ロンドの草稿 その五 3



 その日、グレウスは結婚式の招待状を書いていて、夜遅くなってから自室へむかいました。オスカーはさきに帰りましたし、あくびばかりする小姓もさがらせています。


 なにしろ貴族の結婚といえば、招く客も多く、何から何まで大がかり。おまけに、しきたり、しきたりですから、喪中とはいえ、今から仕度してもまにあわせるのは、ひと苦労。


 おかかえの工房に引き出物の肖像皿を千枚ほども焼かせなければなりませんし、衣装の仮縫いだけでも数十枚。結婚式用、神殿への参拝用、そのあと七日も続く宴用、パレード用。ほかにも、たくさん、たくさん。


 頼りになるのは父と家令と、祖父の側近だった騎士たちだけです。が、父はもともと伯爵家の人間ではありませんし、これまで伯爵家のことはなんでも祖父が一人でこなしてきました。ほかの人間ではわからないことが、ままあるのです。

 今さらながら祖父の偉大さを思い知らされるばかりで、父たちともども、祖父や母の結婚式に関する文書とにらめっこの毎日でした。


「これで、だいたい文書に記されているお客さまは網羅もうらできたことと存じます」

「それ以降に絶縁した家なんかはないんだろうな?」

「それは……ええ、しらべておきます」


 グレウスはため息をついて書斎を出ました。


「おやすみなさい。父上」

「おやすみ。グレウス」


 廊下へ出たところで、あいさつをかわしたのですが、父はなんとなく上の空でした。


 グレウスは祖父が亡くなっても、あいかわらず、この父を尊敬する気になれません。ですが、このところの父のようすは気になります。以前からおとなしい人でしたが、前にもまして打ち沈んでいます。それに、なんだかグレウスに対して、よそよそしいのです。


(まさか父上は、おじいさまのあと、ご自分が伯爵になる心づもりだったわけじゃないだろうな)


 しかし、グレウスが次期伯爵であることは祖父の生前から決まっていました。たいして欲のない父は、それほど気にしているとは思っていなかったのですが。


(それはまあ、息子のほうが位が上じゃ、やりにくいのはわかるけど)


 父はグレウスの視線をさけるようにして去っていきました。グレウスも反対側へ歩きだします。

 廊下には多くの灯火がかかげられていました。天井の高い広い廊下は薄暗く、城内は不気味に静まりかえっていました。要所を守る衛兵はいますが、場所によっては無人のような錯覚におちいるのです。


 階段をのぼったグレウスは、祖父の使っていた部屋の前に白い影を見ました。


(おじいさま?)


 ぞッとして立ちすくみました。が、すぐにそれが女であることに気がつきました。白い夜着を着ているので、暗闇に浮かびあがるように見えたのです。


 グレウスは不安になりました。白いドレスをひるがえして、鳥になった叔母のことを思いだして。

 こんな時間に女が一人でうろついて、叔母の二の舞になりはしないか。


 オバケより、もっと現実的な恐怖が足元から、はいあがってきました。祖父のことでは家族みんながショックを受けています。それがドラマーレ家の病気の引き金にならないとはかぎりません。


(誰だろう。母上? 姉上? 妹のどちらかだろうか)


 近づいていくと、それは母でした。

 このころの母はずっと部屋にひきこもり、毎朝、あいさつに行くグレウスにも、ぼんやりとしか答えません。グレウスは胸を痛めていました。


「母上。そこは鍵がかかっています。さあ、もう、お部屋に帰りましょう」


 母はグレウスをふりかえりました。でも、それを息子と理解したかどうかは謎でした。


「お父さんさまがいるの。ここに」

「おじいさまはそこにはもう、いらっしゃいません。さあ、ねえ、帰りましょう」


 母は子どものようにイヤイヤをします。


「お父さまはどこ? お父さまは」

「遠いところです」

「嘘よ。お父さまは、わたしを置いていったりしない。きっと、このなかにいるの。あけて! お父さま。わたしよ。アルテミナよ!」

「母上!」


 扉をたたいてさわぎだしたので、グレウスはむりやり母をひっぱった。


「母上。おじいさまは亡くなったのです。今ごろはデリサデーラの神殿で、死後の安息についていらっしゃいます。呼んでも帰ってきません」

「どうして、そんなひどいことを言うの? あなたのお父さまなのよ」


 え——?


 グレウスの手から力がぬけ、母の腕がすりぬけた。


「お父さま。お父さま。わたしが一番キレイだと言ってくださった。わたしを置いていったりしないわよね? わたしを愛していると言ってくださったもの。アメリータより、お母さまより、わたしを……」


 おじいさまが、ぼくの……?


 祖父の姿を探すように、ふらふらと母が歩きだす。

 グレウスは我に返り、母の腕をつかんだ。


「おじいさまが、ぼくの父上って……それは、どういうことです? 母上、おっしゃってください!」


 母上は錯乱しているのだ。こんなことは嘘に決まっている。ぼくは母上と父上の子ども……なんだから。


 母の目がゆっくりとグレウスをとらえた。

 母が微笑したので、グレウスはホッとした。


(よかった。正気に戻った)


 そう思った瞬間、母の腕がまきついてくる。唇を奪われて、グレウスは硬直した。大蛇にしめつけられた獲物のように。それは母が息子にするキスではなかったから。


「ははう——何す……」


 もぎはなそうとしても、からみつく水草のように、母の腕はしつように追ってくる。グレウスは水中でもがく心地で、必死に母から逃れようとした。


「やめてください! 母上」

「見つけた。お父さま」


 母は錯覚しているのだ。祖父によく似たグレウスを。輝くブロンドも、水色の瞳も、ユイラ人にはめずらしい一重まぶたも、祖父の少年時代に生き写しだと言われるグレウスを。祖父であると。



 ——一族の濃い血のなかからしか、男子は生まれないのだ。


 目の前にルギン伯爵が立っている。その手に食事用のナイフを持って。



 ——おまえにも、きっとわかる。グレウス。



(おじいさま。あれは……あれは……)


 ぼくのこと——


 伯爵がグレウスにおどりかかってきた。グレウスは床に押し倒され、ナイフで手のひらを刺しつらぬかれた。激しい痛み。


(やめてください。おじいさま)



 ——血をぬくしかないのだ。



 セイレーンの血がおぼえている。

 古い記憶。狂気の記憶を。

 まだ世界が一つではなかった神の時代を。

 誰かが歌っている。

 あれは、レクイエム。


 吐き気とめまいのなかで、グレウスは少年時代に別れを告げた。

 祖父の幻影がグレウスを押さえつけ、母の狂気がグレウスを包む。

 二人は共犯だ。こうやって、グレウスを作りだした。今度はグレウスが、母と……。


 セイレーン姫、歌っておくれ。

 もう何も聞かなくてすむように。

 ぼくの心を奪っておくれ。どこか遠いところへ。

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