第36話 幕間 陰陽師の地下と封印と人の跡

人生とはいったいなんなのだろうか。

いつもどおりいつもの時間にいつもの道を歩いていたのに、気づいたら道路に顔面をぶつけていて、鼻が折れ、歯が欠け、血を流して、それでも前に歩こうと足をばたつかせていた。


……」


暗く狭い部屋で全身にアザを作った狐来こらいが目を覚ました。


「ここは……まだしつけ室か。まあ当然だよな。俺がヘマしたせいで大変なことになっちまったんだからな」


口の中がまずいと感じぺっ、とツバを吐くと血が混じっていた。

虫歯のようにじんじんと痛み、風邪のように熱っぽい。

久しぶりに動けなくなるまで殴られ続けたなと彼は振り返った。


陰陽師は影の職業だ。今の時代だからということではなく、昔っからそうだった。

獣と違う魑魅魍魎ばけものと戦い、使役し、ときに人を呪う。

本来は危害をもたらす妖怪を狩り、平和のために動いていたほうが多かったのだが、人からの依頼は呪いのほうが多く、そして賃金も良かった。

いくら説いても生活のためにシフトしてしまうのは止められない。

そのうち呪いの自作自演を行うものが現れ、お上に知れると、掃討作戦が決行され衰退した。

以降散り散りになった陰陽師たちは地域で独自の技術を発展。細々と暮らしていたのだが、通信技術の発達により繋がりが加速。商家と結婚した陰陽師の商才児が仲間を集め商売を始めると、またたく間に超巨大ショッピングモールを作るまでに至った。

やはり人件費を削れるうえにフォークリフトと同等の怪力を持つ妖怪を使役できるのはチートすぎる。


狐来は山里に隠れ潜んでいた家の出で、索敵に長けていた一族だ。

それゆえに重宝されていたのだが、所謂悪ガキの末っ子で、索敵能力は高いが他が劣り、低級妖怪を捕まえる専属のような立場に就いた。

本人的にも弱いものを見るといじめたくなる性格だったため不服と思わず、むしろ天職だと喜んだ。

はじめは。

ある日、成績の良さから表彰されるに至り、その席で見かけた女性に目を奪われた。

本家本元の月宮家が長く使役する大妖怪“勾陳姫こうちんき”。長い黒髪に和服を好み、誰もが彼女を大和撫子と褒め憧れる存在。


(ああ、美しい……。彼女にムチを打ったらどんな可憐な声で鳴いてくれるのだろうか)


想像で全身からよだれが出た。

それ以降悶々と過ごす日々が続き、我慢できなくなった狐来は異動を申請。勾陳姫が務めるショッピングモールの低級妖怪指導係となった。

勤務評価は良くも悪くもといったところで、調子がいいときは担がれ、風向きが悪くなるとバッシングされるそんなところだ。

性に合わない。狐来を知るものはすぐに元の場所に戻りたいと言い出すだろうと予想していたが、思いの外長く続き、ついに大人になったなと言われ始めたところで――。

あろうことか失敗が許されない避難訓練という大事なイベントで大事故。しかも理由は私利私欲で妖怪を捕まえようとして失敗。事故に巻き込まれたと聞き青ざめた家族が駆けつけ、理由を知り、顔を真赤にした長男が大激怒し意識がなくなるまで殴り続けた。


(くそ……農夫の拳はいてえなぁ)


長男は陰陽師の才はあまりなかったが土いじりの才はあったようで、昔から身体はゴツく仕上がっていた。何かやらかしたときには殴られていたので心底恐れ、ムカついていたのだが、ここまで殴られたのは初めての事だった。


「これもすべて月宮仁つきみやじん、ハッ……が悪い」


吐き捨てるように、皮肉を込めて鼻で笑う狐来。

彼は自分が欲している勾陳姫を無下に扱う月宮仁に腹を立てている。

ただの惨めな嫉妬だが、彼の人生の原動力なのは間違いない。

羨ましがり、嫉妬し、行動して、奪ってやったときに出る脳汁は、筆舌に尽くしがたい快楽を感じる。彼はそういう性格なのだ。


「随分顔が変わったわね。一瞬誰だか分からなかったわ」

「うおっ! びっくりした――姫様じゃないですか」


狐来は索敵に長けている。周囲に気配がないと分かっていたので気を緩めていたのだが、突然声をかけられ驚いた。


(さすが大妖怪様と言ったところか。ますます惚れちまうぜ)


口の中で舌なめずりして再確認する狐来。彼女をものにしたときどのような味がするのだろうか。

そんな気持ちを置いておいて姫は話し出す。


「様子見と報告に来たわ。どう?」

「ああ、まあ。痛みはまだありますけど、失敗して迷惑をかけてしまった心のダメージのほうが痛いですね。姫様。本当に申し訳ございませんでした」

「そう……。では被害報告をするわね」

「え? あ、いえ。はい」


てっきりケガの心配をしてくれるものだと思っていたのだが。

しかし被害報告と聞いて内心を察してしまう。顔には出ていないが相当怒っているに違いない。

覚悟して聞く態勢に入る。


「表沙汰ではガス爆発ということで落ち着いたわ。軽傷者多数。重傷者ともに死者は――運が良かったことにゼロ。本当に助かったわ。不幸中の幸いってところね」

「おお! それはよかった! 軽かったんですね」

「建物の損壊と会社への信頼は落ち、株も大変なことになってますけどね。これを軽いと見るか重いと見るか。ふぅーー……」

「うっ」

「今はクレームがひっきりなしに鳴るし、会議会議でてんてこ舞いよ。みんな手一杯で大忙し。家に帰れてない人もいる。しかもあなたが狙った妖怪は行方知れず。私以外がここに来たら、あなたの顔がアンパンマンみたいに今よりもっと膨らんじゃうから、近づかないように強く言っておいたわ。今の状況を理解していただけましたか?」


無表情でじっと見つめる姫の目に耐えきれなくなり、目をそらし頭を抱える狐来。

冷たい空間が更に冷気を浴びたかのような空気が流れる。


「だんまりですか。まあいいですが。それにしてもなぜあんな妖怪を捕まえようとしたのですか。可愛らしかったのでマスコットとして活躍はしてくれそうですが、見た目子供を就労させるのは法律的に突かれると厳しい面がありますよ」

「実はあの妖怪は座敷わらしでして、わざわざ東北まで行って『肉吸いの十八番』に

捕らえたのですが、途中落石事故で商売道具一式を無くし、あの妖怪も逃げたのです。偶然再会した喜びと、すぐにでも姫へのプレゼントにしたかったため、一度捕らえた経験から大丈夫だろうと」

「私のために……ですか」


理由を聞いた姫は壁に背をつけ続きを聞きたそうに見つめる。


「このような汚らしい場所で言うことじゃないですが、先がないかもしれないのでご勘弁を。俺は姫のことを一目見たときから好いておりました。ですので気を引こうと勝手な真似を……ええいくそっかっこわるい」


チャンスはここしかないと喋ってみたものの、0%の可能性に頭を振る狐来。

この場で手を伸ばしてくれるのは聖母マリアぐらいなものだ。

月宮家を守ってきた勾陳姫からしたら嫌悪感しか浮かばないだろう。

人生が終わった。すべて終わった。そう絶望していたのだが、


「まあそれはうれしい! 幸運を呼ぶと言われているあの座敷わらしを私に。なるほど、それなら多少のリスクを背負ってでも逃したくない理由も理解できます。あなたのことを勘違いしておりました。謝罪させてください」

「いえいえ! そんな!」


思ってもいなかった反応に狐来は顔を明るくして飛びついた。


「あなたのような優しい心が少しでも月宮家にあったら。はぁ……」

「どうかなされましたか?」


話に花を咲かせようとした矢先、姫は暗い雰囲気を漂わせた。

どうやら月宮家に何か思うところがあるようだぞと察した狐来は、チャンスの

紐を手繰り寄せ、必死にしがみついた。


「いえ、これは私と月宮家の問題ですので……」

「そこをなんとか。俺は姫の手助けをしたいのです。何かお困りがございましたら、なんでも言ってください!」

「でも」

「俺をあなたが認めるおとこにしてください!」


ドン、と胸を打つ狐来。それでも渋っていたが、勢いに折れ、語りだす。


「むかしむかしのことです。私は京の守護をしていた時期がありました。時代は陰陽の全盛期で活動が激しく、若い私は日に日に形勢不利な状況に追い込まれていきました。そこに現れたのが初代の月宮。当時は安倍と名乗っておりましたね。安倍の手を借りて京を守ることに成功したのですが、戦が続く世の中。疲弊した領土を続けて守護するため、安倍と堅い契約を結ぶことになりました。その内容は傷ついた私の身体が癒えるまでの四百年間、土地を支えること。私が眠りにつけば百年ほどで完全に傷が癒えるのですが、それだと土地が滅んでしまう。半冬眠状態で補いながら活動を続けました」

「土地を離れてもよかったのでは」

「どこも危険でしたし生まれた土地ぐらい守りたいじゃないですか」

「……なるほど」


狐来は生まれた山奥の田舎が好きではなかったので曖昧に返事をした。


「そして長い年月が過ぎ契約が切れそうなとき、度し難い事件が起きました」


当時を思い出し、姫は強くこぶしを握る。ここに来て初めて怒りの感情をあらわにした。

勾陳姫が出した凄みに自然と喉を鳴らす狐来。


「私という大妖怪を手放したくなかったのでしょう。安倍から月宮に名前を変え、思念も受け継がれず、陰陽の再建を夢見る彼らは宝玉を使い私の自由を封じたのです」


姫は胸を強く圧迫し心の苦しみを表現した。


「それから二百年。私は京のためではなく月宮家のために働くことになりました。

幾度と解放を訴えようとも聞く耳を持ってはくれず、もう救われないと諦めております。なので私のために妖怪をプレゼントしてくれるあなたの心がとてもうれしゅうございます」


口を抑えホロリと涙を流したような姿を見て、狐来はワナワナと怒りが湧いてきた。


「ゆ、許せねぇ……ッ」

「え」

「許せねえよ! 姫を卑怯な手で縛りやがって! やっぱり俺の思ってたとおり月宮はクソだったんだ! 俺は正しかった!!」

「ああっそんな大声で悪態をついて、もし聞かれたら、あなた本当に危険な目にあいますよ! これもすべて私の甘さが招いた失態なのです。つまらない独り言を聞いたと流してください」

「そんなことできるわけ無いだろ! 決めたぞ! 俺は姫を助ける! その宝玉をぶっ壊してやるよ!」


自分が傷ついてることも忘れ、怒りのあまり壁を殴る狐来。

ガス、ガス、と鈍い音が響いた。


「ええ!? 地下の神社に祀られている宝玉を、ですか!? 厳重な警備に守れていて不可能ですよ! あ、しかしちょうど今あなたが起こしたゴタゴタで緩くなっているかもしれませんが……それでも危険です! 死ににいくようなものです! あなたでは無理です。諦めて大人しくこの部屋で待っている方が賢明ですよ」

「ぅぅうるさい! 俺をナメるな! 俺ならできる、やってやるさ! 地下の神社ってところに行ってやろうじゃねえか! 場所を詳しく教えろ!」


興奮した狐来は敬語を投げ捨て、姫を助ける王子になった夢をみた。

事実。宝玉の在り処と解除方法、警備の配置を聞いた狐来の足取りは早く、一流の陰陽師と紹介されても遜色がない様だった。

まるで一時的に能力が向上したような、戦場で鬼の顔に寄せた総面を着けた武者の如く。敵対したものは誰一人狐来と結びつかず倒れていった。


「はぁはぁはぁ……ふは、ふあははは! 見つけたぜぇ! これだろッあぁあ!? そうだろ!? フハッはあああははは!」


宝玉を掴み大きく腕を上げると赤黒い液体が飛び散った。

それは倒したものの血と駆使し壊れた身体から出た血だ。


「お見事、ね。あなたにここまで才能があるなんて」


またも勾陳姫が音もなく現れた。


「ああ!? いひッ姫様じゃねーか! どうだ見たかよ俺の実力をよぉおお!! すげえだろ! しびれたろ! 興奮しただろぉおお!」

「ええ、素晴らしいわ」

「なあ、なあ。そういえばよ。これを壊したらご褒美をくれないかなぁ? ここまでがんばったんだからよぉお!」

「もちろん。私が上げれるものならなんでもいいわ。ただし、封印は却下よ」


姫の言葉を聞きケタケタと笑い出す狐来。顔が歪み、戦闘で切れていた口が大きく裂けた。

まるで犬のように奥歯まで露見した口で、


「ならよお! お前が欲しい! お前がッお前がッッ」


と叫んだ。

ひと目見て気が狂っている人物に自分が欲しいと言われて承諾するのは愚かだ。

しかしこれは大妖怪との契約そのもの。

勾陳姫のきれいな瞳がキュっと蛇眼に変化すると、


「私に自由があるなら上げてもいいわ。契約期間はあなたが死ぬまで」


と結んだ。

狐来は宝玉を天に捧げるように両手で支えながら震えた。

それほど姫の言葉は甘美だった。


「俺のモノだああああああ!! ざまああああああああああみろおおおおおお!」


勝利の雄叫びとともに宝玉を床に叩きつけると同時に、ありったけの解呪を放った。

ガラス玉が割れる音。激しい虹色の閃光。焼き付く波動が狐来を襲った。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!」


断末魔が響き渡る中、虹色の閃光は勾陳姫へと吸い込まれていった。


「おおおお。私のチカラが、徐々にだが蘇ってきてるのがわかるッ本当に、長き封印が、今! 解かれたのだ……ッ! あはははははははははは! 感謝するぞ狐来! もう聞こえていないだろうがな。あははははははははははは!!」


男の断末魔と女の歓喜による不協和音。天国と地獄が開催されたコンサートに、

観客は灯火のない目で鑑賞する。

そのガラスに映る姫の姿が大きくなっていくと、金色の蛇に変化した。


「ん~~~~。久しぶりの景色ね。ああっやはり私の鱗はキレイだわ」


勾陳姫は磨かれたインゴッドのように反射する自分の鱗が大好きだった。少しでも暇ができれば尾で布を掴み磨いていたほどに。

人間界で生きていくために人体に化ける術を身につけ、そちらも美しさを追求したが、金色の光には及ばなかった。

チカラを封じられ、輝きを出せなくなった小さな蛇の身体に涙したものだ。


「狐来には本当に感謝しているのよ? でもね、欲しいっていう願いは私にとって封印と同じなの。ごめんなさいね……ん?」


正面が焼けた死体に向かって、最後の別れを告げていた勾陳姫の耳に、かすかに息を吸う音が聞こえた。

蛇の耳で聞こえる僅かな音だ。


「うそ。あなた生きてるの? すごい生命力ね。でももう死は間近。残念だけど私には……そうだわ。この空間には私を封じていたチカラと私のチカラが四散している。このチカラをあなたに封じればもしかしたら。あなたの願いである私を上げるってことにもなるわね。少ないけど、それでも人を超えしチカラ。生き返れる可能性はゼロではない。そうなったらいつかまた会えるかも。その時にはちゃんとご褒美を上げるわ。がんばってね、人間」


霧とも、オーロラとも呼べる空間に漂っているモヤモヤしたチカラを姫は集めると、

尾で狐来の身体を貫いた。


「…………」


肺から漏れる音だけが口から押し出されたが、血を吐くことはなかった。

貫かれた身体には蛇が這った模様や蛇眼が刻まれ、高度な術式を施されたことが伺える。

いくら嫌っていた陰陽師だったとしても姫の性格が出たのだろう。

程なくして狐来は全身を強く痙攣させ初めた。


「術式は成功したわ。あとはあなた次第。じゃ。私は行くわね。ありがとう、さようなら狐来」


金色の蛇は音もなく消えた。

その後、騒動を知った月宮家は大混乱に陥った。全国に式神を放ち血眼になって捜索の手を広げたのだが……。

彼女の情報を掴むには困難を極めている。

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