まあ気持ちはわかるけど」


 女子大生二人はかしましく、床面を滑るようにして車両の外へ出て行く。二人とも両足が僅かに浮遊している――【エルネ=クローザンドの空の民】の証だ。常時宙に浮いている種族の片割れと、ふと目があった。黒い三角帽子、派手めの顔立ち。悩みとは無縁そうなくりくりとした鳶色の瞳に、鮮やかな明るい黄の髪色。


「どしたの、リーナ?」


「ううん、なんでもない。それより次の講義ってさ――」


 リーナと呼ばれた学生は小さく会釈してその場を去っていった。

 私も慌てて降りる。駅の歩廊の人混みに紛れて、意識に焼き付けられた数人は視界から消えてしまっていた。


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