その十


 ジュールは頭をさげたが、去っていこうとはしない。


「用はそれだけだ」


 ワレスが告げると、急に挑戦的な態度をとる。


「あなたが本気でないことはわかっている。ロンドのことは、このまま、ほっといてもらおう」


 ワレスは気分を害した。


「おれだってそうしたい。が、人に命令されるのは好きじゃない」

「兵隊は命令を聞いてなんぼでしょう」

「だから、おれは正規兵ではなく傭兵なんだ。いちいち指図されてたまるか。だいたい、おまえは、ロンドのなんだ?」


 ジュールは堂々と宣言した。「恋人です」


 ワレスはたじろいだ。

 別の単語を聞きまちがえてしまったのではないかと、自分の耳を疑う。


「……嘘、じゃないよな?」

「ほんとです」

ロンドのか? 別人のことなら、今のうちに訂正したほうがいい」


 ジュールはため息をついた。


「ほらね。あんたのあいつへの関心なんて、そんなものなんだ。へたに同情するのは、あいつが期待するだけだから、やめてほしい」


 ワレスはまたもやハシェドと顔を見あわせて首をふる。二人とも、それでやっと、これは現実のことだと自覚した。


「そう……か。おめでとう」


 これでロンドの猛攻から逃れられると思うと、正直、ワレスは両手もろてをあげて喜びたい。だが、そのとき、遠くから、か細い声が聞こえてきた。


「……ちがーう……ちがーう」


 なんだろうと見まわすと、離れたところの本棚に、ロンドがしがみついている。


「なんだ。行ってしまったんじゃないのか」

「わたくし、恋人になった気はありませーん……」


 ずいぶん弱々しい反論だ。


 ジュールはワレスたちの前をはばかったのか、神聖語を使った。ただし、ワレスは皇都の学校でも習ったし、神官の見習いをしていた。神聖語を解する。


《じゃあ、この前の夜のことはなんだ?》

《きゃあ、やめてぇ。ワレスさんは神聖語がわかるんですぅ》


 律儀にも神聖語で返している。


《ちょうどいい。ここでハッキリしてしまおう。おまえは嫌がらなかった。そうだな? ロンド》

《あれは気の迷いですぅ。イヤぁっ。ワレスさまぁ。わたくしを嫌いにならないでぇ》


 それで、ワレスをさけていたわけだ。ジュールとのあいだに何かあったらしい。


《嫌うも何も、おまえが一方的に言いよってくるだけだ。おれはこのさい、すっぱり縁を切る》


 ワレスも神聖語で答えると、ジュールの黒い瞳がフードの奥からにらんできた。


《そらみろ。小隊長はおまえのことなんて、なんにもわかっちゃいないんだ。こんなやつ、おまえのほうから、ふっちまえ》

《ダメぇ。その人は、似てるんですぅ》

《死んだ恋人にか?》


 だんだん会話が深刻になってくる。それにともなって、ロンドの思考の波長まで変わっていた。ふだんとはまったく異なる、どす黒い血のかたまりのような思念だ。


《あの人は死んだわけじゃない。必ず、私が蘇らせる》

《目をさませ。死んだ人間は帰らないんだ》

《蘇生魔法があるはずだ。私はあきらめない》

《バカを言うな。死人を生き返らせるのは禁断の法だ。ほかの魔法使いに知られれば、おまえは即時、封印の刑だぞ》

《かまわない》

《ロンド! 正気のさたじゃない》


 ロンドは笑いだした。かすれた声で苦しげに笑う表情は、ワレスがこれまで一度も見たことがないものだ。


(これが、ロンドか? まるで別人だな)


 考えていると、


「そうとも。私は狂っている。もうずいぶん前から……」


 ロンドは笑いながら、今度こそほんとに去っていった。


「ロンドの恋人は死んだのか?」


 ジュールにたずねたのだが、彼はワレスをひとにらみしてから、ロンドを追っていった。


「隊長? 何があったんですか? みんな急に黙ったと思ったら」


 神聖語は心での会話だ。常人の耳には聞こえない。

 あっけにとられているハシェドに、ワレスはつぶやいた。


「魔術師も人間だったってことさ」

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