火鉢 ―龍泉―

 

「叶一」

「なんだよ」


 美弥の足音が完全に消えたあと、呼びかけた龍泉に、叶一は強く訊き返す。


「いい加減、はっきりさせた方がいいんじゃないか?」


「あんた、他人事かと思って!」


「ずーっと久世の影が抜けないのも嫌だろう」


「じゃあなに?

 一度別れても、また美弥ちゃんが僕と結婚してくれる可能性でもあるわけ?」


「お前、近衛に好きだって言ったことあるのか?」


「だって、別にそんなんじゃない……」


 ぐずぐずと叶一はそんなことを言う。


「お前な……」


「美弥ちゃんは好きだよ。

 でも、別にそれは――」


「お前、親父さんのせいか」


 叶一が振り向いた。


「あの人がお前の母親と久世の母親の両方を愛したお陰で、お前たちは苦しんで。


 そのせいで、お前、自分には恋愛感情なんてないと否定し続けてきたんだろう?」


「なに言ってんの、暇な人だね」


「お前が真っ正直に近衛に向き合わない限り、お前にはなんの未来もないと思うが」


「『先生』って、よくそういうこと言うよね」

と叶一は鼻で笑う。


「でも、正面向いて向かい合ってなに?

 それで必ず願いは叶うの?


 そんなはずないじゃない。

 僕と大輔の願いが同時に叶うことはないんだよっ!」


「それでも、やってみなくちゃわからんだろ」


「あんたどっちの味方なの?」


 僕? 大輔? と問われ、


「まあ……敢えて言うなら、


 ――近衛?」

と言うと、がっくりと叶一は肩を落とす。


「このエロオヤジ!」

と吐き捨てるように言い、障子に手をかける。


「誰がエロオヤジだ、誰が!」


「あんたなんか、さっさと美咲さんとでも結婚して、一生尻に敷かれてろっ!」


 障子が派手に閉まったあとで、寒いので、引っ張り出していた火鉢をぐりぐりと棒でかき回す。


「あーあ……」


 元教師だろうが、受刑者だろうが、坊主だろうが。


 どんな経験してようが、そんな立派な台詞なんて、そうそう出てこねえよ。


「自分のことだって、どうにもならんのに……」


 くったり、と火鉢の上に倒れ込む。


 すると、すーっと障子が開いた。


「ほーんと、どいつもこいつも騒がしいですね、貴方の生徒さんたちは」


「美咲さんもだんだん口が悪くなってきましたね」


 俯いて灰を見たまま言うと、貴方の影響ですよ、と美咲は笑う。


「はい、お疲れ様」


 顔を上げると、小さなお盆に載った梅昆布茶が出てきた。


 どうも……と小さく呟き、それをいただきながら、美咲の後ろの庭を見る。


「やあ、雨ですね」


 今頃なに言ってんですか、と美咲は冷たく溜息混じりの言葉を返してきた。



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