第39話 豚鬼は恐怖を振り撒く
紫混じりの木材の大盾に《スピン》の魔法因子の加えられた砂の渦が押し寄せる。
いままで見てきた渦よりも細い横向きの竜巻。
回転力を増し一点に集中した渦は、範囲は狭くなったものの重量のあるオークシールダーの突進を完全に相殺するほどの力があった。
「身体強化!」
身体全体を包む闘気。
残念ながら右手は痺れたままだが……これで接近戦でも戦える。
「いくぞ! ラウルイリナ!」
「ああ!」
砂の渦で勢いをなくし、立ち尽くしていたオーク・シールダーの元へ一直線に走る。
「せやあぁぁぁーー!!」
ラウルイリナの連続した斬撃。
側面から脇腹、左足を斬りつける。
刃を返し、上段から振り下ろすが大盾に弾かれる。
オーク・シールダーも当然ながら反撃する。
スパッと切り裂かれた切り傷から血が流れるのも構わず、大盾を頭上に掲げ地面に叩きつける。
ラウルイリナは軽々とサイドステップで避けた。
空振った大盾の底面で地面に深々と溝が刻まれる。
「ブオオッ!」
大盾を乱暴に振り回す。
さらに、一歩前に踏み込み距離を詰め肩から突進。
無事な右足で蹴りつける。
続いてその太い黄緑の腕で大盾の側面を掴むと、周囲を薙ぎ払った。
だが、そのどれもがラウルイリナを捉えられない。
彼女は俺と同じ、いやそれ以上の身体強化によってもたらされた素早い動きで、斬りつけた反対側に回り込んでいた。
「はあぁっ!」
縦一閃。
大盾で防御しようと待ち構えた腕ごと右足まで一気に斬りつける。
裂傷は浅くとも確実にダメージは与えた。
両足を斬りつけられたオーク・シールダーは堪らず膝をつく。
「クライ、いまだっ!」
「ミストレア、いくぞ! 発射!!」
胴体に密着して放つ必殺の杭。
「ブガァァァッ!」
白銀の杭が空虚な穴を作り出し、オーク・シールダーはうつ伏せに倒れた。
これでもう立ち上がることはない。
それにしても、恐怖に打ち克ったからなのか、ラウルイリナの動きは少し前より素早く的確に感じる。
いまもついていくのがやっとでほとんど手出しできるところがなかった。
なんというか、迷いのない動きがあの追いつけない疾さを生んでいるのだろうか……。
考える暇もなく視線を移すと、もう一体を相手していたカザーさんの闘技が炸裂する。
「【闘技:列地返し】!!」
長槍が大盾と地面との僅かな隙間を潜り抜けるように下から突き上げる。
地面に線を描くほどの低空の突きは、大盾を躱しオーク・シールダーの腹部を貫通した。
その瞬間だった。
残すはハイオーグレスのみ。
皆の意識がそう集中する間隙を縫って戦場に響く大叫声。
「ブゴオオォォォーーー!!」
「ぐぅ……」
「ぐっ……」
徐々に心身を支配していくのは恐怖の感情。
やはりハイオーグレスはオークシールダーを倒した隙を狙っていた。
――――だが、それはこちらも読んでいる。
「あんたの考えはお見通し、よっ!!」
短剣から短弓の姿に戻し、ハイオーグレスの顔面を狙った三本の錬成矢の同時斉射。
咆哮の途中で開いた大口目掛けてイオゼッタの錬成矢が飛んでいく。
「はぁ!? なにそれ!?」
咆哮は止まった。
だが、錬成矢は直撃していない。
イオゼッタが驚くのも無理はない。
錬成矢を防いだのはハイオーグレスではなかった。
金の特大斧、ウェポンスライムのおそらくは上位個体から触手が伸び、錬成矢を残らず弾いた。
それは、まるで使い手のハイオーグレスを守護するかのよう……。
「なぜだ! ウェポンスライムの触手は矢を弾くような硬度はない筈だ!」
揺らめく触手の数も長さも銀の大斧のときとは比べ物にならない。
錬成矢を弾いた音からして触手の硬度はかなり強固そうだ。
「ブガアァァァアッ!!」
「来るっ!」
イオゼッタが警告を告げる。
他のオークたちとはまったく違う速さ。
連射された錬成矢を蛇行して躱す。
巨体に似合わないキレのある動きは筋肉質な身体のお陰か。
狙われたのは闘技を放ち終わったカザーさんだった。
もうすでに不利な状況を打破するために何発も闘技や魔法を使ってしまっている。
疲れの色の見え始めているカザーさんに向けてハイオーグレスは急接近した。
「ブガァッ!!」
最接近状態からの直下斬撃。
金の特大斧がカザーさんを両断しようと迫る。
「くっ……!」
かろうじて身を翻し躱す。
ハイオーグレスも速いがカザーさんはより疾い。
斬撃が降るたびに躱し、突く。
「……そう簡単にやられはしない」
それでも、時折伸びる触手が槍を絡め取ろうと動くため、カザーさんはかなり戦いにくそうだ。
「離れなさいっ!」
「やぁあっ!」
イオゼッタとラウルイリナが援護に入る。
ハイオーグレスは怒号と共に金の特大斧を振り回し、一撃でもって両断しようと積極的に攻撃を仕掛け始めた。
戦場は一気に混沌とする。
カザーさんは疲労を隠せずとも自らが囮になろうと、回避と攻撃を両立し注意を引き続ける。
ラウルイリナは金の特大斧の異様な切れ味に赤剣では分が悪いと直感したのだろう、苦い表情をしながらも、ハイオーグレスの身体を斬りつけ確実に傷を増やしていく。
イオゼッタはその場の展開の早さに翻弄されながらも、要所要所でハイオーグレスの急所を狙い錬成矢を射る。
皆死力を尽くして戦っている。
だが、そこに迷いなく飛び込めない自分がいる。
僅かな逡巡、その心の内を見透かしたようにミストレアの念話が届く。
(……もういいんじゃないか? オーク・シールダーは倒した。これで役割は終えたと言っていい。ヴァレオやルインもじき合流してくるはずだ。後は皆に任せればいい)
(どうした、いつになく弱気じゃないか。普段だったら――――)
(だって……あんなに、あんなに血を流して……あの怪我だって本当は相当痛かったんだろ?)
(それは……)
(吹き飛ばされた後ポーションも満足に使えなかった。身体が動かなかったのは恐怖のせいだけじゃない。痛みと多量の出血のせいで動きたくとも動けなかったんだ。痺れは……右手だけじゃないはずだ)
常に一緒にいるミストレアには簡単に分かってしまうらしい。
確かに、右手が一番酷いが、全身に微かな痺れがあり普段通りに身体が動いてくれないのも事実だ。
ウェポンスライムの上位個体だけあって斬りつけられただけで大分血を吸い取られたようだ。
ラウルイリナが回復のポーションをかけてくれなければ戦線復帰は難しかっただろう。
「それに、あの金の両手斧はミスリルの盾を両断する威力だった。当たりどころが悪ければ……し、死んでもおかしくなかった。それでも……戦いにいくのか? ラウルイリナが言ったように下手すれば命を失うことになるんだぞ」
ミストレアの聞いたことのない弱々しい声。
「家族に会うために、そして強くなるために王都まできた。それは理解している。私もクライはまだまだ強くなれると信じている。ただ、私は……お前の命が一番大切なんだ! お前と離れたくない! 私を置いていかないでくれ」
「ミストレア……」
感情の籠もった慟哭に近い叫びだった。
生成の儀式からずっと一緒に過ごしてきて初めて聞く本当の気持ち。
――――ただ、答えは決まっているんだ。
「……心配してくれるのは嬉しい。だけど、俺はあいつに負けたくない。仲間を自分が強くなるための糧としか見ていないようなやつに、負けたくないんだ」
「………」
「それに、ここで逃げたら……強くなれない。そんな気がする」
無言の時が流れる。
それでも、これは俺の本心だ。
悪意をもって他者を犠牲にする戦い方に納得できなかった。
ただそれだけの意地のような感情。
ミストレアには……できれば反対して欲しくはないな……。
「はぁ〜〜〜〜」
心底呆れきったため息。
だが、ミストレアは幾分かすっきりした口調で話し始める。
「わかった。もう止めない」
「……ごめん」
「謝らなくていい。……クライが怪我をして動揺していたんだろうな……変なことを口走った。私こそ済まなかった」
「俺はいく。……もちろん一緒にいてくれるよな?」
「ああ! 当然だとも! あいつらに見せてやろう。私のクライは凄いんだぞってところを」
からかうように朗らかに笑う。
ここに俺とミストレア、二人の気持ちは固まった。
あとはあの混沌の坩堝に飛び込むだけだ。
「ラウルイリナッ! 危ない!」
「ぐっ!!」
ラウルイリナを狙って振り下ろされた金の特大斧を彼女は斜めに構えた赤剣で受け流す。
だが、籠められた力まで受け流すのは難しかったようだ。
体勢が崩れる。
それは、ハイオーグレスの前では致命的な隙。
やつは動けない俺たちを嘲笑ったときのように悪意に顔を歪ませると金の特大斧を力任せに振り抜いた。
膝をついて動けないラウルイリナ。
金の特大斧が命中する。
まさにその瞬間に――――横から彼女を掻っ攫った。
カザーさんとイオゼッタの援護で小脇に抱えたラウルイリナを安全圏まで運んでいく。
「ブガァァァーー!」
絶好の機会を逃したハイオーグレスが雄叫びをあげた。
「ごめん。遅くなった」
「……そ、その助かった。……も、もういいだろ。下ろしてくれないか?」
よほど怖かったのかも知れない。
顔を真っ赤に染めたラウルイリナはそそくさと離れた。
「ゴホンッ……これで何度目だろうな。助かったよ、ありがとう」
「遅くなって悪かった。ここからは俺も一緒に戦う」
「遅くなんてない。こうして私を助けに来てくれた。……それだけで嬉しいよ」
「そこっ! イチャついてないでこっちを手伝って!!」
イオゼッタの鋭い激が飛ぶ。
「イ、イチャついて……なんて……ない、ないぞ」
戦線から離れすぎたな。
早く二人のところに戻らないと負担が大きすぎる。
なぜか動揺していて落ち着かない様子のラウルイリナを連れて戦場に戻る。
「その気持ち悪い触手! いい加減引っ込めなさいよ!!」
イオゼッタの錬成矢は相変わらず弾かれてしまうようだ。
特大斧から触手が鞭のようにしなり錬成矢を弾き落とす。
だが、ハイオーグレスにも僅かだが目に見えて傷口が増えてきた。
触手が防御してくれるとはいえ完璧ではない。
紫鎧に覆われていない生身の部分には所々に深い傷や突き刺さった錬成矢も見受けられる。
とくに、左足には刺し傷が集中していた。
カザーさんが回避しながらも地道に反撃してきたことが実を結んだ結果だろう。
「あいつも段々と追い詰められてきたみたい。焦った顔が増えてきた。このまま押し切れば――――」
「ブガァァァッ!!」
特大斧から触手が伸びる。
だが、動きが違う。
ハイオーグレスの右腕に絡みつき脈動する。
それは、血を吸い取っていた異様な動き。
皆に危険を訴えるには時間が足りなかった。
特大斧の先端を前方に構えた途端そこから触手が槍のように伸びる。
「ぐあぁぁぁっ!!」
「カザーさんっ!」
見たことのない攻撃だった。
無数の触手が硬度を保ったままカザーさんを襲った。
細く尖った触手が手足を貫通し、同時に戦場の端まで吹き飛ばす。
「二人共、動かないと狙い撃たれる! ぐっ……」
(クライ、大丈夫かっ!?)
(ああ、問題ない)
槍のように伸びた触手が身体を掠める。
伸縮の速度が速い。
まだこんな奥の手が残っていたとは……。
そこからはひたすらに動き続ける戦いが始まった。
立ち止まれば即座に触手の槍が飛んでくる。
ラウルイリナもイオゼッタもすでに傷だらけで満身創痍だ。
息は乱れ裂傷は増え続ける。
「ブオオォ」
だが、それは相手も同じ。
度重なる自身の身体への吸血にハイオーグレスも確実に弱ってきている。
「ラウルイリナ! イオゼッタ! 短期決戦だ! ここで決めないとこちらが先に倒される!」
「あたしがあいつに一発キツいのをお見舞いする。援護をお願いっ! 【変形:歯車嶺櫛短剣】!」
イオゼッタにはなにか考えがあるようだった。
手元の短弓の天成器アーロンさんを短剣に変形させる。
「もう魔力が残り少ない。これがあたしの最後の魔法【エンチャントファイア】」
白銀の短剣、その刃が火の魔力に包まれ赤く淡く光る。
おそらくあれが斬撃と延焼を同時に与えるイオゼッタの切り札。
なら……。
(ミストレア、俺たちもアレをやろう)
(……危険だぞ。いや、止めても無駄か。……なら盛大にやってやろうじゃないか! 反動に気をつけるんだぞ!)
(ああ!)
全員でハイオーグレスに向かって走る。
近づく度に伸びる触手の槍。
尽くを紙一重で躱し前へと進む。
「ブゴオオォォォオオオォーーー!!」
「このタイミングで『恐怖』の咆哮!?」
「ぐっ……相変わらずキツい、な」
仕掛ける間合いに入る直前に再び『恐怖』が心身を襲う。
咆哮が耳に入るほど徐々に硬直が広がる。
しかし、この恐怖はもう味わった!
「今度は負けない。私にも大切なものがあるんだぁ!」
「あんたが恐怖で支配するなら! あたしはそれに抗って見せるっ!」
ラウルイリナが、イオゼッタが、心の内を叫び歯を食いしばりながら一歩前に進む。
俺だって二人と同じだ。
こんな恐怖に――――。
「ブゴオオォォォゴオオオォォーーー!!!」
ハイオーグレスは連続で『恐怖』の咆哮を放った。
無理をしたことで自らの喉から血を溢れさせながらの蛮行。
喉は裂け口元から血を滴らせながら醜悪に笑う。
その顔は勝利の美酒に酔っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます