第42話 本当の強さ
「遅くなりましたね。さあ、これを」
イクスムさんがラウルイリナに手渡したのは緑と赤の液体の入った二つの小瓶。
緑色の小瓶は回復のポーションだろう。
しかし、随分と瓶の装飾が豪華だ。
普通ポーションは透明なガラスの容器に振動や衝撃で外れない程度の簡易な蓋がついているだけなのに、金の装飾が容器を補強していて金属の蓋で厳重に封印してあり、中身も気のせいか普通の物より濃い色合いをしているように見える。
ラウルイリナがイクスムさんに促され腹部の貫通した傷口に緑のポーションをかけてくれる。
驚いたことにすっと痛みが消えていく。
明らかに致命傷に近い傷だった。
それが、こんなに簡単に……。
「それは、通常の物より回復量の遥かに多い大回復のポーションです。例え骨折だろうと問答無用で治療できる、上級回復魔法の《エクセプショナルヒーリング》と同程度の回復量があります」
ポーションをかけてもらった傷口を右手で確かめるように触ると、血のヌメリとした感触がするだけで傷自体はしっかり塞がっているようだ。
「……あれだけ深かった傷が一瞬で……」
頭上でラウルイリナの思わず溢れてしまった呟きが聞こえる。
「あとその赤い小瓶は増血のポーションですね。こちらは傷口にかけるより飲んだ方が効果が高いです。出血が激しいのでこれも合わせて使用して下さい。非常に貴重な物ですが、御当主様より万が一のために預かっておりました」
(そんな物まで用意してくれているとは……イクスムと母上には感謝しないとな)
(ああ、それとエクレアにもな)
エクレアがイクスムさんに同行を命じなければ今頃はどうなっていたか……。
増血のポーションを受け取ろうと手を伸ばしたらラウルイリナにそっとたしなめられた。
彼女いわく溢したら大変だから飲ませてくれるらしい。
そっと背中に手を回すと上半身を抱き起こしてくれる。
……介護してもらわないと満足に動けないとは歯がゆいな。
「さ、さあ、ゆ、ゆっくり飲むんだぞ。慌ててはいけないからな。せ、背中はほら、私がしっかり支えているから心配するな」
口元まで運んでくれるのはありがたいんだが、赤い小瓶が目の前で小刻みに揺れて少し飲みづらい。
……いや、ラウルイリナも自分が傷ついたままなのに俺への治療を優先してくれてるんだ。
失礼だったな。
一際苦い増血のポーションを飲ませてもらいながら俺が心の中で反省している最中、アラクネウィッチは動き出す。
再度新たな闇魔法を展開する。
「ギィギ」
魔法を掻き消された割には動揺していない様子だ。
空中にはさっきより圧倒的に多い闇球が展開されている。
数にして十以上の闇魔法が俺とラウルイリナを庇うように立つイクスムさんを一斉に襲う。
「無駄です。――――エーリアス」
動揺も焦りも微塵も感じさせない立ち姿。
二刀となった天成器エーリアスさんを迫ってくる闇球の近くで軽く振るう。
結果は先程と同じ。
すべての闇球は掻き消え、光に変わった。
「エーリアスの第三階梯の能力は魔力による攻撃を刀身に吸い込み、空気中に存在する魔力に戻す力。当然許容量には限界はありますが、中級魔法程度の攻撃は問題なく無力化できる」
闇球が光に変わるのはその魔法の近くで振るわれたときだけ。
しかも、魔法自体がエーリアスさんの刀身に吸い込まれるようにして軌道を変えたあとに光へと変化していた。
光はやがて眩さを失い空気中に散っていく。
「アラクネウィッチ……貴方と私はどうやら戦いの相性がいい。他の接近戦を主体とする魔物では遅れをとったかもしれませんが、魔法戦主体の貴方なら私一人でも勝機はある」
イクスムさんはこちらを一瞥すると不意に優しい顔をしたあと真剣な口調で話し始める。
「ラウルイリナ」
「は、はい! な、何でしょうか?」
声をかけられたラウルイリナがビクリと跳ねる。
「クライ様を安全な距離まで運びなさい」
「……クライ様?」
「ここにいては二人共戦いの邪魔です。下がっていなさい」
そうは言ってもイクスムさん一人にすべてを押し付けられない。
大回復と増血のポーションのお陰で身体に痺れも残っていない。
せめて弓矢での援護をしようと申し出たが、即座に却下されてしまった。
「援護など必要ありません。なにより中途半端にアラクネウィッチの注意を引かれると戦い辛い。手出しは無用です」
周囲で様子を窺っていたヴァレオさんたちにも続けて話しかける。
「貴方たちも不用意は行動は取らないように。なるべく距離をとって傷の手当でもしていなさい。足手纏いはいりません」
「そんなっ! 確かにあたしはもう魔力もない。それでもまだ弓矢なら――――」
「イオゼッタ。彼女はBランク冒険者だ。俺たちとは……残念ながら実力が違う。彼女が戦うなら……俺たちはそれを見守ることしかできない。……それに皆これまでの戦いで限界まで力を使ってしまっている」
「だからって、イクスムさん一人にすべて任せるなんて……」
「……悔しいけどボクももう魔力がほとんどない。ヘンリットの第三階梯の形態ならまだ多少は戦えるけど……正直足手纏いなのは自分でもわかるよ。アラクネウィッチはボクたちの手に負えない」
イクスムさんの状況を冷静に判断した言葉に反論する余地はなかった。
先程まで皆体力も魔力もなく、気力のみでアラクネウィッチに立ち向かっていた。
協力を申し出たとしてもむしろ邪魔になってしまうのは明白だった。
各々がこの先の戦いの戦力になれないことを痛感して苦悶の表情を浮かべている。
重く苦しい空気が流れる中、アラクネウィッチに吹き飛ばされ傷ついた身体のままヴァレオさんがイクスムさんに声をかける。
「情けねぇ話だが、ここは……イクスムさん、あんたに任せてもいいだろうか? あんたの言うように俺たちが協力したとしてもなんの力にもなれないだろう。援護しようとしても逆に足を引っ張ることになるのは、あの瘴気獣に簡単に吹き飛ばされちまったことからもわかってるつもりだ。……そのうえで言わせてくれ」
大剣の天成器モーウェンさんを杖によろめきながらも立ち上がり叫ぶ。
「俺の仲間を助けて欲しい! 同行しただけのあんたに頼むのは筋違いかもしれない。だけど、コイツらはまだ発展途上なんだ。これからまだまだ強くなる。こんな所で失っていいヤツらじゃないんだ!! 頼む、コイツらをここで終わらせないでくれ!!」
顔を歪めて助けを懇願する姿は人によっては情けなく映るかもしれない。
ただ、己の力の限界を痛感し、それでもなお、この臨時のパーティーのリーダーとしての責任感からイクスムさんに助けを求める姿は、まさしくリーダーとしてあるべき姿だった。
「……貴方に言われるまでもありません。クライ様を守るのは私の使命。あのアラクネウィッチの瘴気獣は私が倒します」
イクスムさんは揺るがない。
確固たる意思でそこに立っている。
それでも、アラクネウィッチを警戒していた瞳をふっと和らげると皆をぐるりと見渡す。
「ですが……勘違いしないで欲しい。私は貴方たちが戦っている姿をずっと見てきました。集落を攻略する手際も仲間を信じて行動する様も、一つのパーティーとして統率された素晴らしい動きでした。これから貴方たちは今よりもずっと強くなれる。……ただ、ここからは私に任せて欲しい。それだけです」
口調は極めて冷静だった。
しかし、皆を見渡す瞳はひたすらに優しかった。
「……私もこの旅に同行した仲間として少しはパーティーに貢献したいですからね」
囁くように呟かれたその言葉は戦場の空気に溶けるように消えていった。
「さて、何度もそちらから闇魔法をいただきましたので……今度はこちらから伺いましょう【闘技:落葉地走り】」
イクスムさんが地面を抉るようにして片方の小太刀で切り上げる。
地面を伝い走る闘気の斬撃。
後を追って駆ける。
その速度は早く目で追うのがやっとだ。
だが、迎え討つアラクネウィッチは常に警戒を怠っていなかった。
地を伝い削る斬撃波をその鋭い足で叩き潰す。
「ギッ」
僅かな隙の間にイクスムさんは一気に眼前まで飛び込む。
迎撃の前足の一撃を逸らし、さらに一歩を踏み込む。
「【ライトスラッシュ】」
ラウルイリナの《閃の光剣》にも似た光を纏った斬撃。
ただし、こちらは小太刀の切っ先のみに光が宿り魔力を使用した斬撃だった。
光は切っ先の軌道に沿って線を引きアラクネウィッチの足の関節に流れるように叩き込まれる。
「ギギィッ!?」
宙を舞う瘴気の漏れ出した一本の紫の足。
一撃をもって切断した。
「【ライトアロー3】」
さらに、至近距離から四つに連なる赤い目に向かう光の三矢。
「ギィギィギギ」
それに対してアラクネウィッチの紫の足が黒い闇に覆われる。
イオゼッタの《エンチャントファイア》のような纏い強化する闇魔法。
切れ味と強度を増したであろう剣足が光の矢を迎撃する。
「……っ!」
ギンッと甲高い音が立て続けに鳴り響く。
二刀の小太刀と紫の剣足が互いに連続して切り結ぶ。
小太刀を横一文字に振るえば闇を纏った剣足で防ぎ、剣足を突き出されれば小太刀で受け流す。
一進一退の攻防は幾度となく続く。
「ふっ!」
不意にあまりに近い接近戦のためかイクスムさんが後ろに飛び退いた。
追撃としてアラクネウィッチが選択したのは粘着糸。
闇魔法が掻き消されてしまうからこその一手。
牙の生えた大口から束にまとめられた粘着糸を大量に吐き出す。
貼り付けられれば行動を著しく阻害されるだろう。
「それを素直に受ける訳にはいきませんね【ライトシールド】」
イクスムさんの前方に光の盾が現れる。
空中に展開された光盾は粘着糸の直撃にもビクともすることなく受け止めた。
「さすがに糸で拘束されるのは困ります【ライトダガー・サテライト6】」
走りながら展開されるそれは、六本の光の短剣の描く円環。
イオゼッタが錬成矢の矢じりを中心に魔法を回転させていたのに対して、イクスムさんは自身の身体を中心に光の短剣六本を刃を外にして衛星の如く円の形に回転させる。
「イオゼッタの使い方とは異なりますが、《サテライト》の魔法因子は魔法を使い手に対して衛星軌道で回転させ相手を近づけさせないように配置することもできます。まあ主にこちらの使い方の方が広く知られているのですが……念の為もう一つ円を足しましょうか【ライトダガー・サテライト6】」
新たに一回り大きい円環が追加され二重になった光の短剣群。
イクスムさんの動きに合わせてその衛星軌道を保ったまま常に一定距離で帯同する。
「――――っ!」
再び距離を詰めるため走り出す。
「ギギィ」
近づけまいと放たれる闇魔法と粘着糸を、ときにエーリアスさんの能力で掻き消し、ときに光の二重短剣円環で切り裂く。
(まさしくあれは攻防一体の陣だな。相手からの遠距離攻撃を牽制、防御し、円を伴ったまま近づけば攻撃にもなる)
(……随分イクスムさんが優勢に見えるな)
(魔法を無力化できるならアラクネウィッチの行動をかなり制限できるからな)
「ギギギィギィ」
劣勢であるアラクネウィッチが新たに繰り出したのは一本の闇の刃。
それも頭上遥か上に展開された巨大かつ漆黒の闇で象られている。
「ふむ、あれは不味そうですね」
落ちる。
闇を塗り固めた巨刃が空から落ちてくる。
「【ライトビーム】」
決闘のときに見た《ライトレーザー》より遥かに太い拳大の光線が空に向けて放たれる。
しかし、闇の巨刃にはいささかも通じなかった。
直撃しても落下軌道を変えられず轟音を撒き散らし地面に激突する。
「くっ……中級魔法すら弾く上級魔法並みの威力。エーリアスの能力を力技で解決するつもりですか……」
あの闇の巨刃は吸い込める上限を超えた魔法だったのだろう。
すんでのところで躱せはしたが光に変わることはなかった。
戦況は硬直する。
アラクネウィッチは頭上にさらなる闇の巨刃を作り出し上空に待機させ、イクスムさんの接近を拒んでいる。
迂闊に攻め込めば死角から落ちてくる刃に襲われ手痛い反撃を受けることになるだろう。
奇しくも両者が陣を展開したことで互いに攻めあぐねいていた。
「それにしても……やはりアラクネウィッチの割に弱いですね」
弱い!?
突然のイクスムさんの告白に動揺してしまう。
ヴァレオさんもカザーさんも簡単に吹き飛ばし、ルインやイオゼッタの遠距離攻撃も効き目の薄かったあのアラクネウィッチが弱い?
「同じ魔物の瘴気獣でも個体ごとに強さが違うと言われている。恐らくイクスムさんが言っているのはそのことだと思う。だが、私から見てもとてもあのアラクネウィッチが弱いとは思えないが……」
ラウルイリナの発言に継ぎ足すようにこちらを一瞥したイクスムさんが言葉を続ける。
「そうです。瘴気獣の強さは個体ごとにバラバラで同じ魔物でも個体差が存在する。しかし、本来ならアラクネウィッチは粘着糸によって自身の動きやすいテリトリーを作りだし、獲物に奇襲を繰り返すことで弱らせ捕食する。奇襲も得意ですが糸の扱いも極めて巧みです。それは魔法という新たな攻撃手段こそありますが、上位個体のアラクネウィッチも同じこと。ですが、あの個体は違う。自分からはほとんどあの場を動かず、絶えず遠距離からの攻撃を続け自分から近づいてくる気配がない。まるで魔法だけを用いて獲物を仕留め続けてきたかのように……闇魔法に依存している」
確かに、自分から闇魔法で攻撃を仕掛けることはあっても、接近してその鋭い足や牙で攻めてくることはいままでなかった。
「いまも話をしながら隙を見せても上空に展開した闇の刃を維持するだけで自分から襲ってくる気配がない」
イクスムさんの言うことは的を得ていた。
アラクネウィッチは完全に待ち構える守りの体勢をとっていた。
「これほどまでに闇魔法だけしか使ってこないとは……。まあ、それならそれで都合はいいのですけどね。……ではそろそろこちらも様子見は終わりにしましょうか」
そういってイクスムさんは前傾姿勢で大太刀に戻したエーリアスさんを構える。
俺はまだ知らなかった。
冒険者の中でCランクから昇格できる人材は一握りであり、CランクとBランクには隔絶した実力差が存在すると言われていることを……。
本気で戦うイクスムさんがどれほどの力をもっているのかを……。
ここから先は一方的な戦い。
天成器が第四階梯に到達することで得る力による蹂躙劇が始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます