資格


 

 事務所に戻っていた美弥は、ひとり机の上の紙を見ながら、唸っていた。


 何故、自分が狙われたのか。


 何故、それが昨日だったのか。


 あれは通り魔だったのか。


 通り魔を装った誰かだったのか。


 最初のふたつは難しいので、ちょっと置いておく。


 あれは通り魔だったのか。


 これに関しては、自分たちが見た加害者の体格が、他の被害者たちの証言と一致しているという意味では、その可能性は高いと言える。


 ただ、その証言が、中肉中背で恐らく男、という、かなりあやふやなものなものであるのが問題だった。


 そして、あれが通り魔だと仮定すると、何故、昨日、突然行動を再開したのか。


 それは自分が狙われた理由と関係あるのだろうか。


 通り魔を装った誰かだったのか。


 もし、そう仮定するなら、やはりこれもまた、何故、自分が狙われたのか、というところにかかってくるような気がする。


 何故、私だった?


 何故、昨日だった?


 確かに、昨日は帰りが遅かったけれど、通り魔は別に夜間に集中して動いているわけではない。


 もし、浩太が言うように、最初から私を狙ったものであったとしたら――。


「なにそれ?」

と誰かの長い指が机の上の紙を突いた。


「ん、昨日の行動をちょっと書き出してみ……」


 言いかけて、いつの間に入ってきたんだ、と顔を上げると、彼は意外に近くまで来ていた。


 いきなり肩に触れ、キスしようとする。


「浩太っ!」


 ゴツッとかなりいい音がした。


 床の上に座り込んだ浩太は、頭を押さえ、


「ひどいよ、美弥ちゃん。

 文鎮は死ぬと思うよ」


 ついに此処で殺人事件だよ、と半泣きに見上げる。


「掴みやすいのよ、これ」

と猫をかたどったガラスのペーパーウェイトを見せた。


 浩太は服をはたいて立ち上がりながら、

「ほら、誰でも突き飛ばすんじゃない。

 って、僕は今、危うく殴り殺されるとこだったけど」

と恨みがましげに言う。


「……誰に聞いたの?」

 そう低く問うと、あれっ? と浩太は面白そうに笑う。


「すぐにそう言うってことは、やっぱりずっと気にしてたんだ?」


 叶一さんは知らないはずだし、倫子がしゃべるとも思えないんだけど。


 まさか……大輔?


「しかし、中学一年のときのことを未だに根に持ってるなんて、やっぱり、ストーカー様は一味違うねえ」


 そんな軽口を叩く浩太に溜息をつき、


「結婚式が……」

と呟いた。


「結婚式?」


「結婚式が教会だったのよ。

 だから余計に……」


「あ~、大輔も参列してたんだっけ?」

「私はそっからもう、神経疑うんだけど!?」


「そうだね。

 教会って誓いのキスとかあるもんね。


 自分はぶん殴られたのに、叶一さんとはあっさり、なんて、目の前で見せつけられんの、やだろうね」


「私が殴ったのは、あんたなんだけど……」


 大輔のときは、ちょっとびっくりして、突き飛ばしてしまっただけだ。


 まさか、十年以上も根に持たれるとは思わなかった――。


「それにしても、なんで教会にしたの?」


「いや、それがそこまで考えが及ばなくて。


 単に、こう、ステンドグラスの素敵な教会で真っ白なウエディングドレスを着てみたかっただけなのよ」


 確かにそれだけは浅はかだったと、赤くなって言うと、


「ははあ、一応、女の子なんだねえ」

と浩太は笑う。


「一応~?」


「いやいや、わかるよ。

 でも、まあ、普通なら、そこで一発殴って連れてくもんだけど」


「ちょっと待って。

 そこで殴られるのどっち?


 なんだかそこはかとなく、私のような気がするんだけど……」


「そこで、なにもアクション起こさずに。

 一人、隅にしゃがんで、俺の何が悪かったんだって、煩悶はんもんしてそうなのが大輔だよねえ」


 その通りだが、笑って言うな。


 いろいろ思い出してしまい、後悔とも懐かしさともつかない想いで俯いていた美弥の頬に浩太は触れ、上を向かせる。


「もうあんな男やめたら?

 まだ僕の方がマシだと思うけど?」


「……あんたはただ、慰めてるだけなんだろうけど。

 いっつもそういう調子だから、誤解されんのよ」


 そう言ってやると、浩太は素直に手を離し、やっぱり、美弥ちゃんには効かないなあ、と首を傾げている。


「いやいや、私でも、どきっとはするわよ」


「そう淡々と言われてもね。

 まあ、ほんとに君を口説いてもいいんだけど、僕、付き合うとすぐ別れちゃうから。


 君とはずっと一緒に居たいもんね」


「あ、なんか今の台詞の方が、ほろっと来た」


 胸に手をやり、美弥がそう言うと、

「だから、どき、じゃなくて、ほろっとなんでしょ」

と浩太は笑う。


「ところで、あんた何しに来たの?」


「いや、単に美弥ちゃん、からかおうと思って。

 ああそう、忘れてた」

と浩太は振り向き言った。


「下に居たんだ。

 お客さんだよ」


 少しだけ開いたドアのところに、居場所がなさそうな顔をして、前田が小さく立っていた。


「浩太っ!」





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