蒼天の弓 ―美弥―

  

 学校の裏山、野球場の横の斜面は草原になっていて、寝転ぶのにちょうどいい。


 二時間目は自習だった。


 図書室までなら出てもいいということになっているのだが、まあ、それは建前で、みんな思い思いのところで勝手なことをしている。


 もっともテスト前なので、何処に居ても皆勉強はしていることだろうが。


 今も寝転がっている美弥の横で、倫子は自作の単語帳をめくっていた。


「美弥、外国行ったらさあ。

 雰囲気とボディランゲージで結構通じるらしいよ……」


「そう先生に言ってみたら?」

と言うと、倫子は、ああもうっと単語帳を投げ出した。


 坂を転がり落ちていくそれを倫子は黙って見ていたが。


 やがて、諦めたように立ち上がると、よくわからないうめき声を上げながら追って行った。


 ちょっと笑ってしまう。


 球場まで落ちていってしまったらしいそれを倫子が取りに行っている間、美弥はポケットからあるものを取り出した。


 左の薬指にはめ、空にかざして見る。


 プラチナのそれの一部に太陽が当たって、まるでダイヤのように輝いた。


「美弥ちゃん」


 ふいに呼びかけられ、起き上がると、三根と大倉が立っていた。


「……美弥ちゃん、その。

 昨日の朝、何処に居たのか知りたいんだけど」


 罰の悪そうな顔で言う三根に、美弥は笑った。


「三根さん、怠慢ですよ。

 そんなことは昨日のうちに訊いとかなきゃ」


 お父さん? と単語帳を手に上がってきた倫子が不安げに呼びかける。


 彼女の姿に、美弥は指輪を外して、ポケットにしまった。


「私は家に居ましたよ。

 いつも通り、支度をして学校に行ったけど、行く途中、特に知り合いには会いませんでした。


 家族の証言ではアリバイにはなりませんよね」


「隆利氏のことを知ったのは?」


「校門を入ったところで、先生が慌ててやって来て。

 大輔に知らせに行く途中だったみたいですね。


 先生は詳しい話を聞くのに、病院に電話するというので、大輔には私が代わりに伝えました」


 うーん、と三根は唸る。


「大ちゃんは今何処だい?」

 さあ、知りません、と美弥は言った。


 お父さん、と落ち着かない様子で倫子が呼びかける。


「なにしに来たの?

 なんで美弥にそんなこと訊くの?」


「倫子お前は……ああ、いや、あっち行ってなさい」


「大丈夫ですよ、三根さん。

 倫子は知ってますから」


 そう言うと、三根は驚いた顔をした。


「叶一さん、まだ職場に届け出してなかったんでしょう? 

 全く呑気なんだから」


 なんでわかったんです? と問うと、河本本部長が、と三根は言い難そうに言った。


「ああ……河本さん、式に来てましたもんね。

 遠いけど親戚筋に当たるらしくて。


 大学も叶一さんと一緒だし」


 だから叶一のことを可愛がってくれていたようだったが。


「その、わしにはさっぱり事情がわからんのだが」


「簡単な話ですよ。

 ほら、去年、お父さんの会社がのっとられかけたじゃないですか」


「でももう大丈夫だって……」


「あれ実は久世隆利が融資してくれて、株買い戻したんだったんです。

 でも、あの人が無償でそんなことしてくれるわけないでしょう?」


 久世隆利は、会社の規模よりも、その歴史と人脈を買って、近衛鉄鋼を取り込もうとしたのだ。


「し、しかし、君は大ちゃんと……」


 どちらでも一緒じゃないのかね、と三根は言う。


 大輔でも叶一でも、久世隆利の息子であることに変わりない。


「大輔はまだ若いし、先のことは分かりませんからね。

 叶一さんならもう結婚できる年でしょう?


 じゃあ、先延ばしにしてあやふやにするより、相手を叶一さんにして籍だけ入れとけって。


 前会長が亡くなって、叶一さんにも何某なにがしかのものを渡さないと格好つかなったから、ちょうどよかったんでしょうよ。


 ……ま、あの人の真意はよくわかりませんけどね。

 単に私を追い払おうとしたのかも。


 大輔にはもっといい家からお嫁さんもらおうとしたんじゃないですか?


 息子は二人。

 有限ですもん。


 より有効に使わなくちゃ」


 美弥、と倫子が痛ましげな顔をする。


 倫子が叶一を好きなのは確かだが。


 美弥が望んで結婚したのではないことを知っているので、恨むつもりはないようだった。


「で? あれですか?

 その事実が明らかになって警察は思ったわけですよね。


 今、久世隆利に恨みを抱いているのは、近衛叶一ではなく、近衛美弥、或いは、久世大輔だって」


 お父さん! と堪らず倫子が叫ぶ。


「美弥や久世がそんなことするわけないじゃない!」


 無論、三根も本気で疑ってきたわけではないだろう。


 上に言われたから、仕方なく来たのだ。

 責めるのは可哀想だ。


「確かに、その事実がわかってから、すぐに捜査の目は君たちに向けられた。


 でも、叶一は言ってたよ」


『それで僕にあの男を殺す理由がないと考えるのはおかしいですよ、本部長。

 それは貴方の価値観による判断です』


 叶一の言葉に美弥は苦笑する。


 らしすぎると思った。


「そうですよ。

 あの人は近衛鉄鋼になんか興味ない。


 望まぬ結婚を強いられたのは、あの人も同じですからね」


 美弥ちゃんは……と窺うように見ながら、三根は問うた。


「美弥ちゃんは……、


 誰が犯人だと思うの?」


 そうですね、と美弥は軽く空を見上げて言った。


「私―― かなあ?」



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