第21話 パーティ編 その12

【リティシア視点】


「…悪い。リティシア嬢。リティシアと呼んでもいいか?」


 アレクシスは自身の発言に驚き、口を抑える。その感情は彼だけではなく、私も同様だ。


 まさか彼が私を探しに来るなんて…。彼はリティシアをわざわざ追いかける程親しい間柄ではなかったはずなのに。


 更に驚くべき点は、別にある。


 アレクシスが、リティシアを敬称なしで呼んだ。


 この世界では、最も親しい相手を愛称で呼ぶ事で、相手に対する信頼や愛情を示している。


 逆に敬称を外さなければ、一定の距離を保っているという遠回しな意味でもある。


 今回の場合は愛称とまではいかないが、敬称を外しただけでも、相当距離が縮まった事を意味するのである。


 …そう、彼が、私をリティシアと…。


 …やっぱりおかしいわ。小説内では全てリティシア嬢、だったはず。アレクシスの台詞は何度も読み返したから、ほぼ間違いない。


 …小説が…変わり始めている?


 彼が呼び方を変えた時点で私は悪役令嬢リティシアの人生を大きく変えたこととなる。彼は生涯リティシアをリティシア嬢と呼び続けていたはずだったから。


 仲良くなれることは本心としてはとても嬉しい…だが、ダメだ。私は彼と仲良くなるべきではない。


「え?…えぇ。どうぞ。」


 王子の呼び方に関する提案を拒否できる訳もない。そんな事をすれば巡り巡って神聖なる王族を冒涜したと死刑になりかねない。


「リティシア。俺の事も…出来ればアレクシスと呼んでほしい」


「…仕方ないわね」


 わざわざ名前に「殿下」とつけて距離を置いていたのに。…リティシアは王子と結ばれないという運命を受け入れようとしていたのに。


 貴方はそうやって、私を苦しめるのね…。


「バルコニーだと寒いから、中で話そう。」


「いいえ。ここでいいわ。ここが何だかとても…落ち着くの。」


 これは拒否しても殺される事はないお願いだと思う。そう信じたい。…何よりここが落ち着く。


 城の中は、どうしてもすれ違う人々の冷たい視線が気になってしまうから。


 アレクシスは水色の優しい瞳でこちらを少し見つめた後、「分かった。じゃぁこれを」と自分の肩に手をかける。


 そして自分の着ていた上着を脱ぐと、素早く私にかけてくる。そこで私は気づいた。自分の身体がもうすっかり冷えきっていたことに。


「…いらないわ」


 それでも悪役令嬢らしく冷たく好意を突き返そうとしたが、その手をアレクシスが掴む。


「こんなに冷えてるのに?」と私の瞳を真っ直ぐ見つめられ、私は拒否しきれず…受け入れざるを得なかった。


 彼はそれで満足したのか、笑顔で話し始める。


「…リティシア、さっきは本当にありがとう。すぐ戻ってくるって言ったのになかなか戻れなくてごめん。…それからご令嬢から聞いたよ。君が、彼女を助けたんだって」


「…人から聞いた噂は信じないんでしょう」


 彼から視線を逸らし、満天の星空を見上げる。あれ程輝いていたはずの星が、今は何故か霞んで見えた。…綺麗ね。眩しすぎない方が、私には合ってるのよ。


「あぁ。信憑性がない噂は信じないさ。でも、令嬢の嬉しそうな顔を見れば、本当か嘘かくらい分かる。…それに、君が誰かを助けたという話なら俺は信じたい。」


 そうか…アレクシスはリティシアにいつか優しい女の子になってほしいとずっと願っていたものね。


 私が優しい女の子になったと勘違いしてるんだ。ごめんね、アレク。私は優しい女の子になる訳にはいかないの。


「…そう。じゃぁ信じてれば?私は助けたつもりなんてない。目障りだったから、男性にワインをかけたの。それも一瓶全部ね。でも後悔はしてない。私は、そういう女だから」


 吹き荒れる風よりも、冷えた空気よりも冷たい言葉にも、アレクシスは揺るがない。彼は口元に笑みを浮かべ、星空を見上げている。


「リティシアのやり方は確かにあまり良くなかったかもしれないけど…そのやり方が一番効果的だったんじゃないか?」


 流石のアレクシスも私の行動を全否定するかもと考えていたのに、彼は私の予想の斜め上の発言をする。あれ程大胆に…私自身もやり過ぎたと思ったのに、貴方は許すのね。


「時にはやりすぎるくらいが丁度いい事もある。俺は…リティシアは間違ってないと思うな」


 そして星空から視線を外し、純粋無垢な優しい笑みを私に向ける。私はその瞳に縛られ、逸らす事ができない。


「守ってやれなくて、ごめんな。その時は丁度父さんに呼ばれてその場にいなくて…いや、こんなのは言い訳だ。本当にごめん。」


「…別に貴方が謝るような事ではないわ」


 こんなに人に素直に謝罪が出来る王子が、他の国にいるだろうか。


 傲慢で、自己中で、気に入らなければ処刑する。強すぎる権力をもった王族とはそういうものだ。


 しかし彼にはその要素が少しも見当たらない。王子だと言われなければ、彼が王子だと気づく者は恐らくいないだろう。良い意味で、彼は王子らしくない。


 ようやく視線の呪縛から逃れ、もう一度星を眺める。まるでリティシアの髪の様に…真っ赤に光る不気味な星を見つけた。それは私のこれからの運命を指し示しているかの様であった。


「…実は俺、初めは知らない女性と踊るの…別に嫌いじゃなかったんだ。その人と仲良くなれた気がして、楽しかったしな。」


「…そう」


「だけど…随分前に、俺と踊った一人の女性が、俺の婚約者を名乗り始めたんだ。私と一番楽しそうに踊ってくれたから、私は婚約者で、将来皇后になるんだって…。そんな考え方は変だと思ったけど、王子が知らない女性と踊るとそんな勘違いが生まれちゃうのかって思って…気づいたら踊ることを避けてた。」


「…」


 …可哀想。そうとしか言えないわ。


 彼が今述べた出来事は小説内で語られる事がなかった事実だ。この事実を知った熱狂的な女性ファンはきっと哀れだと涙する事だろう。


 でもそれまでだ。可哀想なキャラ。そう思われるだけ。しかし今の彼は現実にいて、私の目の前に生きている。


 心から可哀想だと感じた。


「でももうそんなことは言っていられない。俺のせいでお前に迷惑をかけてしまった。後で公表するよ。俺は知らない女性と踊るのが苦手なんだって。そうしなければリティシアの悪い噂がまた…!」


「勝手なことしないで!」


 私は大声で叫んだ。


 もう私の事は放っておいて。


 これ以上私に優しくしないでよ、アレク。



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