3-1 未来回想、あるいはこれからのあらすじ


 

 

 音楽的な韻律に従って、二つの声が唱和する。それはどこか歌に似ていた。

 意味を持たない言語が、聖堂の中に響く。


 高い天井の頂点には着色された硝子を用いた絵画が光を透かし、そこから降り注ぐ光が柱となって中央に立つ私ともう一人とを照らしている。この建物の中では音は均質に、そして荘厳に反響するように設計されている。聖なるものと音響は古来より密接な繋がりがあるという思想に基づいた、古式ゆかしい建築様式。


 修道騎士としての儀礼用甲冑に身を包み、兜に施された朗唱用の呪術、もとい神働術が私の声を透明に伝播させていく。

 さきほどから私が延々と述べている言葉に、中身は無い。意味を知る者はこの世の何処にも存在しない。文法も、呼称も、表出される音声や文字まで存在しているにもかかわらず、意味だけが最初から設定されていないという特殊な記号の体系。


 言語として存在するためだけに人工的に創り出されたその言語は、このような儀礼的な空間でのみ発せられる。

 霊的熱狂の中で自然発生するという【異言】を人為的に生み出し、より高次の霊的位階へ接近しようという神学的叡智の結晶、換言するところの無為な試みは、定例の儀式として定着し、現在に至る。


 口を動かしている最中でなければ欠伸が出ているところだ。

 修道騎士でありながら神働術をあえて呪術なんて捉え方をしてしまう不良としては、知り合いの呪術師たちの言葉を借りてこのように表現してやりたい。

 アズーリア・ヘレゼクシュが語りて曰く、それは伽藍カテドラルのグロソラリア。


 さっさと終わらないだろうか。部屋に帰って自分の時間に使いたい。本当に無駄な労働ほどうんざりするものはない。

 ああでも、唯一救いがあるとすれば、それはこの苦痛を分かち合える相手がいることだろうか。兜を隔てていても、その姿ははっきりと見える。


 その時、ふと目と目があった。ふわりと目だけが笑ってくれたような気がして、ささくれ立っていた心が嘘のように安らかになっていく。

 信じられないくらいに清らかな雰囲気。


 対面から同じような音の羅列を返すのは、こちらと同じくらいの年頃の美しい少女だった。ゆったりとしていながらも複雑な縫製が施されていることが見て取れる純白の法衣がその小さな体躯を完璧に演出している。おそらく体格としては同年代の平均を大きく下回るはずだが、彼女が絢爛な衣裳の印象に埋もれるようなことはなかった。服は己の分をわきまえているかのように引き立て役に回っている。それほどまでに小さな彼女の放つ存在感は大きかった。


 聖女様。

 私達が地獄の異獣から守らなければならない、【松明の騎士団】が有する最大の至宝。

 彼女が有する強大な奇跡の御業、そしてその命こそが地獄の大火竜メルトバーズ復活の鍵になるという予言。

 彼女を失う事は、地上人類にとっての絶望に等しい。


 彼女の発する特定の単語に応じて、適切な音を返していく。このやりとりに意味は付随しないが、言語としての辻褄は合っている。もし仮に、この対話を神さまが見ていたとしたら、何か意味のある会話を見出してくれるのだろうか。不毛としか思えないこの行為の虚しさを思うと、神さまの存在を祈らずにはいられない。意味の無さという苦痛に対して、大抵の人は祈る以外の方法を知らないからだ。


 そんな私の思考に気付いたのかどうかは分からないが、目の前の聖女様はもう一度、やわらかく目元をゆるませた。

 可憐だった。そして儚い。


 聖女クナータの名を知らぬ者は地上に存在しない。彼女は人類にとっての希望であり、未来そのものだからだ。

 その両目のうちに輝く、十字の光。

 あの瞳は未来を見通す、聖なる力を有している。私の左手が、過去を指向しているのとはちょうど真逆だ。


 長いこと行動を制限され続けていた私だったが、有用な能力を有していること、そして魔将エスフェイル討伐の功績を評価されたことにより、つい先日ようやく解放されたのだった。しかしそれからというもの、退屈な儀式を毎日まいにち繰り返すだけで、あまり自由になったという実感が無い。


 栄誉と自由の代償は、『彼』との約束と信頼。

 恨んだだろうか。彼にはその資格がある。


 それを思えば、この場に立っていることすら、きっと恥ずべき事なのだろうけれど、私はただ慣性に任せるようにして、地上での生活を続けていた。多くの死者を踏みつけにして、輝かしい未来に足を踏み出しているのだ。


 それは一般的には栄達と呼ばれる性質のものであり、そんなふうに過ごしている事を未だに弾劾されずにいるという事実は、私を逃れようのない羞恥に陥れた。


 そう、恥ずかしい。

 約束の不履行を非難されずにいることに、安心してしまっている自分が、恥ずかしい。

 自らの不名誉を指摘されてしまわないかという恐怖を抱えていることが、恥ずかしい。


 この罪は、誰にも暴き立てられていない、私の中にだけある罪だ。裁く資格を持つただ一人は、一月前に第五階層という混沌の中に消えて、今もその消息が知れない。

 裁かれたいという気持ちは甘えだ。


 だから、「もう一度会いたい」だなんて思うことすら許されないのに、それでもふとした瞬間、こんなふうにして思考の隘路に入り込んでしまう。

 これもまた無意味さなのだろう。

 思っていても止められない、つまり私の悪癖だ。

 

 

 

 気付けば、儀式は終わっていた。

 無意識のうちに結びらしき言葉を口にしていた。幾度も反復した音の群れは、意味を考えずに済む分だけ余計な思考が入り込みやすい。


 本来ならこの儀式は精神を空白にして聖なるものを降ろしやすい状態にしておくのが理想なのだが、私はそもそも霊媒としての適性があまり高くないので、元より形式だけの儀式である。

 それでも儀式が行われたのは、私という存在に箔を付ける為だ。


 松明の騎士団、正式名称を【松明を掲げる者ピュクティエトの貧しき同胞たち】は騎士修道会としては極めて大規模な霊性複合体スピリチュアリティ・コンプレックスである。


 その起源が散逸し埋もれてしまうほど長い歴史の中で、官民と癒着を繰り返し、福祉組織や商会などを実質的に取り込み、ゼオーティア教圏に於ける大神院の主要な武力として肥大化の一途を遂げている。多国籍な準軍事組織であり、巨大複合企業群と緊密な関係にある軍産複合体でもある。もはや内部と外部の区別すらなくなった、それは地上に築かれたひとつの社会だ。


 組織としての範をとある異世界――通称【猫の国】の類似した組織からとっているというが、詳しいことまでは私も知らない。教会の至る所で英語が用いられているのは、かの異世界との古くからの接触が理由であるとされる。


 多次元における共通時間軸上で数えて二巡節前――あちらの暦だと約一年前に接触した【猫の国】は、世界間の時空のゆらぎを利用することで、干渉の指先を現在のみならず『過去』と『未来』にまで伸ばした。


 たったそれだけの期間の接触で、両世界は無数の時間改変をやらかしたらしい。古代文明の遺産などには彼らの足跡が確かに見て取れるし、あちらの世界での不可解な現象の幾つかはこちらの仕業ではないかと思われるものがかなりの数発見されているという。外世界の影響を強く受けた【騎士団】はそのせいか不可解な行動をとることがよくある。


 この【松明の騎士団】は基本的には地上の防衛と異獣の撃滅をその使命としているが、それだけに終始しているわけではない。

 他の小規模な騎士修道会といえば、大抵は聖地奪回と称した戦争屋であったり、異教徒を殺して略奪を繰り返すだけのならず者の集団だったりすることも良くあるのだが、松明の騎士団は清く正しいことを殊更に強調する向きがあった。


 私の英雄化がその一環だ。

 半年前、第五階層から帰還した私は、一切の抗弁も許されずに拘束された。

 罪状は第四階層の防衛放棄。命令無視と敵前逃亡、秩序を重んじる組織としては許すわけにはいかない罪だ。私が裁かれるのは当然だった。


 それを理解した上で、私は言い訳を用意していた。

 防衛の指揮を執っていた第四階層の掌握者、あの無能な上級聖騎士は私達を全くの無意味な行動で浪費しようとしたばかりか、その結果として当たり前の様に敗北しようとしていた。


 ただ無能の結果として兵を徒に死なせたというだけならまだ理解の範疇だ(許しはしないが)。だがあの男は、私怨と生来の差別主義から、特定の人種、国籍の者を選別して意図的に殺そうとしていた。組織の膿を出すのだと、奴はそう言っていた。


 私は激怒した。

 そんな指示に従う価値無しと指揮官の命令に値段を付け、別の目的により高い価値を付けて、それを掲げた。

 私は扇動者になったのだ。

 罪というならばそれが最大の罪だろう。


 味方に殺されるくらいなら、勝利を目指して戦って死ぬべきだと、か細い希望を示してしまった。その結果が第五階層への無断の侵攻である。その実、味方を殺しているのは私も変わらないという欺瞞を、一時の熱狂に浮かされてだれも指摘すらしなかった。


 結果さえ出してしまえば、その後の交渉次第で罪を帳消しにできるかもしれない。否、それを私がやってみせると、希望を与え続けなければならなかった。

 『交渉次第で』。具体的にはどうやって?


 あえなく失敗したのだった。なにしろ猿轡を咬まされて声すら出せなかった。

 記憶処理されて除名か、順正化処置が施されて人格を矯正されるか、最悪処刑だろうかと戦々恐々しながら獄中の生活が続き、つい604,800秒ほど前にようやく外に出されたかと思えば、いきなり様々な式典の準備に追われる日々。


 そうしているうちに、ようやく情報が入ってくるようになった。

 戦略上の判断とかで第五階層が放棄されたこと――説明の要求は却下された――その後、混乱の中で謎の第三勢力によって掌握されたということ。

 それから、私は魔将エスフェイルを討伐した英雄として扱われるということ。

 そして彼の行方は不明であるということ。


 第五階層が地上の勢力圏に入っていないという結果はともかく、状況としてはほぼ当初の思惑通りに進んでいるのがかえって歯がゆかった。生き残りが私一人とはいえ、元から成算はわずかだった。処罰が短期間の拘禁程度ならば御の字といえる。


 しかし交渉の余地は一切無く、「この程度なら私が満足するだろう」という待遇を与えられた感じがあり、どこか不快感が残った。

 この頃の地上は迷宮攻略が行き詰まり、閉塞した空気が漂っている時期だったから、魔将討伐の報は内外に【騎士団】の武威を示す絶好の機会であり、私という英雄を作り出すことによって多くの利益を生みたいというのが上層部の意向なのだろう。


 彼の捜索願は受理されたが、未だに発見の報告は無い。

 いや、発見されていたとして、それが私の所に伝わってくるかどうかは怪しい。

 そもそも彼が生きている可能性だってあるかどうかもわからないのに。


 彼のことを詳細に報告したことさえ、今となっては失敗だったのではないかと考えてしまう。外世界人であるという彼の立場は特殊だ。【松明の騎士団】は基本的に異世界と敵対することはない。その世界が強大であれば割に合わないし、異教徒であれば布教の余地があるからである。異教徒や特定の異端者との付き合い方は、長い大神院の歴史の中に経験として蓄積されている。交渉の余地が全く無いと言えるのは地獄の異獣だけだ。


 私は【松明の騎士団】は彼を保護してくれる筈だと考えていた。

 けれど、その認識は甘かったのかも知れない。


 猿轡を噛まされて報告すらままならなかったとは言え、左手の【金鎖】の記録は調べられた。私の行動は全て上層部に伝わったはずだ。

 であれば、共に戦った彼の存在も知られている筈。

 にもかかわらず、【騎士団】は冷淡に彼を見捨てた。第五階層の放棄は、彼が殺されて異獣たちに奪還されることを意図したものだ。


 『戦略的な判断』とは言うが、要するに上級聖騎士の誰かが第五階層の掌握者に内定していたのだろう。その予定を私が崩してしまったので、わざと守らずに一度手に入れた第五階層を手放したのだ。


 魔将エスフェイルも本来ならその聖騎士が定められた時期に討伐する予定が組まれていたに違いない。そうしたこの組織の体質が、前線の兵士を無為に消耗させていくだけだと言うことはわかりきっているのに。魔将の討伐は行われてしまった以上取り返しが付かないため、私を無理矢理英雄に仕立て上げることで辻褄を合わせたのだろう。


 いい加減、嫌気が差してくる。

 それでも組織を抜けて、全てを投げ出す気にはなれない。私という人間の情けなさとだらしなさが、見るも無惨に露呈していた。


 長々と思考を巡らせている間に、周囲の司祭たちが儀礼的なやりとりを済ませ、私が退出する時期になっていた。やや慌てて礼をして、その場から去ろうとする。


 その瞬間。

 同じようにその場を離れようとしていた聖女様が、何かに気付いたようにこちらを注視する。その宝玉のような瞳はこちらの黒々とした内心を照らし出すかのようで、私は密かに震え上がる。十字の光が強く輝き、続いて時間が逆向きに流れていく。

 

「あら?」

 

 私と聖女様は初対面だ。

 だが、私は彼女と会ったことがある。しかしその記憶は私の中に無いものだ。

 知らない既知感。

 記憶が振り返った先の背後にあるのではなく、手の届かない前方にあるかのような違和感が湧き上がってくる。

 

「ひさしぶりね、アズーリア」

 

 聖女様――クナータの声で再認識する。私と彼女はいま、『再会』した。

 記憶には無いが、確かに私はこの少女、クナータと親しく言葉を交わしたことがある――いや、そうじゃない。私は、これから先、何度も彼女と言葉を交わす『ことになる』。未来の記憶がそう言っている。


 周囲から、ざわめく声が聞こえる。「おお、なんと神々しき瞳の輝きか」「託宣だ、聖女様が記憶を回想していらっしゃる」「未来を省みておられるのだ」「記録官、一言一句聞き逃してはならぬぞ」ぐるぐると巡る、ノイズの群れ。


 聖女クナータは過去の記憶を虫喰いのように失っていくという記憶障害を持つ。

 しかしそれは、過去が不確定なものであるという特有の認識に由来している。彼女にとっては未来こそが定まった記憶であり、彼女の人格を形作っている思い出なのである。


 未来の知識を、あたかも常人が過去を回想するかのように思い出す。

 それが聖女の未来予知である。

 時系列上は初対面の相手であっても、彼女にとっては長年の知己ということもあり得るし、逆に言えば幼い頃からの付き合いでも未来に付き合いが無ければ初対面同然である。

 聖女の捉えている世界像に、私も半ば巻き込まれている。

 

「わたし、大切なお友達に会えてとてもうれしいわ。アズーリアったら、さいきんはずっと忙しそうなんだもの。一緒にお茶の時間も楽しめないなんて、すごく残念」

 

「過分なお言葉、痛み入ります。されど聖女様の大いなる慈心、私のような一修道士にはもったいのうございます。どうか、そのお慈悲をより広く、か弱き信徒たちにお与え下さいますよう、お願い申し上げます」

 

「あら、相変わらず堅いのね。あなたには、親しみを込めてクナータと呼んで欲しいと言ったはずよ?」

 

 親しい知己と言葉を交わすように、クナータは私に語りかける。事実、彼女にとっては私はそういう相手らしい。つまりそれは、私が今後聖女クナータと関係を深めていくという未来を示している。にこやかに軽やかに、少女の微笑みが下賜される。


 周囲の視線が、私に絡みつくようだった。

 これで私の今後はほぼ決定したようなものだ。

 私はそういう存在になるだろうし、そのように周囲に認識され、扱われる。


 聖女の未来予知は、それだけの影響力を有する。

 むしろ、その権威に周囲が従うという現象こそが彼女が聖女たるゆえんなのだと私は思う。その在り方こそが理不尽な決定を多々生み出しているという事実を思い、心中が波立っていく。

 

「ふふ、また色々とむずかしいことを考えてるの? でも黙っていてはわたしにもよくわからないわ。あなたの、その綺麗な声を聞かせてちょうだい。そうね、いつものお話がいいわ」

 

「いつもの話、とは」

 

 言いながら、クナータはこちらに近付いてくる。親密な距離感。そう言う当人こそがこの上なく可憐な声で、私に語りかける。

 

「これからする儀式にもある程度は近しいお話よ。あなたとよく似た左手をもったゼノグラシア。名前はたしか、アキラだったかしら」

 

「え?」

 

 その言葉が届いた途端。あらゆる時間の秩序が正され、混濁して沈みきった思考が急速に澄んでいくような気持ちがして、私はようやく目が覚めた。


 未来の記憶が、アキラの存在を示している。

 私の知らないアキラの存在を、私達はこれから話すのだと、今この時確信した。

 かつて見た彼の左腕は、肘から先が失われていた。


 彼は生きている。

 アキラは、この先、いつかの時点で、左手を得るのだ。

 会いたい。

 どうしても出てこなかった甘えが、するりと胸からこぼれ落ちた。

 

「ああ、懐かしいわ。思い出すわね。帝都の攻防戦。あの恐ろしい地獄の深層で、わたしたちは共に炎帝メルトバーズとその眷族たちに立ち向かった。ねえ覚えていて?」


「いえ、申し訳ありません」


「アズーリアったら。あんなに沢山活躍していたのに、嘘ばかり。まさかわたしと一緒に過去の第九階層を旅したことまで忘れてしまったの?」


 私はこれから一体何をすることになるんだろう――漠然とした不安が押し寄せてくる。

 それからもクナータは親しげな口調で、二人でお茶をした時の事だとか、二人で訪れた古代の世界についてだとかについての思い出話を続けていく。


 正直、今の私に理解できる話ではなく、曖昧に相槌を打つしかない。分析は周囲で記録している人々に任せるしかないのだ。彼女の語りに無闇に干渉すれば、最悪未来が歪みかねない。


「色んな戦いがあったわよね。良くもまあ、勝利からあんなに足りない準備にまで繋げられたものだと、今でも思うわ。目を閉じれば鮮明に思い出せる。貴方の宿敵である迷宮の主との戦い、そして貴方の運命である最後の魔将。重要な戦いの瞬間に、貴方は必ず居合わせていた。地獄の英雄、黄金のマーネロアが率いる巨人ネフィリム族との戦い。そして巨人族と双璧を為す最強の異獣、小鬼ゴブリン族の軍勢とその長である矮躯ミゼットのガドール。あの途方もなく強大な上位複合種、狂怖ホラー族のイェレイドも、貴方の力が無ければどうなっていたことでしょう。それだけに、第五階層での事を聞いた時はとても残念だったわ」

 

「第五階層での事とは?」

 

 私は思わず、ルールを破っていた。

 周囲から、余計な質問をした私に強烈な非難の視線が浴びせられる。

 が、私は訊ねずにはいられなかった。


 アキラがいるとすれば、それはきっと第五階層だ。

 ならば、私が今一番知りたい未来はその第五階層でのこと。

 その先の事だって何としてでも詳しく知りたかったけれど、それでも今の私にはそれしか考えられなかった。意識がはっきりとしてしまったせいか、かすかに私にも流れ込んできていた未来の記憶が、今では不明瞭で定まらない。一体私とアキラの間に、何が起きるというのだろう。

 

「今にして思えば、それも必然だったのかもしれないわね。だって彼と貴方は、似てはいても――あるいはだからこそ、対極に位置するひとの手をとることになるのだから」


 私とアキラが似ている、というのはちょっと頷きかねる。あの僅かな時間で彼の人となりを理解できた訳ではないが、しかしとてもじゃないが私と似ているようには思えなかった。クナータは首を傾げる私を置いて、整った顔に悲しみの色を浮かべてぽつりと呟く。


「まるで、同じ方向へ進んでいるのに、表と裏の位置関係だから相容れない――平行世界の同一人物のよう」

 

 クナータはそこでふつりと言葉を途切れさせた。瞳の輝きがぼんやりとしたものになっていくと共に、彼女に満ちていた圧倒的な気配が遠ざかっていく。

 突然、操り糸が切れたかのように全身が脱力し、その場にくずおれる。


 未来を思い出しすぎたのだ。

 精神にかかる負荷のあまり、気を失ったのだろう。

 辺りが騒然となる。担架が持ち出され、大切な聖女様の身体は慎重に運ばれていった。


 私はと言えば、与えられた情報を整理するので手一杯で、自らを待ち受けている直近の未来については考える余裕を失っていた。『対極に位置するひとの手をとる』『残念だった』――暗示された未来には、どちらかと言えば明るい材料が少ないように思える。最後の言葉も意味が分からない。


 それでも、遠ざかっていく彼女に対する感謝の念は絶えなかった。

 聖女様の昔語りは、私を先へ導いてくれた。

 私はいつか、シナモリ・アキラと出会えるのだ。少なくとも、何もできないまま終わってしまうということだけは避けられる。ならそれは救いだと、今はそう思うことにした。


 それがいつかは、まだわからないけれど。

 きっと、遠くない未来だ。

 理由のない確信を、私は静かに胸の中に仕舞い込んだのだった。

 

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