第255話 初めての敗北

【アーグレン】


本来ならば主に許可を得ず側を離れることは許されない行為だが……許可を得られるとは到底思えなかったので私は一人、とある場所へと向かっていた。


屋敷が大きな影を作り、その姿を完全に隠せるような……そう、誰かが逃走しそうなルートを私は探っていた。とある人物を探しゆっくりと歩いていると、すぐに地面を這いつくばって進む人間を見つけた。


その人物は、ボロボロになった長いドレスを引きずりながら、どこかを目指している。


「見てなさいよ…あの女、絶対に許さないんだから……」


とても令嬢とは思えない発言を口にする少女の顔は、憎しみで歪んでいた。


私は気配を消して近づくと、令嬢の顔のすぐ横に剣を突き立てる。彼女は剣に驚き、大きく目を見開いた。


「私の主人は少しばかり敵に甘い方なので貴女を見失っても追うことはしないでしょう……ですが私は違います。こんにちは、リティシア=ブロンド嬢」


「!あんたは……」


悪女はこちらを見上げると強く睨み返す。自分は丸腰だというのに随分な度胸だ。唯一頼れるのは魔法だろうが、今の彼女に魔力など微塵も残っていないだろう。予想通り彼女は魔法を使う素振りを見せなかった。


「さっきぶり……ですね。まぁ私はもうお会いしたくありませんでしたが」


「それはこっちの台詞よ……!どうして私がこんな目に……あの女さえいなければ……イサベルへの復讐も、アレクとの婚約もできたのに……!」


「はぁ……貴女は何も分かっていないのですね。例え公女様がいらっしゃらなくても、貴女が殿下と婚約することは勿論、イサベルさんを倒すことだってできなかったでしょう」


「何言ってるの?私のこの力があれば誰だっていうことを聞くはず。思い通りにならないことなんてあってはいけないのよ」


己の力を信じて疑わず、努力しようともしない。そして他者を理解しようとせず、自分の道具のように見ている……なんと惨めな人間だろうか。この人間が私の主じゃなくてよかったと心の底からそう思った。


「それなのに……あの女が全てを変えてしまった……イサベルと仲良くするどころかアレクまで手に入れて、おまけにあんたを護衛騎士にするなんてね……私もその魔法を知ってたら使ってたのに……」


「……魔法?」


「そうよ。人の心を操る魔法か何かを使ったんでしょう?そうじゃなきゃあの二人を味方につけてあんたを護衛騎士にするなんて絶対に無理だもの」


「……いいえ。公女様は魔法など使っていませんよ」


「……は?」


「公女様はご自分の力で私達を味方にしたんです。味方にしたというか……私達自ら味方になったという表現の方が正しいです」


「何よそれ……異世界人のくせに…あの女の方がよっぽど魔法使いじゃない……」


その発言に関しては、私も同意できると思った。公女様は、周りを変える力がある。助けたいと思わせる力があるのだ。それを言い表すのであれば確かに、魔法のようである。


「……それでも、私が負けるなんてありえない。どんな相手でも、私が負けるなんて……」


「貴女は負けました。それでも公女様に近づくと言うのであれば……私は貴女を始末するだけです」


突き立てた剣が怪しく光を放つ。悪女は剣を見つめる。何かを言いたげな表情をしていた。


「あの女……私が普通に……誰かを思いやって生活していたらアレクは私を見ていたかもしれないって……そう言ってたわ。あの時はバカげてる、そんな簡単なことじゃないって思ってたけど……」


悪女は過去を思い出しながらそう呟く。なんとも言えない表情を浮かべている。


「あの女はそれであんたやアレク…イサベルを味方につけたってことよね……」


「……そうです」


「…そう……でも私は私の生き方が間違っていたなんて思わない。私はリティシア=ブロンドとして生きた自分を否定したくないの」


彼女の生き方は決して褒められたものではないが、そう本人が思うのであればそれでいいとも思う。勿論それ相応の報いは受けてもらうが。


「……今の私が貴方に勝つのは不可能……どう考えても私の負けね。初めてだわ、こんな経験……。」


悪女は悪女らしからぬ表情を浮かべると、瞳を閉じる。そして再び目を開く。その瞳には光が宿っていた。


「アーグレン=ベルハルト、あんたの主人に伝えなさい。今は引いてあげる。でも次に会う時は……必ずあんたの全てを奪ってやるわ…ってね」


「分かりました。絶対に伝えないでおきますね」


私の返事を聞くとむっとしたような表情をしたが、すぐに彼女は悪女らしい笑みを浮かべる。そして突然光を放ったかと思うと、一瞬にして灰になってしまった。


あまりにも一瞬の出来事だった。


……アレクや公女様は魔力を通じて蘇っていた。だがこの悪女は…魔力ではなく、強すぎる憎しみからこの世に蘇ったために……今その報いが来たのだろう。


月の光を受けて輝く綺麗な銀色の剣を私は黙って見つめる。


「……話なんて聞かずに斬るつもりだったが……どうやら私は主人に似たようだな」


剣を鞘にしまうと、私は二人の主人と友人の待つ場所へ歩き始めた。

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