第41話 闇を除く光


 視界を埋め尽くす闇。


「くそっ! モーウェン!」


 突然の瘴気獣の出現にこの場の全員が不意をうたれる中、咄嗟に対処できたのはヴァレオさんだけだった。

 大剣の天成器モーウェンさんを盾に構え、一直線に向かってくる闇の奔流を掻き分けるように受け止める。

 凄まじい衝撃が辺りに響いた。


「ぐぅぅぅ……なんて、重い、魔法だ」


 闇の放出は終わらない。

 多大な圧力をもって押し寄せてくる。

 ヴァレオさんが力一杯押し込もうと大剣で防いでも、支える両足ごと地面を削りながら押し戻される。

 

「うおおぉぉぉおおっ!」


 大剣に弾かれた闇が地面に当たる度に破壊をもたらす。


 死が迫っていた。


 状況を打開したのはルインの魔法だった。

 終わらない闇の奔流を躱す軌道で上空に放たれる氷球。


「っ! これならどうだ! 【アイスボール・ダイブ3】!!」


 闇に遮られた向こうで炸裂する音がする。

 幾ばくかの時間のあと、やっと闇の奔流が止まった。

 おそらくはルインの氷魔法が闇の放出を妨害してくれたようだ。


「……適当な位置に放ったけど、なんとか上手くいったようだね」


「ハァ、ハァ……助かったぜ」


 視界の先には無傷のアラクネウィッチが手をかざした状態で止まっている。

 ルインの放った氷魔法の影響も見受けられない。

 ただただ無感情にそこに立っている。


 俺たちを殺すために。

 

 殺意はなくそれでいて悠然と佇む存在は、ハイオーグレスの与える強制的な恐怖の感情とは違った本能的な恐怖を抱かせる。

 このとき全員の意思は一つになっていたと思う。


 あのアラクネウィッチからは逃れられないと……。


 頬から一筋の汗を垂らしルインが喋り出す。

 視線は前方に固定したまま決して逸らさず、その表情には普段の余裕はない。


「アラクネは下部に大蜘蛛と上部に女性の上半身を有する強力な魔物だ」


 魔法を放ち終わったアラクネウィッチは、下半身の大蜘蛛の口を目一杯広げ足元のオークの死体に喰らいつく。

 た、食べるのか?

 前足二本を器用に動かすとオークの巨体を切り分け口に運ぶ。


「下半身の大蜘蛛は牙の生えた大口と剣のように先の尖った八本の足で捉えた獲物を切り裂き貪り食う。デススパイダーのように糸を吐き出し自分の陣地も作るようだけど巣で待ち伏せるより巣の周辺を徘徊し狩りをすることの方が多いらしい。そして、最も目立つ女性の上半身に見える部分。これは、他の魔物を油断させ罠にはめるための疑似餌だと言われている」


 疑似餌?

 確かに、常に瞳を閉じ無表情な様子からは生気というものを感じない。

 疑った目でアラクネウィッチを見ていたのがわかったのか、ルインの説明をカザーさんが補足してくれる。


 カザーさんも緊張した面持ちで警戒していて冷静さが見受けられない。

 声がいつになく硬く感じる。


「魔物から見て弱者に見える人の姿を象っているらしい。攻撃する時は疑似餌部分を狙わないように注意しろ。あくまでも下部の大蜘蛛が本体だからだ。疑似餌部分を傷つけても決して致命傷にはならない」


 知らなければ上部の疑似餌に引っ掛かっていただろう。

 生気こそ感じないがとても偽物には見えない。


「アラクネなら裸身の女性だが、アラクネウィッチはドレスを纏った姿をしていると言う。アラクネが討伐難度Bに対してアラクネウィッチはA+。俺も噂でしか聞いたことはないが大蜘蛛の高い身体能力に個体によって違う魔法を使いこなすようだ。……さっきの黒い光線のような闇魔法もヴァレオが防いでくれなければ危なかっただろうな」


「それにしても、到底逃げられる状況じゃないね。ボクたちが動きだしたら……あのアラクネウィッチは即座に反応する」


「最近瘴気獣の出現数が増えてるって噂で聞いてたけど最悪のタイミングね」


 僅かに焦りの色の浮かぶイオゼッタだが、それでも戦意の籠もった視線をアラクネウィッチに向ける。


「……でもあたしは最後まで諦めないから。襲ってくるなら全力で抵抗させて貰う」


「逃げるのが最善だと思ったが……ただで逃げさしてくれそうにねぇ、か」

 

 ヴァレオさんの言葉に全員が同意していた。

 逃げるためには戦うしかない。


(クライ……身体は動くのか?)


(回復のポーションは効いているけど、まだ弓は引けそうにない。ミストレアこそ、まだ杭は撃てそうか?)


(……EPは多少自然回復するとはいえ、後二発しか撃てないだろうな。ハイオーグレス戦からしばらく経っているから再装填はできているが……苦しい戦いになるな)


「ギィギギ」


 アラクネウィッチが動き出す。

 大蜘蛛の甲高い鳴き声と共に空中に展開されたのは闇の球。

 それを見たルインの行動は早かった。


「くっ! 【アイスウォール2】!」


 皆を守るように二つの直列に並んだ氷の壁を作り出す。


「威力が高い。皆! そう長くは耐えられない!」


「ルインが受け止めてる間に全員散れ!!」


 ジャイアントオークの投擲を防いだ氷壁も、連続で殺到する闇球にガリガリと削られていく。

 一枚目の前方の壁が音をたてて砕けた。

 《シェル》の魔法因子を加えられていないとはいえ、こうも簡単に破壊されてしまうなんて……。


「このっ!」


 イオゼッタが下半身の大蜘蛛目掛けて錬成矢を放つ。

 

「ギギ」


 アラクネウィッチはその鋭く尖った足を振り回すと迫る錬成矢を切り落とした。

 狙われたアラクネウィッチはイオゼッタをその四つの目で捉えると大蜘蛛の口から白い糸を吐き出す。

 白い線は空中を一直線に進む。

 

「うっ!」


 糸はイオゼッタの右足に絡まると勢いよく……戻る。

 マズいな。

 あのまま引かれ続けると大蜘蛛の口まで連れて行かれてしまう!


「させるかっ! なっ!」


 ラウルイリナの斬撃が糸を捉えるが……切れない。


「うおぉぉおっ!」

 

 ヴァレオさんが渾身の一撃を糸に与えるとようやく切断できた。


「糸に気をつけろ! ヴァレオの大剣でようやく切れる強度だ。並大抵の物ではない」


「ギィギ、ギィギギ」


 なんだ?

 疑似餌の女性が右手を真横に構える。

 不審な行動に全員が身構えるなか、闇が手先に集中していく。


「残り少ない魔力だけど少しは妨害させて貰う! 【アイスバレット】!」


「ギギギッ」


「なっ!?」


 ルインの氷の弾丸に対して右手を横薙ぎに振るう。

 闇の……鞭?

 長くしなる鞭のような闇が高速で空中を飛ぶ氷弾を正確に薙ぎ払う。


「うおぉぉっ!!」


「……」


 ヴァレオさんとカザーさんが闇鞭を躱し、防ぎながら接近戦を仕掛ける。 

 だが、大蜘蛛は意に介さない。

 ヴァレオさんの重い斬撃もカザーさんの双槍の連続突きも尽くが弾き返され、それどころか前足の素早い反撃で切りつけられる。

 鮮血が舞った。

 後退したところに追撃の闇鞭が迫る。


「二人は倒させない【アイスアロー4】」


 後退する二人にルインの援護が届く。

 闇鞭は軌道を変え、氷弾を迎撃した。


「……身体強化!」


「やあぁぁぁっ! 【闘技:一閃輝き】!!」


 この僅かな間に距離を詰めるしかない。

 俺は身体強化で高めた敏捷で一気に走り出し、ラウルイリナは闘技によって急接近し一撃を加える。


(右からくる! 次は上からだ!)


 ミストレアの指示を信じて前に進む。

 闇鞭の射程距離は五m前後あるだろうか、かなり長い。

 なかなかに近づけない。


 一方闘技の勢いのまま大蜘蛛の懐に入り込んだラウルイリナはずいぶんと苦戦している。

 真一文字に相手の横を切り抜ける《一閃輝き》も素早く動く大蜘蛛の剣足に弾かれ通じなかった。

 どうにか持ち前の剣技で剣足を受け流しながら戦っている。


 下部の大蜘蛛部分と上部の疑似餌部分は同時に動かせるようで手数が多い。

 ルインの氷魔法のほとんどが打ち落とされてしまう。

 それでも、ここで痛手を与えなければ逃げることもできない。


(ミストレア、もう一度闘気を手甲に集中させる)


(危険すぎる! いまの習熟度だと闘気を集中している間は身体強化が解けてしまうんだぞ! それに反動もある。次に撃ったら動けなくなってもおかしくない!)


(……危険は承知の上だ。ここで攻めないとチャンスはない)


(ぐぐ……、わかった。鞭の軌道は私が監視する。クライは前だけに集中しろ!)


「……ありがとう、ミストレア」


 アラクネウィッチの振るう闇鞭を潜り抜ける。

 ようやくここまで辿り着けた。

 大蜘蛛の目の前でラウルイリナと合流する。

 体勢を立て直したイオゼッタの追加の援護もあり、僅かだが会話する時間が生まれた。

 

「ラウルイリナ、ミストレアの杭を撃つ。あの大蜘蛛の足をなんとかできるか?」


「ハァ、ハァ……一本、いや二本までならなんとか受け流せる。ただ……それ以上の攻撃は難しいぞ」


「少しの間でいい。頼む」


「……次のルインの援護で奴の注意が逸れた時に仕掛けるしかない」


 苦渋に満ちた表情でラウルイリナが振り向く。

 彼女もすでに全身が傷だらけで満身創痍の状態だ。


 その真剣な瞳に頷いて返事を返した。


「ハァ、ハァ……【アイスアロー・ダイブ3】」


 氷の矢が闇鞭を避けるように上空に向かい斜めに降り注ぐ。

 ルインの魔力も限界に近いのだろう、息も切れ辛そうな表情でも氷魔法を撃ってくれる。


「いくぞ、クライ!」


 ラウルイリナの背に隠れ一気に走り出す。

 狙いは四つの赤い目の揃った顔の中心。

 身体強化を解いて闘気を手甲に集中する。


「せやあぁぁぁっ!!」


 振り下ろされる右前足を剣の刃に滑らせ斜めに受け流す。

 間をおかずに左前足の突きを叩き落とす。


「クライ、いまだ!」


 俺はまだアラクネウィッチの強さを分かっていなかった。

 結局のところ、オークを捕食するために僅かに移動しただけで、いままでいくら攻撃してもアラクネウィッチは最初に降り立った場所からほとんど動いていない。

 

 大蜘蛛の眼前まで迫る至近距離でミストレアを構える。

 俺にできたのはそこまでだった。


 腹部に刺さる大蜘蛛の鋭い右前足。

 

「……ッ!?」


 血液と共に熱が逃げていく。

 

 結果から見れば単純なことだ。

 眼前まで近づいてきた敵がなにかしようとする前に、一歩飛び退いただけ。

 

 それだけでミストレアの杭は届かない。


 あとは無防備なところに足を突き刺した。


「……【リーディング】」


 それは、痛みに微睡んだ中での無意識の行動だった。

 腹部に刺さった硬く強靭な剣足に手を添えてDスキルを唱える。



種族 妖魔 level56

クラス アラクネウィッチ

階梯 ミドルレンジ

HP︰1481/1500

EP︰308/350 


スキル

粘着糸level15 悪食level8 強襲level21 陣地作成level2 気配察知level17 気配遮断level22 魔力察知level20 魔力支配level36 闇属性魔法level41



 デススパイダーとは脳裏に浮かぶステータスが違う?

 考えている時間はなかった。

 アラクネウィッチは突き刺した剣足をそのままに振り払うように吹き飛ばす。


 少しの間の浮遊感のあと地面にぶつかり慣性のまま転がった。


(クライ!!)


「クライッ!!」


 瓦礫の残る地面に叩きつけられた割にはそれほど痛くはない。

 それよりも腹部の刺し傷の方が深いからだろう。

 腹から背にかけて貫通したのか血が止まらない。

 

(立て! 立つんだ! でないと……)


「ギィギィ」


 ミストレアの必死な警告にも答えてやれない。

 疑似餌の女性が右手を掲げる。

 それは最初の遭遇のときの構え。

 右手の先に闇の奔流が渦巻く。

 俺にとっての致命の一手。

 

 アラクネウィッチの闇の奔流――――そこに飛び込んでくる人影が見える。


「やめろぉぉぉーーーー!!!」


 飛び出すラウルイリナの手元に光が集まる。

 それは純白の光の粒子。


 ――――天成器を構成する光。


「オフィーリア!!」


 闇を遮る巨大な盾。

 違う、巨大な城塞の如き白銀の壁。


 ヴァレオさんさえ押し退けられた闇の奔流にもビクともしない。

 これがラウルイリナの天成器。


「これは……」


「……オフィーリアが……力を貸してくれたみたいだな……」


「クライ、大丈夫か!? あぁこんなに血を流して……」


 意識を保つのも難しくなってきた。

 地面に横たわったまま身動ぎもできない。


 だが、アラクネウィッチは待ってくれない。

 その場に沈んだかと思った瞬間高く跳躍し、ラウルイリナの特大盾を飛び越え回り込む。


 そして再び手をかざす。

 空中に展開されたのは六つの闇球。

 

「……に、逃げろ……」


 声を出すのも精一杯だった。

 思い掛けず掠れた声でラウルイリナだけでも逃げて欲しいと伝える。


 彼女は即座に首を横に振った。

 傷だらけの手で感覚の薄れてきた右手を握る。


「……私はここにいる」


 闇球は容赦なく迫る。


「思わず見惚れていたら登場するのが遅れてしまいました」


 この依頼の中で唯一目的のない人物。

 エクレアから頼まれてきた同行者。

 白銀の大太刀を携えた女性イクスムさんが音もなくアラクネウィッチの闇魔法の射線上に現れた。


「エーリアス、一掃します【変形分離:魔掃二刀小太刀】」


 大太刀の天成器エーリアスさんが姿を変える。

 それは、以前にも見た二本の小太刀の姿。

 二刀の刀身の中央には丸い穴が空いている。


 イクスムさんに闇球がぶつかる直前、彼女は小太刀を一振り動かした。


 それだけで向かってきた六つの闇球が掻き消え白い光となる。

 

 闇を除く光がそこにあった。

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