第222話 奇跡

【アーグレン】


公女様が部屋に引きこもってしまってから、もう三日近く経とうとしていた。


一度部屋から出てきたかと思えば、誰も部屋に近づかないでほしいという命令を改めて出されただけであった。


アレクの容態は医師が判断した時のまま変わらず、心臓は動作を止めたままである。


突然のことに私は未だに今の状況を上手く理解できずにいる。公女様は人一倍動揺されていたから、下手をすれば何ヶ月も部屋から出てこないかもしれない。


だがかける言葉など見当たらなかった。

…まぁ当たり前といえば当たり前だ。自分の気持ちすら整理できていないのに、誰かを慰める言葉など出るはずもないのだから。


アレクが三日も城に戻らなければ流石に疑問を持たれると思い、私は一度城へ向かった。まだアレクが助かるかもしれない、彼が城へ帰る日が来るかもしれないという期待を込めて、時間を稼ごうとしたのだ。


だがその必要はなかった。

そもそも皇后はアレクが助けに行ったことを知っていたし、あの時落ちたのは公女様の方だと思っている。よって、アレクが帰宅しないのは、今の公女様のように気持ちの整理をしているからだろうと考えたようであった。


私は余計なことを口走らないようにして、再び公爵邸へと戻ってきた。


公爵と公爵夫人は愛する愛娘と婚約者の状態に非常に心を痛めていた。だが流石は親といったところであろうか、彼女の心が落ち着くまで例え何年部屋から出てこなくても待ち続けると泣きながら仰っていた。


イサベルさんは、口数も減り、笑顔も減り、ため息をつくことが多くなった。侍女長も同様で、公女様の部屋を掃除できないかと時折箒を持って扉の前を行ったり来たりしていた。


あの事件が、全てを変えてしまった。

私の親友が、婚約者を護る為に自分を犠牲にしてしまった思い出したくもない、あの事件。


アレクの性格であれば、そうするのも仕方ないと思う。彼は二度と会えなくなると理解しながら、ただ公女様の無事だけを願った。


愛する人の未来を自分の未来と引き換えに護った。迷いなく、その道を選んだ。私の親友とはそういう奴だ。


王子らしくない、誰かの幸せをただ切に願うことができる…そんな男だから。


彼のそんなところを尊敬していたし、とても好きでもあった。

だがそのせいで己を滅ぼしてしまうのであれば…少しだけ、少しだけでいいから、自分の幸せを願ってほしかった。


何かの奇跡が起きて蘇りやしないか、何度も期待をして彼の部屋を訪れたりもしたが、結果は変わらなかった。彼の表情を見る限り、後悔などは一切見受けられなかった。


そんな彼が他人の幸せより自分の幸せを優先する日など永遠に来ないだろう。もうそんなことは分かっている。分かっていた。あの時私が援助せずに徹底的に彼の妨害をしたとしても、何らかの方法で逃げ出し、結果は同じだったはずだ。


公女様がイサベルさんとアレクの二人なら幸せになれるという未来を知っていたから、その確実な未来を取りたかったとかつて仰っていた。


それと同じことだ。アレクは偶然二人が助かる可能性よりも、自分の命を引換にする方が確実だと気づいたんだ。


私は一度逃げ出したくせに、辛いだけだと分かっているくせに、一縷いちるの希望に縋り、彼の眠る部屋へと向かう。


まだ受け入れていない。受け入れたくもない。頼むから、目を覚ましてくれ。私の人生を、全てを救ってくれた…かけがえのない親友よ。


今度は私が命をかけてもいいから…帰ってきてくれ。公女様との人生を、諦めないでくれ……。


彼の眠る部屋で、私は一人目を瞑る。冷たくなってしまった手に触れ、強く願い続ける。


彼が目覚める以外にこの最悪の屋敷の状態が復活することはない。自分のせいでと苦しんだ公女様の心は、永遠に閉ざされたままとなってしまう。


願うしかできない無力な自分を呪いたいが、呪うくらいなら願いたい。もしこの世に神がいるのなら、彼を救ってあげてほしい。どうかこの二人を…これ以上苦しめないでほしい。


その時、指がピクリと動いた気がした。私はありえない感覚に驚き、思わず顔をあげる。そして彼の顔を見る。三日間微動だにしなかった瞼が、動いた。


私は思わず立ち上がった。


「…ん…?ここ……は」


「アレク!?」


ぼうっとした眼差しで天井を見つめる彼にそう声をかけると、アレクは徐々に状況を理解し始める。


「そうか、俺は……あの時…」


「あぁそうだ。お前がやったことは、全部知ってる。でも今はとりあえず…お前が生き返ったことを…喜ばせてくれ」


三日ぶりに聞く親友の声に涙が出そうになりながら、私は彼を強く抱きしめる。

男同士でとかそういう偏見は今は置いておいてほしい。死の淵から蘇った親友にこれ以上の愛情表現はないのだから。


「グレン……心配かけてごめんな。」


良かった。生きてた。これで……これで崩壊してしまった日常が返ってくる。公女様も、部屋から出て……。


「ところで……リティは?無事、なんだよな?」


「あぁ。お前の魔法のおかげで無傷だったよ。でも今は……」


「今は……?」

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