夫に帰れとはこれ如何に
「ほら、叶一さん、起きて~。
もう帰らなきゃ」
座布団を枕に寝てしまった叶一を引きずり起こそうと、美弥はその両手を引っ張る。
うーんっと踏ん張ってみたが、重すぎた。
「夫に帰れとはこれ如何に~」
手を離し、誰が夫よ、とその額をぴしゃりと叩く。
「可哀想だろ。
寝かしといてやれよ」
縁側に向かいながら洋が言った。
もう~。
すっかり叶一さんに飼い慣らされちゃって~っ、と美弥は部屋に向かう弟の背を睨んだ。
確かに叶一は話していて楽しいし、実は結構頼りになるし、一緒に居て苦痛のない相手だが……。
叶一の枕許にしゃがむと、己れの膝で頬杖をつき、彼を見下ろす。
このままでいいわけがない……。
「美弥ちゃん、寒い~」
寝言のように言った叶一を見ると、座布団を胸に抱えて丸まっていた。
「そんなとこで寝るからでしょ、もう~。
お母さん、お母さ~ん!」
結局、吾郎に手伝ってもらって、叶一を客間に運んだ。
布団に転がしたところで電話が鳴って、一度居間に戻る。
帰って来ると、叶一は案の定、掛け布団の上にそのまま寝ていた。
「どうにかなんないのかしら、この人は」
蹴って一旦退かそうかしら、などと考えていると、察したのか叶一が目を開けた。
「なに、今の電話。大輔?」
「そう、家に着いたって。
なんか、龍泉さんからカップラーメンもらったとか」
へえ、と笑った叶一だが、眩しそうに丸い蛍光灯を見たあとで、小さく付け加える。
「でもさ、男が帰るコール、いや、帰ったコールって変じゃない?
女の子ならともかくさ。
誰があいつを夜道で襲うのさ」
「いいじゃないのよ。
気になるんだから」
元々美弥が強制して始めさせたことだ。
だが、大輔は癖になったらしく、今では何も言わなくてもかけてくれるようになっていた。
「大輔、一人暮らしみたいなもんじゃない。
胃も悪いし。
いきなり倒れてたりしたら嫌でしょう?」
暗に寝る前にもかけさせていることを匂わせてしまう。
まあ、もっとも、叶一はこの家に居ることが多いので、わかってはいるのだろうが。
「へえ。
僕も一人暮らしなんだけど、僕が倒れてたらどうしてくれんの?」
と意地悪く嗤う。
「貴方はなんだか死にそうにないから」
ご挨拶だね、と言いながらも、叶一は笑っていた。
「しかし、龍泉さんかあ」
とさっきの座布団のように枕を抱く彼に、だから寒いんなら中入れって、と思っていると、
「ねえ、なんで大輔があの人に攻撃的なのかわかる?」
と訊いてくる。
「え―― それは」
と言いかけたが、叶一は特に答えは待っていなかったようで、勝手に答えを言い出した。
「いつだったかなあ。
君があの人の前で泣いたからだよ」
「……そんな理由?」
「君、滅多に人前じゃ泣かないのにねえ」
それでだよ、と叶一は言う。
「ほらあいつ、自分じゃなんにも行動しないくせに嫉妬深いじゃない?
いや、しないから、ひとりで考え込んじゃって、ああなるのかな?」
「なんで行動してないってわかるのよ」
と言ってみたが、わかるよ、と笑われた。
「君たちの間に何かあるのなら、いつまでも僕と結婚してないでしょ。
大輔はなんでもケジメをつけたがる男だからね。
すぐに離婚を切り出すさ」
まあ、確かに、と美弥は手を繋いだだけで不倫だとか言い出す大輔の几帳面さを思い出す。
「まあもう、くだらないこと言ってないで寝てよ」
美弥は灯りを消してやった。
「ちなみにわかってるだろうけど、この家は六時起床よ」
まったく、ラジオ体操でもしようってのかね、と愚痴る彼に笑いながら、襖を開ける。
明るい廊下の光が差し込んできた。
「おやすみ、叶一さん。
ちゃんと布団かけて寝るのよ」
ってか、やっぱり酔ってないじゃないのよ、と一連のしっかりした受け答えを思い出しながら思う。
やっぱり叶一さんでも一人暮らしは淋しいのかなあ。
でも、此処に住まわせるわけにも。
とか考えていたとき、近くの壁の陰から階段の方に、そうっと移動している洋の姿が見えた。
「洋! なにやってんのよ」
「いやいや、盗み聞きなんてしてませんて、おねーさま。
じゃあねっ、おやすみ~っ」
と素早く消えてしまう。
噂好きのおばちゃんか。
相田のおばちゃんにでも弟子入りしろ、と思いながら、美弥は消えた弟の影を睨んだ。
でも、ほんとうだ。
いい加減、はっきりしなくちゃ。
大輔だけじゃない。私が――。
美弥は閉まったままの襖を振り返る。
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