第151話 償い
今の今まで何もしなかったのは、何もできなかったからではない。少し話がしたかっただけだ。
男は己の罪を再確認させても尚悪びれる様子もなく、か弱い少女の命を奪おうとしている。こいつには一切情状酌量の余地がない。
私の主人に手を出した時点で許すつもりは毛頭なかったが…反省する様子を見せれば少し処罰を考えてやろうと思ったのに。
相手がこんな態度で来るのならば…少しばかり暴れても良さそうだ。
私は男が優位に立ったと思い、油断したその一瞬を狙って目視できない程の速度で剣を振るった。
的確に、正確にナイフだけを狙って。少女には傷一つついていない。この早業は訓練によって手に入れたものだ。私の本気の剣を今まで見切れた者は、今まで一人もいない。
弾き飛ばされたナイフがカラン、と地面に落ち、飛ばされた勢いのまま転がっていった。
「な、ナイフが…」
「これで分かったでしょう。貴方に勝ち目はありません」
少女の眼差しが、恐怖から驚きと尊敬へと変わった。
…そういえば彼女を令嬢と呼んでしまったが、よく考えたら平民だから令嬢ではないのか。だが不思議と彼女からは貴族とはまた違う高貴なオーラを感じる。一体何故なのだろうか…。
脅し道具であるナイフを失い、圧倒的力の差に困惑している相手から少女の腕を軽く引き、こちらへと引き寄せる。
男から引き剥がすのはあまりにも簡単すぎて逆に拍子抜けしたが、彼には何か他の策があるようであった。
私が少女を庇うようにして前に立つと、男はこちらを指差して新たな事実を報告する。
「この女には呪いがかけられている!だから俺からは絶対に離れられない…!」
茶髪の少女が袖を捲くると、そこには確かに可愛らしい少女にはそぐわない禍々しい紋章が刻まれていた。不安そうにこちらを見つめ、何かを言いたげに金色の瞳を揺らす。
呪い…この
だが彼の失敗はそれを私に教えてしまったことだ。呪いはその恐ろしさ故にもうずっと前に禁じられたとアレクが小さい頃に教えてくれた。奴隷だけでなく呪いにまで手を出すとは…根っからの悪人のようだ。
もう一つ、彼の罪が増えた瞬間であった。
少女の服の袖をそっと戻すと、私は安心させるように少女の瞳を見つめる。その瞳からは影が一切感じられず、正しく曇りなき美しい金眼であった。
少女から視線を外すと、再び男に向き直る。興奮状態のせいか禁断の魔法を使ったせいなのかは不明だが、彼の目は血走っており、どう見ても正気ではなかった。
「そうですか、では教えて下さい」
私は男の首元に剣を突き付ける。突然呪いをかけられ、刃物をも突き付けられた彼女と同じ苦しみをその身で味わえば良い。
「呪いを解く方法を」
男は剣の切っ先を恐怖の眼差しで見つめているが、未だに反抗を続ける様子だ。
「誰がそんなこと…」
素直に言わないというのは分かっている。当たり前だ。この男が本当に素直で真っ当な人間なのであればそもそも呪いや奴隷に手を出したりはしないのだから。
だが真実を知りたいからと言って何も本人が言うまで待つ必要はない。相手が罪人であるならば尚更だ。
「言わないというのであればどんな手を使ってでも言わせてみせましょう。そうですね、貴方が死んだ方がマシだと泣き叫ぶ程に可愛がってあげましょうか」
剣の切っ先で男の首筋を軽くなぞると、少しだけ赤くどす黒い血が流れる。罪人の血は善人のものとは違い、酷く淀んで見える。
「私は本気ですよ。私の大切な主人を可愛がってくれたお礼をしなくては」
あの公女様が、助けてくれと叫んだ。自分で何でも抱え込んで解決しようとしてしまう、アレクとそっくりな彼女が、心からの助けを求めた。
あの時、一体何があったのかは分からない。だが彼女が助けを求めざるを得ないような状況に追い込んだ男を…私は決して許さない。
二人の時間を邪魔した罪はその身でしっかりと償ってもらおう。
「わ、分かった、呪いは解く。だから見逃してくれ」
ようやく自分の置かれた立場を理解したのか、男は指を鳴らす。彼女の腕から紫色の魔力が飛び出し、やがて消えた。
「あ…紋章が消えた」
少女は自分の腕を見てホッとしたように呟いた。
「お前の主人には二度と手を出したりはしない。勿論その女にもだ。呪いは完全に解いた。だからどうか見逃してくれ…」
今更命乞いとは笑わせてくれる。死を間際にして恐怖を感じたのか。こういう人間は本当に嫌いだ。他人に刃物を突きつけておいて、いざ自分がその立場になると相手に助けを乞う。
…なんと無様で、みっともないのだろうか。
「…私の主人に手を出しておいて無事に帰れると思うな」
私は男に向けて剣を振り上げる。男は迫りくる死に恐怖を感じ、目を瞑った。
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