第246話 思いは空間を超えて

私は驚き、思わずお母さんに向けて手を伸ばしたが、何故かお母さんはそれを無視するどころか、さっさと靴を脱ぎ、リビングへと上がってしまう。


私だけでなくそこにいたアレクにも目もくれず、まるで何もなかったかのように振る舞っている。驚いて顔を見合わせると、お母さんが決定的な一言を放った。


「ただいまー……って、まぁ誰もいないんだけど。」


「誰も……いない?まさか……見えてないの?」


見えてないとなれば今までの行動も全て合点がいく。だが先程まで確かに他の生徒や通行人に私達の姿は見えていたはずだ。それなのに何故私のお母さんには見えないのか。


呆然とお母さんを眺める私を見て、アレクは呟く。


「…俺が無理やりこの世界に来たのと、リティが記憶を取り戻したことで空間がおかしくなっているのかもしれない。言いたいことがあるなら、早く伝えた方がいいな」


「え?でも見えていないのよ?私達の声も聞こえてないみたい。何を言っても伝わらな……」


「伝わる。絶対に伝わるから、早く!」


「…だからなんなのよその自信は……もう、分かったわよ。聞こえないと思うけど……」


アレクの謎の自信に無理やり突き動かされ、私は椅子に座ったお母さんの視界に入るように立つ。が、やはり視界には映っていないらしく、お母さんは全く違う方角を見ている。


「やっぱり見えてないんじゃ……」


「見えてなくても言葉は届く。だからリティ、早く」


「なんでそんな強引なのよ…」


私はもう後に引けないことを悟り、ふぅ、と息を吐く。


こうしてもう一度お母さんに会えるなんて正直全く思っていなかった。いざ目の前にするとなんと言うべきか迷ってしまう。


「…お母さん。ごめんね。私、こんなに早く死んじゃうなんて思ってなかったよ。」


まず、謝罪をしなければと思った。お母さんにとってはたった一人の娘だったのに、突然失わせてしまったから。


「ここまで育ててくれて本当にありがとう。さよならも言えなくてごめんね」


お母さんは相変わらず違う方角を見ている。言葉が届いている様子もなかった。


だがここまで来たら言いたいことを全て言ってしまおうと気持ちを割り切った。


「……でも私、ちゃんと幸せだから。大好きな人を見つけたの。とっても優しい人だよ。だからお母さんも安心してね」


そこまで言い切ると、いつの間にかアレクが隣に来ていたことに気づく。彼は私ではなくお母さんを見つめていた。


「お義母様、初めまして。こことは違う異世界で娘さんと出会い、婚約をさせて頂いております。」


彼は礼儀正しく、敬意を払って言葉をかける。


「絶対に幸せにしますので、どうかご安心下さい」


真剣な眼差しで紡がれたアレクの言葉も、変わらずお母さんには届いていないようだ。


アレクになんだか申し訳なくなったのと、猛烈な恥ずかしさが襲ってきたので「もういいから行くわよ。空間がおかしくなってるってことは時間がないってことでしょ。早く帰らなきゃ」と彼の袖を引っ張る。


「またね、お母さん」と告げ、お母さんに背を向けると、突然背後で椅子を一気に引いたようなガタンという音がした。


「莉茶?」


その言葉に、私は思わず振り返る。


「えっ……」


お母さんは、私を見ていた。先程まで全く見えていなかったはずなのに、今は視線がしっかりと合っている。


「莉茶なのね!」


こちらの返答を待たずに、お母さんは感激に涙を浮かべ、話し始める。


「ごめんなさい、私貴女に全然優しくしてあげられなかった。あの人が亡くなってからもう何もやる気が起きなくなって、気づけば好きだったワインばかり飲むようになっていたわ。それでも、それでも貴女は私をお母さんと呼んでくれたわよね」


お母さんはお父さんを亡くし、残された私を一人で育てなければならなかった。私を見る度にお父さんを思い出してしまうから、ストレスも相当溜まったことだろう。


自分の好きなものに溺れてしまうのも仕方ないのかもしれない。今お母さんの気持ちがようやく分かった気がした。…そして、私の存在がお母さんの支えになっていたことも。


「元気に真っ直ぐ育ってくれてよかった。貴女は私みたいにはならないでね。もう事故で突然いなくなったりしちゃダメよ」


お母さんは私の頬に触れると、いつの間にか流れていた涙を拭ってくれた。


「ありがとう、莉茶。幸せになってね」


お母さんは、今まで見たこともないような優しい笑顔をこちらに向けてくる。私も釣られて笑顔になったが、泣いているのでとても不思議な表情になってしまった。


「娘を宜しくお願いします」


私もアレクも見えているのは私だけだろうと認識していたので突然アレクに向けて言葉が発せられたことに驚きを隠せなかった。頭を下げるお母さんの姿に驚きながらも、アレクが「はい、お任せ下さい」と答えると、お母さんは嬉しそうに微笑んだ。


その後お母さんに私達の姿が見えることはなく、お母さんは今の出来事が初めからなかったかのように生活をし始めた。


そのまま家を後にすると、アレクが通ってきたという扉に向かう。その道中、私は先程の出来事をしみじみと思い返していた。


「そっか、私……ちゃんと愛されてたんだ」

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