土手の道

 


 住職さんが貸してくれた傘をさして、美弥は川原沿いの道を歩いていった。


 早く戻らなければと思いながら、予感がしたのだ。


 足を止める。


 案の定、川原に傘をさした背の高い男が立っていた。


 傘で顔が陰になっていても、雨でその姿が煙っていても、美弥にはそれが誰なのかすぐにわかった。


 今は撤去されている掘っ立て小屋のあった場所に立ち、橋の下を見つめている。


 美弥はしばらく、そこからその姿を見ていた。


「サボりですか?」


 突然耳許でした声に、うわっ、と声を立てそうになる。


 自転車をついた圭吾が立っていた。


 彼もまた、大輔に気を使ってか、声を落としている。


 もっとも、集中している彼には、此処で何を騒いでも、聞こえやしまいが。


「圭吾、傘は?」

と美弥が言うと、自転車は雨のとき不便ですねえ、と溜息を漏らす。


「カッパ着て弁護士が回るのもなんだか間抜けかなって」


 なにやってんのよ、もう、と美弥は傘をさしかけてやった。


「いいですよ、貴方が濡れますよ」


 圭吾は大きいので、傘をさしかけるのも、ハンカチで頭を拭いてやるのも一苦労だった。


 ちょっと屈め、と思っていたが、圭吾の視線は大輔の方を見ている。


「大輔さんって、降霊できましたっけ?」


「やったことないと思う。

 いっつも向こうから話しかけられるばっかりだから。


 でも―― 前田さんのために、何かしたいんじゃない?」


 このままでは、あの人は切っ掛けを掴めないかもしれないから。


 龍泉には、ああ言ったが、前田のような生真面目な人間は恐らく、彼らとは違い、刑に服すことで少しは救われることだろう。


「よう、先生。

 待たせたな」


「あれ? 三溝さん」


 これまた、傘を持たないというか、必要としないような三溝が腕に缶コーヒーを抱えてやってきた。


「なんだ、美弥ちゃんも居たんなら、もう一本買ってくりゃよかったな」


 そう言いながら、ほれ、と缶コーヒーを一本投げてくれる。


 それは手を離したくなるくらい熱いものだった。


「あ、いいですよ。

 お気遣いなく」

と三溝に返した。


 寒いから買いに行ったのだろうに悪いと思ったのだ。


「三溝さん、どのみちこの人、無糖のは飲めませんから」

と圭吾が言う。


 おや、そうかい、と三溝は軽く小首を傾げて、缶を開けた。


 口をつけながら、大輔の方を見ている。


「珍しい組み合わせですね」

と言うと、


「ああ、センセの仕事のことでちょっとね。

 あれ、なにやってんだ?」

と缶を持った手で、大輔を指差す。


「三溝さんがお嫌いなものですよ」


 大輔には言わないが、現実主義者の三溝は、実は霊とか大嫌いだった。


「はあ、まあ、俺はテレビに出てるような超能力者とか霊能者とかは嫌いだが。


 でもまあ、こんなときには、何かしてくれたらなと思うこともあるよ」

と行き詰っている捜査を思い、そう呟く。


 その珍しく情けなげな口調に申し訳ない思いがしていた。


 自分たちは既に、ひとつの事件の犯人を知っているのに――。


「やっぱり嫌いなんですね、霊能者」

と美弥が言うと、


「絶対信じないとか言うんじゃなくて、単に、あいつらが出ばって来すぎると、俺たちの仕事がなくなるだろ?」


 それだけだ、という三溝に吹き出す。


 仕事人間の三溝らしい意見だったからだ。


 ふっと一緒に笑っていた圭吾が顔を上げた。


 振り返ると、同じく住職に傘を借りたらしい叶一が、何故かこちらに向かい、歩いてくるところだった。


 遠回りなのに、やはり、叶一も何か感じるものがあったのだろうか。


 だが、叶一は三人を見はしたが、いつものように陽気に話しかけてくるような素振りはない。


 それでも、一応足を止め、


「美弥ちゃん、僕、先に帰ってるから」

と進行方向を示す。


 うん、と頷くと、彼は、ちらと川原に視線を落として、そのまま行ってしまった。


 美弥がその後ろ姿を見送っていると、


「あーあ」

と三溝が少し伸びをするように溜息を漏らす。


「俺もそろそろ考えようかな」


「考えるって?」


「年貢の納め時っていうか、ついに本部長からも見合いの話が来ちまうし」


「それで―― 決めちゃうの?」


 三溝は美弥を見下ろし、ははは、と笑う。


「そりゃわかんねえけど。


 まあ、いい人で、全然の好みじゃない顔でなければ、それもいいかなとか思ったりもするわけよ、この年になると」


「よくないよ、そんなの!」


 思わずそう言った美弥に、圭吾の方が溜息を漏らす。


「……貴方がそう言うのもどうかと」


「ねえ、三溝さん、言ってみたら?」


 それを無視するように勢い込んで美弥が言うと、なっ、何をっ、と三溝は動揺する。


「なんていうか、ああ、此処で言ってもいいのかな。

 倫子って、ほんとは特にこの人が好きとかってない気がするの」


「まあ……悪い意味でなく、気が多そうですよね」

とズバリ、倫子にこの人もいいと言われていた圭吾が呟く。


 そういえば、三溝のことをそんな風に言ったことはなかったが、だからこそ、可能性はあるかもしれないと思った。


 単に、今までそういう対象として見た事がなかっただけだから、告白されることによって、見方が変わるかもしれないと思ったのだ。


 う~ん、と三溝は腕を組んで唸る。


「言ってみなよ、それからでも遅くないよ」


 なんかいちいち、自分にグサグサ来るなあ、と思いながら、三溝のために敢えて口にした。


 自分と同じ間違いを三溝には犯して欲しくなかったのだ。


 私たちはもう、取り返しのつかないところまで来てしまった気がするから――。


 淋しくそう思いながら、美弥は後ろを振り返った。





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