ロンドの草稿 その五 2



「グレウス!」


 急に声をかけられて、グレウスは我に返った。

 心配して、オスカーが追ってきたのだ。


「吐いたのか? やっぱり気分が悪いんだね?」

「もう大丈夫。そう大きな声を出さないで」

「大丈夫って……」


 オスカーはグレウスの手をとり、立たせようとした。だが、その手を見て、ハッとする。


「グレウス。君、ずいぶん、やせて……」

「なんでもない。行こう」


 オスカーはまじまじとグレウスの顔を見つめる。


「君、ずっとこうなの?」

「……べつに」

「ずっとなんだね? いつから? いつから、ちゃんと食べてないの?」

「たいしたことない。そのうち治る」

「バカ!」


 オスカーが平手でグレウスの頬をたたく。


「なんで言わないんだ! なんで、ぼくに言ってくれないんだよ!」


 オスカーのブラウンの瞳から、涙があふれてくる。

 グレウスは自分でもわからないうちに、オスカーを抱きしめていた。


「ごめん……ごめん。オスカー」

「ぼくは君をなくしたくないよ」

「ごめん」


 二人は抱きあって泣いた。


「ずっと、ついてるから。ぼくがついてる。だから、君は狂わない」


 気休めでもいい。ずっと誰かにそう言ってほしかった。


「オスカー」


 君がいてくれたら、ぼくはがんばれる。もう少し正気でいられる。


 祖父が何かにすがらずにはいられなくて、おまじないに頼ったように、グレウスはオスカーに全身でしがみついた。

 オスカーの、このときの言葉に。


 今にも見失ってしまいそうな自分の存在を支えてくれる、それがたった一本の糸だった。


「お昼からは、ぼくらも自分の部屋で食べようよ。ね?」

「うん」


 グレウスとオスカーは今まで以上に親密になった。

 ひだまりのなかでオスカーのまつげが金色にけぶるとき、同じ布団で遅くまで語りあうとき、ふざけて抱きあい草むらをころがるとき、ふとしたはずみで自分の体に起こるちょっとした反応に、グレウスは戸惑いはしたけれど。


「それにしても、グレウス。かわいそうだね」


 その夜も二人は、グレウスのベッドにならんでよこになっていました。伯爵家の跡継ぎのグレウスですから、寝台は二人で使っても広すぎるくらいです。


「十五になったら、すぐ結婚だなんて、羨ましいと言えば羨ましいけど、でも、恋をするヒマもなかったね」


 二人とも思春期の少年ですから、そういう話も、ときにはします。


「おじいさまの決めたことなら、しかたないさ。どうせ早いか遅いかの違いで、こうなっていたんだし」

「名門の家柄なら、どこでもこんなものだよね。でも、従姉妹かぁ。いくつだって?」

「二つ下らしいけど」

「ふうん。てんでお子さまだね。年はつりあうけど。初めは年上がいいんだって、サンチェが言ってた」

「誰? サンチェって」

「下男だよ。僕らと同い年なんだ」

「下男なんかと仲よくしてるの?」

「だって、こんな話、頭のかたいじいやとはできないし、小姓に話したんじゃ告げ口される。サンチェは年上の小間使いと、いい仲なんだって」

「経験豊富ってこと?」

「そう」

「ぼくは……そういう話、興味ないな」


 と言いつつ、こんな話をした夜は、オスカーのよこ顔を見るたびに、うろたえるのですが。


「でも、気になるだろう? 結婚式の夜、どうするのか。ほら、その、エスリンと、しょ……初夜にさ」


 真っ赤になるオスカー。

 グレウスはそんなオスカーのほうがまぶしくて見ていられないのです。


「そういえば、君と初めて出会ったとき、ままごとの結婚式をしたっけね。君が花嫁で、ぼくが花婿。ぼくはてっきり、君が女の子だと思ったから、ずいぶん舞いあがっていた。男の子だとわかって、ほんとガッカリしたよ。だって君の姉上や妹姫のなかで、君が一等、可愛かったんだ」

「あれは、姉上たちが、むりやり……」

「君が女の子だったら、きっと初恋の人になってたよ」

「…………」


 こういうときの気持ちは、なんなのでしょう。

 これは前世からの約束なのだというような……。


「グレウス。怒ったのかい?」


 オスカーがのぞきこんできたので、グレウスは眠ったふりをしました。


「なんだ。寝ちゃったのか」


 オスカーも目を閉じて、じきに寝息をたてはじめました。

 しかし、グレウスは眠れません。長いこと、オスカーの寝顔を見つめていました。


 ちょうど、そんな話をしたあとのことです。

 あのことがあったのは……。

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