夕食の片付けを終えた美弥が、騒がしいなあと隣の部屋を見ると、洋と叶一がレーシングゲームをやっていた。


 二人の身体が実際に乗ってるわけでもないのに、一緒に左右に動くのを見て笑う。


 なんでああなるのかなあ、手だけ動かせばいいのに、とずっと思っていたのだが、いつぞや、やってみたら、やっぱり自分も同じように揺れていた。


 ふと気づくと、大輔がひとり縁側に立っていた。

 暗い片隅をじっと見ている。


「大輔?」


 そう呼びかけると、大輔は、はっとしたように伸ばしかけた手を止めた。


 縁側に行ってみると、ガラスの引き戸の陰になっていた場所に、壁に立てかけられた洋の弓があった。


「……明日試合だから、持って帰ってたみたい」


 そうか、と大輔は弓袋に入ったそれを見ながら呟く。


 洋は大輔の影響で弓道を始めたのだが、大輔の方はもう何年も前にやめてしまっていた。


「またやればいいのに」

 軽い調子を装い言ってみるが、大輔は、いや、と短く答える。


 予想して通りの反応をちょっと残念に思いながらも、美弥は、

「じゃ、私やってみようかな」

と弓を手に取ってみる。


 あ、けっこう重っ!

と思ったが、なんとか堪えた。


「出来るよ、お前なら。

 小さい弓から少しずつ上げていけ」

と大輔がアドバイスしてくる。


「でも私、あんまり運動神経がいいとは……」


「大丈夫だ。

 お前は迷いがないから」


 そう言い切る大輔の後ろ、庭の雑木の枝の隙間から月が見えた。


 明るい月だな。

 今日は通り魔も出ないだろうか。


 ふとそんなことを考える。


 溜息をつき、弓を戻した。

 

 

 大輔が勝手口で靴を履いていると、また美弥の父、吾郎と飲み始めた叶一が、居間から手を振った。


「じゃ、気をつけてー」


 それだけ言うと、吾郎と笑いながら話し出す。


 大輔、と美弥が顔を覗けた。


「気をつけてね」

 ああ、と小さく答えて外に出る。


 ドアを閉めてもまだ、叶一と吾郎の笑い声が聞こえていた。


 敷地の外に出る前に振り返る。

 縁側の掃き出し窓から漏れた灯りが庭を照らしていた。


 その中を、美弥の影が横切る。


 大輔はまだ肌寒い春の夜道を歩き出した。


 子どもの頃から、いつか自分が入ると思っていた場所に、気がついたら叶一収まっていた。


 あまりに見事に。

 文句をつける間もなく、すっぽりと。


 だからだろうか。

 いつまでも美弥に何も言えないのは。


 自分ひとりで彼女を養う自信がないからだけではなくて。


 寺の前に差し掛かったとき、ちょうど門をくぐって龍泉が顔を出した。


 その手にあるホウキを見て、やはり、これで通り魔を追い払うというのは本気だったのか、と思う。


 まあ、愉快犯的な通り魔なら、出来ないこともないだろうが……。


 龍泉は月を見上げていた。


 すごく美形というほどではないが。

 整った造りで、愛嬌のある顔をしていた。


 大輔たちよりは十五上のはずだが、かなり若く見える。


 長く俗世から切り離された生活をしているせいかもしれないと思った。


 龍泉がこちらに気づき、にこりと笑う。


 大輔は小さく頭を下げて、彼の前を通り抜けようとした。


「川原の事件ですけど」


 ふいにそんな言葉を龍泉は発した。


「通り魔の犯行がエスカレートしてってことはありませんよね?」


「……洋もそんなことを言っていたようだ。

 まあ、ないと思うが」


 そう答えながら、必ずしもそうとは言い切れないかもしれないと思っていた。


 例えば、八巻が犯行を目撃したとか、自分が襲われかけたとかで、犯人を捕まえて反撃にあったとか。


 そう思ったとき、振り返り目を見開いた八巻の残像が浮かんだ。


 ――あれはどういう意味なんだろう。


 思わず考え込んでいた自分を、龍泉が微笑ましげに見ているのに気がついた。


 美弥たち家族の前以外で自分の世界に入るなど滅多にないことだったので、らしくもなく慌てて言う。


「あんたはそんなこと気にしなくていいから、おとなしく寺で経でも唱えてろ」


 年下の大輔にタメ口をきかれても、龍泉は笑っている。

 彼を心配して言っているとわかっているからだろう。


「私に経を唱えられても有り難いかどうかはわかりませんけどね。

 私、貴方みたいに霊感があるわけでもありませんし」


「……そんなんでいいのか、坊主って」


 思わずそう呟くと、おや、もしかして、坊主や神主はみんな霊が見えるとでも思ってたんですか、と笑われる。


「もう帰る!」


 ついそんな子どもじみたことを言ってしまったが、龍泉は、


「いやいや、すみません。

 ああ、ちょっと待ってくださいよ」

と奥へ入っていってしまった。


 やがて、小さなダンボールを手に戻ってくる。


 中にはカップラーメンがたくさん詰まっていた。


「あげますよ。

 わびしい一人暮らしの必需品です」


 侘しいは余計だろ……。


 だいたい一人暮らしじゃなくて、父親も居る。


 まあ、居ても居ないようなもんで、いつ居るのかもよくわかってはいないのだが。


 一時期、大輔も家を出ることを考えた。


 だが、叶一に、

「同じ家に居ても、そんなに接点ないんだから、出ても出なくても一緒だろ」

と言われて、思い留まったのだ。


 もしかしたら、叶一もあれで隆利のことを心配していて、一人にはさせたくなかったのかもしれない。


 美弥も、隆利と合わないのは相変わらずだが、文句を言いながらも、なんだかんだで世話を焼いてくれている。


 ただあの二人の会話を傍で聞いていると、殺伐としてくるのだが……。


 そうそう、と目の前の龍泉が人差し指を振って言った。


「お宅のお父様もそのカップ麺、意外にお好きらしいですよ。

 少し差し上げてみてはどうですか?」


「あんた親父と話すことあるのか?」


「ええ。

 寺に結構ご寄進を頂くのでそのときに」


「そりゃ、償わなきゃいけない罪も多いだろうからな」


 父親がカップラーメンが好きだなんて、二十四年一緒に暮らしてきたのに知らなかった。


 龍泉は今も愛想よく自分の前に立っている――。


 なんとなくムカついた。


「じゃあ、どうもありがとうございます」


 湧き起こる彼に対する反発から、丁寧過ぎるくらい丁寧に頭を下げた。


「いえいえ、貰い物ですから。

 じゃ、暇なときにでも遊びにいらしてください」


 寺に遊びに行く趣味などないっ、と思いながらも、大輔は適当に頷いて歩き出す。


 視線を感じる。


 龍泉はまだ見送ってくれているようだった。


 通り魔の心配をしているのかもしれない。


 いいから、あんたが中に入れよ、と思う。


 龍泉に反発する自分が幼いのだとわかっていた。


 でも――。


 チラと振り返ると、やはりまだ立っていた龍泉が小さく手を振った。


 大輔はそれきり振り返らずに歩き出す。


 彼にもらったダンボールを掴む手に力を込めて。



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