第200話 弟の決意

「やめて、兄さん。姉さんを傷つけないで!」


ツヴァイトが大声を張り上げた。


私はその声に驚き、振り返る。そして彼はすぐに立ち上がると、私が先程そうしたように、私の前に立ちはだかる。その小さな背中には堅い決意が込められていた。


兄は弟を冷酷な眼差しで見つめ、低く冷たい声を発する。


「傷つける?俺はただ教育しているだけだが?」


「そんなの教育じゃないよ、姉さんは僕の為に変わろうとしてくれているだけなのに!」


私の急な心変わりを怒りを覚えていてもおかしくはない。それなのに彼は怒るどころか私を庇ってくれている。


こんな不甲斐ない姉を、虐げられた弟が庇っているのである。


そうか今まで私は圧倒的強さをもつ兄に歯向かう勇敢な弟をずっと貶していたのか。どう考えても貶されるべきは、兄の影に隠れて生きる私の方だったのに。


兄は弟の言葉を受け、その成長に感銘を受けるでもなく、その勇姿を喜ぶでもなく、ただじっと見つめた。自身の最大の敵を見つめるような…そんな眼差しで。


彼は大きくため息をついた。


「困るんだよ」


「え……?」


「いくら第ニ王子とはいえ、ターニャや俺がお前を可愛がったりしたらお前の立場が大きく上がる。これはつまりお前が王になる可能性が大きく上がってしまうということだ。本来であれば俺が王になることはもう確定だが……お前のその頭脳があれば何をやらかすか分からない。」


ツヴァイトは衝撃を受けたような眼差しで兄を見上げるが、当の本人は淡々とただ状況を述べるかのように語っている。


「何かの間違いで状況がひっくり返ってしまうかもしれない。だがそんなことはあってはいけない。あってはならないんだよ、ツヴァイト。」


そこまで語ると兄はツヴァイトの視線に合わせるようにしゃがみ込む。驚愕の表情を浮かべるツヴァイトに彼は呟いた。


「なぁ、頭だけが取り柄のお前ならそれくらい分かるだろ?」


「そうか…兄さんは今まで……」


ツヴァイトは悲しげに俯く。彼は自分の立場を確固たるものにするために、弟を犠牲としたのだ。そしてあたかもそれが、正しく当たり前の方法であるかのように思っている。


「お兄様、今までずっと…そのつもりで私に……!」


「よく聞けツヴァイト」


兄は私の存在など最早ないかのように弟に声をかける。ツヴァイトは複雑な表情で兄の顔を見た。


「お前は一生……虐げられた可哀想な王子でいればいいんだよ」


「……」


「お兄様!そんな…そんなことって…あんまりですわ!ツヴァイはそんなことしてないってさっきも言ったじゃないですか!」


「ターニャ。これ以上ツヴァイトを庇うならお前にも容赦はしない。俺の立場を脅かす人間は誰であろうと消す。」


兄はツヴァイトから視線を外すと、私を冷たい眼差しで見つめる。背筋も凍るような冷酷な視線だ。


「…っ…!」


そのあまりの気迫に後ずさりをする私を庇うようにツヴァイトが片手を伸ばす。


「…リック兄さん、姉さんを巻き込むのはやめて。兄さんが嫌うのは……僕だけで十分だよ」


「…ふん。よく分かってるようだな。ターニャ、俺に嫌われたくなければせいぜい身の程を弁えるんだな」


彼はそう言うと、そのまま私達を追い越してどこかへと歩いていってしまった。その背中はまるで…誰の意見も聞かない強欲な独裁者のように思えた。


「……姉さん、ごめん。」


ふと、ツヴァイトが呟いた。


「え?」


彼は振り返る。先程突き飛ばされて落としてしまった本を……もう二度となくさないかのように強く抱きしめている。それは何かの決意の現れのようにも見えた。


「やっぱり兄さんに王様は任せられない……」


私はその言葉にはっとしたように目を見開く。彼の発言には、それほどの重要性が込められていた。


「……お兄様と戦う気?やめておきなさい、貴方には無理よ」


即座に否定したのだが、彼は決意のこもった眼差しを真っ直ぐに見つめてくる。


私はその決意を砕くべく、先程の兄と同様に弟の前へと回り込み、しゃがみ込む。そして彼の肩に両の手を置いた。


「…貴方は優しすぎる。対するお兄様には優しさなんてない。あの人が他人を陥れる時にどれだけ頭が回るか…貴方もよく分かっているでしょう?」


いつかその優しさがツヴァイト自身を苦しめることになる。私はそう確信していた。


殿下のように優しいだけでなく強さも持ち合わせた方ならば話は別だが、ツヴァイトはまだまだ幼い。頭だけが良かったとしても、物理的に適う相手ではないのだ。


「姉さん……」


「ツヴァイ、姉として忠告するわ。あの人は無理よ。お兄様に従うのが私達が生きる術なの。王になるのは貴方ではなくリック兄様よ。……正妻の息子で、一番最初に生まれた王子が王になる。それはもうずっと前に決められたことなのよ。」


言い聞かせるように呟くが、ツヴァイトは悲しそうに微笑んだ。


「…ターニャ姉さんが味方になってくれなくても大丈夫。僕には……強い味方がいるから」


「……味方?」

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